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【51】ストレス蓄積の真犯人 [ビジネス]

 社員のストレス検診をする会社が多くなった。
 よくあるのは問診式で、検査後に総合評点とレーダーチャート、医療アドバイスをまとめた冊子が届くというものだ。

 これはこれで実施する意味はあると思うが、そこまでで終わってしまっているなら、社員の鬱病対策としてたいした実効力はない。
 もし有効なら実施後に鬱病罹患者が一気に減じたはずである。だが大抵は、じわじわと拡大する病巣を数値データで裏付けるだけに終わっているのではなかろうか。

 ずばり深刻な事態に陥った者がその通りの診断を受け取ったとして、それを提示して訴えれば組織が対応する手はずになっているか否かで実効力の有無が決まる。
  『あなたは相当疲れています。一刻も早く十分な休憩を取ってください』
などという冊子の医療アドバイスだけ読んだところで何の役に立つというのか。
 きちんと情報を活かさなければ、ストレス検診の導入にかけたコストが財務負担になっただけである。
 『診断まで受けて何も変わらない』という新たな絶望の恐れも忘れてはならない。

 だが現実のところ、即座に組織構成を組み換えるなどして対応するのは非常に困難だというところがほとんどではなかろうか。
 それがわかっているから言い出す方も言い出せないし、言われる方も退職さえ辞さない決死の申し入れでもない限り、見て見ぬふりである。そもそも手遅れになって初めて発覚する性質を持った問題なのだ。

 過負荷を処理しきれなくなり、自我が揺らぎ始めるとそれなりの予兆が顕れる場合もしばしばである。
 たとえば弱い立場の者につらく当たり、形式的な優越感で自信を繋ぎ止めようとするのは、実戦能力にコンプレックスを抱えたガリ勉タイプのピンチに多いようだ。
 また我が子の成長の喜びに異常なまでに執着するのは、人の良いタイプが八方塞がりになって能動意欲を失い始めた時によく見られる気がする。

 昨今深刻だと思うのは、このような大人の社会人として違和感ある行動が目についた時、管理者が速やかに本人にその旨を話して解決に動かないことである。
 『【47】叱れないオトウサン』とも共通する問題であるが、最近の若者がコミュニケーション能力を年格好相応に育んでいないだけでなく、いつの間にか年配者も、心の絡むコミュニケーションを前に尻込みするようになってしまっているのだ。
 人と心通わせる会話を避けるような人間に、組織のストレス管理など土台無理な話である。

 そのあたりを頭において、改めて人事評価基準とその運用プロセスを眺め直していただきたい。
 本当にそれでいいのだろうか。


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