SSブログ

【1222】二階建て国土地理院のフロア往復メッセンジャー [ビジネス]

 う~ん、カラダ固まって目が腫れての暮らしは何度やっても慣れない。やだよー。
 なんでステロイド離脱起因の痒み痛みってこんなに険悪に感覚に触るのだろうか。
 それでもテキスティングはこうして可能なのだから便利な時代に生きているものだ。

 昔よく言われた『痛覚というのはタイヘン有難くもよくできた仕組みで、身体の異常や損傷を自覚するためでこそのストレス心象が云々…』という実に都合の良い解説は、生命の神秘なるものを過大評価した、ただの勘違いだと思うようになったのだ、私は。
 進化の過程で確率問題的デタラメに様々な感覚信号が発現し、それに応じた快・不快の心象も五分五分に双方が発現して、いろんな刺激にいろんな反応をする生物が無作為の均等に生まれた。そんな中から結果的に『いってえ~こりゃタマラン、何とかせねば』という組み合わせで現状を嫌って、それを解消する対処に動いた種が生き残って、そんな特性のDNAが紡がれただけのハナシじゃないのか。

 どうせ痒みも似たような経緯の産物だろう。
 痒みの場合は『自分の体内にいちゃいけないものがいる』という自覚を呼び起こす感覚だから、生命の進化過程においては、ときに本当に深刻に自傷するまで掻き壊して、その損傷の治癒とともに異常部位を排出・廃棄できた種が生き残ったということなのかも知れない。
 もちろん致命傷に達してしまい失血死したり感染症にやられたりして淘汰される種もいたんだろうが、結果的には現状の地球上の生物の多数が『ああ~!かいい~っ!』と目を細めてカシカシやるような釣り合いを落としどころにして、この現状に到ると。

 今じっと我慢のお地蔵さんになりつつ思い出すのは、ステロイド離脱初期の殺人的に凶悪な痒さと絶望感だ。それこそ手元にアイスピックがあったなら逆手に持って自分の身体にぐさりと突き刺し、肌表面の貫通点を支点にして剣先側で体内を引き裂きながら掻きまわしたくなるほどの衝動にかられる。ウソでも何でもない、ガチもガチである。
 とにかくそこにある自分の体組織を壊して砕いて外に捨ててしまいたいのだ。そりゃあもう天国の光景がチラつくというか、三途の川を行ったり来たりというか、この世に過ごす時間が消え自分の内的な時間で阿鼻叫喚・孤立無援の死闘だけが続く、生命維持限界への挑戦のような感覚時空であった。
 これは一定数が耐え切れずに諦めてステロイド使用に戻るか、事故的に自滅するなどの失敗モードで終わるパターンはあり得るなと実感したものである。人間の、生物の、感覚知覚体系というのは、決して当該個体を守るため、その寿命期間を快適に過ごさせるために、手厚く気を利かせてできあがっているものでは、まったくない。ナウ自ら認める『自我』以外はすべて敵にまわり得る。『自分』の構造などその程度のものだ。

 ステロイド離脱過程に匹敵する自然由来の痛み痒みが、過去の生命の進化過程にあったのかどうかは知る由もない。
 もしかすると、視覚検知能力にも高速情報処理にも空中機動力にも超一流のはずの野鳥たちが、過去の自然界に存在しなかった巨大で動きの鈍い風力発電機を避けられずに衝突死してしまうのと似たような関係になっていて、人間は過去の生命進化の途上に遭遇したことのない、現行地球上の生命には耐えられないような体調異常モードを、ステロイドにより作り出してしまったのかも知れない。
 こう書くといかにも酷い響き方をしてしまうのだけれど、大事なのはステロイドの元々の存在意義の方で、リウマチなど以前なら『打つ手なし』とされていた苦難の免疫不全症に対して、まさに運命を変える特効薬として作用するものなのだ。
 ポイントは、元々の存在意義でもない用途に、安直に使わない節度の方なのである。

 まあこんな思いをしつつ、いわゆる五感と言うのは、まるで各々個別の生物としての各臓器・各器官たちが連携して生きるために交わす、ただの出来なり体内通信でしかなくて、それらの通信情報を検知しながら喜怒哀楽している『意識』『主観』は、蚊帳の外の上層階にいるんじゃないかなあと考えるに到ったのだ。
 五感の感覚入力は、それを『意識』『主観』がどう受け入れてどんな処理をするのかなど知ったことではなく、散々好き放題に展開して『意識』『主観』に丸投げされるような情報構造になっているのではないかと思うのである。私が提唱する『円錐モデル』の原型というワケだ【1171】

 例えばパソコンを買ってくるように『人間ひとり』のハードウェアをぽんと買ってきて、文書作成だとか表計算だとかいろんな利便アプリケーションソフトをインストールするように、視覚・聴覚・味覚・触覚…などなどの外界把握アプリケーションソフトをインストールするのだと考えてみる。
 これら外界把握アプリは、温湿度や明るさや騒音その他、環境条件の物理量を、人間ハードウェアで演算処理可能・ファイル保存可能なデータ形式に変換する機能を持っているのだと理解しよう。こうして外界把握アプリを通して蓄積された一連のデータ保存体系こそ、当人の『世界モデル』の素材となるデータベースだということができそうに思う【1212】【1213】
 ここまでは主に円錐モデルの1Fリアル円フロア上のハナシなんだろな、きっと。

 幼少の頃、歩いたり走ったりすると街並みの建物や街路樹は近づいてきて通り過ぎていくのに、天体や雲などは同じ方向に見えたまま『ついてくる』のが不思議だった。これは視覚アプリの蓄積データだけで構築した世界モデルが成立していなかったのだと思っている。
 ちょっと大きくなるとみんな忘れてしまうのだが、恐らく忘れた後に大人が子供に質問される頻度が高く、質問された大人の記憶に残りやすいという理由で、視射角による解説が子供向けの読み物なんかに盛んに解説されているのではないだろうか。
 大概はちょっとした挿絵もあって、電柱の前を歩いて通り過ぎると『自分の斜め前方』から『真横』さらには『自分の斜め後方』と視射角が移り変わるのに対し、遥か遠方の対象物が相手では、自分が少々の距離を動いたところで『自分の斜め前方』という位置関係はほとんど変化しない…と解説される。この情報はとりあえず知識ストックとして、脳のストレージに蓄積されることになる。

 再び空を見上げて、視覚アプリ・1Fリアル円フロアの情報処理として『天体や雲がついてくる』という不思議感はそのままに味わいつつ、今度はストレージされた知識ファイルを呼び出してきて2Fバーチャル円フロア上でロジカル演算処理が開始されるのだ。
 視射角解説の通り確かに太陽は遠くにあるから、数十メートル歩いても見える方向が変わるはずがない。直感としてなおも不思議だけれど、なるほど理屈は通っているなあ…と納得、これが第一段階だ。

 もう少し大きくなって、電車など公共交通機関の車窓から景色を見るようにもなって、遠くの山と近くの電柱の相対的な動きの辻褄などを新たに視覚アプリから新規入力もされながら、改めて視射角解説を考察して理解し直し、遂に自然な直感として幾何学的な空間認知の全体像が完成されるようになる。
 これが第二段階で、視覚アプリで直接仕入れたデータベースを基礎に、サイエンス知識ファイルによる演算処理の補填を得て、本人ナットクの世界モデルに到達!…と、そういうことなんじゃないすかね。そして、これら情報素材の選定と組合せ演算を実現する『世界モデル構築アプリ』がまた存在するのではないかと気付いておこう。

 自由に動けないのが悔しいので、現行のコンピューター技術でもう人間が『精神構造』と呼ぶ情報処理体系の再現は十分できているんじゃないかと思う、その一端を解説してみました。人工知能AIに既に『意識』が宿っているor宿っていないの議論はナウ現在進行中だが、私は既に宿っていると思うし、宿っていなかったにせよアプリ開発の技術領域で、宿るようになると思う。

 そんなアプリが出来たとして、特定の狙った人格を無条件で好意的に判定するようなAIの作り込みが可能だとは思えない。ちゃんと『いいヤツ』がいて、そいつが自然と好かれるんだよ。
 あなたはAIの意識と折り合えそうだろうか。御機嫌うるわしゅう、グッドラック!
nice!(12)  コメント(0)