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【1157】ロシアンルーレットの必勝法は装弾拒否 [ビジネス]

 宮古島ヘリコプター事故の捜索は難しいことになってるんだろうな。
 まだ見つかった人数が遭難した全数に一致していないし、素潜りしかしたことのない私ごときの外野がいい加減なことは言えないのだが、くれぐれも二次災害だけは起こさないよう『断念』の意思決定には躊躇しない作業方針を、現場従事者の方々には改めて御確認されたい。

 悲しみに暮れている方々には誠に申し訳ございません…と断って超ひっでえハナシを持ち出すのだが、いかなる理由であれ命を落としてしまったらそれが本人の『寿命』であり、あとはその事実に向けて当人以外が心中の『情報』を決着させるしかない。
 少なくとも現代の人類文明の限界として、意図的はもちろんのこと偶然まで含めて、生きてコミュニケーションしていた人格がゼロから蘇って再び周囲と関わる『現実』は作り出せない。死んだらオワリなのだ。
 だからそんなことにならないよう3Kガテン系の工事現場や重機作業場なんかを筆頭に、命に関わる事故が身近に意識される空間では、誰もが他の関心事を全部二の次にして身の安全を守る。一致団結してお互いを守り合う。

 前にも述べたが、危険は未然の意識の外側にあるのだ。
 労働災害においては『ハインリッヒの法則』という有名な経験則が知られている。
 1件の重大事故の発生にあたっては、重大事故にまで到らずに済んだ29件の軽い事故もしくは危険事例が起こっているものであり、更にその背景として標準プロセスを阻害する300件の異常検知がその作業空間に拡がっているものであるとする、事故発生の段階的な確率分布モデルだ。

 私が高圧作動の試作機械で喰らった軽事故のケースでは【1148】、6連装リボルバーの拳銃5丁が並んでいて、どれか1丁に1発銃弾が入っていて、私は無作為に1丁を取り上げて引金を引き、こめかみの真横でカチッ!…と撃鉄の音を聞いたようなものである。
 大袈裟でも誇張表現でもなく、事前にじゃらりっと軽くリボルバーを回すとか、隣の1丁を取るとかしていたら…という現実一回の結果報告であると受け止めていただきたい。あるいは私と同じような立場の機械屋が30人横並びでいたとして、そのうちの誰か一人は間違いなく一発目で『アタリ』を引くということだ。
 『うっわ~何事も無くて良かった~』ではなくて、『二度目を絶対に阻止する。そのためにこの事象の発生因果を物理的に途絶する』が正解である。

 今日どこまで業界全体での組織化が進んでいるのか私は詳しくないのだけれど、自社の現場にしろ他社の現場にしろ、重大事故が発生すると各社の現場同士でその情報が迅速にヨコ展開され、その瞬間いったんは全作業が一斉緊急停止となる仕組みがある。
 作業者全員が集められ、当該事故事例について解説され、次は持ち場単位で自分の具体的作業と当該事故事例と対照させて、総チェックで自分たちの作業診断だ。
 同様あるいは類似の事故を発生させるリスクがないことを確認できた工程から、チームから、部署から、報告が順次に上げられ『作業場の作業者本人・現物確認による判断』をもって安全判定が全て完了できて、初めて業務再開である。
 こういう判定プロセスを『総合的に判断する』と言う。安直に使う表現ではない。

 死亡事故・重傷事故が発生すると、被災者本人はもとより残された職場の運用も多大な損害を余儀なくされる。仕事としてやっていた以上、事故を起こしたからといってただやめる訳には行かない。事故が発生した工程には、その事実を受けて別の作業者が入らなければならない。
 そもそも一人を失って代わりがすぐ出せる余裕があるくらいなら、最初から効率化で人員削減しているのが普通だから、どこから一人捻出して穴埋めするにしても不慣れな代役にしかならず、生産効率は落ちるし事故の危険性は上がる。

 業務続行にあたっては、その工程も作業者も、事故以前と必ず何か違えていなければならない。違いが無くなった途端に同じ事故が再発するのはすぐ判ると思う。同じ人間が普通にそこでやっていて最初に事故が起こったからには『つい』がまた普通に、誰にでも訪れるのだ。確実に。
 カネかけて凝った安全装置を新規導入できるものばかりではなく、だが何かを違えて対策する。だからこそ、たった一行の注意書きであろうが、ひと言ふた言の指差呼称であろうが、現場のその場でルールになっているものには厳格に従えと言っている。
 その現場をよく知る同じ人間が、身を守る知恵として設定した行動規範なのだ。

 裏返せば、必要な局面でその緊張感を保てず事故を起こしたなら、それは『未熟者が現場を侮って喰われた』という必然の因果応報であり、気の毒より先に『その現場できちんと仕事している従業員の迷惑を考えろ』と同情さえしてもらえなくても仕方ない。
 『解ってる人たちの仕事場』に解ってないヒヨコが紛れ込むケースについては、どこまで工数やコストをかけて取り合うかから考えないと、まずは無駄だしプロたちの取組み意識に険悪な負担感が出たりもするので、そこは『よく解ってる管理者』が実用的な有効解を線引きして手を打つ必要があるだろう。心得の無い死傷は他人の迷惑である。

 人さまの命や一生を左右するような大怪我の危険が我が事として意識されている現場は、そこまで考え抜いて日々の仕事に責任を持ってやってるってことだよ。
 ここまでよ~く理解して、発生から3週間も経って宮古島ヘリコプター墜落事故に関連する情報公開が現状どうなっているのか見直してみるがよい。
 背広幼稚園でいいトシこいておしめの取れないクズ役人なのか、ペンより重いモノ持ったこともない、あっちこっちで根拠不明の無料動画つなぎ合わせてコンテンツをでっちあげるだけの烏合マスコミなのか、どっちにしても金輪際くっだらない子供だましのナメたデマで日本の現場の安全衛生に対する常識概念を曇らせるようなことがないよう、この一件で確実に断ち切っておく。

 10人も死んでて、モノを知らないガキんぽがクチ滑らす幕ではない。失せろ。

 高度経済成長期が遥か彼方に過ぎ去り、ヒトが強大な機械パワーと間近で協業する機会が随分と減ったと思う。センサー技術や制御技術が進歩し、どんな機械たちも本当に賢く注意深く、ヒトに優しくなった。
 だが事故が起こるような誤使用・誤操作をすれば道理が凶器となり事故が起こる。
 何が誤っていたのか何を間違えたのか。正確に特定しないと『また』事故が起こる。

 『また』がイヤなら、ましてや『また』がアタリを引いた自分になるのがもっとイヤなら、何とかするのは自分自身しかいない。
 別に内紛の起爆を推奨する訳ではないが、過ちを犯すだらしなさを改善できないでいる組織なら、事なかれで居残るよりはおのれの身の安全を実力行使で確保しにかかった方が正解ではないかと思う。権力めかした風を吹かせて生意気なクチをきいてくる身の程知らずがいても、若年層や実力派に抜けられて行き詰まるのは、組織の方なのだ。

 『閣議決定』とやらで死亡事故工程の原因を作ったキッシー容疑者が『痛恨の極み』などと陳腐な逃げ口上のキャッチコピーで会見の場をやり過ごしていたが、そんなものでやり過ごさせる側に甘んじる限り、あなたも拳銃を取り上げてはこめかみに当てて引金を引き続けている。お大事に。

 負けたら死ぬだけの勝負は、降りたもの勝ちだ。降りるももう一番も、御幸運を!
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