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【939】文明創成期が辿る偶然のけもの道 [ビジネス]

 話が他に展開して、帰って来れなくならないうちに。
 自分の記憶にストックされている記録ファイル群をただひとまとめにして、それが筋の通った有用情報だと根拠も無く一方的に定義づける。その有用性が現実に検証されるアタリ偶然を経て、生物は知的な能力向上により生存確率を上げていく。
 これって、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』そのものではないか【260】【261】
 2011年5月大阪吹田の万博会場で開催されていた『ウメサオタダオ展』でその存在を知り、直感で内容を確信して読んだ本なのだが、私の理解は以下の通りである。恐らく的を外してはいないと思う。

 まず遭遇した現実を片っ端から京大式カードに書き落とす。このカードは、見出しをつけてカテゴリー別に分類保管する。
 自分が何か課題に直面したら、それに関与しそうなカテゴリーのカード群を引張り出してきて、目の前にばさっと拡げて俯瞰する。ざくざくと混ぜたり、ざあーっと並べ替えたりしながら眺めていく。
 『何となくつながってモノになりそう』と直感したカードを拾い上げて、ホッチキスで打ってつなげる。改めてそれを眺めながら『使えるストーリー性を持った一連の論理的シナリオ』を作る。

 なんと。私が10年かけて、身体をここまで壊して何年か越しでようやく気付いた情報研鑽の原理を、日常生活で編み出したノウハウとして方法論化までやっておられたのかー!やっと気付いたわい。
 ぐあ。私にとっては『天才』としか呼びようがない。凄すぎて悔しくも何ともない。

 人類がコンピューターを作り出す決定的要件となった文明アイテムとして、二進法がよく挙げられるのは御存知だろう。
 『あるorない』のゼロイチ判定のみで完結する極限シンプルな情報形式ゆえ、有無さえ間違えなければ内容の劣化なく受け渡しやお引越しが可能である。
 『最新高度文明が編み出した機械技術のブレークスルー』みたいなイメージでみんな最初考えていたんだけど、実はいろいろ判ってくると、それって生命の歴史をかけて積み上げてきた自然界の情報伝達原理そのものでしかなかったのかも…ってのが現状到達点だ。

 人間が暮らしていて、生活の必要にかられて『数』の概念が生まれ、両手の指が合わせて10本なので十進法が生まれた。ここのつまでは9種類の『数字』による一対一対応の表記となり、もうひとつ加わった事実をもって、『指の数よりも上位の、人間の両手ひとりぶん』を現わす『十の位』なるケタの概念が発明されたのだ。
 ここに『ゼロ』という大発明が成されて初めて、『10=ちょうど人間ひとりぶんだが、二人目の指に対応する数量は無い』という階層表記が可能となったのである。長らく人類はこの十進法で便利してきた。
 ジャイアント・パンダは人間でいう親指の付根の母指球に大きな指状の突起があり、あたかも六本指のような前足なのだそうで、それを使って笹を握って食っているのだという。もし彼等が数字を発明したならば、あとふたつ人間には見たことも無い象形文字的な数字(?)を加えて、十二進法の数学体系を作り上げたのかも知れない。
 …あれれ?時計や暦の十二進性って何なんでしょうね。干支にパンダは見当たらんが…

 まあいいや、そんな人間の十進法でケタの概念が発明され、じゃあおいくつをもって一桁アップだってことにするのか、他の数でもいけるはずじゃん…ってことで『ナン進法』という思考ネタが生まれた。その中でも、二進法にすればゼロイチ判別さえできれば一切劣化しない数値情報が成立するぞと。
 そして、加減乗除の数学的規則性で扱う数値や演算のみならず、画像から音声からチマタに溢れるいろんな情報を工夫してゼロイチ数値データとして表現できれば、機械くんの処理速度でもっていろんな情報伝達や記録が可能になるという利用法が考え出され、さまざまなモノに応用されて今日に到る。
 数を発明し、十進法に始まるケタ表記を発明し、二進法を発明し、それを数以外の概念にまで応用することまで思いついて、現代社会の高速大容量情報処理が叶うようになった。

 だがこの到達点は、実は数十億年の生命の歴史を通して自然が作り上げた生物の情報処理システムと、本質的には同じ原理だったりするのではないか…と私は考えているワケだ。検証されてないし、今は検証のしようが無いので仮説に過ぎないんだけどさ。
 これが当たってたとして…ということにはなるんだけど、数を発明したヤツも、十進法を発明したヤツも、二進法を発明したヤツも、人類史上のどこかに絶対いるはずで、こういった『大自然・森羅万象の大原則』を人間の思考成果として翻訳(?)するヤツこそ『天才』だとする言い方はできる気がする。
 その時その場は恐らく本人も『大自然・森羅万象の大原則』との絡みには気付きもせず、しかしこれまた恐らく、完全な偶然に終わらない何かのきっかけが本人の中で作用して、人間どもが『文明』と呼ぶ情報空間におけるガチの実用アイテムが転がり出るのではないかなあ。

 さて、上記のような経緯で生み出された技術体系を『ケタ=digit(ディジット)』なるアイテムで代表して『デジタル=digital』という言葉が作られ、つまり『デジタル技術』と表現するようになった。
 このデジタル技術の本質は数十億年に及ぶ生命の歴史が生んだ偶然の産物、誰か人間が発明し設計した創作物ではないのだろう。生命体が最も効率的に生存確率を上げた必然の結果として、地球上の時空間の展開を司ってきたのであり、これまで過去の人類の目には触れず思考の対象にもならなかっただけだ。この雄大な地球生命体の大原則に逆らう身の程知らずの目的意識は、ありとあらゆる齟齬と失敗を呼び起こす。

 『デジタル庁』って、たかが人間ごときの国家組織の役所風情が、ナニするんだ?

 きちんと拾い上げられて思考操作のステージに乗せられるところに、記録ファイルの存在意義がある。それらがナウ遭遇している現実とリアルタイムで整合させられるから、瞬間瞬間の『意識』『感情』も発生する。
 更にそれら記録ファイルは日々の脳のデフラグ処理にかかりながら、ウラ画面式に本人に宿るもうひとつの別人格が、機械的に思い込みストーリーを偶発させる材料にもなっているのだ。だから生物は、人間は、デジタル情報処理を採用しここまでに進化した。デジタル技術活用方針の基本コンセプトはこれだろう。

 現状の組織生命体・日本国がここまで弱った原因のひとつに『生命力も無いのに威張りたがり、食い物でも栄養でもないカネを欲しがる』という、人間特有の異様な欲求があると思う。これをもう少し脳科学的に分析できれば、多少は何かマシになるのかな。

 日本国に、自己保存・生存本能と無関係な負担を生む悪性新生物=癌細胞の機能アイテムを『また』『これ以上』くっつけさせてはならないのである。生き残りを賭けて健全に頑張る皆さま方、引き続きグッドラック!
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