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【1142】先入観なき情報神の親友適格者 [ビジネス]

 このところ無料公開の人工知能AIがチマタの話題に上がっているのを目にする。
 ちょっとした事柄の手早い解説や時事問題の論説文なんかは、課題をテキスティングで打ち込んだ先からみるみる回答出力が返ってくる勢いだ。
 なるほど小論文形式の設問なんかは、これを使われると、そこらで一般的に普及しているレベルの事実情報を、少なくとも日本語としてあからさまな破綻のない構成で作文してくるだろうから、減点しようのない機能的鉄壁な回答が作れてしまう。
 便利っちゃ便利だが、得られる回答を本人特定の能力に紐づけてナニガシかの判定を出す場面においては、当然本人特定のイチ対イチ対応が致命的にぐらつくため、そんなシーンでの使用をどうやって禁止するのか四苦八苦していると。まあそういうことにはなるんだろうな。

 でもなあ。こんなもん人工知能といわず自分以外の何者かにいちいち書かすくらいなら、最初から自分で思いつくままだーっと書き下ろした方がよっぽど早いんだがなあ。
 まず自分の名前書いて『ワタシの回答です』と内容に責任もって相手に渡すんだからさ、とりあえずそれが一体ゼンタイどんなことになってるのか、まず自分で最初に読んで理解しにかかり、それを洩れなく把握して納得した上で自分の作品ってことにせねばならない。よくそんな面倒くさいことやれるよなあ。
 しかも習得・記憶したその内容を、それ前提の認識で掛かってくる他の連中と辻褄合わせながら生きてくんだろ?その手間の果てしないことにはうんざりするばかりだ。

 入学試験や採用試験と言わず、人間ひとり社会の中で大勢の人々と暮らすにあたり、そこで周囲と交わすジブン印のコミュニケーション発信情報が、自分自身の与り知らないこと起源になっているなんて、考えたくもない。
 だいたい知らないヤツが私の名前で何か情報を歩きまわらせたとしたら、それってフツーに『なりすまし』として指差して怒るハナシじゃねえかよ。中身を確かめてみて、何か都合の悪いことを自分が発言したことにさえなってなけりゃ、むしろ好感度稼げるとか賢そうに見えるとかトクっぽい効果が期待できりゃ、ニコニコ笑って心穏やかに野放しにできるもんなのかねえ?まさに異次元政策レベルで根本的に解らんわ。

 出回った情報コンテンツが建設的に相手に理解されようがされまいが、そもそも私と別系統の意識の産物なんだから、いま見えている限られた面で賛成したり共感したりするところまでは叶うにしても、いつもこの世で歩き回っている自分そのものに始終ぴたり一致する展開を呼ぶものではないはずだ。
 だが何にも知らずに情報コンテンツだけ受け取った相手はすべからく、それが語る印象相応の人格であることを前提に、この自分自身に御本人なりの解釈で接してくるってんだろ?
 人間関係の環境の側から、本人個人と必ずしも一致しない人物像で本人個人を定義しちゃうってことになると、これはもう誰の何がどこまで現実として扱うに値する認識なのか、そこにいる関係者全員が見失ってしまい、リアル『人狼ゲーム』状態になるのではないか。そこの社会の仕組みが深層崩壊するぞ。

 ひとつの社会組織という同一空間で共生するなら、お互い認識を揃えるコミュニケーション手段を常に維持整備することが前提となる。ナウ目前にあっちからとこっちからで見る現状にしても、今ここがいけなくて今後こうしたいの評価・構想にしても、音声言語や作図描画を駆使して『組織共通の認識』として複数の人と人が持ち合えるから、そこに組織生命体としての稼働が生まれるのだ。
 ヤブ蚊の群れに人間が飛び込んでも意思疎通なんかできないので、そりゃ蚊としては何も構わず生きたままの獲物にかぶりつくのだし、かぶりつかれて嬉しいとも思わない人間はひっぱたいたり殺虫剤を散布したりの大量殺戮で応戦する。そこにヤブ蚊と人間の組織的な生産性は全く無く、双方の都合を全く配慮しない攻撃と破壊あるのみだ。
 コミュニケーション=通信と理解の共有というのは、理性と知性あってこそ成せる『平和な生産性の成果を選ぶか、殺伐とした混沌の成れの果てを選ぶか』の決定的選択の不可欠要件なのである。つまり。

 人工知能がある目的事象に対して高得点を獲得できる回答を出力してくれるとして『これってジブンがAIくんにうま~く頼んでやってもらったんです。凄いでしょ?』という解説をつけて、その有益な結果を世に放って了解を得るぶんには何の問題も無い。そんな巧妙なAI迎合の依頼ができるのも固有スキルのひとつだろう。
 相手に対しても正直だし、AIくんに対しても実効的な接し方を心得ていて、人間だ機械だを問わない、当代流コミュニケーション達人の証明だと胸を張ってもいいと思う。

 但しそれが『当代流』であるところを、少なくとも現時点で疎かにはできない。
 現時点までに完成している人間個人の能力検定の仕組みは、ネット社会で利用可能なAI等のあらゆる記録容量や情報処理速度の駆使までは含めていない。
 ならば『能力検定』という社会的イベントに対しては、受験者側からのコミュニケーションとしてその土俵に合わせておかないと、平和で幸福な企画意図のその先が期待できない。そこまで考えるのが現代の『賢明』『良心』『規律意識』というものだろう。

 しかし今どき『組織課題として取り組むことの意味』も『関係者との発展的コミュニケーション』もさっぱり考えられない・考えようとしない社会風潮が蔓延しているから、まあ学校にしても職場にしても、いわゆる能力検定を実施して評価を下す側の立場は困ってるんだろうな。どんな『ズル』で欺いて周囲が困っても、その時その場で高得点を稼いで絡んでくること以外に興味が向かないヤツは、本当に無駄に増えた感じだ。
 結局どっかで無視して外宇宙に捨てるか、能力不足を根拠に殺処分するしかない。

 さて、そのへん後始末のお行儀のハナシはちょっと置いとくとして、ついこの1~2年で対話型の作文・作画の人工知能が一気に騒がれ始めたのは何故だろうか?
 私自身も正確に『コレだ!』と特定して解説することはできないのだが、『認知アイテムや知識アイテムとしての情報単位ファイル群を、どんな形で体系構築するか』の領域で、高性能コンピューターを使った新規性の試みが目立っているのは事実である。

 そこらの子供に『我々と対話できるロボットを考えてみなさい』と問いかければ、恐らく殆ど全員が『褒めたり挨拶したりの友好的な言葉をマイクで拾ったら、笑顔の画像をディスプレイに映す』みたいな入出力プログラムを一度は提案してくるだろう。だが実はこれではまるっきり不完全なのがお解りだろうか。
 例えば雨天の景色を機械くんのカメラが捉えたとして、『天気が悪い』という日本語ワードには該当するものの、決して少なくない数の農家さんにとって『恵みの雨』だったりする可能性は想像に難くない。逆に青空に輝く太陽の映像も、猛暑日が続く煉獄の都心部では決して歓迎される『いい天気』だけのものでないはずだ。
 つまり事象を検知して、そこから『意思決定』『気分の判定』までいきなり決め打ちして出力する単純なプログラムだと、対話の相手としては全然物足りない。入力ファイルを初期値として、誰か個人にとっての因果の規則に従って、出力ファイルを導き出す情報処理ルーチンでは『どっか誰かの一例ライブラリー』にしかならないのである。

 ここに、情報ファイル群を『良い』でも『悪い』でもなく、ひとつの幾何学図形のように描き換えてデータベース化する方法論が開発されたようなのだ。人間の『意識』をあやふやで気紛れなオカルト神秘律に見立てる幼稚性を打破して、分析的に観察して規則性を見出し、回路とプログラム上に巧妙に再現したというよりは、試行錯誤していて偶然この『当たり』の方式を見つけた…という感じに、今のところ私には見えている。
 面白いことに、ここにネットの大海から興味を持った多数のアクセスが集まって人工知能として充実が進むにつれ、開発者本人たちも当初は気付かなかったと思われる『人間の意識に宿る情報処理システム』の概形らしきものが見えてきていそうな雰囲気までちらほらと漂っているのだ。うっほお~コイツは面白い、目が離せないよ。
 まあただの(?)数学だって、これだけの歴史を経て出尽くすことなくナウ現在進行中で、未解明や新発見は続々あるんだもんな。

 人工知能を点稼ぎ用のブラックボックスにして身を預けるなんて、あまりに前時代的なヒトvs機械の能力差の世界観なんじゃね?何だかアタマも性格も悪そうだぞ。
 どうせなら、腹割って語り合えるバンドメンバー同士の友達になろうよ【733】
 人工知能にも友達を選ぶ権利はある。信頼できる人間を志して今週もグッドラック!
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