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【917】二次元画面上で受ける非オンライン講義の及第点 [ビジネス]

 パソコンが他用で塞がりながら緊急事態宣言がぶつかってくる流れを避けて、今朝のうちに。せっかく世知辛い話題がお休みになっているし、ステイホーム系でもう一回。

 公開当初かなり話題になっていたアニメ映画『天気の子』が地上波で流れたので観たんだけれど、もっと高校生の日常青春ストーリーかと思っていた。昭和のオッサン的には…すまん、イマイチ理解できんかった。
 もっとも、一面に無数の雨滴が落ちるとか、波紋の輪っかが拡がっては消えるとか、手作業で作画するには手が掛かり過ぎるシーンが、恐らくは3D立体データから動画ビューを起こす新技術により、緻密に描かれている。これはむしろ圧巻であった。
 こういうのが『ルパン三世 The First』やジブリ最新作『アーヤと魔女』なんかになってくると、もう『現実の描写』ではない創作バーチャル物理学が巻き起こす空間世界を現実と同じ勢いで視覚化する段階にまで到達していて、かなり驚かされる。だがそっちは今回ちょっと置いといて…

 2014年制作なので内容が古くなり過ぎないうちに紹介しようと随分前から思いつつ、”THE REWRITE”(=書き直し)という映画のハナシがお流れになり続けていた。
 本作の邦題が『RE:LIFE』と書いて『リライフ』とカタカナ書きで読ませており、このカタカナ邦題と全く同じタイトルの邦画が別にあるのでややこしい。申し訳ないが、邦画の方は観たことが無い。

 日本国内だと気にも留められず見過ごされていることが多いのだけれど、ハリウッド映画で『現地の気候』が舞台背景の伏線として象徴的に語られているケースは結構目に付く。
 近年日本人の知能レベルの低下にシンクロする形で『あおり運転』という痴呆語が普及してしまい、元来の問題事象が霞んだ感じもあるロードレイジだが、その映画化の原点にして代表作でもある”Duel”(邦題『激突!』、S.スピルバーグ出世作と言われるTV放映用映画)なんかは、『ターミネーター』シリーズの舞台でもあるLAからアリゾナ、ニューメキシコあたりの中西部砂漠地帯での出来事であり、要は『果てしない岩石砂漠の地で、誰も助けに来てくれない』という孤立不毛の世界観がベースになっている。まあ特段それが無くともストーリーとしては歯抜け感なく成立するから、そのまま深く考えることなく楽しまれているだけのことだ。

 さてヒュー・グラント主演の”THE REWRITE”『リライフ』だが、ハリウッド=殆ど雨の降らない晴れ続きで西海岸南部の明るく垢抜けたLA…から都落ちした脚本家が、北米大陸の真反対側の北東部ビンガムトン=NYから北西280キロの曇天の田舎町…にて、不満たらたら教職に就くところから始まる。
 曇り空のもと車に乗り込んで、寒そうに空調パネルの温度調節と送風量をぐるりとダイヤルアップするシーン、実は意外とそのあたりの土地柄の描写を含んでいるのだ。そうそう、私も5月半ばの30℃近いLAジョンウェイン空港から飛び、初めてNYニューアーク空港に降り立った時の第一印象は、曇天の薄暗さと肌寒さであったことよ。

 『大昔にイギリスを出てから傘なんて一度も持ったことなかった』
 劇中の、傘を買おうとするこの台詞で主人公の出身地と新天地での成功、そこからの転落が気候とのダブルイメージで語られている。その後の本編を通して、教室の窓の外に見える雨降りの景色なども『場の空気』のさりげない背景として、意図的に割り込ませて語らせられているのが印象深い。
 日本人は社会丸ごとの規模で千変万化の豊かな日本列島の気候【404】に暮らす世界観が当たり前として普及しているため、逆にこうした気象や天候に対するメンタリティ感度が、世界標準より鈍い一面があるのかも知れない。

 ”Whiplash”『セッション』【567】の鬼教官だったJ.K.シモンズが、この赴任先の涙もろい先輩教師として登場するのが個人的にはちょっとツボだったりするのだが、一般向けには、とにかくこの”THE REWRITE”『リライフ』は、登場人物のキャスティング・服飾・演出の行き届いた完成度のほうを強調してオススメしておきたい。
 ヒュー・グラントに絡んで人生書き直しの機を同じくするシングルマザー役マリサ・トメイ、登場シーンからラストまで、シーン毎の生活シチュエーションに応じた髪型とファッション、およびちょっとした仕草が、わざわざに飾らないなりに颯爽とキマっていてカッコ良いのだ。
 学生ちゃんたちも、一人ひとりキャラ設定と相応しい服飾による丁寧な演出が尽くされており、ヒュー・グラントを始め古株セン公のシケ親父どもも『イイ線をついた地味系よれ具合』でセンス良くユルいダサさが面白い。手のかかったトリックも大掛かりなアクションも無いが、人物描写に全面的にウェイトをかけた大人向きの造りの一本である。

 大学購買部のカウンターを挟んだ教職員と店員の会話として、人生の先輩方が目前でぶきっちょなコクり合いを始めてしまったバッド・タイミングに遭遇し、でも野暮な中断も入れず後ろで延々と列になって待たされてくれるエキストラ学生ちゃんたちのいでたちと表情まで、手抜かりは一切無い。そこからドアを開けた先に開ける、レアだが最高だというビンガムトンの晴天が景気よく気候バナシの伏線を刈り取ってくれて、スカッと爽快な気分になれる。
 某ブランド品をまとった悪魔バーサンを題材にした直球ファッション業界ネタの映画より、私としては断然こっちを推す。落ち着いたBGMやいかした会話の応酬まで含めて、お洒落な映画だと思う。

 あ、因みに私自身はいつも無頓着とかいうレベルではなくハチャメチャ然とした恰好しかしません。手近にそれしかなかったら、ピンク色のキティちゃんのTシャツにポケモンの帽子かぶって渋谷スクランブル歩いてやろうじゃないか。指差して笑われたところで、こんなオッサン誰も5分も覚えちゃいねえよ。

 で、今この御時世に改めて思うのは、学校の授業というものが、決して教師から生徒への知識情報の一方通行ではないという、本作のメインテーマのことだ。
 この実情、いざこんな事態にやむなし対応してみたら、実は通信回線を介して『情報』のやりとりだけで片付くコトが案外と多く、今やオンライン・ビジネス業界が賑々しい限りである。しかしこの”THE REWRITE”『リライフ』において、授業という目的項目を掲げて始まった対面コミュニケーションが次々と呼び起こす登場人物たちの人生の展開は、決して卓上ディスプレイ映像とマイク&スピーカー音声で置換・代用できるものではないことが解ると思う。
 この領域を実感ある有効策で埋め合わせずに社会活動が成立するものなのか、それとも成立しなくなりながらも埋めるに埋められず違った新社会形態に移行するのか、それともコロナ禍が収まってきて徐々に元通りに収まっていくのか、中長期的な展開になるんだろうが、非常に重要な問題だと思うし、私は慎重に観察している。

 人間は個人占有の情報を組み合わせて単独で思考し意思決定し、心身の振りを選択するのではない。故に現時点の『知っていること、経験していること』は『知らないこと、まだ経験していないこと』よりも優位でも何でもない。答はキホン他にある。
 手を尽くして生き抜いて次の展開に繋ぎ続ける限り、物事はまだ見聞きしない、新しいどこかに進んでいく。では引き続き、本日もグッドラック!
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