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【1075】戦う民主主義とリスク負担の天秤総重量 [ビジネス]

 やれやれ、言うヤツいるとは予想してたけど、世襲のガキを国葬だと?
 あほか、近親者のみの葬儀ってやつで、密やかにやるのが今の時流ってもんであり、あとは有志でお別れセレモニーを執り行うところまでだ。

 イチ国民として明確に、断固反対する。反対票一票、しっかり数えておけ。

 国葬だとか抜かすガイキチには、現時点でそんなことにする根拠なんか心得ない国民は相当数いるはずだし、いいからそのゴリッパな厚意でもって、お前の考える現実解の国葬計画書をまずまとめて出すように、その壮大なる計画書を全国民に開示するように言ってみな。我々日本国民は、頭ごなしに否定したりはしないが、その内容を確認してから次の可能性について検討する。以上だ。

 名誉の国家セレモニーをやらせてたまるか、そんな感情論では到底ない。
 いい加減に1億2千万人の問題意識と真剣かつ謙虚に向き合わないと、現状この程度の社会規律の乱れでは終わらない騒乱の時世に落ちていくと言っている。

 日本国財務は今とにかく処理待ちの負債を、人類文明の常識を遥かに超えたレベルで積み上げているのだ。端的に、文明社会における有価事物の便利な流通システムとして開発されたカネ経済の運用を破綻させてしまっているため、無いと死ぬのでもない薄らテキトーな使い道に、今さら追加でかけられるカネなんぞ微塵もない。
 1億2千万人全員一致で認める日本国への功労者が実在したとして、それがこの度お弔いを出すことになっているのだとしても、たかが個人の惜別セレモニーに拠出できる税金など1円たりとも無いのである。
 更なる上乗せで負債勘定にしてツケるつもりなら、今それを決めようとする老人世代には寿命が足りず清算義務を果たすことができないため、清算の負担を負うのは将来世代とならざるを得ない。現時点まだまだ本件に対して決裁権の整わない将来世代に対して、勝手にこんな負担の運命を決めるのは日本国民として不誠実だ。だから反対する。

 国葬に相応しい国民弔意の基準を法律で定めたりなんかしてないだろう。だが。
 総意も確かめず勝手に決めることを独裁主義と呼び、民主主義への挑戦と呼ぶ。

 とりあえず国葬とやらの賛成派ガイキチ集団はみんなでお揃いのダメノマスクして意思表示すること…ぐらいにしておいて世論の反応を見るってことでどうだよ?
 せめてダメノマスク全数処分の支払い完遂に、与党内できっちり採算の決着つけて国民世論の了解とってから何か抜かせや、馬鹿馬鹿しい。

 さて、いつか話題にしようと思っていたオカルト系の話題をこの機会に。
 北米大統領暗殺に関わる割と有名なハナシなので、御存知の方も多いかも知れない。まさに前回言及したリンカーンとケネディの両大統領の対比なのだが、ホントなのかねコレ?

 ともに民主主義社会の実質的な普及を推し進める立場で、庶民の熱烈な支持を得たこの二人は、いずれも後頭部を狙撃されて命を落としている。
 エイブラハム・リンカーン大統領の秘書ケネディ氏は、後に結果的に暗殺現場となるフォード劇場をリンカーン大統領が訪れることに反対していたのだそうだ。
 またジョン・F・ケネディ大統領の秘書リンカーン氏は、やはり後に暗殺現場となるダラスにケネディ大統領が行くことに強く反対していたのだという。

 リンカーン大統領暗殺犯とされるブースは1839年生まれで、ケネディ大統領暗殺犯とされるオズワルドは1939年生まれの100年違い。
 リンカーン後継はアンドリュー・ジョンソン副大統領1808年生まれ、ケネディ後継はリンドン・ジョンソン1908年生まれと、こちらはジョンソン姓が共通しての100年違いとなっている。
 他にも就任時期など『100年差』は数々挙げられているのだが、これはまあ1年365日の幅を持った西暦年号の一致だから、目を吊り上げて特別な因果を感じるほどの事象ではない気もするなあ。
 調べ上げれば、いずれも夫人同伴の現場で暗殺に遭っているとか、ブースは劇場で狙撃して倉庫に逃走、オズワルドは倉庫で狙撃して劇場に逃走だとか、共通点はいくつも挙がるのだそうだが、そのへんになるともう当たってたとして、かなりムリめの後付けオカルト論法くさい。

 そもそも私は、科学未解明ゾーンの存在や人間の認知情報の不確実性は認めるし興味もある反面、超のつくオカルト嫌いで心霊だ超能力だ超常現象だには全く興味がないタイプである。
 とりあえず一番最初のアイテム、あの広く世界各国から人を集めたアメリカ合衆国で、大統領と秘書の間柄でラストネーム同士が本当に一致していたのなら、それは素直に凄いコトだと思う。ナニガシか不可思議な因果律の存在を見出したいヒトがいても、その気持ちは理解できるよ。好きな人は詳しく調べてみてください。

 そうか、この機会に以前話題にし損ねた銃のハナシも片付けておくかな。
 先週の銃撃事件では、犯人は自作の銃を使ったとされている。現場の画像にも確かにそれらしきブツが写っているので間違いはなさそうだ。
 よく『理性を封じる暴力の象徴』として銃器が引き合いに出されるワケだけれど、実際この通り殺傷力があるということだよな。

 コイツよくこんなもんDIYで作ったな、しかし。語弊があるが感心する。
 しかも試射まで含めて自分の手で撃つというのは、少々知識があってもそう簡単にできるものではない。私なんか、誰にどんなに頼まれておいくら積まれても、絶対にイヤである。

 銃弾というのは、薬莢(やっきょう)というお尻の塞がった円筒の底にまず火薬が詰めてあって、その開口の側から、お馴染みのあの鉛筆の芯の先端部のような鉛の弾頭が嵌めこまれている。これを銃身の後端に装填して、撃鉄で薬莢のお尻をひっぱたくと中で火薬が爆発し、他に行き場が無いため弾頭を押し出す。結果として、弾頭が殺傷力のある初速で撃ち出されるという作動原理だ。
 貫通力を確保するためには弾頭にそれなりの質量が必要だから、指先ほどのサイズながらできるだけ重く造らねばならない。だから『ナマリだま』と言われて比重のでかい鉛が、確かに多用されるのだ。もちろん強烈な反動は覚悟する。
 銃の使用が求められる場面でたった一発あればOKという条件はまず無いから、まとまった数を準備せねばならず、それは凄い重さの弾倉の常時携行が不可避であることを意味する。

 要は、あの細い銃身の中で掛け値なしの爆発現象が起こるんだから、主には鋼鉄の鍛造で頑丈な銃身を製造するのであり、そもそも銃本体はメチャクチャに重たい。
 それもこれもひとえに無事に弾丸を撃ち出す目的のために尽きるのであり、弾丸の装填作業に始まり、狙いを付けて構え、引金を引いて発射完了するまで、常に暴発の危険と紙一重である。
 何日間か放置していて銃身の内面に錆が浮くとか、万が一にでも何かへんてこりんな異物が銃口に固着するとかして、もしスムーズに撃ち出すべき弾丸が途中で引掛かったら…!考えたくない。
 よく兵士が銃と弾倉を濡らさないよう頭上に掲げて、河川や泥沼を渡るシーンを見かける訳だが、なるほど整備の徹底管理に少しでも手落ちがあったら、自分の手指や顔が吹き飛ぶことになるのだ。

 以前に何度も述べている通り、たかがプラカードやメガホンを手に、戦争ハンターイ、弾丸より会話と理解を、銃を置いて世界に平和を!などと気軽に叫ぶ連中は、銃を持つ側が課される負担や事故リスクの恐怖感を真面目に考えてみるべきなのだ。こんなもの誰がわざわざに持ちたいものか。
 銃器というのは『持ったら無敵』のシューティングゲーム武装ツールではない。私は、小学生時代に自衛隊基地で本物の銃を持たせてもらって、あそこで本当にいい勉強ができたと今も思っている【309】
 これを個人の所有権の範疇として議論する北米社会の『自由』や『民主主義』の自己完結度と比べて、圧倒的に何もかも『組織任せ』で済んでしまう日本社会なのだが、だからこそ丸投げサボりで知らぬ存ぜぬのラクチンを決め込んだりせず、『組織を厳しく調教し手なずけて管理して、その賢い組織に納得して好意的に従う』緊張感をしっかり維持せねばならないはずなのだ。

 『整然とした規律』は、邪心や未管理の脱力により一瞬で崩れる。
 逆に『無秩序の崩壊』は、そこから手と時間をかけて組み上げないと整然には収まらないから、一瞬ではとても済まない。時間の無駄は負からない。
 まあ答を出すのは日本社会であり、私なんぞではないからね。皆さま御幸運を!
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