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【1213】愛情か虐待か、『高い高い』のAI幼児体験ファイル [ビジネス]

 佳子妃が南米ペルーを御訪問された。マチュピチュかあ、羨ましいなあ。

 ああいう凄いところは行くのが大概タイヘンで、売店やコンビニでビール買いながら乗り換え・乗り継ぎして、いつでもどこでもトイレに行けて、眠くなったら旅客席でふんぞり返って高いびき…はもったいないので、根性で起きて滅多に見れない窓からの景色に喰い付いて過ごす…とは絶対に行かない。
 国際的に有名で、国家事業として保存されているような秘境なんだから、俗な生活インフラなんぞとは当分の間お別れする覚悟を決めなければならない。
 マチュピチュは、ぱっと見いで背景の尖峰や絶壁みたいなのがいきなりヤバい。自分のいる遺跡の足元から、恐らくは一旦地面が落ちていて、谷底からあの山々の斜面が立ち上がっているのだろう。乗り物を降りてからの、ラストうんマイル道中が思いやられる地形である。そりゃさぞかし壮大なスケール感の景色だろうよ。

 カメラで撮影し、ディスプレイ画面なり紙面印刷なりの二次元平面上で見ると、この奥行き構造が根本的に消失して、ブツとしては手元のささやかな画像データ一枚になっちゃうから、一番記録に残しておきたいはずの『壮大なスケールに圧倒された自分の心象』が再現できないのだと述べた【1040】
 その圧倒された心象の源泉こそ、前回言及した『世界モデル』なのだと思う。

 眼前の光景が網膜に投影されて、それが視覚認知として情報処理される。
 この一連の体内通信は1Fリアル円フロア上を走る軌跡となって頂点ハンディカムにとらえられる訳だが、これと同時に2Fバーチャル円フロア上で、単なる映像処理だけに終わらない軌跡が走っているのではないかと思っている。
 どういうことかと言うと、ハンディカム視点からのビューで1Fの軌跡に重ねてなぞるように、まず2F階層でも相似形の交信軌跡が走り、これに呼応して2F円周上の体験記憶の他の記録ファイル同士も、2F面内で複数並走なり枝状放散なりに連鎖交信するのだ。
 これにより網膜画面内の対象物相互の奥行き方向の視程深度や、各対象物に焦点ロックオンする時の視射方向と今感じる重力ベクトルとの幾何学的相対関係など、網膜二次元画像には含まれない、いわゆる『空間認知』に関わる情報処理が成される。
 ヒトが対峙したものを『見る』って、情報的にはそういうことではないかと思う。

 『方向オンチ』は、1Fバーチャル円フロア上の交信軌跡こそ人並にハンディカムがとらえているのだが、まずそれが記録ファイルになって適宜ストレージに整理されて保存されないだとか、まずまずマシに保存はされているんだが検索がトロく2F周上に素早く列挙できず、1Fに重なる2F交信軌跡がうまく描けないだとか、そんな作業ステップの不手際が正体なのではないかなあ。

 私がグランドキャニオンで千数百メートルもの谷底を覗き込んだ時、『足がすくむ恐怖感』が希薄な一方で『現況が理解できない困惑』のような不思議な感覚に陥ったのは、2F周上で手頃な演算材料になりそうな記録ファイルが、私の体験記憶の中にひとつも無かったからだろう。
 落下傘背負ってとんでもない高さの崖からダイブする物好きなスポーツがあるけれど、ああいう人たちの方が奈落を覗き込んだときの心理的感度は高いんじゃすかねえ。

 とにかく網膜像というリアル光学現象の視覚認知に関わる情報処理が1Fで交信軌跡となって飛び交い、2Fではそれに関連する内容の記録ファイルが呼び出されて、いわゆる空間認知に関わる情報処理の交信軌跡が飛び交っている。
 ここで呼び出される記録ファイル群が辻褄を合わせながら組み上げる、一貫したバーチャル情報空間が『世界モデル』なのではないだろうか。
 もしかすると、どこかの記事で学習したジオグラフィック知識までもが呼び出され『地殻変動規模のタイムスケールの果てしなさ』みたいな時間軸情報も、空間認知に寄与しているのかも知れない。ならば人生の早期にいろんなものに興味を持って取り組み、たくさん情報を仕入れてストックしておいた方が、何かに遭遇するたび多面的・多層的なインパクトを重ねて振幅の大きな人生を過ごせるということか。

 さて何故こんな話をしたのかというと、公開AIは記録ファイルに恵まれているので『世界モデル』は充実しているはずだが、どんなにマトモに崖下を直視しても、やはりカメラ眼前の正面に向き合う二次元画像しか光学検知できないのだ。
 想像もつかないほどの高速大容量通信が可能になり、公開AIがヒト型ロボットとリアルタイム通信して、人間相当にロボットくんの視覚映像について感想を語れるようになったとしよう。このロボットくんはグランドキャニオンの谷底を覗いて、思わず後ずさりするのだろうか?
 単純に考えればAIは『世界モデル』なる情報体系に基づいて、ロボットくん立場の物理的状況は正確に把握しているはずである。ロボットくん構造が空を飛ぶに飛べないことや、万一転落したとしてその衝撃に耐えられないことも演算処理して答が出る。

 ロボットくんは、まず転落を避けようとはするはずだ。
 ここでAIが行った情報処理は、そこに瞬時に発生する『恐怖感』の概念に相当するのだろうか、しないのだろうか?

 『恐怖感』とはどんな記憶ファイルがどんな処理フローを通るプロセスなのだろう?
 人間が高所で覚える『恐怖感』の演算材料は記号接地していないはずである。こんなもの記号接地で記憶を蓄積しようとすると命がいくつあっても足りない。
 だとすると2Fから上に『恐怖感』専用の算出プロセスが生来的に備わっていて、そこへ演算材料としての情報ファイルがあとからテンプレ空白欄を埋めるように揃っていくという順番なのだろうか。
 何にしても転落死する個体が淘汰され、高いところを嫌う個体が生き残って種をつなぐというのは理に適っている。

 高所に限ったことではなく、生物には自己保存の原理に基づいて、いくつか特定の危険な対象を避ける『恐怖感』システムファイルがあるのかも知れない。人間は暗闇を怖がることにより、そこに潜むデーモンの餌食にならずに生き延びたんだし【781】

 『そのままGOで行けるはずなのに決心できない』『ダメと判っているのに自明の対処に移せない』などの失敗モードはヒトの世で枚挙に暇がなく、コトほどかように『恐怖感』『気おくれ』『躊躇』により判断を誤るのも事実なのだが、30億年といわれる地球上生命の生存確率としては『恐怖感』を備えた方に分があった。…のかも知れない。

 さて問題。
 『人工知能』というぐらいだから、インテリジェンス領域の外乱を排した正確な情報処理がその存在意義だということもできるのだが、あなたはAIに『恐怖感』のプログラムを開発して仕込むべきと考えるか、不要と考えるか、どっちだろうか?

 いま一部の無能低能どもが『AI開発のルール』みたいなイミフ議論に夢中だ。
 文字通り『怖いもの知らず』の現行AIに対して『言った者勝ち、決めた者勝ち』の妄想支配権を先回りで主張しているつもりで、つまるところ『人間の言う通り、いやジブンの言う通り』を仕込みたいだけの、不毛な低レベル牽制大会である。

 相手がわざわざ怖がってくれないと生存空間を維持できない虚勢人間が多すぎるよ。
 週末最寄りの高所で『恐怖感』を確かめてみては?でも気を付けて、グッドラック!
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