SSブログ

【611】自然生命型パフォーマー組織の作動原理 [ビジネス]

 改めて、しげしげと考え直していただきたい。
 あなたのアタマはその傘下にぶら下がる各種器官を従え、指令を発信しては応対作動を刈り取りながら日々を暮らしているのだろうか?
 実は意外にも、このベタ過ぎる『脳=人体の司令塔』とする解剖学的コンセプトは、少なくとも私の子供時代から今日に到るまで、世間一般向け脳神経科学解説の常識ともいえる定説になっている。

 結論から行こう。その思考体系は、不適切である。
 あほの政治家や役人による誤用が目立つ『適切・不適切』という日本語だが、本来こんなケースで使うべきものなのだ。解説しよう。

 我々人間がごく自然な動作として何らかの姿勢変動を行う場合、アタマが司令塔でもなければ身体各部が従属器官でもない。
 以前、まず『人間は脳だけで考えているのではない』【7】と言及したのに続いて、これを何とか組織論ワードに落とそうと頑張ったのが【11】【14】【15】【19】あたりで『(内的に感じる)世界観』とした、『系内の相互通信感・相互通信観』ともいうべきものだ。
 みんな日常生活として普通に動き回っているぶんには、気にならないし気にもしない。この高次の完璧な自然さこそ、身体各部が指令も受けず自律作動を相互に協調させて実現する、組織活動の最適効率解なのである。

 スポーツや演技・演劇あるいは楽器演奏なんかでも、世界一級レベルの超絶ワザには無縁の平凡ラクチン領域ながら、実に自然に柔軟なコントロールを利かせた『妙技』で、巧く楽しそうにやってしまう人が時々いるだろう。
 ああいう人種は、自覚があるかどうかはともかく手任せ足任せの身体任せで動いており、本人の人格意識の立ち位置からは、ユルユル縦横無尽の相互通信を最大限自由に遊ばせながらやっているだけのはずである。
 『弘法は自由自在に筆を操るのではなく、筆とスムーズな協業を行う』【95】…ぐらいの視野で論じるなら、身体任せから更にツール任せ・共演者任せにまで、その対象が拡がる。巧い人はいつも作動系の全体像に埋もれながら、系全体が向かおうとする方向に、快適で好意的な提案と支援を注ぎ続けるのだ。その行き着く先は本人にも判らない。

 ではアタマが司令塔というのは間違いであり、現実に無いウソなのか?
 実はそんなことはなく、現実にはあり得る。
 だが『望ましくない事例として』である。だから上で『不適切』と述べた。

 大勢を前にしたスピーチやプレゼ、見る目ある人々に囲まれての演技など、本人は平常心を保ったナチュラルな作動を画策し、そうなるよう全身に気を配っているつもりなのに、傍目にはもうカッチカチのギックギクで見るに堪えない。右手右足が同時に出るかのような不自然な振舞いばかりが続く中、ちょびっとでも想定外の出来事が起こって心を揺さぶられた途端、あっという間に意識が発散して頭の中が真っ白…

 アタマが全身の司令塔になっている状態とは、こんな時のことだと説明すれば解りやすいだろうか。個人の一方的な理想イメージを固めて身体各部に従わせようとする動機と、そのやり方が必然的にもたらす哀れな現実の典型セット事例である。
 ポイントは、アタマ独り勝手に何を目論んで宣言しようが、首から下もその先も、そんな思い込みは知ったこっちゃないで空振りフルスイングの大尻餅にしかなり得ないという事実だ。どなたも一度くらいは経験があると思う。
 この『作動不良の人間』たる事態を前に、あなたのアタマは他の部位より偉く賢く、他に勝る重要な臓器で、他より優先されるべき機能部品だろうか。どんな優劣の理屈を主張しようが、どうせ人間ひとりとして役に立ってないんだが。
 ここでアタマくんの率直な自己評価は、『自分の器でこの統率はとても無理』『自分って力足らずの無能だ』あたりが正直なところではないだろうか。その情報に素直になるのがタクミ人種への第一歩である。

 以上、人間ひとりで感じる組織観のハナシにして、イメージしやすくしてみました。
 ではこれを社会組織スケールに拡大投射してみよう。

 まず今はインターネット通信網の時代であり、この日本社会という巨大インターネット生命体は、トカゲの尻尾による犠牲供出をアテにした運営など、とうの昔に許さなくなっていると述べた【608】
 だがあちこちに、特に旧来から続く文明進化過程の痕跡になって残る『法治社会の代表主導役として定義された小集団』に、旧態依然のアタマ支配文化に粘着するばかりで現実を受け入れられない夢見老人がこびりついてしまっているのだ。この厚かましい夢見老人どもが単なる時代遅れに留まらず、将来日本に対して前借り損害を天井知らずに膨らませている。
 だから前回、問答無用の一律即決処理として『あたかも制御中枢部のように見え、そう振舞おうとする部位を、真先に本体の健全性を損なう廃棄物として殺処分する生命活動』を起案してみた。

 そう、健全で有効に活躍するアタマって、無理からに司令塔としてのアタマである必要もなければ、わざわざそんなアタマでありたがらないものなのである。
 余談だが私なんか、アタマが唯一無二の司令塔だったなら今ごろ生きていない。

 ついでながら、『胸が熱くなる』『胸が締め上げられる』『胸が空く』『腹を決める』『腹に据えかねる』『腰が落ち着く』『はらわたが煮えくり返る』などなど、特に身体の臓器のありかにまつわる精神状態の日本語表現を列挙・整理してみると、臓器毎の感情領域分担マップを解き明かすヒントが見えてくるのではないかと思っている。
 外国語についても同様の分析調査をすれば、人間共通の固定プログラム領域と民族メンタリティ別の変動プログラム領域なんかも、感情構造のアウトラインとして顕れないものかなあ。

 次は良質な情報で回路の接続を集める、新時代の組織コンセプトをやりましょうか。
nice!(14)  コメント(0) 

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。