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【1149】失語症動物病院のカルテ炎上バトル [ビジネス]

 いよいよNHK朝ドラ『舞い上がれ!』も最終回を残すのみとなった。
 総じて完成度も高かったし個人的にも楽しめて、『カムカムエブリバディ』と並ぶ好印象である。長いことこの枠は、日本社会の一般家庭の朝の日常ルーチン視聴を狙うが故の、心温まる庶民ファミリー系ストーリーで数珠繋ぎしているものと思い込んでいたのだが、なかなかどうして仕事ありいの歴史ありいの経済ありいの…と盛りだくさんなことに感心している。いやいや、面白いです。

 これこの通り、今やすっかり廃れたテレビ業界だが、まだまだ各家庭にほぼ一家に一台テレビが普及していて、普通にスイッチ入れれば当たり前にユーザーが関心を向けてくれる『魔法の箱』は十分なマス・コミュニケーション回路として機能を維持しているのだ。
 この不況下でもこんなに『使えるツール』を、今こんなにまで使えなくしている元凶は何なのか。真剣な改善の取り組みを諦めるか諦めないか、真面目に節目づけて考えて決めた方が後悔が無いと思うけどな。

 おっとっとイカンね。散ってしまう前に一回ぐらい今年の桜のハナシをしておこう。
 『あれ、もう?』という印象で3月中盤のうちに開花して、あれよあれよという間に都心ではもう満開を折り返してる感じだから、えらく早いなあというイメージは確かにある。桜の花の下で入学式…という場面設定の広告なんか全く見かけないもんな。
 ただ私が北関東某所に暮らしていた二十世紀の頃、毎年4月に近所で桜まつりが開催されていたのだが、やはり3月のうちに花見も花も完全に終了という勢いで季節が過ぎていった年があった。4月になり、花の跡形もないどころか青々と茂った葉桜のもとに屋台が並んで、なんとも妙な風景になっていたものだ。

 各地で事情はばらつくんだろうが夏の花火大会も含めて、ああいうのは具体的にはどんな調整作業がなされ、どんな公共社会の現物たちが、どんな会期スペシャルのイベント対応モードになっているのだろう?
 大きな河川の可動堰やら平面確保の多車線道路やら、その時その場を目掛けて、近接地域の消費電力の融通計画やら主要幹線道路の渋滞防止措置なんかが必要だというなら、行き当たりばったりでスケジュール変更できないのは直感できるけれど、そんな重たい条件に縛られたケースばかりでもないだろうに。
 前日・前々日はあんまりだが前週・前々週あたりから天候その他の周辺事情を睨みつつ、最初は幅を持たせて後に段階的に精度を上げながら開催スケジュールを固めていく進め方はできないのだろうか。
 半週単位ぐらいなら現状の通信網で十分に遅滞なく関係者周知や来客広告が変動可能だとすると、各地イベント開催日程の最適化で刈り取れる地域経済の収益は、随分と改善するように思うのだが。

 これだけ日本経済の末端現場が活力を失って久しいのに、各地イベントが運次第でお流れになるのを手付けずで見送るばかりってのは、もったいない損失だと思っている。
 いざ公務手続きプロセスを精査してフタを開けてみたら『法律や条例でスペースや道路の使用許可がいついつ前までと決まっているから』みたいな、役所事務の古来の慣習がこびりついて動かぬ根拠に化けていた…みたいなコトは無いだろうな?
 末端から召し上げた税金資本で大企業並の高給を取る公務員が、この程度の改善努力も尽くしてないなんてことだと、誰がどう納得しようがしまいが、日本円経済のカネ廻り原理として好景気は成立しないぞ。

 ま、このあたり実態がどうなっていて、現実問題として改善の余地があるかどうかは地元毎に御検討いただくしかない。確かに『コレコレこの書類作って承認印が入ってりゃいいんだろ』『許可さえ下りりゃココ塞いで今すぐ場所確保、でいいじゃん』みたいな、ナニとナニを右から左へ動かせば勝ち式の町内会行事みたいな意識で攻め込まれては、公共社会を維持運用する役所公務に間違いが起こってしまうから、本末転倒にならないよう成人社会人として現状を見直す心掛けは忘れないように。
 誰も見ないような高額の花火を北米から何百発も勝手に買い付ける決定を出しておいて、『決~まった~、決めちゃった♪』でおしまいにするような議会は即刻解体して、こっちを一件ずつ確実に進める方がよほど実効的な景気改善策だろう。

 さてそれはそれとして、単に『いついつにこんな内容の会議をやりました』という記録ひとつ決め打ちで出てこないような役所を、日本国民の税金で維持する理由がどこにある?こっちも黙って見過ごして良いハナシではない。
 まずカバが、たかが畜生の分際で役所組織の記録に『怪文書』などと幼稚くさい悪口を放って許されると勘違いする、そんな議会の場の陳腐さ軽さに腹立たしくも呆れるけれど、『報告はあった可能性が高い』だとか何とか、おのれの業務記録をただ確認して返すにはあり得ない意味不明な答弁をする役所の不真面目さも、イチ納税者イチ国民として全く看過できるものではない。

 これでは公務ルールとして何が決まっていようが、業務標準として守るつもりもなく、遊び半分に作文して税金で給料取ってます、と公言しているようなものだ。給湯室や喫煙室の立ち話がどうだったかという事実確認ではないのである。
 マジ険悪なヤキの問題意識として、必要とされる局面でジブンち公務の記録情報を議会で運用できないような役立たずの役所なら、業務監査のガサを入れるかどうか、担当者・責任者のクビを飛ばすかどうかという重大レベルの事案だぞ、これ。
 カバもバカもグダグダ議会も丸ごと一掃に加えて、初歩的な仕事もしないできない無能役所までガラガラポンで一挙解体して、この程度の業務が普通にこなせる人材に総勢入れ換えねばならないってことかよ。

 いかんな、ハナシが予想外に怖くなっちまってるっけ。まだ夜は寒いので、夜桜で飲んだ帰りに酔っぱらって道路で寝るヤツはいないんだろうけど、もう少しあったかい季節になると毎年何件かそれをやって轢かれる事故がニュースになる。
 そりゃまあ轢き逃げ事件として扱われるのだけれど、容疑者呼ばわりされた運転手が『人を轢いた覚えは無い』と主張するパターンは珍しくない。

 暗い夜道、あなた自身が車を運転して、いつもの家路を急いでいたとしよう。
 いきなりゴリッと、石でもない嫌な固さのそれっぽいモノに乗り上げた突き上げを感じたら、あなたは即座に停車して現場確認すると言い切れるだろうか?
 『えっ…?…あれ?…ウソ?…ナニ今の?』の茫然空走を続けながら、『まさか人じゃないよね?こんなとこに寝てるはずないもんね?ね?ね?』の自問自答を繰り返したりはしないだろうか?
 この類の不幸の巡り合わせにおいて、さっきまで日常を過ごす一介の小市民だった運転者が、『ヤバい、逃げちまえ!』の邪心にまで到ることはまずないと思われる。だがむしろ茫然自失の判断放棄までは普通だろう。
 『わざわざに人を轢いたと自覚しになんか行けない。今まだ見てない判らない、怖いどうしよう?』で精神的に行き詰まって思考停止、全てはなりゆき任せ…あたりがありがちなはずなのだ。

 もちろん人を轢いたら運転者は直ちに救護にかからねばならないが、それは『人を轢いたら』であり、これが犬猫など動物であれば、倫理道徳はともかく走り去っても暮らしには特段の支障もなく済ませられる。そして『人を轢いた』と認識したかしないかは、少なくともこの時点たった一人でステアリングを握るあなたの意思で決まる…ような気がしているはずである。
 実はこの時点で『現実』は別途確定しており、その時その場のあなた個人の世界をいっぱいいっぱいにしているその認識も、その『現実』の総観的経緯のイチ項目でしかないのだけれど。何はともあれ、そんな『現実』に即して事後の物事の処し方が決まる。

 …いや前回に続いて、知人同士の軽い物損処理に関わったことがありましてな…

 不慮の事故でもない、ましてや国家運営の一環として税金資本の公務で行われた『現実』に関して、共通認識に行き違えの無いよう規定に則って『記録情報』が文書として残されるのであり、そこに書かれた日本語を指して『捏造』だの『可能性が高い』だの、現実との整合を意図的にぼやかすような態度は絶対に許されない。
 議会の場はともかく、心得を欠いた不備の言動に影響され作動を狂わされた社会の現場では、大勢の人が生活を奪われ時に命を落とす。ヒトが成す国家の重保フェーズの安全衛生管理を知らない、知ろうともしない勘違い畜生どもの動物園は、いち早い廃業と解散でスクロールしていって構わない。

 今夜の宴席はハッピーエンドで夜桜を見送ろう。道路で寝るなよ、グッドラック!
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