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【920】日本のイノチが淘汰すべきものの向こう [ビジネス]

 ワクチン、ワクチンと軽々しい情報の横行が目立つので、少し込み入った話を。
 もちろん日本社会の医療は世界トップクラスの技術を健康保険で普及させるという、類まれなる行き届いた仕組みを備えている事実をまず念頭に置いて。

 十年ちょっと前に、私の姉が肺癌で命を落とした一件については、ここで何度か話題にした。発覚時点のショックが今も思い出される【196】
 まだ四十路中盤の生物学系の研究所員で、環境に人並以上の管理意識を持っており、遠方からタバコの煙が見えただけで寄り付かないし、もう好みのゾーンだが新聞紙の臭いすらとても嫌っていて、積んであって見えないところにあっても、いち早く気付いて他人に頼んで遠ざけるほどであった。
 だから本人はもちろん、馴染みの町医者の目までもあっさりとすり抜けてしまい、改めてかかった地元の中央病院で真相が判明した時点では、肺癌が相当に進行してしまっていたのである。

 当時も新型インフルエンザの流行が騒ぎになっていて院内感染を防ぐための非常態勢が張られており、姉は呼吸がままならないまま隔離病棟の一室で、手薄な対処で一週間以上にわたって苦しみ続ける不運に見舞われる。後に私が転院の手続きを済ませ、ようやく手厚く行き届いた医療技術の御世話になることができて有難い限りではあったのだけれど、ちょうどその大変な思いをしていた最中の話だ。

 結果論で言えば、重度の肺癌を見逃してしまった行きがかりになる町医者の先生が、入院中の姉の病室に、わざわざ謝罪しにいらしたのだという。
 聞くからにつらい御心境が察せられたものだが、それを自身の口で語る姉はもっとつらそうであった。私と『こういうの、場合によっては訴えちゃうヒトもいるんだろうね』という会話もしたけれど、もちろんそんな検討などしたことは無い。

 病気を患うのは本人であり、それが本人に判らないから医療に見つけてもらう。
 そこで洩れてしまった自分のケースにおいて、誰かを責める立場にはない。
 ここから自分は自分で次の処置をする、先生も大変だが今後どうされるのだろうか。

 そう、仮に訴えを起こして、どこかの誰かからおいくらかふんだくったところで、自分の身体が元に戻る訳ではない。むしろ地元住民の方々の馴染みの医療機関に、この一件が負担にならないようにしないと。
 おお、さすがは私の姉じゃないか、正しい判断だよ…とは思ったものの、やはり命の危機に晒された当事者の姉が、とてもやりきれない現実を受け入れられず四苦八苦しながら、ようやくその言葉を選んでいた姿が思い出される。

 社会に普及する医療システムは、いつ自分の身に降りかかるかも知れない傷病の不安を取り除いてくれる、大変に有難いものだ。だから診療代や健康保険料の支払いを始め、いま医療に直接かかる人も、医療にかかる可能性に備えて先手を打つ人も、お金を出し合って皆で敬意を払いつつ大事に維持するのである。支払額と引き換えに、抜け洩れなく受診者の健康を管理する売買契約では決してない。
 この恵まれた日本社会に暮らす我々日本人が肝に銘じるべきは、ただの売り買いではないがゆえ、工数・コストの無駄を、国民の幸福を賭けて取り除いた、商売抜きの良識スピリットの業域として、現有医療システムを維持する心掛けではなかろうか。こんなに恵まれた社会は、世界にそうそう無い。
 これは一歩間違うと、医師を始めとする医療現場の職員さんたちに、精神論根拠で無限の高負荷を期待し続けるだらしない社会意識にもつながるため、くれぐれも注意せねばならない。医療業務の信頼性のぐらつきを防ぐためにも、医療システムの負荷状態は社会全体で気にしておきたい。

 いま新型コロナ肺炎という感染症が、社会的な規模で流行しているのは事実だ。
 これにより、日本国民の大勢が重度の呼吸器疾患に苦しめられたり落命したりしていて、また強い感染力により次々と健康な国民が手酷い症状に陥って、日本国内の社会生活がみるみる焦げ付いて止まってしまっていたとしたら、これは全・国家社会的な特別緊急対策を取らねばならない。
 現実としてそこまでは行っておらず、感染が拡大するなりに一定確率で発生してしまう重症者を受け洩らさないため、社会全体で協力して経済活動を控えましょうということで、この現況となっている。

 ふと、この現状から逆算して考えるに、今まで毎年かなりの不便と対応コストを被りながら、あともちろん少数ながらではあるが同じく重症・死亡事例まで被りつつ、インフルエンザに対しては『発生都度対応』で割り切ってたってことなんだよな。そのインフルエンザ、今年は随分と減っているそうだが。

 自動工作機械を使った部品の切削加工において、大きくふたつのタイプがある。
 ひとつは『インクリメンタル方式』と呼ばれ、切削開始点からX軸方向にいくつ削って工程1、Y軸方向にいくつ削って工程2、再びX軸方向でいくつ削って工程3、今度はZ軸方向にいくつで工程4…という流れでプログラムを設定するもの。1ステップ毎ラクチンに打ち込めてプログラムが簡単だが、工程数が嵩むたび開始点からの誤差が蓄積していく。
 もうひとつは『アブソリュート方式』と呼ばれ、原点から見て座標1(X1,Y1,Z1)から座標2(X2,Y2,Z2)まで削って工程A、次は座標3(X3,Y3,Z3)から座標4(X4,Y4,Z4)まで削って工程B…という流れでプログラムを設定するものである。原点からの相対位置をいちいち計算してプログラムする必要があり面倒だが、原点から切削刃先を位置決めする一次的な誤差で工作が完結する利点を持つ。

 物事インクリメンタルに進めてくると、過去に積算してきた過程のことが自然と思考判断のベースになるものだが、ふと気づいてそれがアブソリュートな観点で見て非効率だったりすることはままある。
 無責任な発言をするつもりは無いのだが、そろそろインフルエンザなど定番の処置が確立している感染症と素朴に比較する視点で整理しても良いのではないか。どちらも同じウィルス感染症なのだし。

 何よりも『政治家は人に会う仕事だから、群れて飲み食いするのもしょうがない』とかいう程度の対応意識が、弾みでひけらかされるような危機感レベルだろ?
 もし『所詮その程度のモノ』だったなら、何千万件ぶんのワクチンを、税金資本でどこぞの製薬会社と売買契約なんぞ、とんでもない現代医療技術の冒涜である。一応常識的にデマカセだったとして、ならばその質の悪すぎる発信源を特定し処分すべきだ。
 仮にもうしばらく経って、急造ワクチンの効力と安全性が見えてきたとして、重症化率・致死率の高い他国を優先する形で、当方は必要最小限に留めておくのが日本国の医療政策が採るべき措置なのではないか。

 以前にも述べたが、日本社会でまわっている経済単位もひとつひとつ組織生命体なのであり、瀕死に追い込まれれば生存を賭け思い切った行動の選択に出る。これらが現状のだらだら国政にキレ始めた場合、収拾のつかない事態になることを、そろそろ想定の範疇に入れておかねばならない。
 既に日本国民の意識は『アフター・コロナ』ならぬ『アフター・現政権』に移行している訳だが、どうか壊れずに建設的に方針転換したいところだ。我々は規律正しく、おとなしいとされる日本人なのである。では引き続き、グッドラック!
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