SSブログ

【1141】テーブル一角で道理死守する指差呼称 [ビジネス]

 機械加工のハナシは整理がつくまで棚上げにすると決めたのだが【1130】、NHK朝ドラ『舞い上がれ!』も終盤だし、他に滅多な言及の機会も無さそうな気がするので禁を破ってしまえ。計画性がないことだなあ。
 お好み焼き屋『うめづ』のテーブル席に、銀色の丸い灰皿が置かれている。

 直径は17~18センチで、丸い帽子を薄く平たく潰したような、周囲に『つば』のある金属製の灰皿である。
 外縁部の『つば』には120度分割で放射方向3ヶ所に溝が彫られていて、火のついた煙草をそこに置けば左右に転がらない。その『つば』から直径8~9センチの平たい丸底までは深さ3~4センチといったところだろうか。
 天地をひっくり返して糸で吊り、空を背景に逆光で写真を撮ると『空飛ぶ円盤』を学校の教科書に載せるのにぴったりの挿絵になること請け合いである。
 …て、コレもしかして当時の大阪の大学工学部において、機械工作実習で『鋳造(ちゅうぞう)』の課題になってたやつじゃないか?

 形状としては円盤基調の薄板構造だから、鉄板で作るのが一番早いはずだ。プレスでばちこん!と一発抜くなり、バイブロシアーと呼ばれる自動金切りばさみの化け物みたいなやつで丸く切り抜くなり、とにかく平板の円盤一枚を切り出して、そいつを型押し式に立体成型する。
 ただ単純な円盤基調でほぼ一様の板厚というのは、鋳造しやすい形状でもあるのだ。よって、まあムツカシイこと言わないから鋳造品を一発打ってみんかいとする最初の練習課題として、アルミ合金でこの灰皿を作る実習が行われていたのである。
 昨今の若い人は随分と馴染みが薄くなっているらしいので解説しておくと、型を作ってそこに熱して熔かした金属を流し込んで成型する工法、これを『鋳造(ちゅうぞう)』と呼ぶ。実は結構ポピュラーで、割とゴツゴツした垢抜けない表面の機械部品を見たら、大概これである。製品は『鋳物(いもの)』と言います。

 最初に灰皿形状の木型が用意されていて、これが『つば』のへりぴたまで沈む位置で鋳砂(いずな)に埋める形で、まず底型を作る。そこから鋳砂を被せて今度は上型を作り、もちろん灰皿の木型は型が取れたら取り除く。
 上型を作る時には灰皿の縁から数センチの位置にすりこぎみたいな棒を立てて鋳砂に埋め込んでおき、後にこれを引き抜いて、上下の鋳型の境目まで垂直に到達する湯口を開ける訳だ。
 このままだと湯口が底型につくところまで落ちてそこで終わってしまうため、この湯口の落ち点から灰皿外周に2本接線を引いて挟むように、その2本の接線が各々灰皿外周に合流するように、へらで上型を溝状に削って湯道を彫る。

 さて、なんでこんな面倒くさい説明をわざわざにしたのかというと、だ。
 上下の型を合わせ湯口から注がれ、垂直に落ちたアルミ溶湯は底型にぶつかり、上型に彫った2本の湯道を通ってV字放射状に走って、灰皿の縁を外周沿いに両側から回り込んで型を埋めていく。
 …そうか!だから湯道は湯が走る”runner”と呼ばれ、それはプラモデルの部品たちがぶら下がっている、あの捨て枠部分の機能そのものでもある、ということに気付こう。
 『部品をランナーから切り離す時は、手でもぎ取らずにニッパーやナイフで丁寧に切り離しましょう』と組立説明書に記載されているアレである。そういうことなのだ。

 型をこさえて上下合わせて、坩堝(るつぼ)でさらっさらにまで熔かし切ったアルミ合金の溶湯を湯口から一気に流し込むのだが、もちろん金属の融点以上にまで温度が上がっているためガチ危険物っちゃ危険物であり、可燃物に接触したりすると一瞬で燃え上がるような高温である。ハワイなんかで溶岩が立ち木を倒す瞬間に炎上する映像、ちょうどあんな感じになるはずだ。確かに熱感すごいよ。
 だからってつい躊躇するというか、気の迷いでぐずっていると溶湯はすぐ冷え始めて流動性を失ってしまう。作業者の思い切りの悪さはそのまま製品の湯廻りの悪さになり、みっともなくも外縁に素材の行きわたらない、醜い不定形の不良品を生み出すことになる。
 それを見ていた次の番廻りのヤツが今度は急ぎ過ぎて湯口ギリから一気に注ごうと柄杓を型にコツンとぶつけてしまい、これをやると上型の天井側が崩れ落ちて『フタつき底無し』の冗談みたいな失敗作ができ上がる。大笑いして、後のビールがまた美味い。
 ま、うまくいくと綺麗な灰皿から余分に突き出たV字状の湯道と湯口の部分を切り落とせば完成できて、煙草を吸わない私は一時期ハンダこてを作業中にちょいと置くのに重宝していたのだが、後に実家を離れて専用の便利なハンダこてスタンドを買ったこともあり、どこかに紛失してしまった。

 長々とくだらない解説をしてしまったが『うめづ』の灰皿が、形状といい寸法といいアレではないかと思えてしまったので、この際ツッコんでおくことにしたのである。
 今も是非やっていて欲しいのだが、工学部の大学生なら一度は体験しておいて損の無いプチ3K・ガテン系の機械工作実習なのだ。

 以前紹介した溶接なんかだと、間違えて端子クリップの両方に触れると感電するし、鋳造だと溶湯をこぼしたり散らしたりすると当然タダゴトで済まない。どっちももちろん火気厳禁で、ナメてしくじるバカは死んで構わないとして、ナメなくても無知や未熟の不注意、いや十分注意していて不慮の行き違いでも、起きる時には目を覆う大事故が起きてしまう。
 だからこういった機械工作の現場では、時に怒号や体罰をもって『安全衛生』を脊椎反射のゾーンで叩き込まれ、その危機管理意識は少なからず日常生活の場でも相手を選ばず機能していたと思う。
 いい加減にナメた態度で失敗した訳でなくとも、いやそれどころか大事な友人の命を守ろうと我を忘れたが故の行為であっても、『つい』一線を割り込んだが最後、工作機械も作業ツールも素材たちも、その構造なり作動なり物性なりの理に適った姿でそこにいる人間に襲いかかる。
 一旦コトが起こったら現実の展開は理屈抜きの問答無用、『後悔先に立たず』だ。

 この世のありとあらゆる重保現場で、いかなる事情においても重大死傷事故はゼロにしたいし取り返しをつけたいし、実際一例起こるたびに全方位から血眼で発生原因を探り、ブツとして安全装置が追加できるものは追加し、作業手順として禁止・留意できるものは徹底規則化して、今日の日本の安全な作業環境と職場労災体制が実現している。
 幸運にも私は凄惨な事故現場など見たこともないけれど、多くの耐え難い実例を糧にして、すっかり数を減らした町工場といい、整備の行き届いた大企業の作業エリアといい、今どき目を覆う死傷事故というのは本当に少なくなっているのだ。
 だが反面、重保現場でない日本の政治議会や一般社会で『して良いコト悪いコトの区別』『していけないとされるコトへの直感的なブレーキ意識』が根底から崩壊してきていて呆れてしまう。一体どうしたことかというより、何をやってもヌルく許されて、後悔するほどイタい思いをしなくて済む居場所ばかりになった必然の結果ということなんだろうな。

 あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、何の件でどこのどいつのナニがいけなくて、本来どうなるべきだったか…みたいな議論はやめておく。
 ただ、限度も考えずにやり散らかしたところで、限度というものは存在するところには間違いなく存在するのであり、そこを割り込んだ以上は相応の処置が必要になるという現実は動かない。

 実は案外簡単で、人間って今のリアルに壊したくないと思うほどの価値がありゃ、結構その一点だけで平和的な態度で安泰しようとするものなのだ。裏返せば、みんな今のリアルを壊したいってことなんだよな。
 それは止めないからさ、デタラメに独りハジけて自分が大損こくようなリスクは、まず黄色いサルのサル山が崩壊するのを見届けてからで良いんでないかい?
 短気は損気、人生はがめつく楽しみましょうや。では安全第一、グッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。