【50】そしてストレス性の組織へ [ビジネス]
私の知る限り、ストレスに寄り切られて自我を損傷すると二度と元には戻らない。
切り傷は縫えば塞がるし、骨を折ってもほどなくつながる。
だが精神だけは、記憶消去装置が発明されない限り完治はあり得ないような気がする。
しかも難しいことに具体的なストレス事実の記憶ではなく、本人にも感知できないところで、追い込まれて動けなくなった時の精神状態がフラッシュバックするという。
外部世界に向かって能動的に出力する存在としての人間、かつてお互い影響を授受して関わりあった『そいつ』にはもう会えないのだ。
リハビリテーションとして当たり障りのない課題を与えても、障害物のない道でひとりでにつまづいてしまう。内的世界において、自我の強度限界を越えるまで追い込まれた恐怖感だけが単独で心に刻み込まれているらしく、実力と思いやりを兼ね備えた万全の支援体制を保証しても無力である。
動けなくなった途端、助けを求める力さえ失い内側へ落ち込んでいく。手も足も出なくなる理屈は本人にも解らないという。
当然この瞬間から生産力はゼロとなり、本来ならすぐに仕事を切り上げて帰宅させるなり、気分転換に出すなりした方が良い。
だが本人にとってはそのことがさらなる心理的負担になっていくから難しい。
また実際に、いくら事情を汲んでいても少なからず職場の士気は低下する。
組織の生産力としては二度と回復できない大きなマイナスを抱え続けることになる。
本人を異動させ滞った業務を修復しても、残党にその記憶が残ることを忘れてはならない。個人と組織はフラクタル構造にあり、鬱病は組織体の中で雰囲気感染し転移していくのだ。
だが、ひとり潰れたら後任を立ててそのまま走り続けるだけの組織がなんと多いことか。ひとり、またひとりと犠牲者を累々と積み上げていくだけの事例など見ると呆れてしまう。
治療せず深刻な病状を放置すれば、致命的レベルに重篤化するのは当然である。鬱が広く、深く組織全体に滲みわたっていく。
ここまで荒れてくると、標準以上の業務スキルと情操観念を持つ人材は組織を見捨てていくから、ますます能力不足の人間が過負荷に喘ぐ事態が全ポストで常態化することになる。
かかりつけのストレスコンサルティングなど置いたところで、そこでの対処件数が単純増加する以上の結果は得られない。
管理職の1割近くが危険なレベルのストレス状態になっている会社の話を聞いて、想像される惨状に胸が痛んだ。
気の毒だが、自重を支える力を失った構造体は崩壊するしかない。
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