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【1079】腕利き鉄砲鍛冶の繁盛決算書 [ビジネス]

 ちょっと葬式以外のハナシをしたいので、こないだ積み残した銃のハナシから。
 例の一件の自作銃だが、銃身は30~40センチぐらいだろうか。それを恐らくは標的まで数メートルの距離から発射した。なるほど確実に目的が決まっていて、試射で事前確認までして実行している。
 そう、あの銃身長ならそこまで近づかないと当たらなかった。そこを確実にやった。

 銃弾は火薬の爆発力でお尻を叩かれて撃ち出される訳だが、それだけでは銃弾はぐるんぐるん前転側転デタラメにまわり放題で発射されてしまう。形状も質量も、完璧な軸対称でもない銃弾がまずあって、その重心よりも後ろから撃力でひっぱたかれるのだから、真直ぐ飛ばないのが当たり前ぐらいの感覚の方が正解である。
 だから銃身の内面には螺旋状の溝が切られており、銃弾は軸回転力を加えられながら発射されるようになっているのだ。『ライフル』とは元々この内面の溝を意味するコトバである。

 ホント言うと、銃身の中で火薬が爆発膨張している間にこそ銃弾は射出速度まで加速されるのだから、抵抗が最小の平滑な内面の方が初速は稼げる。だが撃った弾は当たらなければ意味が無い。
 ランダム空転しながら飛ぶ弾丸は、いやランダム空転せずにちゃんと先端で空気を切って飛ぶ弾丸でさえも実はそうなるんだが、銃口を離れた途端に強烈な空気抵抗を喰らって急減速する。だから、遠方まで命中精度よく到達速度も高く…を求めて発射したければ、火薬の爆発力を目いっぱい活かしきって、長い長い銃身でしっかり軸回転力を与えつつ高い初速を与えたい。
 ゴルゴ13が遠方からターゲットの狙撃に使う銃が、ああいう長い銃身の大層なものである所以だ。どのくらいの射程で十分な威力と命中精度を確保すべきかの設計要件が最初にあって、それに応じて銃身長とライフル溝の形状が決まるため、銃弾に残った固有の溝痕から銃の機種が特定できたりもすると。
 いずれにしても、手元から撃ちっぱなしで自前噴射の推進力も無ければ翼による姿勢制御も無い弾丸を確実に標的に当てるというのは、案外とタイヘンな課題なのだと理解しよう。

 さて、くだんのDIY銃の話題に戻るのだが、さすがに少々の工具を持っていたとして、銃身内面のライフリング加工までやれていたとは思えない。
 だとすると、銃身を長くして射出初速を上げてもどうせ当たらないし、銃弾を綺麗な形状に整える意味もあんまり無い。まあ至近距離で狙いに向けて撃てば、まずまずハズさずに致命傷を負わせられるってところで、あのプロポーションの散弾銃になったのだろう。確かにそれなりの知識はあったんだろうぜ。
 いやしかし、ここまでできるんなら心穏やかに暮らせる生活環境さえ間に合っていれば、他でいい仕事がたくさんできたろうに。もったいない限りである。

 社会組織には多種多様な人間がいるため、社会組織の自我をナメた態度でいると、こういう『怖い』人材の恨みまで買う勘定をちゃんと心得ておけということだろう。
 社会全体をニュートラルな立場で俯瞰すれば、これは貴重な特殊技能だったはずで、『社会生産性を向上させる原資であり得た社会的価値としての人材が、GDP向上に微塵も作用せず殺人事件を起こしてしまった』という事実関係になる。残念な損失であり、社会運営を間違えたが故の失敗である。

 美しいだけの空論になるが、日本国憲法を始めとする法体系で、この日本国が自然に保証しようとする1億2千万人の協力体制がそこそこにでも実現していたならば、とりあえず仲間なんだから殺しちゃうどころか一応でも大切にして、こんな知恵遅れの世襲のハナタレ坊主でも元気に同胞として頑張ってくれないと困るってことで、仲良しとはいかないまでもお互い共存できていたはずである。
 今般、殺されちゃったこの個体がどのくらい日本社会で食い扶持以上の真人間として使えるレベルだったのかは今さら知る由もないのだが、それにしても日本社会は使えるはずの人材2名を加害者・被害者というカタチで失ったワケだ。
 まさにこの調子で、近年の日本社会では『スタッフ業域が社会組織をナメた態度=愚政・失政により、せっかくの潜在的な文明ポテンシャルが国家の生産力として昇華・活用できていない』実態があると思う。

 端的に世襲のガキの残党連中は、本件を綿密に回顧して『どこが日本国の社会組織をナメた態度になってしまったのか』を正確に特定し、『ではナメない態度とは何を実行することなのか』の行動計画をロジカルに構築し、それを『自分たちはこう考えて変えて、真面目にやっているつもりなので、失敗してたら遠慮せずに単刀直入に教えてね』と国民にアピールしながら実行しなければならない。
 知ってにしても知らずにしても、現実問題としてナメちゃったのなら相手が怒るのは当然だから、まず謝る。次に、相手の気に障ったところを直さないといけないから、相手の気に障った理由を解き明かして、本質的にそれを取り除く必要がある。

 だが昭和ダメオヤジは、何もかも破滅させて焼け野原になってでも、自分の言い分に過ちを認めて改めるという処置をしない。できない。
 これはもう当該人種の精神世界の構造原理の領域なので、言ってしまえば『この世から消す』以外にその弊害の解決方法は無い。本件も社会組織に対するナメた態度を改めないまま、実質的には原因でも何でもないイチ個人の特殊事情ばかりを主要因扱いにして公共言論を弄ぶ限りは、日本社会の怒りを買い足すだけにしかなりようがない。
 判っていて次の犠牲者を出す流れになり、ある意味やるのは勝手だが、この愚かなメンタリティの継承者は現行の現役世代のあとすっぱり途絶しているから、ケツを持って同じノリで騒ぐ次世代を見つけられないまま、あとの続かないヤケクソ自爆のダメージが結構イタいと思うぞ。

 個人対個人の悶着が一番わかりやすいのだけれども、『ここが悪くて、ここを改めて、こう効くと当て込んでこんな風に直した』と相手に具体的にコト修復の設計思想を解説しておいた方が、言われた相手もそれを酌んで合わせに行けるから、成功しやすいではないですか。
 これを平易かつ具体的なコトバで持ち掛け、徹底して誤解を排除し、常に相手の迎合してくる現実を一手一手確認しながら実施するのが『丁寧に進める』という日本語の真意ではないかと思う。相手をかけがえのない仲間として認め、一緒に成功したいなら、いちいち宣言なんかしなくとも最初からこうするのが普通だろう。
 そろそろ実行にかかった方が身のためだと思うぞ。まあいいか。

 ダメオヤジとまでは行かなくとも、昭和人種でごちゃまぜの勘違いにしてしまっているケースを盛んに見かけるのだが、上記の原則を自然に心掛ける限り、ハイリスクの提案も、失敗の白状も、それそのものは決して人間関係の悪化の原因にはならないものなのである。なのにリスクや損害のネガティブ心象が、おのれの人格のイメージダウンにつながるものと過度に恐れて、腹を割ってストレートに話せないタイプがやたら多いように思う。
 『うまく行かないかも知れない、でも他に妙案が無い。しょうがないと思わないか』
 『ごめ~ん失敗しちゃった、許してちょ。ついでにさ、修復を手伝ってくんない?』
 『いや、私にはそれが良いとは思えない。ここが違う。こうしてみないか?』
などなど、ただ相手を否定する退け目や罪の意識をとぼけるだけにしてしまっては本当にしょうがないのだが、逆にウソをつかず現実を率直に折り合わせるための主張に関しては、『反発されたら、そこから考える』のコンセプトで単刀直入に斬りこむぶんには、誰にも嫌われたり疎まれたりしない。あなたが全力で『イイ奴』を心掛ける限り。

 以上を判ってやってみて、それでなお何がどこまで日本社会として弱っているのか。
 そこを知りたいと思うのだが、まだ何人かあっち行かないとダメなのかねえ。
 まあいいや、日本社会で数えながら、どうか次が出ないようにグッドラック!
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