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【1219】情報動物園の遺伝性感染症研究所 [ビジネス]

 今さら驚きもしないが、とりあえず追加経費837億円の発覚か。くだらない。
 ロシアも撤退しちゃったんだって?まだまだこれだけでは済まないだろうな。

 タラレバ話は好きじゃないが、こないだ中央アジアの紛争に日本が早々仲裁の声を上げていたら、その後の国際的な資源エネルギー流通とそれに連動する経済の行方、さらには日本が開催する万博への世界各国の関心はどうなっていたろうか【1047】
 今さら思い出して後悔して態度が改まるくらいなら、最初からこんなことにはなっていない。まず1億2千万人日本国民が、いい加減に時代に追い付いて『必要な対処』を意思決定するところが改善の実効アクションとなる。
 ガチに日本社会全体がそっちに向くかどうかのハナシであり、本当にちゃんとそっちに向くようなら、大阪万博以外でも物事の動き方が変わってきて、まさにこの世の『空気』が違ってくるんだろうさ。

 ちょいと話題を飛ばして、今年は人が熊に襲われる被害が急増しているようだ。
 従来どのくらいの実数が発生していて、そのうち何を基準に何割ほど報じられていたのかはよく知らないが、とにかく今年は熊の被害のニュースがやたら目に付く。

 その原因だが、こんなペースになる以前から、熊の被害が出るたび『山に食い物がなくなった』説が繰り返されてきた。
 ところが今年は、さすがに山中の食糧枯渇だけでは説明し切れない増え方のようだし、何より熊が人を怖がらなくなっているとする指摘もなされている。確かに怖がらないどころか狙われて襲いかかられたと見え、どうにか命が助かったと経緯を語る被害者さんも大怪我の包帯が痛々しい。
 以前なら『熊は人間の気配に気づくと先に自分から逃げるので、鈴などをぶら下げて物音を立てながら山に入れば遭遇を避けられる』とする定説があったが、迷信とも言われず定説になるくらいだから、決して攻撃的でも威圧的でもない鈴の音なんかで、一応は熊が人間を避ける傾向にはあったんじゃないかなあ。
 その真相はともかく、今般状況が変わってきていて、ちょっと違うことを考えないとヤバそうな雰囲気が感じられる。…って、私は都会のど真ん中でビール飲みながらニュース見てるだけなのだが。

 それにしても、人間の生活圏が山野に深く侵攻し、もともとそこで回っていた自然界の平衡規律に抵触して、人間が『被害』とやらに遭う…という構図は遥か以前からのものであり、それが今年になって『逃げずに狙って人を襲ってくる熊』の事例がこんなに増えている変化点とは何なのだろうか。
 北海道などでは車で来た観光客が不用意に食い物を投げ与えたりして、その地域の熊たちが人間への食い物の期待値を各々個体毎に学習してしまう可能性は十分あると思うのだが、全国区でそのパターンはちょっと考えにくい。

 …ってことで結論から行こう。本当に日本の熊被害に変化点があったとして。
 『形態共鳴』ではないかと私は思っている【482】

 少なくとも人類文明が観測できるような通信や相互作用は見当たらないのに、何故か共通した事象がお互い離れた場所で起こるようになる。これが形態共鳴だ。
 有名な『100匹目の猿』の例では、猿の群れに芋を与えたところ最初の一匹が波打ち際で砂を洗い落とすことを覚え、それが教え合う様子も観察されないまま群れ全体に速やかに共有されたのだという。
 人類文明の現状到達点としては、五感で直接に知覚した体験が記憶として蓄積され、その情報が実行動に反映され、それを『学習』と呼ぶことになっていて、その理屈では説明がつかないのだ。猿たちはテレパシーなる超能力を使ったのか?
 だから形態共鳴は、非科学的人種向けのオカルトネタとして扱われたりもするワケだが、マジメなハナシ当面の観測技術の限界がその通信回路をとらえられていないだけとする考え方も成り立つワケで、結局真顔で語るのは少々気が退けるビミョーな話題になっている…あたりが実情と言ったところか。

 人類は先に通信技術を確立してしまったので、人間同士がサイエンス現象として確認できる通信回路を意思疎通の社会的根拠にして暮らしているが、その利便性ゆえ逆に既知のもの以外の通信回路があっても誰も気付かない・誰も気付けないような情報環境になっている可能性はある。
 大衆空間における『流行』なる社会現象についてはここでも幾度となく取り上げてきたが、一斉配信技術に乗せて映像や言語に組まれた情報ファイルを受発信するだけで、それが個体間で伝言ゲーム式に連鎖伝達されるだけで、ホントにここまで拡散・浸透するものなのかと、ふと疑問を感じるような流行アイテムの事例は少なくない。

 私が提唱する情報生命体・人間の情報構造=円錐モデルを考えてみよう【1171】
 人間だけ基本構造から抜本的に異なる理由なんか無いから、熊も猿も他の動物たちも同じ構造だと考えるのが自然だ。私自身、犬猫から鳥からいろいろ付き合ったが、実感としてみんな一緒だよ絶対。
 普通は、五感検知の入力や運動機能の制御出力などが交錯する1Fリアル円フロアの演算軌跡を撮影したハンディカム録画から、まず記憶情報が組まれてストレージされる。
 そして記憶ストレージから情報ファイルが呼び出されて2Fバーチャル円フロアの周上に配置され、2Fで対面する情報ファイル間でも演算処理が飛び交う。『脳内ナニナニ』『想定内』『思考世界』みたいなのは、この2Fフロア上の出来事である。

 ここで当人のストレージにストックが無い情報ファイルであっても、2Fバーチャル円フロアの周上に並びさえすれば、そいつは『形態共鳴』するはずだ。
 その情報ファイルが何らかの通信により外来するのか、それとも『場の空気』なる一定の情報環境条件のもと個別に内製されるのかは判らないけれど。

 ところで『形態共鳴』は、無機物にも発現するとされている。
 こちらの有名な例は『グリセリンの結晶』というやつで、世界中で誰も成功できなかったグリセリンの結晶化が、ある成功例の一件を境に何故か次々と成功するようになったというものだ。
 これについては偶然にも人類文明の関心が行き届かなかった実験条件の不備が効いていて、ある時期からその不備が常識的に解消されたとする仮説が立てられなくはない。だが。

 私は人間の情報処理なんぞ、案外しょぼいゼロイチ式デジタルビット原理なのではないかと勘繰っており【628】、だとするとたかが生体記憶ビット素子がゼロかイチかみたいな些細な物理現象の機械的差異で、『精神』『意識』『心理』『感情』みたいなものの状態や動向が決まるということになる。
 『グリセリンは無機物で生きてないし、感情も思考も持たないから別のハナシだ』ではなくて、人間や動物にみられる同調や共感も、試験管内の結晶生成と同程度のもんなんじゃないのと言っちゃマズいだろうか。
 『世の中のあらゆる原子に意識が宿る』とする前衛物理の学説は【97】、実はものの見方が逆で『意識とは特別な事象ではなく、あらゆる物を組み上げる原子の構成と同じようなもんだ』と言い直した方が的を射ているのかも知れない。
 でもコレ神秘大好き・不可解大好きのオカルト組からは石を投げられそうだなあ。

 冒頭まで戻って、とにかく『何だか潮目が変わってきたぞ』と感じるその直感は侮ったものではなく、だからこそ、あれこれ理由を探して理屈を付けて、現行路線にだらだら同調していて良いか悪いか考えろってことさ。必要なら変われ、変えろ。
 これって結構ガチの生命力、生存本能の鋭さ・優秀さだと思うがね。

 死臭の中ダメを確信しながら死を待つヤツは、自然の摂理としてそこまでだ。
 しょうがないよ、若い人たち関わらないようにね。その贈る言葉にグッドラック!
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