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【931】高額違法接待に媚びた国宝ふるさとマインドの更生計画 [ビジネス]

 2月にしては驚くほど暖かい日もあり、ラッキーなタイミングと表現してよかろう。過去1年強の新型コロナ・ウィルス新規感染者数の大雑把な増減パターンを見るに、暖かい季節には一気に鈍化する傾向が確認できる。
 今般、一番寒い時期の直近ここまでを抑え込んで来れて、一発あったかくなって、もうすぐ桜も咲き始める季節となると、『元の経済稼働への復帰を急ぐトライアル』に絶好の巡り合わせってことだ。

 我々日本社会が回復を目指すのは、自由競争原理に基づく国民主導の経済市場。
 英文法を間違えたGoナンタラ企画で遊興旅費を税金払いにする理由など無い。

 まあいいや、このあたりは実質地域別の判断主導を進め、各地で暮らす国民の生活志向最優先で物事を動かしていく実効力が、本来あるべきパワーで機能するようになって行けば良い。現状のあほ国政は要らない。
 今これほどまでに国家運営が、判断力から実行力からすべからくダメダメだと、近々大きな選挙があることも考えておく必要があるだろうから、そっちを話題にすることにしよう。

 『人生設計の意外な落とし穴』的に紹介されることが多いと思うのだけれど、『今なお現代に残るイナカ社会の閉鎖性ムラ事情』みたいなのを、そこらのマスメディアで見かけた方は多いと思う。
 具体的には、このコロナ禍だし思い切って憧れの田舎暮らしを始めてみました、ところが地元の既存コミュニティとの折り合いがうまく行かなくて、いわゆる『村八分』にされハジかれてしまい、決して思い描いた夢いっぱいの新生活にはなっていません…みたいなやつ。

 かく申す私自身はキホン世知辛い都会暮らし中心でここまで来ているのだが、お邪魔虫の傍観者式に歴史ある地域コミュニティの隅っこに紛れ込んだ経験が無い訳ではない。
 身を寄せ合って当該地域の特徴的な地理的条件に適応し、避けられない不便さえ補い合って『お陰さまお互いさま』の幸福アイテムに変換してしまう、あの独自のコミュニティの優しさ暖かさは魅力的なものだ。歓迎され、何くれとなく面倒を見てもらい、こちらからも精一杯の恩義を返して喜ばれる。
 時世に揉まれながら代々その地で手を結んで生活を守り合った人たちの協力体制の堅さが、その村落・部落のちょっとした年中行事や生活習慣に反映されており興味深い。もちろん私みたいな一見さんの余所者との関わりにも、この時代においては十分に気配りされるに到っており、少なくとも私はとても気楽かつ快適コンビニエントに仲間に入れてもらうことができた。
 では、こんな地元コミュニティの定住レギュラーメンバーの一員になるとしたら?

 いろんな生活フェーズのことが頭をよぎるが、結論から行く。
 その地元がドコソコ党の誰それさん支持だったとしたら、どうなるだろうか?

 だって日本国内の社会運営ルールとして、どんなに少人数でも、キホン村議会を設置して民主主義の運営方針を厳守せねばならないのである。
 解りやすく直球のケースを想定するなら、いち早くドコソコ党がお膳立てして、その集落を代表する議員を立候補させた場合だ。まあ信用の堅い御近所さん同士だし、何だかムツカシイ面倒ゴトを引き受けてくれるんなら、喜んでそこにお任せすることだろう。

 この瞬間、日本社会のその自治エリア単位は、丸ごとドコソコ党の傘下となる。
 例えばそのドコソコ党議員のお陰で年に何回か、イナカ生活の日常では到底あり得ないような豪華な振舞いの竜宮城イベント会合が、これまたちょいと税金を数千万ぽっち引張って来て建てた小綺麗な集会場でやれちゃったりでもしたら、もうそこ集落一帯の脈々テッパン支持は間違いない。実は、個人間の信頼の証であってはならないのだが…
 今どき山間部の過疎集落で選挙ともなると、投票者数はどうにか二桁に届くかどうかで、誰がどんな票を投じたかも筆跡で割れてしまい、当然あっという間に集落じゅうの知るところとなるケースも普通だろう。

 さてこんな自治単位に、田舎暮らしに憧れる都会モンが転がり込むとどうなるか。
 『あ、いや、ワタシそこの政党はイマイチ好きになれないもんで…』
 これは都会モンとしては自然な権利意識の主張だし、それこそ都会暮らしじゃ集合住宅のお隣さんにさえ気にされるとも思っていないのだ。そもそも御近所さんの顔も名前も知らなかったりするしな。
 だがこれは、その集落にとって『自分たちの生活空間のシアワセを支える恩人を裏切る態度』とカウントされてしまう行きがかりになる。
 せっかく都会から環境の良いところに移り住んで、自分も田畑をやってみたいと思っていても、山から引いた水路は開けてもらえないし、道の駅への出荷ルートにも混ぜてもらえないし、それどころかゴミ収集の対象区域からは外され、街燈設置の検討すら意図的にばっくれられたりもするだろう。

 因みに、私自身はがっつり駅前商店街まで備えたまずまずの駅から徒歩範囲のところまでしか住んだ経験が無いので、上記のような深刻なトラブルに見舞われたことは一度も無い。既に週末の地域活動に協力できない生活形態の住民には、参加免除の代わりに共益費を支払って済ます仕組みまで完成されており、なるほど逆にそこに到るまでにいろいろあったのだろうな、などと思い巡らした記憶が、このたび田舎暮らしの解け込み挫折事例を見ていて蘇ったのである。

 問題は、いま日本社会が共産主義・社会主義式システムの特質=国家の『財』が政権スタッフ層の欲と損得勘定と依怙贔屓で浪費されがち、というところに起因する重大な危機に陥っていることであり、我々日本国民は、そんな矮小に歪んだ不適格人材をスタッフ選出してしまった経緯を冷静に辿って、それを一例一例つぶさにキャンセルし断絶する確実な修正を加えていかねばならない。
 代々その地の自然と向き合いながら、力を合わせて懸命に暮らしてきた地域コミュニティの仲間意識は本当に頼り甲斐のある強力なもので、その絶対に裏切らないお陰さま・お互いさまチームワークでこそ、山あり谷ありの生活を切り回して今がある。
 だが、そのひとつにまとまった心=集落組織の自我が、悪い意味で巧くつけ込まれ、日本国運営のフェアネスとは無関係な価値観で手なずけられた結果、今これほど見るも惨憺たる国政崩壊につながっている事実を、1億2千万人日本社会の隅々までの全体で考え直さねばならない。

 都会から郊外地あるいはもっと僻地への移住と第一次産業への回帰は、時代の潮流として今後も盛んになっていくだろう。そこに『住人として根付いている政治勢力』をどうするか、飛び込む方も迎える方も、真面目に思い直さねばならない時代なのだ。
 飛び込む方は孤立しないよう数世帯で移住するとか、迎える方も自分たちの小孫世代を、日本国政の浄化をもって委ねるスケールに立ち返ってゼロベースで対応を起案するとか、双方から工夫しつつ折衷点を探すコンセプトで、慌てず無理せず模索する姿勢が重要だと思う。

 何より、他人様の生活空間に当て擦り侵略的に移住して来ようとする日本人など、どこにもいないのだ。大切なのは、日本国全体を仕切るルールから、まず面倒がらず暮らしやすく整備する意識なのだと思う。
 若い元気な社会層の農林水産業への興味は、自然で合理的な正解だと思う。ま、本件あながちイナカだけのハナシでもないんだけどさ。ではグッドラック!
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