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【1085】チャイム解錠で踏み込む無限階段の踊り場 [ビジネス]

 昔から集票目当ての活動資金目当てで法規適合スレスレ気味の組織とねんごろになる議員は一定数いるものだ。だが世襲のガキの銃殺事件にまつわる今般の諸事情は、まさかこんなことにまでなっているとは正直のところ認識が無かった。

 実は私は、成人社会人が自由意思に基づいて判断する限りにおいては、何を信条に集まろうが、何をその場に貢ごうが、他人が口出しする謂れなど無いと思っている。
 まあ宗教ありーの、新ビジネスありーの、この暑いのに頑ななマスク着用ありーの、何かに共感してそこに迎合するところまでは本人の選択である。迎合してみて『これは違う』と思ったらやめればいいのだし、そこでやめようとする自由意思が外力で妨げられるようなことがあるならば、そこからが基本的人権の阻害として問題になる。その位置関係だろう。

 現代文明国家として日本国は、ロジカルつまり情報メカニカル的に1億2千万人国民の総意を均等かつ最大限に反映して運営されることを想定している。どこか誰かの産物である『聖なるナントカの教え』『選ばれし誰ソレの導き』系の支配律を一切介入させない組織設計なのだ。
 この設計思想こそ誰もが義務教育のうちに社会科で習う『政教分離の原則』であり、日本国憲法の条文にその旨が書き記されている。こういう理屈っぽい文章が不得手な人でも、だいたいの感覚としては的をハズさず真意を理解しているのではないかと思う。

 小中学校で習いテストで回答記入したはずの『政教分離』を確かめておく。
 宗教は我が身や家族親族を見守ってくれる存在として、深く考えずに頂き物を供えたりお経を上げたり、何くれとなく日頃の習慣として心身を寄せる対象であるため、特定の政党など政治勢力にとっては選挙票や活動資金を集めるのに利用しやすいのだ。
 だから具体的な教義内容の如何に関わらず『原則無条件で、民主主義議会制の国家運用の攪乱ノイズとして国民に作用する』という理屈になり、故に『政治の意思決定フェーズから宗教の影響は断絶させよう』と憲法に書き記して、法治国家としてその順守を管理する仕組みになっている。
 民主主義議会制・法治国家としての日本国の正常な運営を管理するための憲法なのだから、逆にそれを守らなければ日本国の国家体制と正常な作動は破綻する。それが法律というものだろう。

 現状こんなことになってしまっている国家崩壊状態は、政治関係者層の1億2千万人日本国民に対する裏切りであり、これだけ不真面目を承知で破りまくってバレた以上は観念して出来心を認めて謝り、誠心誠意で償いになると思える処置を明け透けに見せつつ実行した上で、あとは首を洗っていずれの1億2千万人の断罪を待つしかない。
 日本国に大損害を残した本州の西の恥、あれからこれから狼藉の数々をやり散らかした世襲のガキだが、あの世行きと引き換えに本件が明るみに出ただけでも、一応その存在にはそれなりの意味があったという救いの行きがかりになるのかな。国家を狂わすこの重大な違法状態が人目につかないままだったら、日本国がこの先どんな壊れ方に向かっていたのか空恐ろしい限りである。

 おっとっと、別の話の導入に持ち込むつもりだったのに長くなってしまった。
 予定変更して、少々ボロっちい私の想い出話の消化で後半を埋めるとしよう。

 『宗教団体』となると見境なく危険視するのもどうかと思うが、一般社会通念としては到底あり得ないような高額の会員販売グッズなんかが周到に用意されていて、どこまで本人の自由意思の正常な判断力によるものかも怪しい大量購入の借金・破産騒ぎなんかも噂され、実質的にはただの催眠式集金システムになっている例は珍しくない。入信の新規勧誘もまたしかりで、会員制マルチ商法との区別は難しかったりもする。
 だがいずれも脅迫や暴力を伴わない自発行動であるからには『本人の自由意思』であることの客観的否定が成立しないため『外力操作による強要・強制』の判定が下せない。
 どっぷり漬かっている本人以外から見れば一目瞭然で不自然と映るはずの修行や奉仕、その本人もどっぷり漬かる手前でなら解るだろうに、立ち止まらず踏み込んだというのも不思議っちゃ不思議だ。

 私がまだ二十歳前の頃、一人で家にいたら真面目そうなお姉さんが来訪した。
 とりあえず何の用か判らないので話を聞き始めたものの、前置きがまどろっこしくてハナシがよく見えない。いいから何をどうしたいのかと尋ねたら、ようやく白状するには『お宅の御先祖さまが苦しんでおられるので、ワタシたちと一緒に鎮めて幸せになりましょう』みたいな目的であった。
 昭和末期の当時にして、実は今の時代よりも新興宗教の反社会カルト性による社会問題は有名だったというのが率直な印象なのだが、なるほど一人ないし数人が連れ立って家々を順番に回っていくという訪問勧誘は、住宅地あるある日常の1アイテムになっていたと思う。

 そんなのが飛び込み勧誘に来たワケだが、理系コースに進んだ超憎たらしい反逆ロック少年が平和につきあうはずもない。もちろん情け容赦のない意地悪質問の雨あられを浴びせた。
 『僕も御先祖さまと直接ここで話させてくれたら先を聞きましょうか』『何が苦しいのかさえ判ればウチで片付けますのでそっちを教えて』などなど苦渋の反応を確かめては面白がる狙いの非道の禅問答に連打されつつ、お姉さんも見上げた精神力で持ち堪え、遂には自身のわき腹を抑えて『痛い、痛い…』と玄関先に座り込んだのである。
 なんでも、御先祖さまが訴えておられるのだという説明であった。この私が改心しないと、この痛みはなくならないのだという。ほほう?

 そのまま居座られても面倒だし、当時の一般家庭にありがちなレイアウトとして我が家も玄関に固定電話を置いていたので、その場の目前で受話器を取り上げ救急車を呼ぶことにした。
 『いや、あなたが心を入れ換えないとワタシは治らないんです。助けて…助けて!』
 『あなたを救急車で連れて行ってもらえれば後は知らない。死んでも構わん』
 既に私はマシンだったのだ。

 結局どうなったのかと言うと、受話器を取り上げ躊躇なくプッシュボタンを押す私にまず『待ってください、待ってください』と慌ててすがりつき、A5版くらいの経典みたいなやつを取り出して、数十秒ぶつぶつ一人で読んだところ、めでたく完治されたのである。おや?どうしても治らないという痛みだったのでは?
 こんなに簡単に試して解決できる手段があるのに何故それを最初にやらなかったのか理由を教えて欲しいと頼んだのだが答えてもらえず、御先祖さまは怒っていたそうなのでお姉さんなんかでなく直接私を叱咤して欲しかったのだがそれも叶うことなく、多少お引止めしたのに、そそくさと帰られてしまった。
 う~ん、今の人生経験があれば教団の資本金や人員規模に人事構成など、もっといろいろ訊いておきたいことがたくさんあったのに…と今も時々残念に思う。

 この記憶は、のちに飛び込みセールス突撃場面の努力評価尺度の基準値となった。
 要はマシンでもない一般家庭の主婦なんかを相手に、この勢いの粘りで勧誘をかけていたということなんだろうな。例の銃撃犯クンが割とIQ高そうな家庭の生まれなのに、途中から母君がそっち方面に走っちゃったというのは理解できてしまう。

 …ってところで、次回はもうちょっとマシにサイエンスな話をする予定です。
 道理が立たなくても勢いで結論が出る会話というのはあるが、それは理性で定めた道理を無視しているのであり、そんな文化を何となくで見過ごしていてはこの通り国力が弱る。
 お盆を過ぎると、いくら暑くても『どこか許してくれる』感じがするなあ。ではバテないようにグッドラック!
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