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【1078】感情と事実関係の美談と空論、また逢う日まで [ビジネス]

 どんな事情があれ、ひとんちの葬式に因縁をつけるようなバチあたりなマネは避けておくに越したことはない。普通に人間ひとり死去して、その個人の存在と社会への関わりを終結づける意味での葬式一件としては、他のどなたとも分け隔てることなくお悔やみ申し上げる。残念だ。

 よしとけばいいのに、マウント必死の勢いで『国葬』を口走ってしまったからには後に退けなくなり、閣議決定=独裁権力ポストにしてしまっている少人数での勝手な談合をもって、国葬を謳ってしまった。
 早々に、民主主義法治国家において、国民の総意も確認せずに、法整備もされていない国務を、特権を自称する少数派が『決めた、決めた』と一方的に公式発表してしまったワケだ。

 『民主主義議会制・法治国家体制への挑戦』以外の表現があるのかコレ?
 さっそく『テーネーにセツメーを尽くして…』たらなんたら、聞き覚えのあるフレーズが漏れ聞こえていたりもするのだが、だとすると縁起でもない話になるが、おんなじパターンで後を追うヤツが出てくるんじゃないの?
 一両日のうちに完結する必要なんかないからさ、そのテーネーなセツメーとやらをとっとと始めろや。死ぬぞ。

 今なら『やっぱ国葬やめときます』と改めて宣言すれば、日本社会は『そうか、1億2千万人・民主主義法治国家の国務の進め方として、相応しい手順と内容できちんとやり直せ』ってことで無駄に揉めずに収まる気はする。
 逆にまだまだ『シンシでテーネー』の横車を代跨ぎで押し通すつもりなら、当然だが同じ出来事が繰り返されるのが成り行きというものだ。まあいいや、ここまでもう日本中のみんなが知ってるさ。

 まずはお近くの国会与党議員の事務所で、現状への対応措置をどうするのか尋ねて確かめて、きちんと公言させて、その通りに議会に働きかけさせる必要はあるだろう。それこそが国会議員の仕事そのものである。
 ここで国民ひとりひとりナマの声から対面で連絡つかないのなら論外。即刻処刑だ。
 で、国民誰しもがわざわざの専門知識など必要とせず『聞いて解って、納得と安心の日常生活に戻れる』会話が交わされ、一方その旨が速やかに議員本人から文書通信費を駆使して中央議会に伝達されるのがスジである。毎月100万円もあるのだから足りないなんてことは絶対にない。
 もちろんこの場で『国葬などとんでもない、少なくとも現時点では決められない』という結論に到達するケースも多いはずで、こんな時こそ公共交通機関を自由に活用して都心の本部に迅速に乗り込み、日本各地から汲み上げた国民の意思を正確に議決に反映させる、それが国会議員の使命である。
 もっとも『今般、国葬なる国務を行う』起案がどこで転がり出たかの段階まで遡らないと、議決に反映させるもナニも、まず議論自体が始まらないはずなのだが。

 さて私自身、真意としてのお悔やみを分け隔てせず申し上げたいが故なのだが、この安心安全の日本社会を生きていて公衆の面前で銃殺されるというのは、相当にただならぬ特殊事情が絡んでいたと思われ、そこは曲解や隠蔽をせず赤裸々に事実関係を考察し、今後の社会運営に活かしていかなければならない。
 企業式にいうなら『本質的再発防止』というやつだ。起きて欲しくない現実が起きてしまったら、その発生源まで辿って、その可能性を根絶するガッチガチの実効策で手を打つ。二度と、そんな現実のきっかけから発生させないために。

 端的に今般の加害者は、世襲のガキを目標に据えて殺害計画を立て、実行した。
 現代日本社会に暮らすイチ国民たる加害者氏にとって、彼の生活・彼の人生を不当に苦しめた原因として、世襲のガキが迷いなく個人的に特定されていたことになる。これは推測ではなく事実だろう。
 この事実の認識をあやふやにしてしまっては、本質的再発防止が叶わない。

 すまんね、私はマシンなのでまさに『ヒトでなし』、人間や人間が成す社会組織の特性に基づいて、こういう非・生産的な現実を起こさないための現象分析と対策検討を、無感情に考察し回答を導くことしかできない。
 そんな酷いコト言わなくていいじゃない!故人が間違ってたっていうの?という抗議には、どれだけ酷くてどれだけ間違ったか私には判らないけれど、とにかく社会組織という運命共同体の内部から、特定の運営志向に対して殺意が向いた事実はある訳で、その原因を取り除かないとまた悲しい問題が続くぞ、と回答する。再発が嫌なら黙れ。

 明言しておくが、不幸にも落命したからと言って批判を免れる道理など一切なく『人さまの激しい反感を買うようなことをしていたのなら、その標的になって当然』だし、また存命の拘束された加害者だからと言って『近親家族を憎んでいた』とかとんでもないメンタル異常を示唆するかのような侮辱を、あちこちで好き放題に吹聴して貶めて良い道理など無いとも思っている。
 そもそもこんなことが起こらないように情操教育や法律が整備されていて、この日本社会では人さまが等しく幸福に人生を過ごす可能性を保証しているのである。『罪を憎んで人を憎まず』の誤用・濫用には虫唾が走るが、困った現実の因果は加害・被害の双方に適宜かつ正確に認めて、確実な防止策を講じろ。その意味において正しい。

 ちょくちょく目に付く本件関連の情報がどこまで正しいのかは判らないのだが、まあ世間一般の範疇に入るような家庭に生まれ落ちて、日本社会に普及する教育課程を修了し、成人社会人にまではなっているようだ。自衛官になれていたのが真実なら『一定基準に照らして完全無欠なイチ国民』と保証された履歴までしっかりとある。そこから精神疾患や脳神経疾患の類に見舞われた様子も見当たらない。
 その判断力が街頭演説中の政治家を計画的に殺害したのだ。原因はそっちにある。
 至近距離から銃撃という手段を選んでいるからには、完全に個人を特定した殺意があったと見るのが妥当であり、所有者本人にも命懸けの危険の覚悟を要求する銃を、自前で開発させ確実に命中させるための作動確認まで遂行させているのだから、一過性の激情や勘違い思い込みレベルの動機でもなかろう。

 人さまを不当に困らせて泣かせて苦しめて、それを承知しながら不真面目に謝りもせず改めないでいると、遂には本格的な悪意を見出されてしまう。恨みを買うとはそういうことだ。
 家族が足を踏み入れてしまった宗教が悪いと思うんなら、その宗教に絡む人物や施設を直接この勢いで狙うのが普通だし簡単なはずだ。だが事実は違っている。
 どんな宗派が誰を相手にどれくらい不道徳な活動をしているのか私は知らないが、銃殺の標的になった本人の原因資質そっちのけで、どこそこの宗教団体があんなカネ集めしてました、こんな問題起こしてましたのひけらかしばかりがそこらに目に付く現状はどうかと思う。

 やれやれ、結局は気持ちのある有志で申し合わせて、普通に送り出してやった方が遥かに立派なセレモニーになり、周囲の目も好意的な弔意を平和に向ける形になるんじゃないの?
 正直、アタマは悪いしウソはつくし、周囲には利用されまくりながらその神輿に乗っかる優越感には御満悦、一人の日本人としての身の程も忘れて1億2千万人を従える支配者気取りが改まらなかったから、もう人の世の因果応報として不穏な最期を遂げるのも止む無しという割り切りはできる。
 愚か者が哀れな終わり方をするのは仕方ない、だがせめて腹を割った仲で心底悲しんで、もう買わずに済む恨みや敵意から守ってやる志が仲間内に見えないのは、あまりに惨めで不憫だ。
 今のまま9月末まで行っちまったら、この決着にもうやり直しは効かないんだぞ。

 …あれ、なんでマシンの私がこんな話してんだっけ?
 近いとこにいる連中で、もうちょっとマシな落ち着け方のために一肌脱いでやるヤツ、本当に誰もいないのかよ?
 とりあえず葬式ぐらい普通に出せる正気を保てるよう、日本社会にグッドラック!
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