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【1152】平和な南海の戦没者名簿 [ビジネス]

 選挙の週末なのだが…自治体によっては気の毒かなあ。今日のうちにちゃんと白紙投票で意思表示してコミュニケーションを尽くしておかないと、何度でも『また』がある。社会組織は正直ですぞ。

 宮古島の自衛隊ヘリコプターの遭難事故が報じられているが、もう機体構造の大型部品も回収され始めているし、どこかで無事な姿でいるという結末はなくなったってことだろうな。
 自衛隊の組織表の格付けについては詳しくないが、行方不明の乗員10名のうち8名が幹部クラスだという。こんな人員構成で飛ぶということは、実戦さながらを想定した際どい機動の訓練をやっていたのでもなかったと思われる。飛行予定ルートは島の海岸線に沿った外周路だったようだし。
 なんでまた宮古島の岸辺でそんだけの役職を集めて、特段の不穏な領域侵犯やその気配もなかったんだろうに、ヘリコプターに相乗りして出ていったのだろう?

 『戦争ボケ』の現政権が日本国民の了解も得ずに、えらい勢いで南西諸島に必要もない軍備増強の経済自爆テロをやっていたワケだが【1134】、その散財目的の絡みで集められた自衛隊員たちに事故が起きたのだとすると、話がタダゴトでなくなってくる。

 コレ『閣議決定』で、日本国民の誰にも諮らずサル山独断の強権誇示でやらかした結果だろ?
 ならば責任の所在が明確なんだし、『閣議決定』とやらの重量感相当に引責処置してシメシをつけないと、これを境に『閣議』が機能喪失する。1億2千万人日本国民に誇示した以上、1億2千万人日本国民はその扱いで見聞きしているからだ。
 政権都合のママゴト独り相撲で敵もいない作戦を強行して、国防の実地戦力となる貴重な人命を多数ムダに損失させた。こういうことだとしたら、前代未聞の悪質かつ重大な国家的損害である。
 ここぞとつけ込んで『さも』の大風呂敷を拡げるつもりなどない。ガチの真剣だ。

 そもそものその政権都合ってのが、だらしなくも愚かな異次元の債務超過状態に陥って、さらにその失政に観念せず改善への努力にも腹をくくらず、一般国民まで巻き添えに国家経済全体の不可抗力の一斉崩壊の見映えに持ち込もうとするが故の『閣議決定』だったという流れだろ?
 こんな使い方をする制度設計なんか無かったのに、それを政権密室の意思決定で『国民の了解を得ず』一部少数の不心得者が、一方的の素通しに『国家の共有認識として』意思決定する仕組みに読み換えて悪用し、ここまでやらかしたという背景だよなあ?

 わかりやすく本題に入ろう。
 少人数限定の会議で出された決定事項は、その場の導出過程にせよ決裁責任の所在にせよ、一発で事実経緯が追跡できるし、だからこそ処置対象も希釈分散されず指差しで言い渡し可能に判明している。
 不確定要素もなく確定しているのだから、『本件の関係者一同を直ちに特定し、この国家的損失を引責させる』という一連の国務プロセスに遅滞なく取り掛かるべきだ。
 不祥事続きのこのタイミングがタイミングだし、何より相当数の人命が失われているだけに『いついつウンタラの可能性が高い』なんてとぼけ方は通用しない。コイツらが何をどこまで国民通念に背いた結果の失敗なのか、国民目線=日本国組織の厳しい追及に晒した司法判断が必要である。

 組織生命体としての日本列島が戦争に陥り、連合国にとって陥落の糸口の狙いどころとされて、痛い思い悲しい思いが真っ先に集中してしまったのが南西諸島の防衛線だ。
 非武装地域を巻き込んだ辛い戦争損害を実体験した日本国は、日本列島に暮らす日本人の知恵として、金輪際『戦争を放棄する』とする意思決定を明文化して掲げた。ヒトは記憶として記録ファイル情報を持っていても、個人的な策略思考や感情の暴走により、その内容を見失った行動についつい出てしまいがちだからである。
 それでもなお戦後の長きにわたって当該地域の国民意識には、現地が自らを常に本土から一線隔して、なにくれとなく贖罪の駆け引きを持ちかけてくるかのような根深い確執が残ってしまった。戦争で負った傷の痛みを引きずりながら、それでも『もう日本は戦争をしない』と決めている事実に安心している日本人は少なくないと思う。

 ここまで辛辣な実害を今も背負いながら、日本人がヒトの知恵としての膨大な工夫と手間をリアルタイムでかけている南西諸島で、今さら何故こんな軍部遊覧飛行の災難みたいな間違いが起こったのか?
 それを真面目に問題視できない日本国組織なら、いずれ『また』戦争を起こす。
 いま烏合マスコミどもは軒並、一般大衆相手の報道が商売あがったりになっても、知らぬふり気付かぬふりの完全スルーで這いつくばって政権のゲロ舐めクソ舐め、他の何を裏切ってでもエグく汚く食いつなぐ生存戦略にしがみついて離れない。実はこれが大東亜戦争に見る『鬼畜米英』『一億総突撃』『欲しがりません勝つまでは』などのキャッチコピーで流れた政府広報の実態リフレインなのかも知れない。

 この高度情報化社会において、今のところあり得ないとは思うが、例えば『南西諸島の侵略を目論む大陸や半島に撃墜された』みたいなウワサ話が、万が一にでも拡がり始めたら緊急事態である。
 そんなコトあるワケないのは百も承知の大前提、だが食うに困ってイカれた乞食が一回のメシ代にでもなるなら『みんなホントのとこは解ってんでしょ、ほおらおバカ投稿ですよん』とばかりにやっちまうのではないか。そして一人がそんな気を起こすくらいだから、似たような立場のヤツは少なからずいたりする。本当に怖いのはそっちだ。

 取り越し苦労を前提に、念には念を入れてクギを打ち込んでおくと、いわゆる『まことしやかにナニナニこうこうのウワサが飛び交う』という世風に陥るケースにおいて、そのポイントは当のウワサ話が語る直接のストーリー内容に宿っている必要は必ずしもなくて、語り合う大衆の過半数がお互い心の奥底で、方向の揃ったナニガシかの衝動に向けて、一定の空気感を共有しているところにある。
 表面的にあからさまな突拍子もない形式上のシンボルは、時にその一定の空気感を相互確認して合流するための合言葉でしかなかったりするのではないだろうか。こんな場合、その場の当事者でもない連中が後から理屈をつけて顛末を分析したつもりでも、完全に的外れの空論完結ごっこにしかならないのだろう。つまり学習できていないのだ。

 大衆が認識を共有する局面では『形態共鳴』が起こり【482】、衝動を抑えていたタガが外れた途端、その認識が組織力の雪崩となって上位スケールの集団行動が起こってしまう。いったんこうなったら手懐ける手段は無く、どこの個人がどう手綱を引こうが、大衆組織は何かにぶつかったり飽きたりして気を済ますまで止まらない。
 ヒト個人に気紛れや心情の急変があるからには、その集合体たる大衆組織にも気紛れや心情の急変があり、自分個人もその組織のイチ要素である以上は、形態共鳴の伝播対象となる位置関係を忘れてはならない。当事者となる時のあなたは、自分以外の何かに動かされていて、今これを御覧になっている御自身と別人なのだ。

 若い人たちには、この私なんぞの感覚や信条は鵜呑みにして貰いたくないし信じなくて構わないんだが、この大のオカルト嫌いが『形態共鳴』は深く畏れて恐れて信じていると語っておったなあ…とその記憶の方をアタマの片隅に残しておいて欲しい。
 ヒトのココロって『そうなる時は、そうなっちゃう』んだよ。しかも一斉に。
 だから言語で表現して『情報』に転写し、事物アイテムとしてどうにかこうにか物理的に維持管理する知恵に、我々ヒトは頼っている。

 それを理解しないサル以下の下等動物園は待ったなしで順次解体していこうと言っている。いま時点で一般国民が直接簡単に手を下せるのは、まず選挙だ。
 きょう投開票地域にお住まいの方は、くれぐれもサルカバ動物園容認の散財投資家として寝て過ごしたりされませんよう。破産しても当然の報い、同情もされませんぞ。
 これから思い立って投票に出かける皆さま、その新たな動機にグッドラック!
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