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【1084】1億総動員の判決は『連帯責任』 [ビジネス]

 明日はまた終戦記念日だ。
 かつて本当に日本国は他国と戦争をして、もちろんそうなったら日本国民には『自国を守るため』という目的が問答無用で発生し、大勢の一般庶民がある日いつもの暮らしを中断して兵士となって他国と命を懸けて戦うことになり、最終的には無条件降伏として争いは幕を閉じた。

 今や信じがたい気の違った論理なのだが、ひと昔前に左巻きリベラルの政治勢力が盛んに吹聴していたのは『戦争をやるのは国の勝手、国民はそんな勝手に付き合う必要は無い。戦争をできるようにする国のやり方なんか無視して、ほおらみんなでアカの他人として叫ぼうよ、イチ、二のサンで、戦争ハンタ~イ!』というやつだ。
 御覧の通り誰も相手にしなくなって当然なんだけれど、まず戦争状態に陥るのを阻止する意図があるところまでは正しい。問題は、自分がそこに帰属しておいて国の勝手に付き合う必要は無いだとか、この世の社会性にあり得ない壊れた自己都合を一方的に言い放って、そこで問題への言及や考察を終わらせてしまっているところにある。
 戦争ハンタイ、それを叫ぶだけ叫んでぷいっと自分一人そっぽ向いたら、それが国家組織の戦争体制を無力にし、その時その場で行き詰まっている国家間の不穏な問題を鎮静させ、全員が自動的に丸く収まる『から』、いま好戦的な政策ばかり推し進めようとする与党には抵抗しよう、という理屈になる。
 アタマおかしいにも程があるぞ。実効力のある言論もせずできずで、平和志向を隠れ蓑にして万年野党を決め込み、議員報酬を収入にして生業として暮らしていくつもりなら、まあ確かにこうなるんだろうが。

 自衛隊が僅かでも増強されるとなると『平和ニッポンの軍国化だ、戦争の準備だ、敵を探している』とヒステリックに騒ぎ立て、学校教育でほんの些細な生活指導でも『これは画一的』と指摘できるものを見つけた途端『トップダウン統率支配の兵隊育成教育だ、独裁体制を目指す軍事訓練だ、ヒトラー再来だ!』とわめきちらしていたものだ。
 そっちの焚き付けで稼ごうと思う社会層がいなくなったので消滅したんだろうが、逆によくこんなものが高度経済成長期から半世紀ほども商売として続いたもんだと思う。

 だが小うるさいガイキチ左巻きリベラルが絶滅した今日、世襲のガキが銃殺された事実を受けて、あちこちの自治体が地元の学校に『半旗』つまり日の丸の旗を途中の高さで掲揚して、弔意を公的に表するように指示を忍ばせていたのだという。いま右傾一派が手を回したとか、地方自治体の側から国政に嫌がらせをされないため『忖度』を先走らせたとか、あほみたいな噂が飛び交っているようだ。
 本当に日本国民一同が認める大切な日本国の要人を失い、哀悼の意を広く共有することで異論が出ないという確信があるのなら、当日のうちに正々堂々テレビ屋が臨時テロップででも流して周知すれば良かったのであろう。
 なるほど日本社会をあげて到底そんなことになっていない真実の認識が浸透しており、カタチだけでも国家的大事件の絵にするために『オオヤケの目に触れない水面下でこそこそ強権』『この空気に気付ける忠犬は三べん回って旗上げてワンと答えろ』みたいなウラ号令になってたんだろうな。たいした葬式だよまったく。

 まずさ、2億円の葬式を出すなら100人で割りゃたった200万円だろ?
 議員報酬の他に、毎月別途落ちて来る100万円の、たった2ヶ月分だ。
 100人ぽっちで割るワケでもなければ、赤貧に耐えながら毎月100万円を丸々使い切って喘いでワケでもないんだろうから…ってここは領収書の公開が無いから毎月おいくら余してるんだか足りないんだかも判んないんだけどさ、ともかく全額国民の税金=国費負担にする理由なんかどこにも無くて、まず国会議員の持ち出し出資だけで完結させるんだろ、良識的な社会通念としては?
 どっか市民団体が世襲のガキの国葬扱いを憲法違反だとして予算執行を止めにかかっていたはずだ。それは国民目線で理解できる心情であり妥当な訴えだと思うし、ならば出資元を与党国会議員でまず引き受けさえすれば、こんな無駄な議論に工数とコストを掛けずに済む。あとは美しきココロの友たちで好きに割れば良かろう。

 ちょいと横道で、選挙の話題に行っとこうか。
 実はこの国葬否定の訴えは却下されたらしいのだが、正直のところ却下の根拠が我々一般国民に解りやすく語られているとは思えない。少なくとも現時点で『お上が却下というから却下、下民は黙って従え』という判決にしか見えないのである。
 兼ねてからここで問題にしているガソリン価格への『違法課税』はずっと放置されっぱなしだし、学術会議とやらの人数も未処置で音沙汰ナシ、こんな調子では司法機関が法治社会において機能しているとは全く認めがたい。

 さあ今日は投票日ってことで『どこそこ党の誰それに投票しよう』という目的意識で選挙の投票所に出掛けたは良いが、その本来目的の隣に並列で裁判官の採否欄があることに、現地で初めて気付いた経験のある人は多いと思う。
 『やらせていいと思う裁判官』あるいは『やめさせた方がいいと思う裁判官』に、各々それ相応の印を記入する…みたいなやつだ。

 私は近年『全員否定』で統一している。現職は全部やめてくれ、他を希望する。

 もちろん挙がった名前の一人ひとりで考え方や事情が違っているはずだとは思うのだが、何しろ投票用紙を見るその瞬間まで、イチ国民の立場から十分な個別情報を取れていて理解できているとも言えず、だとすると『こんな不可解な司法機関の体制が、不可解なまま現状維持されることだけは絶対に避けたい』、その一念に尽きる。
 こそこそ半旗を忖度で対応させるようなボロい葬式を、一方的に国葬扱いで合法とする判決だけ出して煙に巻くような司法機関は、イチ国民として到底認められない。そんな体制を薄らだらだら許している同僚もまるまる職域ぐるみで同罪である。
 司法職域の内情について私は詳細を知らないが、こんなあやふやな法規運営を見せる裁判所と、その同僚たる関係にある職員たちは、1億2千万人組織に確実に理解されるように自職域の正当性・適切性を証明しアピールし、その実効策を動かして結果を出さないとみんな揃ってクビになる…その現況は自覚しておくのがよろしいかと思う。

 断っておくが、私は組織の治安パワーの普及を非常に重要視する人間である。先生や警備員やお巡りさんや裁判所が、つい魔が差す手前で抑止力となる『怖い存在』でなくてどうする?
 言ってしまえば私は、少々の暴力や腕ずくは適宜に行使してでも、まず『組織の平和を乱す悪者を退治する』という社会機能を優先するタイプだ【1059】【1064】
 逆に社会全体が自組織の治安力の正しさを疑い軽視するようになれば、それは社会空間を律する『治安』の直感的認識=統治パワーを鈍らせることになり、つまりは世が荒れる。そういうことだ。

 そこまで立ち戻って再考証して、改めて『大衆の言動の同調現象』が何に引きずられてどんな時に起こるのか、その同調を起こさせようとする動機や強制力はどこにどんなものがあり得るのか。
 その暴走リスクの心配を最小限に抑えて、もう戦争に走らない安心安全の日本社会を維持するために、日本人個々人がどんな思考と判断と行動を心得ておくべきなのか。
 それを本気で考えようと言っている。私一人ではできない、みんなでだ。

 とても悲しくて辛くて、それでなお取り返しがつかないから、もうやめよう。
 だからこういう物事の進め方は金輪際しないと決めたのではなかったのか。
 何が『断行』だこの非国民インチキの自称内閣、ニ、三べん死んで来い。どあほが。

 明日の終戦記念日、美辞麗句の大喜利には無駄な時間を割かないように。
 こんな1億2千万人組織にしてしまったのは、他ならぬこの1億2千万人本人だってことだよ。みんなが直す一人ひとりにならないと、直す1億2千万人組織にはならない。
 ここまで理解して終戦記念日を迎えますか。今年も無事な日本に、グッドラック!
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