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【663】続『ソイレント・グリーン』の時代 [ビジネス]

 『おめでとうございます!Googleをお使いのあなた!』
 ここ最近、ブラウザーの表示領域がいきなり真っ白になるや、こんな表記の画面が割り込んでくる。恐らくはここの更新作業のたび毎回だと思う。
 まあ全然何てコトはなくて、
 『Googleユーザーのあなた、おめでとうございます!1件のGoogleギフトが当選しました!』
というベタな釣り文句を真に受けて、言われるままに個人情報を入力していくのはやめときましょうねという程度のやつだ。

 それにしても、普段から電子新聞を始めいろんなサイトをこのブラウザーで開きまくっているのに、他ではまず現われないのだが、そういう場合分け設定ってどこかの誰かがどうにかすれば可能なもんなのだろうか?いや、ただの偶然だとは思うのだけれど。
 私は詳しくないし知りたくもないので放置するが、心得のある読者さん方、大体どこでナニが起こってそうか思い巡らせて、どっかそこらで話のネタにしてくださいましな。

 さて今になってみると政界のスキャンダル連発が先行していて、スポーツ界が後に続いている構図だったのだが、『ボケ老人のママゴト力関係、解体!』の社会風潮が形作られてきたのは良いことだと思う。
 何しろママゴトなのだから現状どんなに厳しい『鉄の掟』に見えようが、結局は『ワシが偉いことね~、指図できることね~、何でも言う通りがまかり通って、神輿担がれてトクすることね~』と厚かましく言い張るボケ老人がいて、組織というものをよく理解しない御近所付き合い気分の取り巻きヒマ人が、呑気にそれを許しただけの関係でしかない。
 だから押しなべて、狭い馴れ合いウチワ内々のみぞ知るローカル・ルールになっているのが世の常なのだ。

 いつもの通り、結論から行こう。
 『オマエは偉くもなければ他人に指図する筋合も無い』と公衆の面前で明言し、その瞬間をもって根拠の無い優遇措置や指示命令権は一切無視すればよろしい。
 いま少々難しい漢字の長い肩書なんぞあっても気にする必要は無い。それとて、ただのママゴトお道具の文字列だ。
 どうせ意味なんか無い以上、今ここでと決めたら、論より実行でまずストンと断絶してしまうのが一番早い。

 組織表のもと冷静に協力体制を組める人間が、まず思い思いの効率的な業務処理に取り掛かり、過去の得体の知れない慣習は綺麗さっぱり停止・廃止していく。
 おっと、だからって慣習の記録は破棄しないように。負の遺産が発掘されるたび、過去の物証を洗って責任を追及し、組織認知症患者の冥土の土産を軽くしてやるのが組織のため社会のためというものだ。
 主犯格が複数でつるんでいて残党が抵抗したり、主犯格に取り入って居場所を恵んでもらっていた寄生虫がぐずったりはあるかも知れない。でも見て御覧な、『なんたらのドン』みたいなフカシ入れてたボケ老人ども、すっかり見る回数が減ったこと。
 もちろんコイツらのカネや権力への執着心は精神異常レベルだから、今も社会の迷惑をやめ切れているとは思えないのだけれど、少なくとも従来いい気で我を通していた社会空間において、もうそんな態度は許されなくなっているということだろう。
 民主主義国家・日本国の生産力をまず浄化し回復させる流れ、日本社会のあらゆる面で強まってくることを切に願う。

 ところで実に先月、テレビ放送で久し振りに『ソイレント・グリーン』を観た【139】
 愕然としたのは、またしても私の記憶のデタラメっぷりである。ジャーナリストって誰だよ?
 これまた話題にした本質的内容は十分に命中しており、面白いのでこのまま詳細検証に触れず放置するが【526】、改めて見直して、やっぱり高IQな恐怖の心境が背中上空に被さってくるような映画である。

 劇中、希望者は列に並んで受付窓口に自筆の書面を提出し、いくつかの質問に口頭で答えて安楽死シートに案内される。そう、この概念の設定は『アリ』だと思う【618】
 ちょっとだけゴメンナサイのネタバレを突込んでおくと、舞台は人口が4千万人に達したニューヨーク。その構成比率のどのくらいに相当するかは語られないが、どう見ても大多数が雨風だけを凌ぐ廃墟に、足の踏み場もないくらい密集し累々と横たわって時を過ごすだけの市民たちである。
 その時代設定は2022年。日本では、『浮動小数点演算回数の尺度で測る限り』という注釈付きだが、人間の脳相当の情報処理能力を持つエクサスケール・コンピューター『ポスト京』=スパコン『京』の次世代機が起動する予定の、今から4年後だ【555】

 いずれ人工知能の急発達によりシンギュラリティが到来、そこから、それが終着点かどうかはともかく二極化の社会が到来するとする予測がある。
 第一極は、創意工夫や課題達成なる生産的人間稼動を楽しんで過ごせる極く少数の社会層。もう一極は、人間としての稼働力を全て機械に上回られ凌駕され、薄らぼんやりと無意識状態でただ生きるだけとなる大多数の社会層。
 私もこの未来像にはかなり賛成なのだが、そうなった社会の具体的な光景はあんまり思い描いていなかった。

 『これがそうかも知れない』という気がしたのだ。
 特に後者のほう、意識活動を放棄した惰性存命層が無限にダブつく光景は、既にこの現代日本社会の日常シーンを幾つか連想してしまう。

 4年後、文字通り『ソイレント・グリーンの時代』がやってくる。
 その薄暗い未来予測を的中させないため、いま組織認知症患者があちこち仕込んだママゴト力関係は、社会風潮の波に乗せて一掃してしまいたい。
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