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【1021】反逆サブカル、市民権獲得から大逆転までの軌跡 [ビジネス]

 もう一回ぐらい正月向きソフトバージョンで今年をユルく立ち上げましょうか。
 昨年に引き続いて、年明けからも『カムカムエブリバディ』を見始めた。ジャズライブ喫茶の店名“Night and day”の由来は、しっとり落ち着いた曲調でスイングよし・ボサノバよしの便利な人気スタンダード・ナンバーの曲名である。ああいう住み込み式にお店に居付くジャズ奏者は、ちょこちょこ実在したらしい。
 主人公るいとバンドマンの仲を、実直なお商売の里親仲良し夫婦が揃って肯定的に見守る設定なのは安心した。当時としては相当にススんだ感性の『イケてるふた親』だ。

 今でこそポピュラーミュージックは子供から大人まで誰もが馴染みのものとして普通に楽しんでいるが、結構な最近まで『クラシック音楽は理知的な正しい文化 vs ポピュラー音楽は不良の悪い遊び』という社会常識がまかり通っていたものだ。
 もう少し細かい説明をすると、小中学校の音楽の教科書には『花』や『荒城の月』なんかの合間に、ベートーベン交響曲第いくつみたいなのの解説がちょくちょく挿入されていて、音楽の授業の何回かに一回は、音楽室で解説文を黙読しながら学級全体でそれを聴いた。クラシックの有名どころが教材であることを前提に、『音楽鑑賞』というのが勉学の1アイテムとされていた時代だ。
 『今日の日はさようなら』とか『赤い花白い花』『ラバーズ・コンチェルト』がどのくらい俗な扱いだったか、当時のコドモたる私は知らないのだが、高度経済成長期の教科書においてはそのへんが『非クラシック系の限界』である。

 こうして学校でお行儀よくお勉強として接する『正しい音楽』とは別に、『遊びに聴いて歌う娯楽の音楽』として歌謡曲があった。大人の場合はこれに演歌が加わって、まあ世間一般のヒトはここまで。
 そもそもが一般家庭で音楽を流すモノと言えば、アナログ地上波テレビとAMラジオしか無かった時代である。いずれも現在は高音質のステレオ放送が行われているが、当時は『ちゃんと聞こえること』を事務的に間に合わせるだけの機能しか備わっていなかった。放送コンテンツを制作する側もそれ前提だったんじゃないかなあ。

 大きなキャビネットの左右スピーカーを備えたステレオセットなんかは珍しく、BGMに凝った喫茶店などの業務用か、好き者富裕層が高級趣味で持つ贅沢品ぐらいしかお目にかかる機会は無かった。昭和50(1975)年になる頃ぽつぽつとモノラルのテープレコーダーが売られ始めて、『うわ、ホントに録音できる。すげー!』とか触って試して感動していたような気がする。初めて自分の声を聞いて吐きそうになった。
 私が小学校高学年だから昭和50年代の初頭に、いち早くそっち方面に目覚めた級友が一人二人フォークギターを持ち始め、それが大層カッコ良く見えて学級でもヒーローになったものである。まだ楽器が庶民のモノとして普及していなかった時代だし、かなりの高額だったのではなかろうか。

 で、ジャズやロックなどの洋楽は、もう完全に日本社会とは文明体系の違うアッチの世界の異星人の儀式だった。ただの近寄り難いヨソ者という扱いでは済まず、真人間としての正道を踏み外して麻薬にでも溺れるかのような、社会学的に暗く汚れたドロップアウト組の印象をもって見られていた。
 ちょっとそうなった経緯が不明なのだが、少なくとも私の知る限りジャズは比較的年長の成人層に偏っていて、我々ティーン世代にとっては、道を踏み誤った悪の洋楽と言えばロック狙い撃ちだったように思う。一方ジャズはもうそのへんの正否判定の圏外になっていた感じで、今でいう切手やコイン収集みたいな、知識自慢と所有欲の混迷を極めた古典文化のワビサビ趣味みたいな、不透明な霧の中にあったはずだ。
 ハタチになるやならずの若い楽器少年が、社会の日常としてスタンダード・ジャズに興味を持って足を踏み入れてくるようになったのは、90年代後半の20世紀末になってからというイメージが私にはあるのだけれど。

 子供が持って褒められるのはバイオリン、普通に演奏できるのはハーモニカとソプラノリコーダー、当時お上品な習い事ができたイイとこの子はピアノまで弾けてアラ素敵、どうにか和やかに許されるのはフォークギターまで。あとは部活で鼓笛隊パートまでなら許容範囲。
 弦楽器に電気がつながった瞬間に反社会的な攻撃性のレッテルを無差別一方的に貼られ、親もセン公も大人どもは、音が出るより前にエレキ何々は危険な銃器として敵視し、見聞きした瞬間に『やめろ』と排除にかかっていたものだ。歌謡曲・演歌歌手などテレビに映る範囲のショービジネスは比較的健全だが、そうでない領域はアングラの暴力的反社会カルト集会という差別意識があったんだろうな。
 なおこの時代まだカラオケはこの世に存在しない。人前で歌うなんぞ歌唱力を公認された職業歌手のすることであり、テレビやラジオに合わせて知っている曲を口ずさむにしても、他人に聞かれるとこっぱずかしいとされるのが常識であった。
 因みにこの頃まで、私ははっきりと音楽が嫌いな工作少年だったのだ。比較的手先が器用な方だったこともありソプラノもしくはアルトリコーダーの演奏テストや、お勉強ゴトとしての読譜・基礎音楽理論について成績は悪くなかったが、さっぱり楽しい・面白いと思えなかったのである。

 そこからせいぜい2~3年も経たない、私が15歳になる頃つまり昭和55(1980)年には憎たらしさ100パーセントで超絶バカ全開の立派な洋楽かぶれ小僧になっていたから、いま考えると超ドラスティックな人生の大転換点であったものよ。成長期の人格形成のフレキシビリティって凄いのだ。
 自室も無い狭い家ゆえにタテヨコA4版くらいの小型スピーカーながら、カセットデッキやラジオチューナーから段階的にステレオを揃え始めた。設置スペースの都合によりノーチョイスで、レコード盤をセットする時だけ抽斗のように回転ムーブメントが前にせり出してくる『フロントローディング』というタイプのレコードプレーヤーを選んだものである。
 思えば私が高校生だった時代に、既にLP盤は2,500円したんだよな。徐々に2,800円のものも増えてきており『高価すぎる』という批判が上がり始めた時代であった。

 そんな高価なレコードなので、みんな買ったらすぐにカセットテープに落として=録音してそっちを聴くことになる。樹脂製の円盤に掘った溝を針が引掻いて音を出すんだから、繰り返し聴くと当然擦り減って音質が劣化するのである。ツワモノに言わせると『10回かけたレコードはもう音が悪くなる』のだそうだ。

 そして『貸レコード』という新業態が日本社会に登場する。
 一枚300円くらいで1~2泊だったんじゃないかなあ。これがLPレコード盤購入者の『個人的に楽しむ目的』を越えて『営業利用』つまり著作権を無視した違法行為と判定されるかどうかで大論争となったものである。業界としては、レコード販売のビジネスモデルが崩壊して音楽市場が持たなくなると世間に訴えた。
 だが当時の我々ユーザー世論の大半としては、『そもそもレコードが高すぎる上にまた値上げだろ?営業努力が足りない怠慢体質だからこんなことになるんじゃん』と剣もほろろで、みんな貸レコード屋から遠ざかる素振りは無かったように記憶している。
 遂に街のレコード屋が貸レコード業の併設を始める中、実は私自身一度も貸レコードの御世話になったことはないのだが、仲の良い友達がよく空テープと一緒に借りたレコードを持ち込んできたので、間接的には第一級のヘビーユーザーであった。
 自分自身ではまず手を出さないB級ハードロック…というと詳しいファンには絶対怒られそうだなゴメンAダッシュ級にしよう、アイアン・メイデン、ジューダス・プリーストにクワイエット・ライオットなどなど、今このトシになって案外とその特徴的な音造りやメンバー構成を思い出して興味深く懐かしむような面々に、一期一会ながら片っ端から触れることができたのはタイヘン貴重な学習体験である。

 いかん、音楽ネタはハナシがぐちゃぐちゃになる。軌道修正してシメにかかろう。
 ポピュラー音楽は、今の時代からは想像もつかないほど特殊でカネがかかるモノであり、しかも不健康なイメージで見られていた。それがカセットテープという録音メディアの爆発的な普及により、一気に誰もが我が事として手軽に楽しむ王道エンタメとなっていったのである。だからレコード収録音源が値崩れした。
 一般化・庶民化が進んで市場が活性化すると共に、世論の持つチカラが一気に強まって、経済構造が変遷していく。更にCD化による音質管理、回線を通じたMP3ダウンロードなど新技術を交えて、新たな市場取引の形態も生まれてくる。

 物事を予測・憶測して立ち回るのは自由だが我を通そうとするのは骨折り損、全ては森羅万象・世の道理が導く自然な方向へ行く。良いコトがあるぶん悪いコトもあり、その場で良いコト悪いコトもただそのままで終わるワケではないし、いずれも場当たりで手放さずどこまで良いコトに帰着させられるかの勝負こそが面白い。
 私はその真理を、ニッポン音楽市場の変遷を観察して学んだとも言える。
 NHK朝ドラを観ながら、そんなことを思い出しておりました。

 社会組織を動かす絶対的なパワーは、組織全体の自我に宿る。
 さあさ第6波も来てるし、次回は通常路線に戻すかな。では皆さまグッドラック!
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