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【1265】買い叩かれる格安経済圏の風土病ウィルス対策 [ビジネス]

 ゴールデンウィークも過ぎると『五月病』なる季語が飛び交うようになる。
 元々は年度初めの4月に就職した新人社会人が、5月になると自他ともに原因がはっきりしない憂鬱状態に陥り、調子が沈んで困る…という意味だったはずだ。
 平成以降やたらめったら拡大解釈が増えて、もう全年齢層を対象にあれもこれもの勢いで盛りまくられた結果、いつの時期のナニを指すのかよく判らなくなった感がある。

 私はこの五月病なる経験は、身に覚えが無い。
 幸運にも子供の頃から大好きで憧れていた業種・業態で社会に飛び込んだので、とにかく準備期間・助走期間なんかすっ飛ばして早く一人前になりたいその一心だったからだ。今そんな心境で社会に出てくる若い人ってどのくらいいるのかなあ。

 昔は終身雇用に身を置いて定年まで『勤め上げる』のが常識というか、小市民の社会的使命であるとされ、故に退職や転職はそれ自体が反社会的行動にも通ずる第一印象を持たれるほどであった。
 その代わりというか、いわゆる年功序列の概念が理屈抜きの思考抜きにまかり通っており、出勤し続けて職場に居残っておれば、いわゆる『エレベーション』でそれなりの役職と年齢給が計画的の自動的に手に入ったのである。
 だからこそ『最初の就職で飛び込んだ職場は、どんな不都合があっても離れることができない』と、本人も家族も周囲も、考える前にまず結論づけていた。

 早いハナシ本人の人生の思考基盤にとって、かなり『一度就職したら退職も転職もできない』のであり、これがキャリア構築の融通の拡がりを見出せず袋小路で過労死する世界観の背景にもなっていたのだと思う。
 もっとも一本のキャリアに決め打って叩き上げ・積み上げを重ねるなら、一応にでもそうやって時間をかけたぶん、確かにその道に関する知見は人並以上のものとなるのが一般的だ。好むと好まざると、中流の凡人を自覚するなら悪くない戦略である。
 終身雇用一本道の能力開発を標準仕様とする考え方は、今も有効な選択肢のひとつであることを忘れる訳にはいくまい。社会人デビュー後の一定期間、自分の適性が自己認識できないだとか勤務先の立地が理想に合わないだとか、一時的な不本意を絶望視するような甘ったれを許さないメンタル環境が、本人さえ気付いていなかった潜在能力を引き出して、視野と守備範囲の拡張につながるケースは珍しくない。

 日本式『メンバーシップ型』組織のメリット・デメリットといったところか。
 でもいま初就職の新人の3人に一人が3年もたないとか、そのくらいだっけ?

 昨今ちょっと心配になるのは『入社後の勤務地域を確定して欲しい』『配属先を確定して欲しい』みたいな、新人側の希望提示に無理をして応えている企業が、もうそっち多数派になるかのレベルで増えていそうなことである。こんなことしてたら業務主導の経営計画が立たなくて、まともに事業採算が維持できなくなるだろうに。
 だからって経営側から従業員に、勤務地や配属先を強制する業態だと思われた瞬間に退職されてしまうだろうから、やむなしで軟着陸めざして段階的な緩和策や折衷案を捻出するしかないってことか。
 …とこんな言葉で語れば労働条件のムツカシイ問題にも聞こえるが、要は本業を疎かにして好き嫌いのウチワ揉めに四苦八苦しているだけだから、端的にその企業は収益力を失い業績を落とす。そのまま傾いて、いずれ倒産である。

 生活のためおのれで選んで飛び込んだ職業にぐだぐだ注文つけてんじゃねえ、まずは現実にやってみて自分がどこまでできるかの結果を作ってからクチきけや!で結末を見るのも一手では…なんて言うのはただの粗暴な無責任発言で、それで済むくらいなら済ましてるはずなんだよな、採用側としては。
 可塑性を秘めた若年層パワーは、ヤワ過ぎるなりゆき現状であっても『まず失わない』が事業体の死活問題になっているから、失わない=やめさせないための涙ぐましい苦労ばかりが、今の季節どうしても目立つってことか。
 早々に音を上げるにしても今どき『退職代行業』なるビジネスが人気だというのだから、本人でもない代行業の担当者からそれを告げられるのである。やり切れんな。

 民間企業に限って言えば、自由競争市場で誰もが面白がって欲しがるような事物の提供を、実力者のライバル同士で競う以上、宿命的にブラック業態となることを理解しておかねばならない。
 十分な商品力で訴えかける競合同士がユーザーを奪い合うバトルフィールドにおいて、僅かでも余裕が生じたら、そのぶんソッコーで値下げするなりサービス向上するなりしてユーザー還元し、魅力アピールで市場シェアを喰いに行くのが定石だ。

 キホンどんな商品も、一度『あそこのは良い』あるいは『少なくとも悪い思いをしなかった』という実績の記憶が確定すれば、代替えの確率が断然高くなるからである。
 比較検討の時間が今ないから、自分自身が品定めに行けず他人に頼まないといけないから…などなど全ての理由が『失敗しない選択』として、いま愛用して馴染みある既納品の代替えに帰着する。
 とにかく僅かでも潤ったら余裕の発生都度、こまめにユーザー還元して競争力を磨き続けないと、実力の拮抗した競合他社がどんどん先にそれをやって一足早くユーザーを魅了し、苦労して築き上げた自分ちの市場シェアをかっさらっていくのだ。

 この世に余裕なんてものはどこにもなく、あったら全部市場に捧げ尽くす。
 余裕など最初から無いのが当たり前で、どこまで骨身を削れるかこそが勝負。
 そうやって『生き残る』のが自由競争市場の経済単位の生命原理だ。

 プロスポーツでないからと言って、相応に鍛えてもいない虚弱児が最終学歴の卒業証書だけを手にふらふら紛れ込んで、それでどうにかなるような経済社会空間はこの世のどこにもない。

 子供たち若者たちよく覚えておきな。
 だから『仕事はできるヤツのところに行く』んだよ。
 『できるヤツ』に任せて、首尾よく良い結果が出れば、次もそいつに行く。
 任せる方はそうしないと生き残れない。それだけのハナシだ。

 冒頭の終身雇用時代の常識概念に戻るが、ある意味あの当時の方が、迷いを封じて自ら試行錯誤の牢獄に閉じこもるキャリアテンプレが、手放しで誰にも組み合いやすく保証されていた時代なのかも知れない。
 最初から何でもかんでも得意で優秀という優等生人材よりも、不本意の境遇で模索して自分の適性を見出した努力型人材の方が、挫折にも頑丈だし他業態へのツブシも利いて随分と便利だ。

 『五月病』になっちゃったらなっちゃったでしょうがないんだけど、本人も周囲もあたふたして場当たりの対処でラクチン無難に走らないのが賢明だと思う。
 市場競争に専念せず味方介護に手を焼いてばかりの集団が、弱肉強食のバトルフィールドを勝ち抜く経済単位になれるはずもなかろう。

 まあ若いうちは思い立った瞬間から物事を始めてどんな急展開・新展開もあり得る。
 困ってるなら『五月病』のウィルスでも探してみては?マジで見つかったりして。
 そろそろニッポン精神文化『五月病』の完全撲滅を目指して、グッドラック!
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