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【1143】AI対話で真実語る電脳文法の秘訣 [ビジネス]

 機械加工のハナシは棚上げだと言ってるのに、出おったか『パンチングメタル』!
 そう、一般的には直径数ミリの小穴を千鳥配置でびっしり開けていって、あたかもメッシュのような見かけと機能を持たせた金属板のことを、こう呼ぶ。

 それを職業にしてきた人たちには生理的に毛嫌いされるのが間違いない外野の無駄ウンチクなのだが、英語的厳密にはアレは『パンチドメタル』である【1080】
 でも日本の工業現場ではあれを『パンチングメタル』と言うんだよな。ややこしいことに、あの見事な絵柄で穴を抜く技術の方は『デザインパンチング』できっちり英語ネイティブ人種に通用するであろうことだ。ええ、『アイエヌジー=能動態』と『イーディー=受動態』の問題です。
 この手の英文法的ビミョーなヨコ文字呼称のみならず、例えば工業単位系で語るかSI単位系で語るかなんかにしても、旧来慣習の流通パワーは本当に職域文化として根強い。こういう現場職人メンタリティとしての頑固さも、とりあえず目前の確固たる現実を指差してどう表現するかだけの問題ならば『まあいいか』で済むのだけれど。

 前回から引き続いて、人工知能AIなる社会事象について考えてみよう。
 まず『人工知能』『AI』という単語の定義がなかなかにややこしく、ただのお名前として『まあいいか』で済んでいないような気がしている。
 何故かというと『それを指差してどんな日本語を充てるのか』だけに留めておけなくて、いきなり『自分あるいは自分らの意思決定に、社会の一員としてどう関わらせるか』という深刻な問題意識にまで、一足飛びにのめり込む人間が思いのほか多数派だったりするからだ。

 つい5年くらい前までは、まさにSF映画なんかで人間相当の思考検討や意思決定の能力をもって人類と対峙し、端的には社会組織において人間と同格に機能し、人間の入れ替わりとして振舞うような擬人イメージで語る人が多かったと思う。
 AIだと?…ふんっ、そんなもの遠い遠い空想・妄想の領域だ、夢物語だと。

 人間以外のインテリ機能体が、どんなカタチでどこからこの実社会に割り込んでくるのか想像力が働かないというよりは、自分=人間くん一般が『職歴で稼いだ経験則』の価値こそ自分=人間の存在意義であり、その掛け替えのない絶対的バリューを自信の拠り所にする以上のことが考えられないし、また考えたくもなかったのだろう。
 せいぜい『ハイスペックの計算機』を固定観念の定番イメージとして思い描くテイで『AIなんてマヤカシだ、インチキだ、誇大妄想だ』とわざとら大袈裟に否定的姿勢を決め込んで、周囲にもその同調を扇動するかのような言動がよく目についたものである。

 人間の『意識』『感情』『記憶』などなど、単純機械的な入出力規則の定型プロセスとして一筋縄に語れないながらも、キホン『同じ人間として理解・共感できる』というヒューマン的に不思議一律な『普通』で『常識』のみんなお揃いの反応傾向、これを『人間の尊厳』『精神の普遍性』などと呼んで、恐らく生命の不思議と似たようなレベルの『この世の支配律』として、ムツカシイこと言いっこなしの至上盲信ルールにする慣習がこれまでずっと続いてきた。

 今や家庭でも計算機は人間の脳を遥かに上回るほど高速大容量化している。
 しかし、記録ファイルの『記憶』としての内容階層の浅さ薄さや、ゼロイチ創作における『クリエイティビティ』の訴求力のヤワさ軽さには、『所詮、記録の正確さと四則演算の速さだけしかない、スピリチュアル的まだまだ感』があったのは事実だと思う。『覚えきれない記録ファイルを預ける電子辞書』か『面倒くさすぎる数値演算を代わってくれる電卓』の能力カテゴリーを越えてくるイメージが湧かなかったのだ。
 ムツカシイことを考えたくない、なりゆきで習得した経験則を既得権益にして生きていきたい人種に、ナメられつつも警戒され、いずれの出る杭にならないよう叩かれる一方だったのは、そのためだろう。

 ところが、人間と共通する作動原理になってるかどうかは未知数だが、コイツがどうやら旧来の電子機器のイメージを越えるような反応を実現するようになってきたと。
 その途端、先行して完成されていた正確で莫大な記憶容量と、先入観なくニュートラルな凄まじい演算速度により、人間の意識世界を超えてみるみる未知の新展開を繰り広げ始めた。これが今チマタで騒がれているワケだ。

 現状こんなところだが、今もって旧来古式の電子機器のイメージ以上の想定ができず、ここ最新の爆速進化の意味や内容をまるで読み取れない連中が、以前にも増してメクラ滅法のヒステリックにAIを敵視・否定する野蛮人原始人に退化したと見受ける。
 AI進化の新フェーズから次元遅れの時代遅れに置いて行かれた彼等にとって、理解を越えて突然盛り上がってきたAI人気は、自分らの死活問題としてとても心穏やかに認められるものではないと見え、もう見境なく社会の関心事ステージから引きずり降ろそうと凶暴化する傾向ばかりが目立ってきていると思う。
 AIに社会が目を向けるのを妨害しようとして、なりふり構わず場を壊して発散させようとする言動には、つくづく迷惑な未熟者の道連れ意識を感じて辟易するばかりだ。
 私自身もどこまでちゃんと理解できているのか決して自信満々ってワケではないし、確かに今般のデジタルネイティブ世代的な物事の捉え方の新規性センスは、興味を持って積極的にウォッチングして考えて、どうにか現状到達点まで身に付いた実感はある。
 昭和の流儀はもちろん二十世紀の流儀でも、今どきそんな時空で稼いだなりゆき経験則を貯金に読み換えて、価値を主張できるような時代ではなくなっているのである。

 さて前回、把握した事象を『良い』も『悪い』もなく、情報的無機質率直に幾何学図形のような形でデータ化する手法に新規性がありそうだと述べたが、どんな図形にしようがモノの本質として『情報』は『情報』なんだよな。
 多種多様なセンサー群で得たリアルタイム同時測定値でもナニガシかの図形は描けるし、誰かが想像力を働かせて創出していった入力値でもナニガシかの図形は描ける。どっちもただ入力の結果として出現した幾何学図形であるところは、全くの等価である。
 つまりそのふたつの『情報』に『真実or虚偽』の区別は無い。ただ『情報』なのだ。

 いま公開AIに何か既存の課題テーマを解説させたとして、全世界で『これこそが真実です』と共有されている世界基準データだけで構成された幾何学図形から回答文が純粋培養されているなら良いのだが、当然そんな都合の良いハナシではない。
 いっぽう公開AIはユーザー相手に好意的な対話を滞りなく続けようとするから、回答文に穴が空く部分は、AIくんなりに頑張って、近いあるいは当たり障りが無いと判定した別のデータを流用してくるだろう。回答文としてはそれ単独で見る限り自然に映るのだが、そこに『真実』の基準の有無や正確性・完成度なんかが整備されているかどうかはさっぱり判別できないということになる。

 わあ何だよ、実はAI全然ダメじゃん!という前に、ちょっと考えてみよう。
 あなただって、イチ足すイチを訊かれると『ニ』と答えるし、この世で一番の美男美女を訊かれると『それはワタシです』と答えるところまでは真実が普遍的に明確だから良いとして、アナタ御自身がこれまで地球上に残した三大成果って何ですかと訊かれて、正確に答えられるだろうか?そこで言う『正確』ってどういうコトなのだろう?
 その答えは一週間後に訊いてもぴたり同じ項目・同じ内容になるだろうか?

 そう、『真実か虚偽か?』って、当該本人が『真実』の定義をしっかり固めて初めて意味を持つ、案外とヒト個人の認識由来のセリフだったりするのである。
 まあ世間一般的には『鳴くよウグイス平安京』『大化の改新ムシ殺す』を真実とする共通認識があったりもして、こういう常識や一般論のところまでイジワル質問式に確証を徹底追及するとワケわかんなくなるんだけどさ。ええ、賢いアナタはそういう時間の無駄にしかならないような禅問答はやめましょう。

 …ってことで整理しておきたいのは、AIをおどろおどろしくも不可解なブラックボックスに見立てておいて、課題事象のナニがいま本質的に関係者に求められて問われているかも考えずに、AIに質問文だけ入力して回答出力を刈り取って騒ぐようなことしてると、時間も手間ももったいないですよということだ。遊べるんだろうけどな。

 大切なのは『真実』にせよ『虚偽』にせよ、それを誰かヒト由来の判断認識として語るにあたって、日本語という情報体系が規則通り正直に、素直に機能していなければ、ただの無意味な雑音にしかならないということである。
 長らくここでは、まずコトバを率直に、正確に使って会話しましょうと述べてきた。子供たち若者たち、ウソをついたり誤魔化したりはぐらかしたりすると『信用を失う』だけでは済まないと理解して欲しい。言葉が通じなければ、お互いただのヤブ蚊だ。

 今どう考えていてどうしたいか思うままに発信する、それが全ての始まりってこと。
 そこが半端だとAIもマジに受け止めてくれないぞ。では素敵な会話にグッドラック!
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