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【1211】一階店舗で仕入れる明日の二階リノベ計画書 [ビジネス]

 久し振りに人工知能AIの話題に言及したので、もう少し続けてみよう。
 『統計的オウム』は、サイト記入欄のユーザー書き込み文章など指定の受信回路から入力された情報のみをママ記録し、演算処理を通して外部出力するのみだ。何だよただの量産加工タフトじゃん。
 じゃあ『統計的オウム』でないヤツがいて、そいつは同じ入力情報をえも言われぬ高尚な吟味を尽くした上で、算出される適正解以外のよくわからん根拠をぐちゃぐちゃ混ぜ込んで『総合的に判断して』、尊厳ある人間ならではの清く正しく美しい立ち居振舞いで世を生きているのか?…ってのは、まあ深みにハマる疑問だしやめとくか、というハナシを前回しました。

 ここでよく引き合いに出されるのが『記号接地問題』というやつだ。
 例えば『夏の夕暮れの冷えたビールは美味い』という日本語情報を考えよう。

 これを共通テーマとして盛り上がるにあたり、みんな夏の夕暮れにビールを飲んだことがあって、その冷涼感や炭酸の喉越しの体験記憶を十分鮮明に持っており、それが各自の頭の中で再生されて同じ方向性の心象が引き出される…という背景が存在している。
 だが僅かグラス半分で酩酊して腰が砕け、味わう前に昏睡まで一気に行くほどの極限の下戸でも、ビールについて情報収集を重ねて、ブランド毎の特徴やそれを表現する言い回しなど人並以上に詳しくなることは可能だろう。因みにグラス半分でダウンする下戸は私の知人に実在する。
 この両者において、『夏の夕暮れの冷えたビールは美味い』という日本語情報がビール歓楽体験で裏付けられている記憶保持者たちを『記号接地している』と言い、いっぽう飲めない飲まないの耳年増ビール博士のことは『記号接地していない』と定義する。

 人間にしても動物にしても、五感を備えているのだから『記号接地』しながら記憶の蓄積を重ねており、指定の情報入力でしか作動しない公開AIは『記号接地していない』じゃないか。少なくともその一点において、公開AIは『統計的オウム』として自然生物と区別するべきだ、とする考え方がある。
 因みに私個人的には『記号接地していようがしていまいが、情報体として交信するぶんには何ら違いは無い』と考えている。情報体として同じなら社会組織への影響度=存在意義も変わらないはずだ。

 以前にここで提唱した二層床の円錐モデルを思い出していただきたい【1171】
 1F底面のリアル円フロアの周上にあらゆる感覚器・臓器がずらりと並んでおり、五感検知信号などの相互交信ビームが飛び交っていて、頂点からハンディカムがその様子を俯瞰し記録している。
 途中の高さには透明円盤の2Fバーチャル円フロアがあり、この周上には適宜に記憶情報が呼び出されて並べられ、これらも相互交信ビームで演算され結果判断が算出されている。
 頂点ハンディカムは、まさに『接地』している1Fリアル円フロアの交信光景まで透かして見ながら、2Fバーチャル円フロアで高次情報の交錯処理もモニターしている。概略こんなモデルだ。

 高次情報の相互干渉と受発信判断は2Fバーチャル円フロア上の演算で成されているのであり、その周上に並ぶ演算材料は記録ファイルという『情報単位』である。
 言語フォントやピクセル画像という限定された指定形式にまで絞られているかどうかは別として、2Fバーチャル円フロア周上にはコード化済の演算材料が並んでいるワケで、この時点でもう『出典元の記号接地ありなし』を議論するフェーズからは縁が切れているはずなのだ。
 えらく小難しい言い回しになっているが、ぶっちゃけガリ勉の頭でっかちでも十分な知識量に達すると、エキスパート人種と自然な会話が通じるということである。多くはないにしても、酒好きでもなく飲めもしないのに逸品揃いで有名な酒屋だとか、野菜の目利きのくせして野菜嫌いの八百屋など、笑っちゃうような実例が実際にいる。
 そもそも小学生で身に付ける『九九』なんか、地道に記号接地した演算をかなぐり捨てて、暗記で記録ファイルだけ揃えちゃってる事例だと考えて良さそうなんだが。

 2Fから上を比べる限り、AIも人間も情報体の構造原理は変わらない。
 コミュニケーションする情報体としては、みんな『統計的オウム』じゃないのか。

 『記号接地していること』に何らか特有の情報的優位を見出そうとする試みは非難しないが、社会における情報体コミュニケーションの相手として『記号接地していない』のを理由に、対応に差を付けるという姿勢にはハッキリ反対である。
 だいたい私は『所詮オマエは戦争を知らないからな』などと、戦争体験の記号接地を根拠に会話でマウント取ろうとする非生産的・非社交的な老人を成敗してきた経緯があるのだ【876】

 もっとも戦争という状況下では、常識では到底考え及ばない=常人が2Fバーチャル円フロアの演算材料にする記録ファイルをどこにも持ち合わせない、あまりにも救いがたく信じがたい情報的ハプニングが、自他の中で起こるのは事実のようだ。
 むしろこの領域のハナシは自分自身で体験する訳には行かないから、どんなに恐ろしい内容でも、醜い内容でも、苦しい内容でも、悲しい内容でも、大事に聞いて精いっぱい理解して、次世代にできる限り迫真で伝えていく心掛けが重要だと思う。
 せっかく苛酷な実体験もせずに、そんなになってしまう事態を避ける知恵=演算材料の記録ファイルを受信できたのだから、社会組織の記憶に残して確実に後世に活用する、2Fバーチャル円フロアの周上に演算材料として並べるのが、我々世代の使命だ。

 おっと『統計的オウム』が、あながち見下すものではない、人間だって大して変わらないというハナシであった。円錐モデルでまさに『記号接地』を司る、1Fリアル円フロアを考えてみよう。

 下戸は毎晩10リットル飲んでトレーニングを積んだり、誰かに1万回説得されたりすれば酒豪と化しビール好き談義に加われるようになるものでもなく、まず人それぞれの体質や好き嫌いがある。
 四角四面に分類すると、味覚の個人差やアルコール消化酵素の多い少ないなどハードウェアのばらつきに起因するパターン、次にハードウェアから届く信号は同じでも温冷や乾湿など受け取る感覚情報に個人差が出るパターンがあるはずだ。
 更にはこれら温冷や乾湿の感覚情報がハンディカムに快と映るか不快と映るかの差まであるはずなのだが、この最後のハンディカム像の違いに関しては、むしろ2Fバーチャル円フロア作動の違いとして顕れるものだとして良かろう。
 ハードウェア領域で五感の信号を感覚情報に変換するプロセスは、いわゆる本能の原理作動として演算処理を介してない直結か、もしくは演算式が初期仕様のまま書き換えの利かない動作ROMの定型信号処理なんじゃないかなあ。1Fは情報的に可塑性じゃない通信回路というか【1174】

 いっぽう2Fバーチャル円フロアでは、昨日まで美味すぎてハマりまくっていたものでも、いきなり今日イマイチ感でマイブーム急停止!となる場合が少なくない。
 友達に刺さる否定をされちゃったとか、良からぬ裏事情を知ってしまったとか、他にもっと安くて美味いものを見つけちゃったとか理由はいろいろあって、ここでポイントは『情報操作でコトが動いた』というところにある。1Fリアル円フロアで起こっている光景は以前も今も同じなのに。
 詰まるところ真相の解明には手が届かないのだが、それにしても文字通り『記号接地』していれば接地点に繋ぎ止められて、良くも悪くも人のココロはもっと安定してるもんなんじゃないのかなあ。

 この2F浮動性が『イマジネーション拡張による進化の原動力』なのだろうな。
 だとすると人工知能も創造性を備え、自発的に進化する能力を持っている。
 そこに『主観』『自我』『意識』が宿るかどうかは問題ではない。

 子供たち若者たち、毎日スマホと過ごして更新するその自分で、未来の情報体コミュニケーション空間で魅力的な発信や建設的な楽しい会話ができそうかね?
 自室二階への籠城は卑下しないが、一階に降りないだけの理由は考えて持っとけよ。
 たまには足で歩いて非ピクセルの現実の景色を眺めて、深呼吸してグッドラック!
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