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【608】ざんねんな生物たち [ビジネス]

 もうちょっとクラゲの話を拡げる。
 もっと身近なハエハエ・カカカにバッタくんなどの昆虫類、実は彼等も体内情報ネットワークの形態に着目すると、人間でいう脳の機能が器官ローカルに分散配置されているのだ。我々が蠅叩きを持って近づくと、複眼で人間のその姿を捉え、身の危険を感じて逃げる判断をアタマで下して、翅を作動させ飛び立つのではない。
 主にお尻で空気の揺れを感知した瞬間、アタマを介さず翅が逃げる即断をして急発進。空中から事態を俯瞰しつつアタマは『ああ、叩かれるところだったんだなあ』と追認する。ぶっちゃけそんなノリである。

 まあ人間だって、悲しかったり怖かったりすると明らかに心臓がキュンとするし、あれって脳みそなんかなくても心臓単独の反応だと考える方が自然な気がするぞ。その心臓の反応を感知して、脳が『ううっ、悲しっ』とか『怖えっ!』とか認識しているのではなかろうか。刺激に対する人間の動作を分析すると、無意識領域で先に反応動作が起こり始め、次いで意識領域が自己の行動決断を自覚する…という順番でデータが取れてしまう話は有名である。
 人工心臓の人もキュンとするのか、したとして感情の揺れは以前と変化ないのか。少々不謹慎な雰囲気も漂うが、ヌルいゆとり系のおセンチなんぞ横へ置いといて、快諾いただける被験者だけにでも自覚するビフォーアフター感情変化を問診すれば、それだけでも興味深い結果が得られるかも知れない。
 特にAI開発における人工感情や人工意識の設計コンセプトにおいて、中央集中統率型より意外な分量と質で機能分散型にした方が、案外と近道だったりする可能性も感じてしまう。

 ひとつの巣を中心とするアリやハチのコロニー組織は、マクロ視点で一体の生物とも見えるという話を聞いたことがあると思う。
 彼等は天敵に巣を襲われると、身を捨てて巣つまり組織を守る。コロニー組織という生物の自己保存のため各個体が自己犠牲を選ぶワケだが、ここでコロニー組織の自我を支える各個体間の通信手段は、触角で突つき合ったりフェロモン物質を交換したりといった、単純な物理的接点によるものだ。
 イチ個体の昆虫として高い完結度の個体たちが、コロニー組織成立に最低限の通信容量・通信速度でネットワークされている。ポイントはこれだ。

 人間の臓器ネットワークの場合、各臓器はイチ個体の生物としての完結度は低く、逆に人体内での通信容量・通信速度は非常に密で高速となる。
 こうなると、特定の臓器が身を捨てて本体を残すという自己保存方法は原則成立しない。足枷で拘束された囚人が自分の足を自分の歯で食い切って逃げたという話は聞いたことがない。そりゃ痛感から何から質も量も強烈な情報が体内を駆け巡ってしまうから、自己犠牲を強いられる立場の足から痛い思いをする頭から、『あーこりゃ、一肌脱ぐのはやめとこう』みたいなことになると。
 そう、足一本を食いちぎっても『大したことない』と思える情報網の粗さ貧弱さがなければ、この脱獄は実行できないのだ。たぶんトカゲの尻尾って、切れる場所は鈍感なんでしょうね。

 で、何故こんな話をしたかというと、ひとつめ。
 人間社会の中で通信技術がどんどん進化してきて、特にインターネットの登場により社会の体内で交わされる通信容量・通信速度が桁外れに跳ね上がった。これにより、社会という巨大生物はトカゲの尻尾を失ったと考えられるのだ。
 役人や政治家が国民を使い捨てるような愚政を仕掛けたとして、昔なら生活さえ成り立てば何にも知らずに薄らぼんやり自己犠牲の役に甘んじてくれていた国民が、今は各自で情報を揃えてしまい一斉共通の不満と反感を激しく膨らませながら暮らすようになった。
 この社会という巨大生物の不機嫌と失望は、例えば『長引く不況』や『止まらない少子高齢化』などの痛感に険悪なレベルで顕れており、本来なら自分の足を食い切る気が失せて、愚政を根本から放棄する反応となるのが生物学的・組織学的に正しい。

 この自然生命原理の自由な生存本能が巻き起こす現実を理解できず、人為的な前時代型組織表のママゴト枠で威張り合いぶら下がり合う無能人種が、社会の頭脳気取りで居座っているのが現状ニッポンの最大の問題である。

 もうひとつ、通信容量・通信速度がどんなに上がっても、各個体が情報処理して実行動に移せるキャパシティには限りがある。だからこそ、我々人間くんなんかは、内臓の作動が自己完結の自動運転になっており、それで人格意識の情報処理負荷を抑えているのだと思う。

 今年は大阪都構想の再チャレンジが予定されているが、実はこれこそが『大阪』という超巨大生物を適切サイズに切り分けて、自然な生物に作り直そうとするものであると気付こう。
 現状の大阪市は280万人の超巨大組織をたったひとつの大阪市議会で運営している。
 アナタの意識たったひとつで『心臓は一定ペースで、えいっ、えいっ…』に始まり、『すね毛を今日のぶん伸ばしとかなきゃ』とか『足の爪の送り出しはこんなもんでいいかな』まで全て検討議題にしちゃってるようなものだ。当然、何事も状況の把握は手薄になり判断は疎かになる。

 この疎かが放漫財務を呼び、公務員文化のボロい勝ち負け意識を都合よく利用した府市二重行政体質の利権政治が横行したのだが、上意下達で支配力が成立するような、70年以上も昔を基本とする現・議会構造は、そもそも機能設計的に時代遅れ。
 『特別区』なる適切サイズに切り分け、特色づけて都市機能を分担させ、各々に『区議会』なる脳みそを与えてやる。シンギュラリティ到来を前に、インターネット生命体となった都市社会を、自然起源志向の組織体構造にしておく価値はある。いや必要と言って良かろう。

 そりゃごっそり変えるんだ、初期投資はかかるさ。細かいハナシは次回!
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