SSブログ

【1088】違法な司法の罪状と有罪判決文の論説スタイル [ビジネス]

 あと1ヵ月あるのでまだ判らないっちゃ判らないんだが、世襲のガキの葬式を2億5千万円かけた国葬にすることが『決定』されたそうだ。おまけに警備費が葬式と別勘定になっており、その経費はその他一般の警備業務に混ぜ込むやりクチで秘密にされ、国民には開示されないことになっているという。

 ちょっとさ、だんまりを決め込んで日本社会で何ひとつ機能していない、文系職域の役立たず全員に訊いてみたい。日本国の国家運営は民主主義なのか?
 日本が民主主義国だったとして、民主主義というのは、キホン全員という意味でみんなの合意を採択しながら物事を進める組織運営コンセプトのことではないのか?
 こんな異常事態で司法機関が何にも動かないのは職務放棄としか思えない。
 『裁判という仕組みの処理手続きに乗ってきたら法律に則って処理します、それが司法です』ではなくて、違法行為を見つけたら誰に頼まれなくたってまず摘発し、取り締まりにかかるんだろ?交通違反の取り締まりなんかはそうだよな。

 あほみたいに国民議論ナシを前提にして当然であるかのように政権中枢部から『国葬決定』と勝手に言い放たれて、一般庶民の日常生活からは手が届かないイメージのある国務領域で、これまた勝手に『警備が膨らんでいくらかかるか判らない』『かかった費用は開示しない』とか一方的な発表と共に、あれよあれよという間に側近の奴隷どもがその方針で進めて行く。
 これだけ組織体制も保有設備も完成されているんだから警備の経費計画額が計算できないはずがないし、経費も計算できないようないい加減な葬式なら、それこそ最初から税金資本の国葬になんぞされちゃたまらないのだ。
 我々国民は、反感こそ煮えくり返っても同意する筋合いはない。憲法に定める国民主権をこれ見よがしに無視した違法行為なのだが、一般庶民からなかなか直接に具体的な制止・抑止の操作がかけられない業域だし、まさにこんな時こそ国家機関レベルの司法権力の出番ってものだろう。

 因みにこの近寄りがたい行政組織の距離感をカサに着て『どうせ一般庶民には手が出せない』と当て込んだ世間知らずの知恵遅れが、政教分離の原則も軽々しく無視して違法行為のやりたい放題で調子に乗っていたところを、一般庶民のスキル保有者一人が社会通念の一般枠を超える意外な手段で直々に摘発したのが先月の銃撃騒ぎとも言える。
 『日本では殺人は違法行為になる』というのは事実だが、その前段階で『殺処分に相当する違法行為』が、少なくとも銃撃犯クンには見えていた。法律家の看板あげてイッパシのクチききたいなら、その視点での原因分析および常人情操としての行動選択の妥当性検証をちゃんと整理して、おのれとしての見解を公言してからにしろっての。

 本人が人生の長きにわたって被った不遇の因果の全貌までは知る由も無いのだが、少なくとも私は、一般家庭の生活を崩壊させるような団体があって、そんな団体の組織力を都合よく利用する政治家がいたなら、まず誰かに何らかの形で政治家が取り締まられる順番が道理だと考える。今般の一件はその観点において起こるべくして起こったものであり、落命の不運はなるほど哀れだったが、まあ命を取られるのも当然だったのかなと判断している。
 地元警察の本部長が辞めるのは結構だが、それは『日本国の法律に抵触する行政機関の違法行為を見過ごして殺人事件の発生を招いたから』であり、すっかり日本国をナメて違法行為に興じていた迷惑なガキを警護できなかったからではない。

 はっきり平易な日本語に開いて、上記一連を解りやすく書いといてやるよ。
 立法・行政・司法の三権分立が法に謳われ保証されている日本社会では『憲法に定めた国民主権に抵触する行政機関の違法行為を、司法機関はその立場から速やかに取り締まってやめさせる』という義務があるのだ。
 日本国が、日本社会を生きる日本人を相手に法律として定めた『義務』なのであり、ぐずぐず動きたがらないだとか、当日までむずかってなし崩しの時間切れだとか、そういう幼稚な世間話級の押し引きで済む問題ではない。法律・法治というのはママゴト遊びではないのだ。

 まさにの丁度の、こんななりゆきで、だらだら道を踏み誤りがちな人間の不確定性を理解して、対策を打っているのが法治社会なるものの制度設計だと言える。解説しておこう。
 きちんと理知性を維持できている心理状態のシチュエーションにあるうちに熟考を尽くし、幸福で生産的な社会を運営するための行動様式の具体的要件を論理化し、言語を駆使してその論理を一義的に解釈できる文章に記録して保管する。これが法律だ。
 賢くて優れている瞬間の人類の叡智をいったん『情報』に変換して、劣化・風化しない言語メディアの形式で記述し、ハードウェアとしての国家の仕組みのシステム領域に記録・保存する。

 ごく単純で初歩的なところを義務教育の数学の授業でも扱うから『論理数学』という学術領域があるのはみんな知っているだろう。『真』とか『偽』とか『逆もまた真なり』とかいうやつで、あれがあるから『もし事象Aが真なら判定はX』とか思考フローをステップ毎に分離して単純ユニット化し、アルゴリズムの絵が描ける。
 ポイントは、日本語文章に書き定めた内容に対して、人間の下す判定が、本人の気分や好みではなく、論理によって一義的に決まるというところにある。

 だから冷静に国家組織・社会組織の最適運用プランを組み立てられる思考条件が揃っている場面で、組織運用の要件を『法律』にし、『法治社会』としてそれに従う行動管理システムの概念ができた。
 解るか、日本中のボンクラ文系人種?言語情報なる文明ツールの存在意義だよ。

 最初から一部の気紛れな自分勝手や私利私欲を素通しするつもりで国家運営を考えていて、それが納得の上で、その意味で文章化され法律になっているのならしょうがない。だが、もともと日本国は歴史の流れと蓄積を踏まえ、日本人の意思を時代と共に加味して醸成しながら日本国憲法以下、六法全書なる現・法体系を整備してきたはずだ。
 もっとも厳密には、特に戦後以降の直近においては、日本国民が平和ボケと敗戦による自信喪失のため自国運営への参画意識を荒廃させてしまい、法律として不適切な内容の文章を少なからず混ぜ込んでしまった失敗はある。そこは注意して『法治国家・日本国の法律と言えども決して無条件の完璧ではない』と知っておかねばならないが、それでも法体系の基幹となる国民主権と、それを具現化した国家稼働プロセスの現場定義については、『日本人が豊かで幸せに暮らすための日本国運用』の行動マニュアルとして、本来機能を失うまでには壊れていない。
 法律はまだ大丈夫なのに、関わる人間がダメになっている。これが現状だよ。

 今そんなこんなで、この無能で役立たずの現行の司法機関は、手の届くところから手あたり次第クビをはねて解体していかないと、民主主義議会制の法治国家として立ち行かなくなるってことさ【1084】

 何年か前まで、お隣の半島や大陸で政権統治として国民の言論統率や行動制限が行われているのを見つけるや、『あ~らあら、さすが洗練されてないお国じゃ、一部のコワ~い人たちの好き勝手が通るんですねえ』みたいに得意気に見下して批評していた烏合マスコミだが、今この自分ちの惨状を目の当たりにして何か言うことは無いのか?
 確かに日本国のケースでは半島や大陸と違って、三権分立によるグーチョキパー式の三すくみ制度設計を採用している。だがこれらスタッフ層が丸々三権そろって狂ってしまい、ジャンケンせずに許し合い頷き合って談合し、一般国民に対して支配階級となる特権層を自称し始める失政モードがあり得るのは御覧の通りで、実はコレ過去にもたくさん他例があるのだ。
 経済状態の雲行きが怪しくなると、自由経済市場の原則とは別扱いで『決め事として動かせる税収』に群がろうとするのは、古今東西おんなじなのである。

 こんな時、馴れ合い三権の外側の非・スタッフ層領域から暴走抑制パワーとして働くのが、本来ならマスコミの役目なのだ。だが経済が低迷すると、自由経済市場に資金源を頼らざるを得ないマスコミは自立生命力を失うことになるから、結果として特権層にひざまずいて嘘でも煽動でも何でもばら撒く大衆操作の遣いっパシリに落ちぶれやすくなるのは解るだろう。
 つまり不景気になると、社会をあげて法治体制は無視されがちになると理解しておく必要がある。社会にインターネットという個々人接続の自律性回路が定着した現在、今どき戦争勃発の危険に直結させて怯える必要は無いと思うけれど、『正気なら、やめときゃいいと判っているはずのコトを集団行動でやらかして失敗する』原理とはこんなものではないだろうか。

 どんなゴリッパな法律の文言を練り上げても、悪い気を起こす愚か者の胸ぐらを掴んで、時にぶん殴ってでも守らせない限りは意味が無い。そこが今すっこ抜けており、一番肝心な法制定の精神コンセプトを忘れて、人間に法律を守らせるためのヒト対ヒトの実力行使を指差しては侮辱だ暴力だみたいな青瓢箪の中二病をやっているから、悪ノリの過ぎたガキがものの弾みで殺処分されたりするのである。

 法律を破るの人間なら、法律に甘えて寝言の言い分が通ると曲解するのも人間。
 一方、法律よりもどうしようもなく逆らえず恐ろしいのが社会組織の自我だ。
 理解できた人から順番にゴキゲンを取りにかかろう、その試みにグッドラック!
nice!(10)  コメント(0) 

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。