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【1216】万能スタンバイと棒立ちポジションの反転コール [ビジネス]

 ところでNHK朝ドラ『ブギウギ』の主人公・鈴子のステージアクションおよび観客の反応が、ちょっとハジけ過ぎのノリ過ぎっぽいんだけど、これも今の時代に相応に響かせる狙いとしてはイイところ…と受け流すか。
 高度経済成長期の昭和40年代でも、年頃の乙女が人前で髪振り乱してスカート姿で足を蹴り上げるようなステージは『はしたない』とする社会通念が根強かったはずだ。

 確かにもう一般的ではなかったけど、いいトコのお嬢さまなんかだと、う~ん!と開きづらい瓶の蓋を捩じりながら顔をしかめると『これっ、年頃の娘がみっともない顔するんじゃありません!』とたしなめる文化が残っていた。『せえのっ!』という掛け声は品のない肉体労働者の土方コトバだからと、使わないように忠告されてもいた。
 これはこれで今の時代から見ても『麗しくおしとやか』であり、今日と価値観の方向性を大きく違える感覚ではないが、反面このお行儀の整った価値観に乗って来ず、ハジけて騒いで騒がれての世界で生きる人種となると、いかに元気で自由で楽しそうであっても共感や羨望を拒み、むしろ交流も相互理解も門前払いに遠ざけて後ろ指を差す、そんな排他的な社会層別の精神文化の一面でもあった。

 明治・大正生まれも普通にそこらにいたそんな当時を思い出すに、歌唱パフォーマンスの有名どころといえば、東海林太郎もまだ現役扱いで語られていたものだ。
 若い人たち…というか、かなり若くなくなった人たちも御存知ないかも知れない。
 『とうかい・りんたろう』さんではない。『しょうじ・たろう』さんと読む。眼鏡がトレードマークのおっちゃん歌手である。

 びしっと不動の起立姿勢でまっすぐ真正面に声を飛ばす歌唱スタイルは、なるほどアレクサンダー・テクニークの理に適ったものであり、これこそ時代を超越した理想像だとは言わないが、歌を交えたソロ・パフォーマンスに興味ある方なら一度は見ておいて損は無いと思う。
 アレクサンダー・テクニークにおいて推奨される『背中を長く、頭を上へ前へ』の象徴的な一例だ。肺活量がフル稼働できるのが判ると思う。
 人前で歌うことなど一生あり得ない、そんな御当人を観客として眺めるだけの一般大衆にとっては、規律正しく歌唱に専念するその構図が、パフォーマーとしてのひとつの魅力要素になっていたりもしたのだろう。

 因みに1970年代後半あたりからエレキ弦楽器に騒音系打楽器など、一般向け書籍としての教則本や専門雑誌が乱立してレコード屋の奥の本棚なんかに並べられ、独学で楽器に手を出すアマチュア音楽家層が急成長してきていた。
 『悪の権化、転落と逸脱への入口』として日本社会のPTA系勢力の目のカタキにされながら、とりあえず楽器のブツが手に入れば、誰かに弟子入りすることもなく音楽やステージに続く道の入口に立てる…そんな新時代の草の根の普及が始まっていたのである。
 そんな反社会的?な邪教の経典にも、姿勢のお手本として東海林太郎の名前を見かけたりしたのが興味深い。『まず真直ぐアタマとカラダを自然に立てることが、動作を起こす原点だ』と悪魔たちもみんな心得ていた事実の現れだったのだと思う。

 ところで『背すじを伸ばして』と言われた途端に背筋を緊縮させ、背すじを若干うしろに反らせるくらいの立ち姿をキメようとする人は案外と多い。
 あなたはいかがだろう?迷わず自信を持って、ただ静かに真直ぐ立てるだろうか。
 よく子供時代に『きりーつっ!』あるいは『きをつけっ!』の号令に合わせてやる、あの『キチっと居住まいを正している感の演出』の刷り込みが、その解決しない迷いの原因になっていたりはしまいか。

 そうだ、ここで例によっての横道で消化しておく話題がひとつあった。
 今日でも自動二輪教習に行くと乗車姿勢は『背すじを真直ぐ伸ばせ』と教わるんでしょうかね?実は、私が合宿で教わった田舎の教習所では違ったのだ【951】

 単車の乗車姿勢はざっくり二分され、ちょっと極端だがイージーライダーみたいな、ふんぞり返って両足を前方に放り出し大振りなハンドルの高めグリップを握る『アメリカン・タイプ』と、競技用自転車に近い前傾気味で低めハンドルを握る『ヨーロピアン・タイプ』がある。
 我々世代のちょっと上で主流だった教習車ホンダ・ホークⅡなんかはいわゆる『中途半端アメリカン』というやつで、ふんぞり返らないまでも、こっちに伸びているハンドルを握れば上半身は直立…ぐらいの感じであり、こういう単車なら自然に肩の力を抜いて『背すじを真直ぐ』という教則指示は正しい。
 だが当時の我々にあてがわれたホンダCBX400Fは比較的ハンドルの低いヨーロピアン・タイプであり、腰をシートに真直ぐ落としてニーグリップするまではいいとして、腕は直角ぐらいに深く曲げる気持ちで力を抜き、両肘を左右に張らずぶらりと下方向に落とすと、背中が丸まり軽く猫背気味になる。これが自然な乗車姿勢であり、だからそう乗れと。

 いっぽう同時期に都会の教習所に通った友人によれば、さすが当時最新鋭のCBR400Fが教習車として導入されていたのだが、これは我々のCBXと大差ない乗車姿勢の車種である。
 にも関わらず『背すじを真直ぐに伸ばせ』と、教官に手を添えられびしっと上体を反らされたそうで、それでは腰周りが疲れやすい上にハンドルのグリップが遠くなって肘が伸びてしまうはずなのだが、上限3速で急制動も30キロ5メートルで間に合う教習所では、その基準が順守されていたらしい。

 路上で背中ぺったんこの丸太ん棒になって両腕を二等辺三角形に突張るような、三角錐みたいな恰好で単車に乗っている子を見かけては時々心配になる。
 単車はまず物理的原理に沿った車体運動の法則があって、これを活かすよう自分の体重を前後左右に転がしたり放り出したり固定したりして操縦する【875】
 自分と車体を完全に別々の運動座標系として切り離してしまい、手足は双方の相互作用を制御するための自在アームとして常時自由にしておかねばならない【952】
 背中が反ってしまうと前後左右に荷重移動できないし、車体が行きたがる方向と違う舵角で腕を固めてもその弧を描いて旋回することはできない。この感覚の体得の方が、自動二輪教習の本来目的であるはずだ。

 現状の教習車が何の車種でどんな教習内容になっているのか知らないが『背すじを真直ぐに伸ばす』という日本語の教訓フレーズだけが、交通実情の歴史の変遷を越えて化石化してしまっていないかどうかを妥当性検証し、適宜にアップデートする必要があるのかも知れない。
 『起立!礼!着席!』の号令で佇まいを厳粛化する習慣は悪くないし大事だとは思うが、その反射動作が別の場面で思わぬ副作用を起こしている可能性に気を付ける、いやまず気付くべきだと思う。

 『自然な姿勢』を崩すと『自然な心身状態』が損なわれる。
 『自然でない姿勢』を習慣に刷り込むと『自然でない心身状態』が当たり前になる。
 さらには『自然な心身状態への改善の余地』が感覚世界から見失われてしまう。

 『背すじを真直ぐ伸ばす』というコトバはそれ自体好感度が高く、疑いなく正しく響くものだからこそ、盲目信奉的な適用にならない冷静さが必要なのではないだろうか。

 あらら横道のつもりがうまく本筋に復帰してまとまっちまった、よかったよかった。
 もう乗らないつもりなのに、やっぱり単車ネタはついアツく入れ込んじゃうなあ。
 楽しいけどちゃんと運転しないと危ないから乗るヒト気を付けてね。グッドラック!
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