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【1131】ニッポン労働力の受け皿設計コンペ [ビジネス]

 菱崎重工さん、舞ちゃんとのあの会話からエライさんがすぐ自ら足を運んで直接工場を見に来るとは、なかなか軽快なフットワークじゃないか。株式会社IWAKURAもどこまで内情開示したのか知らないが、その場の判断で実地検討用に試作図面をもらえるというのは大ラッキーだ。
 何にしても、現場の現実をストーリーに大切に効かせるコンセプトは好感度高いよ。

 ごくたま~にだが、飛行機が飛んでる間に部品を落っことす事故が報告される。
 国際線旅客機だと高度1万メートルあたり、つまり8,848メートルの世界最高峰エベレストを危なげなく飛び越すぐらいの高さを飛んでいて、巡航中の大気温度は摂氏マイナス50度くらい。乗ったことのある人は御存知だと思うが、客室前方の共同ディスプレイには世界地図上の自機現在地と外気温度が飛行中いつも表示されている。

 夏場なんか地上では摂氏30度以上…というか場所によっては50度もあり得るから、航空機はタイヘンなサイクリック温度変化を通り抜けながら運行されていることになる。上空では気圧も0.3気圧前後まで下がるため、乗員居室など減圧させられないスペースには与圧区画を設けることになるが、この与圧居室がまるごとポテチ袋のようにパンパンに膨らもうとするから【1124】、全壁面くまなく気密を保つ強度が必要となる。この繰り返し荷重だけでも相当なものだ。
 母材に突き刺さって表面摩擦力だけで結合強度を維持するクギなんか論外、螺旋形の長い接触面で緩み止め方向の摩擦力を確保して締結を維持するネジも、ただの安価な汎用素材だとガバガバに緩んだり疲労で切れたりしてオシマイだ。ボーイング747ジャンボジェットの居室は、上空で直径が10センチぐらい太っているのだという。
 まあそれでも、工業技術ってのはアレコレ手を尽くして、何とかしてホントに作っちゃうからな。株式会社IWAKURAがどうするのか見ていよう。

 少し時間を巻き戻して、舞ちゃんの航空機産業参入意欲について永作ママから聞いた悠人お兄ちゃん、ちょっと不確かなのだが『まあいいじゃん、やるだけやってみたら』と言ったように聞こえた。むう?残念ながら『じゃん』は完全に東のコトバだよ。
 『まあええんちゃう?やるだけやってみたら』だったとしたら正解なのだけれど。

 似たところで『私ひとりじゃダメなんです』の『じゃ』も関西ではあまり使わない。
 もともと『私ひとりでは』の文語式言い回しが崩れて『私ひとりじゃ』になっているのだと思うけど、大阪弁ではむしろ『私ひとりではアカンのです』の方が自然である。

 大阪弁講座も大概しつこくなってきて気後れするし、最近は聞き流しスルーすることも多いのだが、いざ引掛かる非ネイティブ用法・発音に遭遇すると、やはり我慢が利かなくなってしまう。どうしましょうか。
 さていろいろな機械加工の個別解説に入り込むのは前回思い留まったとして、かつての同僚の世間話を。カメラのレンズ筒を造る中小メーカーに知り合いがいたそうだ。

 とにかく加工精度の高さが業界で抜きん出ており、価格設定は決して安い方ではなかったそうだが、固定の客先相手にお商売は安定していたらしい。一度お得意先のひとつに、安価を提示してきた競合他社に乗り換えられてしまった例もあったものの、結局客先の方から戻ってきて取引再開したというから、よっぽど完成品の魅力を購買ユーザーに訴えるセールスポイントとして効いていたんだろうな。
 そこんちの設計は担当一人でやっており、とにかく仕事大好きで、当時にしてもう古式文化アイテムになっていた烏口(からすぐち)という製図ペンで図面を引いていたのだという【441】
 烏口で線を引いたら、そのインクを乾かさないと上から定規や手を置けないため、部屋に何本も洗濯の干し紐を張ってクリップで図面を吊り下げ、乾かすことになる。いつも所狭しと何枚も並んで吊られた図面に囲まれ、今度はこっち次はあっちと嬉々として次から次へと線を引き続けていたそうな。

 面白いのは、部品の加工精度が売り物のメーカーなのだが、その高精度の秘密は設計段階の独自の部品分割思想にあったそうなのだ。自社の工作機械まで知り尽くして、工員個別の技量差が出ないように巧みに部品分割を工夫し、実際経験の浅い若い職人でもカンコツを探るような助走期間ナシに十分な精度を出せるものだったのだという。その種明かしに隠す素振りもなかったというところも興味深い。
 なるほど加工精度の出し方ひとつにしても、作業者の職人スキル頼みに限った話ではないということだし、最新の光学機器が市場で重宝される製品として送り出されるにあたって、烏口の図面で十分にコト足りるというところも改めてタイヘン勉強になった。

 世代交代など視野に入れると良い悪いの評価がビミョーになるのだが、とにかくその設計者氏の独自技術が大黒柱となって会社を支えているのだと聞いた。後継やバックアップが欲しい…というより必要なのは百も承知しているが、中小企業の現実として『必要だから』でハイそうですかと揃うものではない。
 こういう実例に触れると、電子機器の利権商売だけを目当てにしたあほ役所のデジタル化政策なんぞ、日本の職人領域の製造技術にとっては百害あって一利なしの外乱にしかならないことがよく解る。
 こんな貴重な製造技術がデジタルネイティブ世代に交代して、必要都度の判断で現場ツールの維持整備を進めた結果として電気仕掛けのデジタルデバイスを選ぶなら、それに迅速十分に応えて支援する事業単位があれば良いのだ。損害ばかりで役立たずのデジタル庁とやらも便所タワシも、あまりに無意味で的外れな『仕事の邪魔』でしかない。

 のちに大学時代の先輩数人と、人材育成における本人適性の判断について会話していた時のことだ。
 『いや~それでも大手は人がいるから良いよ。中小はさあ、そもそも人が来ないんだから』と、完全に問題の困窮度の次元が違うというノリで語られて、なるほど普通に連れてきたヤツを向いてる向いてないで判定して仕事になるというスタンスで話し始めた私は、苦労知らず甘ちゃんの好き嫌いもいいところだなと少々恥ずかしくなった。
 人員配置ポストのストライクゾーンの方を拡げておいて、決して使命感や充実感に溢れたドンピシャの適材でもない人間であっても、騙しだましにでも組織業務が回るメカニズムを考えねばならない。いや、むしろ組織の平常作動ってそっちなのかも知れないな…と思ったものである。

 株式会社IWAKURAで『設計ができるのは先代社長と結城だけ』という台詞が飛び交い、業績回復をもって転職していた結城社員を再雇用し、かつて解雇してしまった小森社員の再雇用も現在進行中だが、あれは浪花節ドラマの同胞意識の演出ではなく、切実な中小企業の採用事情と見るべきであろう。
 熟練スキルを持っていて自社の業務事情にも通じた『即戦力』の人材となると、それこそカネやタイコで探したところで見つかるものではない。
 人を雇う限りは人件費がかかる。人件費をかけたからには、それに値する収益ぶんの生産力向上の保証がなくては倒産してしまう。逆に明日倒産するのでもなければ、自社の生産力に噛み合って確実に稼働できる労働力は何をさておいても、他から奪ってでも手に入れたい【1126】

 だから若い人は就業年齢到達時点で、追々こんな『求められる専門職』に成長できるように、一般基礎の知力・体力を備えた優秀な素材としての『人材』になっている必要があるのだ。とにかく勉強して体を鍛え『使える取柄』を持っておこう。
 この『人材』の理想像や具備要件はその時代の産業の実情によって変動するとは思うが、明日の国家産業を支える専門職予備軍にとって『ブラック、ブラック』と拒絶されず『ホワイト過ぎて…』と見限られもせず、ちょうどいい平衡とはどんな状態なのか。

 今さら天上の理想像なんか夢見る必要はなく、まずは従来きちんと確立してきた、法治のもと基本的人権に基づく正直な民主主義議会制と、単純明快な算出で正確に数値管理する資本主義の国内自由競争市場への徹底回帰ではないだろうか。
 今週から始まった国会は、その目的で議論できなければ『無い方がマシ』である。

 『人材』たち、どいつがナニ言うかよく見ておきな。明日の判断に、グッドラック!
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