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【871】文化財ポリシー条文の語学体系 [ビジネス]

 今度は批判噴出に押されて追加ダメノマスク処置の逡巡か。東京じゃとうとう医者たちがキレたようだし、もうどうしようもねえな。
 組織同士の本気実力勝負になると、一人あたりの精神力+体力=個人パワーに人数を掛け算して決まる組織力の強弱で勝敗が決まるから、つまり少数派の支配階級に勝ち目は無い。独裁主義や階級制度というのは、周りの被支配側がノリを合わせてくれないと成立しないものなのだ。
 こういうのは圧倒的多数の大衆がその気を出した途端もう止まらないから、その気を出さないよう『いったん下民に向けて発令した支配階級の強制力には何者も抗えない』という絶対主従関係の空気を死に物狂いで強調しようとした結果の、このなりゆきなのだろう。

 さて民主主義は独裁主義や共産主義よりも高度に優れていて、逆に独裁主義・共産主義は未熟で劣っている社会統治形態なのだろうか?
 世界人類は民主主義一色の完成予想図を目指しながらも、現状そこにまで到達できていない出来の悪い連中が、まだ過渡的に独裁主義・共産主義の段階にいるということなのだろうか?

 民主主義とは『社会組織を成すヒトとヒトとの関係をどうさばくか』の基本コンセプトである。よって目前にある事物をオモテから観察し指差して、『おお、これは民主主義だ』と判別できるものではないのだと思う。

 例えばある共同作業を複数人で分担するにしても、一番得意なヤツが采配を振るってコトが進むのが最も効率よく成功率が高いことぐらい誰でも判るだろうし、それを望むんだろうし、日常生活では実際そうなっている。実にあからさまに、特定の個人ひとりの意思決定に、全員の行動が従っている構図があるのだが…これは独断で進む独裁主義なのだろうか?

 誰かが一番得意で上手くやれるからと言って、そいつが他者の意見を封じて好き放題にさばいてしまうと、これは確かに独裁主義的な振舞いだしそう意識される。どんなに上手くコトが運んでも、だ。
 そうじゃなくて、得意なヤツがみんなにとっての良案をまず起案・提案する形で始まり、程度はともかくそこに全員の意見が十分に加味され、総合的な意見集約と意識されながら、ひと声過半数が賛同した事実を経て、それを受け共同作業が実行される。
 この過程で生ずる『全員周知で、合意納得の成立』がポイントなのだ。

 『あーアレはそのへんあいつが得意でさ、どんどん引張ってくれて万事が順調、みんな大喜びで大成功だよ』なんていうケースをもって、誰かが独裁主義でつまらんけしからんと指摘された事例を見たことが無いでしょうよ。
 これって内情を与り知らない第三者の目には、個人勝手の独善独走で組織の方針が決まってしまい、仕方なく全員がその通りにして口裏だけ合わせるケースと、眼前の光景では見分けがつかないのである。
 この観点において、民主主義も独裁主義も『組織が意思決定して行動するにあたっての、個々人の内面的な気分の問題』であると言える。民主主義とは、『合意納得が行き届く精神風土のイチ形態』なのだ。

 民主主義国家も独裁主義国家も、それぞれに国土の資源や国民の生産力を駆使し、自国の市場で経済を切り回して、皆で衣食住を維持し文化生活をやり繰っている。そんなくくりで国家ひとつとして完結し、対外的に入出力するにあたっては、その国内が民主主義であろうが独裁主義であろうが関係ないのだ。実際、国際社会ではイチ対イチの国家組織間のお付き合いが普通に成立してるワケで。

 こんな真理をまず再確認して、では民主主義の現実というものを考えてみよう。
 全体の意思決定のきっかけとなるような起案の機会が、組織の個々人に高低なく均等に保証され、それを元に自由平等で率直な意見交換がなされて、最終的にみんなの合意が形成されるまでの、この一連の『プロセス』を、具体的な作業要件としてルール化すること。
 あるいは、みんなでやっちまった結果事実に対しては良くも悪くも内外から反応があるので、それを受け止めるための『責任者』を、特定の具備要件や選出の基準・手順により規定すること。

 これら組織の意思決定の現場における具体的な行動規範を日本語に書き落とした文書情報、これこそ我々が見て聞いて手にする『民主主義の現物、実体』である。モノとしては、日本語の文法に則って書面作成された記録情報でしかない。だから。
 これは『みんな等しく十分に意見を酌まれて満足できる風土』の保証=民主主義の本質とは、全くの独立事象であるということに気づいておかねばならない。
 そこに関わる人間が、おのれの意志で、民主主義の記録情報の真意を理解して、自分の行動に積極的かつ正確に反映させて、ようやく目的通りに機能する。ここは人間が自己管理するしかない。

 何かがヒトの文明ツールとして足りていないのではなく、『いかに凝った語彙と文法で表現精度を追求しても、情報は人さまや組織に対峙する心の在り方そのものを確定する手段にはならない』という、もう避けられない世の真理の領域のハナシである。
 どんなに民主主義の優位性を認めてゴリッパな文章を列挙したところで、それを前にして行動する人間の精神の品性が整っていなければ、実態はどうにでも歪められ崩されてオシマイということだ。そして、かの如く『人治式法治国家』という出来損ないモードに迷い込んで弱っていく【713】【720】
 ちゃんと皆でやる気にならなければ、絵に描いた餅だってことさ。

 もっとも文書情報は、勝手都合のデタラメ解釈で人治式統治の根拠に悪用され得るが故に、いったん組織の自我が拒絶の気を起こしてしまったら、今度はそれを手なずける手綱にもなり得ない。元が善政であろうが悪政であろうが、組織運営の統治力として通用していた・通用させられていた文章はあっさり蹂躙され、最強の組織生命体=『組織全体の自我』は気の済むまで何もかもやり尽くす。良くも悪くも『社会規律の崩壊』である。
 いま常識とされている『平和で平等で暮らしやすい民主主義社会』の空気は、所詮この程度のものなのだ。日本人は、日本社会の規律を守る目的意識が甘く、不真面目に過ぎると思う。

 地下資源もあるし、人間もいっぱいいるし、組織内の何割がどんな非民主主義的なフラストレーションを抱えているのか知らないが、お隣の大陸の方がいっそ少数支配の共産主義で割り切ってその通りにやれているぶんだけ、国力アウトプットの維持管理がしっかりできてるんじゃないのか?
 そりゃ瀕死の獲物を狙うべく、噛み付きやすい離島の様子を窺いにも来るだろうよ。

 そんなことにならないよう、我等が国家社会組織にチカラが残っているかも知れないうちに、ダメな組織運営層は総交換するんでしょうな。日本社会の自我は、自爆テロの自殺行為を思い直す正気に早く戻らねばならない。
 まだ手はかかるが、生き抜いてみんな一緒に直しましょうぜ。ではグッドラック!
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