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【943】五つ星トロフィーはグルメ調教師の腕前で [ビジネス]

 大阪・関西はじめ各地のコロナ感染者確認数が『何故か』急増している。
 いや、まあ別に構わないとまでは言わないんだけどさ、がっつり新規性のある明確な動特性が見えてくれてんだし、まず『現象は何なのか、変化点のファクターは何なのか』の特定が必要なのと、他ならぬ『それで日本社会として何がどれだけイケナイのか』を冷静に整理して考えようよ。
 大事なのは、快適で安全安心かつ生産的にするため用意された社会の仕組みやみんなで出し合う税金が、ガチ真剣のイケナイ現状を脱却するために、どこまで実効的に作用しているかどうかだと思う。

 さてさて、ここでいきなり我々人間が普通に生きていて感じる『ああ、ジブンがいるなあ。自分がいろいろ感じて、考えて、しゃべったり行動しているなあ』という、『主観としての意識』のハナシに戻る。
 私は、『意識』とはストレージされている記憶ファイルの内容にかなり実体の比重があり、いま五感を通して出遭っている録画中のドライブレコーダーの記録を、過去ジブンの人生で録り貯めた記憶ファイルと整合するおよび、ナウどう処置するかの判定作業がいつも走っているはずで、それが『ジブン感=主観』の正体ではないかと考えていると述べた【938】

 大脳という大容量ストレージ機能を持たない昆虫たちは、この整合と判定の過程が無いのでジブンもへったくれもなく、例えば複眼で捉えた映像に合わせて機械的に反応するだけの人生?虫生?ではないかと思う。大きな黒い影が背後から迫り来ると共に、相応の風…というか空気の圧力波のひと揺れなんだろうが、とにかくそれを感じると、生命の歴史上の偶然に始まり生存確率を数十億年にわたって上げてきた反射神経プログラムの標準発動により、飛ぶなり跳ねるなりの反応が起こると。で、結果的に逃げる。
 また彩度の高い対象映像を見ると、とまりに行って、それでとまると良い香りがする。ならば口吻を突っ込んで吸うだけ、そうすると大抵の場合は蜜が溜まっていて、栄養価の高い糖質が得られてまた飛べる。でも、だからウツボカズラにも騙されて、あの捕虫器に落っこちて消化されちまうんだよな。
 定型の標準的な反射動作だけで過ごす昆虫たちの、ねじ巻きオモチャのような日々で過ごす一生である。そんな生体活動が世代を紡ぎ、この地球上にこれだけ多種多様に繫栄した。

 ところで情報ストレージ機能を持つ、いわゆる『高等生物』たちも、使える内容の記憶ファイルが揃ってくるまでは右も左も無いくらい無作為な行動ばかりが目立つではないか。とりあえず熱いと手を引込め、モノが飛んでくると目もつぶるから、それなりの反射動作は備わっていて、まあ虫たちと一緒じゃん。
 もしかすると『好奇心』なるものが記憶ファイルの内容をいち早く充実させる作用を担っていて、わざわざに要らんことや危ないことをしがちな個体が生存確率をある程度上げた結果、そんなプログラムが淘汰の蒸留物として現代人の志向特性に一定程度含まれているのではないだろうか。

 以前、食い物の嗜好について考察したが【916】、知る人ぞ知る現地ならではの御馳走なんてのは、『これは食い物です』という記憶ファイルのスペシャルな書き込みが無いと成り立たない気がするのだ。
 世界一の悪臭とされるシュールストレミングを腐敗物と判定せず食いモノと認めるには、まず白紙の味覚記憶があって、それを口に入れて、周囲の人々の様子などと因果付けて、文明社会的な外力の強制による『食いモノ』定義の書き込みがなされる必要があるのではないかと思う。
 そんなシュールストレミングは所詮は缶詰だが、世界にはどえらいブツもあるもので、確か北極圏とか極寒地域の現地料理(?)に『キビヤック』というのがあるのだそうだ。いやまあ場所柄アザラシを獲って食うらしいのだが、腹を割いて肉とモツを抜いたまでは良いとして、皮下脂肪を残すのだという。
 イヤな予感がする。よせ、さっさと全部食って毛皮の使い方の話をしないか?

 悪い予感は当たっており、ウミスズメという海鳥をこのアザラシ脂肪袋の腹にたくさん詰めて縫い合わせ、よりにもよって地面に埋めて数ヶ月間も放置し発酵させるのだという。他の動物に掘り返されないよう、板を被せて重石をかけるのだとか。うわぁ~頼むよ、焼くか蒸すかしようよ。
 ひとつに極低温の気候環境ゆえ、そうそうお手軽に燃料を使って料理できなかったと思われる。あとひとつに、獲物を残さず人間が消化吸収して体温維持する目的で使い切るため、骨までぼろぼろに崩れて食える状態にまで持っていく調理法?が必要だったんだろうな。
 こんなものを掘り出してアザラシの腹からウミスズメを取り出し、溶解した中身を肛門から吸い出した挙句バラバラに引きちぎって全部食うというのだから頭がクラクラする。ウミスズメについて詳しくはないが、魚を喰わない海藻など草食主体の鳥であれば、これは十分に可能な気がするけど。
 私はこれ系の食文化への耐性が滅法弱く、恐らくその臭気に晒され中身を見た瞬間に口を押えて屋外に飛び出し、どんなに寒くてもウォッカを空けながら待ち続けることになること請け合おう。

 いや、何が言いたいかというと、実はこれ当地の住民にとっては『豪華な御馳走』だとされているそうで、恐らくはこんな私でも現地の暮らしに育ったなら、喜んでキビヤックを頬張っていたはずなのだ。そりゃ栄養価は高いだろうし消化は良さそうだし、他に喰いモンなんぞ殆ど無い環境だろうからまず食うは食うとして、味覚や嗅覚はそれに呼応したポジティブ定義が後から付いてくるという順番ではないだろうかと思うのだ。
 『こんなもの』なんて言っちゃ失礼千万、その生存環境で食を繋ぐ知恵として受け継がれてきた記憶ファイルの、興味深い論理的因果のポジティブ悦楽感覚の書き込みだったりするのかも知れない。

 ここで1億2千万人巨大生物・日本国の『主観=ジブン意識』について話を移す。

 恐らく人間は、地球上の生存競争を生き抜くため本能的にそこそこ群れる性質はありそうに思う。だがそれを起点にして国家という文明が生まれた先、今度はそれを『上手く運営して勝ち残る』ために、論理データを書き落とした記憶ファイルが蓄積されていく。
 和牛ステーキが美味いと思うのか、キビヤックが美味いと思うのか、資本主義・民主主義が快適と思うのか、共産主義・社会主義が快適と思うのか、生存に成功した実績に基づいて、それなりの嗜好を持つ『意識』としての記憶ストレージ体系が形成される。
 そしてそんな記憶ファイルと目前の現実を整合し、正否の『正』判定を得ようとする国家運営プロセスとしての『ジブン感=主観』が自然発生してくるはずだ。

 古電球が学術会議の任命で明らかな違法発言をしたのに、今も放置されている。
 今なお学術会議の構成人数は6人ほど不自然に欠けたままではないかと思うのだが、過去にずっと『学術会議という機能集団は、その人数で良い、それが良い』としてきた記憶ファイルと真面目に整合しないまま、もちろん6人減で良いのか悪いのかの正否判定もしないままの硬直状態だ。

 いま1億2千万人日本国組織は、大脳相当の情報ストレージ機能を備えた生命体として、主観に基づく意識や感情の反応が確認されず、気を失っているも同然ではないかと思うのである。
 いきなり常軌を逸した言動を発したのち、その目前のなりゆきが識別できず、興味を向けることすらできず、ただボーっとなりゆきのまま次の関係ない不規則言動を始めたりもする。これってまさに進行した認知症老人の意識障害ではないだろうか?

 高齢化ニッポンのこの先の見通せない発狂デタラメっぷりは、生き残り方策をしたためてきた記憶ファイル=有形・無形の社会規律を率直かつ正確に読み出して、目前の行動決定に反映させる『主観的意識』を取り戻さない限り治らない。猫撫で声で歳のせいと流してしまわない、矯正式の介護方針も急務である。
 早く汚く腐った老衰部分を、元気で素直な若年層域で置き換える必要があると思う。では引き続きグッドラック!
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