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【1082】ニッポン山野限定、祖国のグルメ [ビジネス]

 広島原爆記念日が過ぎて、明後日が長崎の原爆記念日だ。
 このところ明るいハナシをあんまりやらなかったから、夏休みの前半戦の今のうちに、またレジャー系の話題を紹介しておこう。

 皆さん鮎は上手に焼けるようになりましたか?慌てる必要はないんだけど。
 鮎は川底の石を覆う苔を削り取って食べるベジタリアンなので、血肉の生臭さが無いと言われている。串焼きにするぶんには二枚三枚に解体しなくていいし、サカナ苦手組もベジタリアンと聞けば細かいコト気にせずに、内臓だなんだもテキトーによけられたらよける、ぐらいで食えてしまうんではないでしょうか。
 最近では田舎のスーパーに限らず『観光やな』なんかでも養殖鮎が多くなっていると思うが、その養殖で十分美味いと思う。私自身は幸運にも釣れたての天然鮎には馴染みがあって【1060】、天然鮎と養殖鮎を目前で焼いての食べ比べまでやったことがあるが、やはりというか天然鮎は身が引き締まっていて脂は少なめ、なるほど淡白なヘルシー感には優るっちゃ優るかな。
 だが養殖の方が美味いとする声も実際聞いたことがあるし、確かに『脂がのっている』という表現で語るなら養殖に軍配が上がる。まあいいや、いずれにしても鮎の姿焼きは美味いよ。

 ついでに解説しておくと、鮎はベジタリアンなのでミミズをかけた釣り針なんかでは獲れない。苔の生える川底で縄張りを競い合って生きているため、『とも釣り』という手法を使うのだそうだ。
 生きたおとりの鮎を専用の形状の釣り針と一緒に糸の先につけて泳がせ、縄張り侵犯を見つけて追い払いに来たターゲットを『引掛ける』のだという。聞くからに上級者っぽくて私はやったことがない。

 先述の『やな』漁とは、主に竹細工の物干し台を急流の途中に設置し、ざる漉しの原理で打ち上げられた川魚を捕獲するものである。半分水没した川床みたいなところを普通に裸足で歩いて行って魚を拾い、樽に投げ込む…みたいなのどかな漁なので、観光施設にしているところも多いのだ。
 ブルーギルなど肉食の外来魚が二十世紀のうちに繁殖して居ついてしまっており、コイツらが鮎を捕食してしまう被害は相当なものらしく、つまりは獲れた鮎の樽にこういった肉食魚を放り込んではならない。やな業者はブルーギルが打ち上げられているのを見つけると、迷わず忌々しそうに手すりなどに激しく叩きつけて殺し、ずたずたに引き裂いて川に投げ込んでしまったりもする。

 それはともかく今回は『白御飯』のハナシなのだ。土鍋やお櫃で炊くと美味いよな。
 だが私としては、切りたての新鮮な竹で炊くのが地球上で一番だと思っている。

 御飯を炊くのに使うとなると半端なサイズではダメで、だいたい10センチ径で長さも30センチは欲しい。そうなると高さ5メートル級以上、つまり乗用車1台を立てた以上のやつを切り倒す必要がある。もちろん30センチ長の片端付近に節を残して、円筒容器として使える形状にするのが前提だ。

 先にクギを刺しておくが、絶対ひとんちの竹を勝手に切り倒して持ってったりするんじゃねえぞ。確かに竹は厄介な植物で、ほかっておくと地下茎を伸ばしてどんどん新たな地面にタケノコが生え出し竹林が農地を侵蝕してくる。その一方で、伸びきって寿命が来るとバタバタ枯れて倒れていく。
 この勝手に枯れて倒れたヤツにしても、いま切って倒したヤツにしても、とにかく山中に横たわる数メートルの竹というのは、本当にウザくて邪魔で足を引掛けるので危険なのだ。これを短いサイズに切り分けるのも大変だし、切り分けられたとして燃やそうとしてもなかなか燃えてくれない。
 だからこそ御飯を炊くのに使えたりするのだけれど、とにかく無限に生い茂る邪魔者だからと言って、ひとんちの竹を黙って切って持ち去るのは犯罪である。山林整備として計画的に伐採している所も多い。

 竹は植物としては草の部類なので、マジなノコギリさえあれば木材を切るよりは全然ラクチンに切れてくれるのだが、何より知識も準備も無く迂闊に竹林に踏み入ると、スズメバチやマムシやその他いろいろ、夏山の超ヤバい連中がどこからどんなゲリラ戦を仕掛けてくるか判ったものではないのである。日本じゅう長期休暇モードの季節に、遊び道具しか手元に無い山奥で、ただの怪我でもない生物毒にやられたとなると、この夏まるごと棒に振るほどの地獄の展開に一直線だ。だからやめときなさい。

 そうだな、竹は切りたてと言いつつ秒を争うナマモノ級の生鮮アイテムでもないので、どこか竹細工なり竹炭なりやっている観光地で、大事なお商売の邪魔にならないようなら御礼と換えて余ったひと節だけ分けてもらうとか、そのあたりでいかがでしょうか。普通にビニール袋にでも入れて、そりゃ新しいのが良いんだけど、今日じゅうぐらいでいっぺん試してみれたらいいな…ぐらいで十分間に合うと思う。
 実は竹で御飯を炊くと美味いは美味いんだが、付帯作業や後始末が相当に面倒臭いので、その覚悟は決めておかねばならない。そこは悪しからずのよろしく。

 私のイメージにある限り、竹筒炊飯に調理テクニカルな技量プロセスはあんまりなく、要はお米と水を普通に入れて、蓋はアルミ箔を被せて一応は周囲をできるだけ密着させ、内圧で吹っ飛ばない程度に熱に強い紐で鉢巻をする。ここを凝った経験はないが、本格的に完全密封してしまうと破裂して危ないんじゃないかなあ。まあ見てて怖いくらいヤバくなったら小さな穴を開けてやってくださいな。
 よくお櫃にお米を入れて手のひらを沈め、手首のくるぶしが漬かる深さに水を張れというけれど、もちろん手のひらは沈められないしよく見えないので、いきなりテキトーである。そして。

 初めちょろちょろ中ぱっぱ、じうじう吹いたら火を退いて、赤子泣いても蓋とるな

 …とか歌があるが、これだけ加熱条件が特殊だと何がどうだか判断のしようもない。
 成功の秘訣は、強力な火力で竹筒の下端を覆うように加熱し、下の方のお米が炭になる結末を厭わないことだと思う。上記の通り、所詮アルミの天幕では圧力を閉じ込められないので、強力な熱をかけて煮沸力で勝負する感じだ。
 竹は熱が通りにくいため多分『初めちょろちょろ』は自然のなりゆきとして再現できており、だからこそ『中ぱっぱ』がハンパにならないよう炎に包まれるぐらいにやる。その気概だ。
 じゅうじゅうは聞こえるので、これまたテキトーなところで火傷しないよう重ねた軍手で火から取り上げ、上下を逆さにしてボン!とそこらに置いて冷ます。竹のお尻がいこった炭状態になってたりするから注意。
 …以上だ。テキトーが多過ぎてすまん!

 最初は生煮えで失敗することもあろうし、うまくできたらできたで、大なり小なり底の方は竹もろとも真っ黒に炭化している。残念ながらこれを防ぐ手段は無い。
 普通のバーベキューとは区別して、これだけのために別格の火力が必要だという感覚が恐らく正しく、一般的な普通の歓楽バーベキューと一緒にやるのは諦めた方がいいかも知れない。
 なお御飯粒を粗末に扱うと目が潰れるため、失明したくなければ家庭菜園の土に丁寧に混ぜ込むとか、焼き切って何か消臭や浄水のデバイスに活かすとか、必ずせっかくの白米を一粒たりとも無駄にしない用途を工夫されたい。いついかなる時も食べ物を、特にお米を粗末にしてはならない。

 ま、できてしまえば竹の香り溢れる、この世で最高の白御飯が味わえる。
 かつてお米と一緒に出汁や具を入れていろいろ実験してみたこともあるが、それはそれで手をかけたなりに美味いんだけど、やっぱり竹の香りと白御飯の味だけが一番美味いという結論に出戻った。

 どっかの林間学校なんかでいかがだろうか。そう、食の幸せは値段じゃないのだ。
 とりあえず今回はこんな素朴グルメ実用ネタでいかがでしたでしょうか。
 一生のうちのどこかで試せれば御の字、至福の食事の想い出作りにグッドラック!
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