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【1177】苦痛と疲労のエリート特訓が仕込む敬礼の作法 [ビジネス]

 もう少しNHK朝ドラ『らんまん』の話題を続ける。
 国内鉄道敷設事業への従事を経てミシシッピ川の治水事業に関わるため渡米する佑一郎くん、当時のエリートがエリートたるが故の国民機能をしっかり果たしておるなあ。
 一般庶民ではなかなか叶わない専門能力をもって日本国の維持発展に実効力で関わろうというのだから、必然的に国家の意思決定を優先的に担うことになり、これがそもそもの組織統治における『権力』の概念の発生原理である。できるヤツにしかできないってことですね。
 この『権力』が一部少数の社会層に偏在することを良しとせず、誰もが均等な機会で参画できる民主主義議会制を採用した日本社会なのであり、それは正しい理屈だが、いま現実の行方について日本国民はよく考えるべき時期にあると思う。

 マンタローくんは現場好きのフィールド好きだが、私もブツを手にするところから機械技術の世界に踏み込んでいった生い立ちがあるので、とにかく現場やフィールドが大好きである。
 以前に何度か書いているが、昭和の大学が随分と現場肌の工場実習をやってもいたし、バブル期の町工場はそこらの学生をなかなかの時給で引張ることができた。また日本じゅうの製造業の工場がガンガン回せるだけ稼働していた時代でもあり、学生気分を『社会の厳しさ』の洗礼で一喝くらわす意図もあってか、企業ではまず工場に放り込む新人研修も当たり前に見られたものだ。
 実際、製造業の生産ラインにおける肉体労働は、やはり『プロ』としてそれをやる以上、素人が飛び込んでいきなりモノになるような甘っちょろいものではない。アタマを使わない作業だから馬鹿力さえあれば誰にでもできる式の認識をされがちな仕事だが、それはとんでもない誤解である。

 重量物の持ち方や大掛かりな機器の構え方を間違えると一発で肩肘や腰や膝を壊すし、生産ペース都合で文字通り機械的に発生してくるタスクに、臨機応変に組み合ってバテずに作業の質を維持するのは、実はタイヘンな頭脳戦なのだ。
 若造だった私は、おのれの得意分野を確信して『今日からよろしくお願いします!』と元気いっぱい踏み込んで、30分を待たずに足腰立たなくなるほどグッダグダにへこたれたことがある。開始早々に全身がナイアガラ瀑布のような大汗をかき、体力も一緒にかき尽くしてしまいふらふらの虚脱状態になってしまった。信じられなかった。
 『オマエ、ちょっとどいてろ!』と怒鳴られてベテランに代わられ、傍らにぐったり座り込んだのち再び立ち上がろうとするのだが、どうしても立てない。地面に崩れ落ちた体重を持ち上げることができない。
 『いつまで休んでんだ、おらー!』とまた怒鳴られて、這う這うの体で力なく立ち上がるが、脳内の3D身体モデルをいくら動作させても、現実の手足が物理的限界としてついてこないのだ。一滴も残らないカラッカラのガス欠で、アレクサンダー・テクニーク的に完全破綻している状態である【1033】

 単純に重量物をえいっと持ち上げる筋力があっても、ライン都合のペースで勤務時間中コンスタントに発生する作業をこなし切るには全く足りないのだ。
 一回の作業を無駄なく最小限の体力消費で片付ける必要があり、そのためには対応準備がいつも即座の最適に整わねばならず、ひとつ終わったらすぐに自由な遊撃態勢を取り戻さねばならない。これを自由競争市場の相場までメいっぱい追求してようやく、生産現場の作業員として一人前のプロ稼働に追いつくことになる。
 生産ラインを御存知の方には常識だと思うが、左右どっちの手で工具を握るのか、そのためにどこにどの向きで工具を置くのか、何歩で次のプロセスの立ち位置に移動するのかなど、担当作業に関わる動作は細かくマニュアルが整備されている。
 日々のほんの些細な知恵も毎日蓄積して共有し、それに沿って生活を賭けた体力自慢たちが稼ぎ上げる。そりゃ少々得意意識だけあるヤツが乗り込んだところで、とても使い物にならないのも当然なのだ。
 私は決してムキムキの肉体派ではないのだがスジは悪くないはずで、体力温存のペース模索を最優先する戦略を意識して、大体どこも最長二週間までには適応しマシな労働力になれていたと思う。工員キャリアとして落伍した前科は一度も無い。

 バブル期の製造業の生産ラインは全力フル稼働もいいところで、例えば月曜日から昼勤で朝8時に入って昼休み挟んで夕方5時の8時間勤務。当然それで終わらず2残して夜7時に終業、片付けて持ち場を掃除して引き上げる。この調子で金曜日まで…ではなく休出して土曜日まで6日連続でやって、土曜夜に帰ってきて寝る。
 そのまんま翌日の日曜日の日中も寝続けて、日曜日の夜8時から夜勤に突入だ。昼勤と昼夜逆転する形で夜8時スタートの翌朝7時まで勤務し、日・月・火・水・木・金と夜勤が続いて土曜日の朝に帰宅したら、その土曜日と翌日の日曜日はどうにか週末となる。
 もちろん週明け月曜日からまた昼勤が始まるのだ。そんなスケジュールだった。

 まあ普通の成人日本人が定常稼働をするんなら、あのへんが限界かなあ。
 まさに仕事漬けだったが、日本じゅうあの勢いで社会的価値を生産し、それが市場に出回ってカネと交換されていたのだから、なるほど社会に元気が無かろうはずもない。今がいかにダメかが痛切に感じられる。

 ある夏の夜、ベテラン工員仲間たちと真夜中の『昼休み』を過ごしていた時のこと。
 …と書いて、しまった、やばいコトを思い出しちゃったよ。ハナシの筋を今さら変えられないので、このまま進めてしまえ、まあいいや。

 いやその~、『オマエは返事も良いし礼儀も正しい』と言ってもらったのは胸を張れる自慢話で済むワケだけれど、『オマエはきっと偉くなるんだろうな』と続けられたことについては、御覧の通り全然偉くなってない。スイマセンごめんなさい。
 申し訳ないやら恥ずかしいやら、とにかくここでネット回線の漠然とした空間に向かって白状して謝罪して懺悔して、それで済んだふりをして誤魔化すことにする。大事なのはその次である。

 『俺たちの事ずっと忘れないでくれよな。一生コレやって生きてるヤツもいるんだ』

 『ハイ!』と答えてこっちはしっかり御期待に応えてきたつもりであり、その後の私の人生において、いつ何時も現場直接業務をないがしろにしたことは、誓って一度も無い。自由競争市場で生きている限り、誰もが必然的に限界を競う立場で頑張る運命にあるが、生産のイチ現場もそこが人間ひとりの大切な人生の平衡作動点なのだ。

 今朝『らんまん』の佑一郎くんの台詞、鉄道の敷設工事で僅かひと握りの高学歴者が『先生、先生』と呼ばれながら仕切るとして、その『先生』は目の前の土ひとつ掘り起こすにも現場の親方に頼らねばならないというのは、あらゆる事業組織における成果実現の真実だ。
 その現場作業員の職層は安い前金で国を出て家族に生活費を送るため、生傷も絶えない厳しい労働環境で、時に逃げ出したくなるところにムチを振るわれてまで、過酷な作業に服従させられた…とのこと。国内経済が発展途上の時代の割に合わない惨状である。

 日本が国力を上げ欧米列強に死に物狂いで追い付こうとしていた時代、五体満足にさえ生まれていれば当然として揃う身体能力は、難度高く希少性のある専門知識に対して、確かに手ひどく買い叩かれていたはずだ。だが換金レートに関わらず、その直接業務の腕っぷしが調達できなければ小石ひとつ動かない。
 まだ若い佑一郎くんが、この未完成な時代に、その真実を正確に見抜いているストーリー設定には期待が膨らむ。いいじゃないか、ネオ時代劇の史実SFドラマ。

 高学歴を褒められ実力発揮のため適用ポストを選ばれるエリートはいて良い、だがエリートであることを理由に機能性を度外視した権限を与えられ、無条件に優遇されるようなエリートは要らない。組織を機能不全に陥れて滅ぼす災厄でしかない。
 今日も世に望まれる実力めがけて正直に頑張る若い努力に、今週もグッドラック!
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