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【822】ポンコツ暗号化演説とエリート聴衆の平和国家 [ビジネス]

 ちょっと心配だなあ。日本国内の一般空間での感染は恐らく尚も拡大中だろうから、ここは国民各自が社会を慮った良心的な自衛策こそ最も有効な現実解となる。とにかく日本列島を網羅する医療現場と救急救命体制の実力は世界一なんだから、その力を日本社会全域で最も効率的に稼働させる方法を各々の立場からトライしたい。
 この手の感染症に数週間の潜伏期間があるのは普通なんだし、やれ検疫だ検査キットだっつったって、採血した試験管にその場で試薬を一滴垂らせばさっと色が変わる…なんて都合の良い判定方法など無いのが普通だ。

 何だかんだでさすがニッポン、ここまでこれだけ落ち着いて来れたのだから、油断禁物にしても集団パニックを恐れる必要は当面無さそうだ。未知の致死性の脅威が感度の高い情報となって広域伝播し、人々の心の中=組織の自我の認識において、『大丈夫、自分は無事』から『次の瞬間、自分に来る!』と阿鼻叫喚モードに一気に反転した時、パニックが起こる。
 ここで気を付けておきたいのは、感染症流行という原因事象そのものが劇的に変動するのではなく、むしろ現実とは無関係に、人の心が一斉に転じるところにパニックの本質があるということだ。よって目前にどんな決定版の対抗措置を持ち出してもまるで効果ナシがあり得るし、信頼筋からの情報で安全を確信する動機付けだけ普及すれば、波を打ったように静まり返って収束というのもあり得る。

 血も涙も無い殺伐とした論理からのスタートだが、未知の感染症の流行がどこかで起こったとして、発症者を見た人たちが気付かず知らぬが仏で平常通りに暮らすなり、なんか怖いからと自分一人でその場を離れるなりすれば、流行の拡大スピードは確実に抑えられる。致死率100%の感染症だったとして、最悪その社会組織が丸ひとつ滅亡すれば事態の展開はそこまでだ。野生動物や太古の人類はこんな形で病原体たちに寄り切られ、生存競争に敗退していた。
 『病気』『伝染』の概念が公共情報化され、発症当事者になる前にそれが通信メディアを介して広まるため、文明を持つ人類は怯えて逃げようとして感染を拡大させる。野生動物に比べて病原体による大量死で自滅しやすい進化の道を歩んだとも言えるのである。もちろん追って『対策』『治療』の概念も同じく広まるため、文明はただのマイナス要素に終わる訳ではないのだが。
 ともあれ感染症パンデミックと向き合うには『情報』の扱いがポイントとなる。

 情報というのは、それ単独ではただ存在するだけで何てことなく、受信者の行動に影響して初めて意味を持つ。まさにウィルス=情報メディアの病原性原理と同じだ。
 情報は、それそのものだけ捏ねくりまわし磨き上げても結果に繋がらない。
 『正しい情報を、的確に理解できる優れた受信者に伝える』ことで、意図した組織的作動が得られるのである。
 いま1億2千万人の巨大生物・日本国社会には、『うろたえず現状把握に努めるのが賢明』とする常識が普及し、『きちんと情報の精度を見切って理解しよう』とする判断スキルも普及している。日常的に手厚い医療機関に囲まれて暮らす、整備の行き届いた組織風土だからこそ成せる技だ。
 現状の日本社会を見るに『優れた受信者』は十分に実現できている。だからこそ、『正確な情報』を迅速に展開する組織運営の姿勢が必要だと思う。
 何でもかんでも引掛かった事実について未加工のまま遅滞なく放出しろというのではない。論点は、この先の未来の日本本土での感染拡大を最小限に留めるために、我々国民がとるべき現実的な行動規範につながるような情報を出すべきだと言っている。受信者たる日本国民はパニックも起こさず自ら考えて、自分の実行動の選択に落とし込めるだけの能力は持っている。
 そのためのデスノート【472】開示とは何なのか、それが報道のコンセプトだ。

 個人的には…という枕詞を一応つけておくが、もう空気感染の心配をせねばならない段階にはとうに達しているし、だとするとマスク騒ぎなんかより気にするべき事実情報も違ってくると考えるのが妥当だろう。やはり事実として感染者が出た場所は避けるべきが基本であり、これを差別呼ばわりでおもらい議論を弄ぶヒマがあったら、感染拡大の可能性を最小限に抑える方が先である。
 現地の風評被害が痛いのは気の毒だが、最短・最小限の流行終息から再び持ち直す方が断然にダメージは少なくて済むはずだ。
 また『致死性は低い』『この騒動はいついつまでの見込み』と言いたがる姿勢には大いに疑問を感じる。まだ判らないからには『まだ判らない』と事実を伝えないと、この優れた受信者集団はますます公共情報を見放していくだけだぞ。

 未知の病原体感染症への対処は、『わからない』事実を社会組織の自我にいかに取り乱さず理解させるか、そして自組織の実力を信じて災厄の終焉まで待たせるか、がカナメだと思う。
 民間の量産製造業が市場不具合を出した場合など、真っ先に四の五の言わず原因事象を次々想定して、製造ラインで片っ端から打てる対策を打ってしまい、その後の発生状況を観察しつつ傍らで正攻法の現象解析が同時進行中…なんてのは当たり前の発想だ。『わからない』ままにでも、とにかく損害の発生を止めてしまい、後から必要な紐解きと処置の最適化を施せば良いのだ。
 逆にそれで不具合発生が止まらない場合は、それこそ一切の手段を選ばず次々と試行アイテムを捻出にかかる。その勢いでやらないと、量産ラインはみるみる不良品を増殖させ膨大な赤字を積み上げていくからだ。

 何度か垣間見た医療現場の現状が私ごときの想定以下であるはずもなく、つまり組織の実力はあって、そこに起こる現実を冷静に受け止める理解力も、上記の通り日本社会には備わっている。
 穴が開いたように見劣りするのは、組織運営層の立場にいる連中の空虚な一般論っぷりの言動と、公共メディアに溢れる役立たずのガラクタ情報ばかりだ。
 何故こんなことになるのかは、やはり実力の有無と、自身の信頼度の自覚にもとった情報の扱いに原因があるのだが、今その話はやめておこう。

 武漢在住とはいえ、遂に日本人にも犠牲が出てしまったようだ。
 ヒトのこと言えないが本調子でない皆さま方、慎重にも慎重を重ねてお大事に。
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