【49】安倍前総理の命綱 [ビジネス]
いよいよ師走の第一週が明けた。
年末年始がどっと過ぎ去ると、すぐに年度末が迫ることになる。
多忙が続く時期を前に、何日かかけて鬱病について考えてみたい。
私は、かつて比較的まともな部署で仕事をしていた行きがかり上、そこで異動してくる他部署の犠牲者たちを次々と迎える立場を経験している。
御存知の通り、企業で従業員が散発的に自らの命を絶つ現象は珍しくない。
本人の望み通りかどうかはともかく、少なくとも自分に分のない選択で就職したわけではなかろうに、ときに大事な家族まで抱えた人までがなぜこんな結末を辿るのだろうか。
しかも、しばしばその決行場所として職場を選んでしまうのである。少し年数の経った建屋で、高い階数の窓にストッパーが後付けされ大きく開かないようになっているのを見たら、間違いなく原因はこれだ。因みに最近の建屋はそもそも窓があまり開かない構造になっているはずである。
追い込まれて消滅を選ぶほど弱った人間が、周囲の迷惑を承知でそんな行動に走る心理は到底理解の及ぶ範囲ではない。
幸運にも私の直接の知り合いに命を絶った者はいない。
神経性の疾病で入院し、鬱病の診断により退院後は自宅療養となり、数ヶ月かけて調子を見ながら職場復帰してくるというパターンであった。
ただ命を落とさずに済んだとはいえ、本人の人格が大きく損なわれていることに驚いた。
もちろん本人の人生の記憶や、外部からの入力に対する反応の癖などは残るから、別人になるわけではない。思い出話もできるし、書類を作らせれば『そいつらしい』ものを上げてくる。
だが、本人の能動エネルギーがさっぱり感じられなくなっている。
『そいつらしさ』の要素だけは残しているものの、生命力の芯が燃え尽きて灰になっているのである。
物議をかもした安倍前総理大臣の突然の辞任であるが、私には正しい判断に見えた。
所信表明の段階では、まだ安倍総理は本気で続投するつもりだったのだと思う。
だがその直後に、このままでは自我が破壊される危険を自覚して、日本中を敵にまわす覚悟で自己防衛に踏み切ったのだろう。
予想通り非難が集中したものの、自らの意思であの立場と精神状態から脱出できたのだから、現在もかつてのままの安倍さんとして会話ができるはずだ。
『無責任なお子ちゃまが投げ出した』のような言い方をする向きも多かったが、安倍前総理としては自我の生死をかけた判断だったのであり、批判するならその背景まで鋭く切り込んだ言葉を選んだ方が説得力を得られたはずである。
とにもかくにも、奥様は本当に胸を撫で下ろされたことと思う。
あの一線を踏み越える判断力こそが命綱だったのだ。
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