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【610】組織カンブリア宮殿 [ビジネス]

 上等の活け牡蠣をいただいた。
 牡蠣は亡父の大好物で、かつては帰省の度に付近の産地に出掛けては数十個をまとめ買いして持ち帰り、何日にもわたって家族で牡蠣ばかり食ったものである。
 よって牡蠣をさばくのはお手のもの、殻の一角をラジオペンチで折り取って二枚貝に隙間を作り、そこから牡蠣剥きナイフを突込んで、貝の蝶番を上にして左寄りにある貝柱の天井沿いを切れば良い。
 得意になって次々さばいていたら、油断して左親指の付根を貝殻で切ってしまった。血がにじんだが小さな傷だし作業を続ける。あー畜生、あとでちょこちょこ痛くて気になるんだろうな。すると…

 流水ではないにせよ濡れているのに1分するかしないかで血が止まった。数分後に作業を終えタオルで手を拭く頃には、血でタオルを汚す気遣いも全く不要となる。
 そのまま二階に上がって机のパソコンに戻ったのだが、この時点でもう手を切ったことは忘れてしまっていた。

 せいぜい半時間後に傷のことをふと思い出してよく見直してみると、確かにごく浅い数ミリの切り傷が走っているものの血は完全に止まり、痛みも殆ど消えている。

 …このチカラに昨年末から頭の中心をぶっ叩かれたのか。そりゃ手強いはずだわ。

 そう思った翌日、たまたま両手をぐいっと握り合せた瞬間にずきっと僅かな炎症痛を感じた。再び確認してみると、切り傷としては塞がっているが今度は赤くなり微かに腫れている。
 なるほどー。損傷直後の緊急修復がまずなされた後、次いで損傷部位を恒久対策するために、免疫システムが壊れた体組織を廃棄処理にかかっているのだ。
 ここで正しい処置は『こんなの大したことない』で放ったらかし、トカゲの尻尾を切ってしまう決断である。切ってしまえば100%再生して元通りになるからだ。

 例えば『すぐに痛みを消したい』『いま赤みを取りたい』という、感覚や外見の情報入力に対する過剰反応で抗炎症剤=免疫抑制剤を使うと、確かにこの廃棄処理プロセスに伴う見かけと痛感は消失する。
 だが本来トカゲの尻尾として決別すべき体組織と、騙しだましの馴れ合い共生を続ける体質に陥っていくのだ。だから以前、私の眉毛はやたらに伸びていたのだと思われる【605】
 健全な本体が健全であり続けるためには、止む無しダメージには腹を括って受容れる一方、決別すべき損害部位は体力を費やしてでも廃棄し、それで落ち目のひとときを過ごす一定の修復期間に甘んじる必要があるのだろう。心得た。

 ここで重要なのは『健全な本体が、健全であり続けるため』という目的事象である。
 ナニが健全で、ナニが健全でないのだろうか?

 ここに、どっかの誰かが考えた人道主義や倫理観などは無力であり、要は『組織の自我が納得する=ガチ文句なしの過半数支持』が全てだ。
 だからだが、この本体クンにとって過半数支持の健全作動が叶ったとして、その結果が周辺環境にそぐわないものだった場合、本体クンが丸ごと生存に失敗して死滅する。そうやって、この世の生物たちは淘汰され進化を繰り返して今日に到っている。

 では質問。
 どこぞの役所のあほな親玉が、通信記録を1年で破棄するだとか、どこの過半数に諮りもせず勝手に決めて宣言したことになっている。もっとくだらない別のインチキ役所は、いつの間にか60日で破棄していることに、既にしているのだそうだ。
 役所である以上は税金資本の事業所なワケだが、ならば納税者たる国民にきちんと事情を解説した上で、こんな決め事をして良いかどうか諮らねばならない。
 『諮るのがスジだ』『諮らないと道理が通らない』ではなく、日本社会という生物の生命活動として、上記の通りにならないのである。必要十分となる過半数が納得しておらず、つまりは日本社会にとって健全な内規ではないからだ。

 簡単なハナシ、『またしても』クズ役人がネコババやイカサマをやったとして、『いついつ以前なので記録はありません、だから証拠もありません』みたいな誤魔化しをやるところまでは、現実になり得るだろう。だが内部文書・内部情報と銘うって、1年以前あるいは60日以前の記録が、どこかから後追いで公表される現実が、洩れなくセットで続くはずである。
 そもそも事情次第で自分らの有利になると見るや100年前の記録だってすぐ出て来るはずだし、そういった将来展開の可能性まで見込んで、公表しないだけで確実に記録は残しておかざるを得ない。『記録』とは『情報』であり、情報はただ存在し、将来どんな作用をするかなど誰にも判らないし、決められないのである【228】
 加えてこの高速大容量通信時代に、特定の人間の都合だけで完全な情報流通管理をするなんて、絶対に不可能だ。余計な小細工で秘密にしようとすればするほど、デスノート【472】が充実するばかりである。

 地球上の生命の歴史において、人間の歴史なんて最新直近のほんの一瞬だ。
 その人間が集まって作る『社会組織という生物』の歴史なんて、もっともっと浅い。
 先カンブリア期・カンブリア期と、かつて生物は『生命体として成立する実体』のありとあらゆる形態を試行錯誤した。そこから長きを経て、牡蠣殻で手を切った私の再生現象のようなことにもなった。

 いま日本国における社会組織が、まず『進化の原点たる自然起源の生命体』となるために、発想大転換のブレークスルーが必要なのではないだろうか。
 あたかも制御中枢部のように見え、そう振舞おうとする部位を、真先に本体の健全性を損なう廃棄物として殺処分する生命活動の発現。
 こんな自然科学ハプニングが、新しい活力の時代を切り拓くのかも知れない。
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