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【841】スピード感と緊張感の搭乗年齢制限 [ビジネス]

 最近たて続けだが、ここの御贔屓さま方の能力と人格を見込んでのハナシから。
 実は病原体感染症の流行には、急速な劇症化率および致死率が高いほど、収束は早まりやすいという一面があるのだ。

 感染して数日のうちに全身の体組織が破壊され、体内外の生体構造が溶け崩れ、目・鼻・耳・口を始めあらゆる人体の開口部から出血して半数以上が死に到る、そんな劇症モードの凶悪な病原体の方が、まず個人レベルの症状進行と完結は間違いなく早い。
 接触感染や飛沫感染など感染経路にもよるのだが、それこそ感染者の吐息に乗って文字通りの空気感染で、瞬間的に何十人にも同時拡散するほどの感染力でもない限りは、いったん感染したら洩れなく発症し、発症したらさっさと絶命して衛生管理のもとなきがらを処置される、この定番ルーチンが成立してくれる方が圧倒的に流行範囲が閉じやすいのである。

 種の存続を至上目的だとするならば、宿主を殺めずにむしろ稼働力を残して共生しつつ出先で感染を繰り返すタイプのウィルスが最も幅を利かせるはずであり、実際その傾向はあるとされている。
 ヘルペス・ウィルスなんかは、人間が感染して水疱瘡を一回やると無症状キャリアとなってその後をウィルスと共生していくことが知られており、例えばこれが人間側の免疫力低下により突然ウィルスが暴れ出したりすると、帯状疱疹として発症したりもする訳だ。

 この観点で見ると、今般の新型コロナ・ウィルスは結構めんどくさい特性を持っており、まず致死率としては無視できない程度それなりにヤバくて、また肺炎なので発症すると重い酸欠症状で動けなくなる反面、逆にそれまでなら歩き回る能力は残るし面白おかしく飲み食いもできてしまう。集まって飲み会もやればカラオケにも行く。
 ちょっと表現がアレだが、本来治療を要求するような発症者であっても、とっとと死ぬまでに達することなく呑気に感染を拡大させてまわる厄介なパターンなのだ。だから各地で医療機関の負担が激増してパンクに陥っている。
 困った話だがどうしようもなく、既に過負荷ダメージまで出始めている医療機関体制を今いきなり強化しようとするのは現実的でない。イチに何より新規感染者を増やさないこと、ニに既出感染者に対しては医療措置の要否をふるいにかけるトリアージ判断でもって、医療機関の処置能力を効率的に分配すること、このコンセプトがひとまず考えやすく動きやすいと思われる。
 トドの詰まりの最終的にはカネもトクもなく、我々人類が持つ限られた物資と専門スキルの最大巡行ペースを皆で探りながら頑張る検討にしか行き着きようがないのだから、各自その方針に協力するスタンスで自分の行動を考えて決めるのが生き残りの最適解だ。

 こんな時ながら、恒例の横道を一発やっておこう。主に政治に関わる場面で、いつ頃からか耳にする頻度が増えた気がするのだが『ナニナニ感をもって』という日本語表現の誤用について述べておきたい。

 一番よく聞くのが御存知『スピード感』だろう。次点が『緊張感』あたりかな。
  『プロの流し撮り技術が冴える、スピード感のある写真』
  『視点が高くて静かなので、さっぱりスピード感の無い車』
 こんな感じで、人間がある事実現象と向き合った時に自然に生じる五感フィーリング状態を指す言葉であるはずだ。ところが、こんな奇妙な言い草がやたら激増した。

 『スピード感をもって取り組む所存です』=急ぐつもりってことでやりますんで。

 もっと言うと、本心では急ぐ気のまるで無いヤツが、事態の緊急性の認識を問い質してきている聞き手に対して、『今ここでアンタの会話相手になっている自分のタテマエとしては急ぐつもりだと答えておくよ。でも個人的な感覚ってことだからアテにはすんなよ』とまで確信的な逆方向の含みを持たせて、その場の問答を煙に巻いて終わらせる意図で抑えを利かせるのがお約束になっている。

 これ、こんなに不誠実かつ不真面目にナメられ誤魔化された聞き手が、きちんと
  『スピード感って誰のナニに対する感覚なのか?』
  『何がどう遅れてスピードを上げ追いつくハナシなのか?』
  『いかなる指標をもって進捗キャッチアップOKと判定するのか?』
などなど徹底追及し言質を取った上で、それらを事実と整合し検証して公開決着しないのがいけなくて、だから今日こんなだらしない悪習慣が定着してしまった。
 記者クラブとやらのような馴れ合い寄合会で大本営認定デマを尻尾振って仲良く恵んでもらって持ち帰り、おもらい雛壇から恥も知らず世間さまにバラ撒くような乞食商売が当たり前になっているんだからしょうがないのだが、日本社会で日本語が語意のまま情報媒体として流通しなくなったらオシマイである。

 今この瞬間、日本の公共言論からこの悪質な誤用を撲滅しようではないか。
 どうせバラ撒く方は止めてもやるんだから、我々受信者が取り合わないと決める。

 …あいてて、また横道にチカラが入り過ぎた気もするけど、まあいいか。
 特にいま国政の場でこんな小学生でもやらない日本語の誤用が頻発する理由、それはその場で共有されるべき本当の問題事象に議論の焦点を当てないよう操作したい人種が一定数いるためだ。
 議論の場の過半数が、そんな狂った日本語用法の側に調子を合わせる限りこの操作は成功し、みんな揃ってだらだら的外れの無駄な遊び事に付き合う流れとなる。

 今般の新型コロナ・ウィルス流行により、日本社会における二大潮流のコントラストがあからさまになってきたように見受ける。人間なる生物がおのれのチカラを発揮してお互い関わり合い、運不運や喜怒哀楽を通して、起伏に満ちた賑やかな人生を楽しもうとするバイタリティの有無がその分岐点だ。

 ひとつは、この生物学的生命・社会的生命の脅威に向き合って、いつか将来生活を新たに建て直す日を遠く意識の前提に置きつつ、まずは直近目前の混乱をガチに対処・解決しようとする現役世代層。
 もうひとつは、残り僅かな消化試合の寿命で楽々ウチワ贅沢するためのカネと地位欲しさに、どうしても自分らだけは安全地帯からテキトー小細工だけやって済ませたい無気力老人層。
 具体的には、経済最前線で今この瞬間の生活に困窮する人々への休業補償を賭けて『これを推進したい自治体vs妨害したい政府』という構図で明らかになっているが、まあどのあたりに高齢化ニッポンの危険な致命的老衰が進んでいるのか皆で共通認識するには良い機会なのかも知れない。

 いま『自分は1億円持っているカネ持ちだから、週末にふと友達と誘い合って近所の安酒場で3時間飲んでゴキゲンに酔っ払って、ひとり千円札2枚出す生活を再現しろ』とふんぞり返ったところで誰も応えてはくれない。カネというのは『社会人の都合が噛み合う場において、その都合が叶う』というメリットでのみ意味を持つのだ。
 『みんなが元気に騒ぎながら暮らす社会において、自分の立場であやかれる幸福』を取り戻すため、今せっかく時間の余裕ができちゃってる日本人たちは、日本社会とは自分たちで直接どう管理すべきものなのか真面目に考え直すべきではなかろうか。
 引き続き、皆さま御幸運を!
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