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【604】壁抜け忍法時代の籠城兵法 [ビジネス]

 さて、引き続き『情報』で定義する組織モデルの時代移行の話を。

 『階層構造モデル』の組織形態は、恐らくだが人類文明のかなり早期のうちに、原始的な組織稼動=身内の暮らしを守る武力、つまり軍隊として発生していたのではないかと思う。
 一人より大勢の方が、戦闘力として単純計算で人数倍だけ有利になる。だが自分個人が真先に生きて帰りたいのに、自組織の撤退のためには自分が残留して敵の追撃を食い止めねばならない、あるいは全軍一丸となって一気に攻め込みたいのに、作戦意識が統一できず自分が勝ち残るだけの戦術だと敗色に脅かされる…などなど、自分個人vs自組織の生存を天秤にかけた葛藤の場面が必然として起こってくる。
 種族のDNAを紡ぐなら、個人より組織を優先すべきだ。

 よって階層で定義する指示命令系を絶対的なものに強調して、『上の意志=組織全体の意志』とする判定フローを、組織員個々の意思決定に刷り込む工夫が必要だった。いや、これは集団性を種族保存の手段として進化してきた生物には共通して顕れる傾向なので、工夫と呼ぶほど理性的なものではなく、もっと本能的な領域の性向だと見るのが妥当かも知れない。

 とにもかくにもこの稼動形態が人類文化において一定の成功率を収めて定着し、その後の長きにわたり、人間社会のさまざまな集団活動において『自組織のためだから、ひと肌脱いで自己犠牲に甘んじる』という因果の納得が、どうにかこうにか繋がっていたのである。
 自組織のために我が身を捨ててまで残存させようとする上階層は、自分より能力があり今後も優れた指示情報を発信し続けられる者だ。組織全体の維持発展を担う重責ポストである。

 株式会社の組織構造は、軍隊を手本に設計されたものだとする説があるのだ【589】
 ま、自由競争を勝ち抜いて発展していく目的がありますからね。

 『自組織のために自己犠牲』の因果の納得が成立するには、条件がある。
 組織員は皆、『情報弱者でなければならない』のである。

 自己犠牲を必要としない方策が他にあるのなら、誰もがそっちの可能性に向かうのが自然だ。故にその方策に関する情報は遮断されていなければならない。
 また組織員の知り得る最善方策として自己犠牲が求められていなければならず、これが外部情報の流入により『自組織にとって最善でない』と判定されるや、重責ポストが今度は自分らの敵として糾弾される立場に転じる。一旦このパターンに陥ったら多勢に無勢、小さなピラミッドの頂点は一瞬にして袋叩きのやられ放題で失脚するしかない。
 『エライとされてるヤツが偉い』、この世界観を箱庭にして隔離せねばならないのだ。

 今の時代、どこの誰でも、スマホでもPCでも、自前でも借り物でも公共物でも、何らかの端末機器を手にした瞬間、ありとあらゆる情報に接することができる。その正誤はともかく、階層構造モデルの『世界観の箱庭』の囲いを素通りしてくる外部情報が溢れているのだ。

 箱庭内に歪曲した情報を放っても、難なく『歪曲だ』と見抜かれて無視される。
 箱庭内で都合の悪い情報を隠しても、即刻『隠蔽だ』と見抜かれて反感を買う。

 高度情報化社会は必然的に『多数の情報強者による相互監視』の機能回路を強化しており、階層構造モデルに基づく組織力を目当てに何か目論んでも『世界観の箱庭』は成立せず、烏合の衆にしか返らない素性を持っている。

 だが、これだけで終わっては新時代で人間が力を合わせて組織力を発揮できない。
 組織とは原則、人間同士が情報を交換し合って『単独行動より生産性が向上する』と判定し、各自が自発的に帰属して出来あがる集団のことだ。
 つまり『これは良い組織だ』と判断するだけの、質の高い情報のもとにのみ組織が成立する。オープン・エデュみたいな無料良質の公開コンテンツなんかは、この御時世の申し子なんだろうな【518】
 このポイントを理解すれば、新時代の実効組織モデルの姿と作動原理、及びその運用コンセプトが見えてくる。

 社会を飛び交う『情報』があらゆる面でこれだけ変わっているのに、情報で人がつながって形成される組織がそのままであるはずないでしょうが。
 おっとっと今回も取り急ぎ、このへんで。
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