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【861】個人不在の大衆国家 [ビジネス]

 『お前バカか、夏にマスクなんかするかフツー?』
 『あたりを見てみろ、みんなマスクなんかやめ始めてるぞー!』
 …と、いかにも日本人向けに言ってみた。とりあえず日本国組織ならぬ日本人同好会で波風立てずその他大勢でいるために、あらぬ嫌がらせや爪弾きに遭わないために、無能と強欲でやっちまった汚職ダメノマスクなんぞにだらだら調子合わしてるとビョーキになるぞ、アタマもカラダも。

 さて騒ぎも冷めた感があるところで、先日のSNS言論騒動に少し触れておきたい。
 なんでも若いお嬢さんが、ネット上で誹謗中傷の集中砲火に晒された末に御自身をあやめてしまったとかいう、例の一件である。
 私は詳しいことを知らないのだけれど、とにかく彼女が二十歳、いや今ならもう十八歳を過ぎた成年だったことはどうやら間違いないようだ。だとすると。

 いわゆるZ世代のデジタル・ネイティブで、一人前の社会人なんだろ?
 そんなつまんない理由でいちいち死んでたら、いくつ命があっても足りんぞ。
 もう一人前の年齢ゆえ誹謗中傷の受け取り方にも社会人相応の完成度を認める必要性があるというのなら、そもそもそんなとげとげしい言論を巻き起こした原因は自分でちゃんと突き止めて、そこに手を打たないと物事は解決しない。そこまでやる処理能力とセットで一人前であろう。

 私のような超のつく嫌な奴、どんな心清らかな聖人の純朴な施しも、裏の裏まで勘繰って悪意や邪心のありかを一方的に見出して、感謝どころか非難の罵詈雑言で返すような人間が、平然と暮らしているのがこの社会なのだ。悪知恵を駆使して法律さえ侵さなければ、これこの通り善良なイチ小市民の身分など朝飯前で手に入る。
 で、彼女の使っていたSNSも、そういった連中まで含めて一切ふるいにかけず投稿を受信してしまうやつだったんだろ、よく知らんけど。
 そんな荒んだ情報空間に、これまたよく知らんし知りたくもないが、マトモなお家の嫁入り前のお嬢さんなら、仮に実際その苦境に陥ったとして、大親友相手の鬱憤晴らしにも絶対しないような惨憺たるアバズレ全開のプライバシーひけらかし漫談、こんなものを一応でも実話仕立てで自ら投じたのだとしたら、そりゃあいろいろ世間じゅうのヒマ人が相応のツッコミを入れてくるんじゃねえの?つか、アンタ自身がそれ欲しかったから、そうしたワケでしょ?

 …とここまで、あれが実在した事件だったという前提のマジレスである。本当の事だったなら、まずは前途ある若者の命が絶たれたことにはその無念を酌んで、ここに御冥福をお祈りしておきたい。
 ついでに一応言及しておくと、彼女が未成年だったなら全ては保護者マターとなり、自身の精神的限界を超える世論の反応が返ってくる危険性を教えた上で、管理のもと機材を持たせる責任が、親御さんにある。
 どこからどうにでも繋がるのが高度情報化社会であり、自分に向けられた情報をどう受け取るのか、その情報をどう処理して行動を決めるのかは、ノーチョイスで本人個人の自己管理にしかなり得ない。

 問題は、本件をきっかけに、国家権力が『コトバ狩り』する法律の新設をを提起しようとする動きが見えたことである。
 『人が死ぬのはイケナイことだ、人が死んだら犯罪だ、加害者の責任追及が必要だ、発信元を特定するための法律を作らねばならない』という超絶デタラメ四段論法が強調され、本来ヒトが命を落とすかどうかのクリティカルな崖っぷちとなる、個人の自己管理ゾーンとは無関係なところ=情報の発信元に国家権力の監視をかける目的が明白であった。早いハナシが人命尊重をダシに使った言論統制の正当化である。
 一般世論ではなく、役人や政治家の間で聞えよがしの急速に流されて、烏合マスコミのおもらい雛壇がさもその重みありというテイで頷き合い、まあ当面は深入りもせず収まった。だがこんな時こそ、ここぞとばかりに『言論の自由の侵害だ、戦争できる国の足音が聞こえてきた』と絶叫するはずの左巻きどもが、異様に大人しかったのが少々気になっている。

 いずれにせよ、こんなとんでもない人権侵害談義が公共メディアのコンテンツになって平然と流れてしまうのは、民主主義の普及した所謂『先進国』としては、到底あり得ない事態なのではないかと思う。
 戦後昭和の冷戦時代、欧米つまり西洋諸国に対して、ソ連・中国など東洋には社会主義・共産主義の国家が主だっていて、『西側』vs『東側』という表現は『資本主義の自由経済国家』vs『社会主義の管理経済国家』という意味で使われていたものである。
 当時において日本国は、極東に位置しながら異例に『西側』の一国として語られていたが、そう言えば世界各国の安全保障の勢力枠を考えるにあたって『北米の属国』という意味で、日本国自身が内向きに自国を語るにあたって、自称で『西側』としていただけではなかったかと回顧している。

 何でもかんでも欧米式の合理的な社会参画意識が優れているというつもりはないが、個人と組織を階層的に区別して意識し、それら各々の自我が齟齬なく階層構造で噛み合うことを目的として社会に発生したルールを、ロジカルな実効策として明文化しそれを法律に持つという、クリアな構図が成立しているのは欧米式だ。
 とにかくこの世に人間という生物がばらつきながらいっぱいいて、そいつらの間で情報の交信や記録という相互作用が起こる。ならば法律という情報を共有の接点にして個々人の自我を交通整理すれば、組織という上位スケールの生命体が建設的な自我の展開をもって面白いコトを起こすし、それは個々人の自我にとっても各自が一人で得られない良いコトにもつながる。そのコンセプトが『社会組織のDNAレベル』で浸透しているとでもいうのだろうか。

 おっと早くも結構な分量になってしまった。
 多種多様な人間の集団が、全方位に均質なダイバーシティ志向で各自の得意分野を活かしながら全体的・多層的に繁栄を目指すという人類文明の難課題は、たかがおセンチ系の人類愛を万人に適用して一朝一夕に解答が出るものではなく、激しい競争や痛い衝突、辛い失敗を度重ねて対処法式に精神規律を作り込み、ようやく現時点の『先進国』と位置付けられる検討段階に到達できているに過ぎない。
 異質・異文化の脅威に晒されなかった島国ニッポンは、『個々人の相違』や『個人の責任』を人間個人の存在意義として意識し、意図的に社会組織に役立てるスキルが未熟なのだと思う。
 だからだが『最初に群れた小集団の馴れ合いを暴走させない』目的意識を、日本人の精神構造としてナニもないところから、改めて設定する必要があるのではないだろうか。

 あらら、もっと早く片付くトピックのはずだったのに、まあいっか。
 せっかく大阪が先陣切って治験に踏み切ろうとしているコロナ肺炎のワクチン開発を、嫌がらせの爪弾きで妨害にかかるような老人同好会の自爆テロ国政じゃ、国力も時間も無駄になるばかりだ。
 大阪発を日本国民みんなで育てて、変えましょうぜ。では引き続きグッドラック!
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