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【809】消え失せた真実のアリーナ [ビジネス]

 今年はクリスマス騒乱がさっぱりで、いきなり年の瀬モードが来たという感覚、やはり私だけではなかったようだ。そう、どこも景気悪くて気の毒なハナシばかりなのである。

 『消費の落ち込みをいかに抑えるかが財務政策のポイント』だったんじゃねえの?
 それを理由に、あほみたいな電子マネー限定のお得プランが四方八方ガイキチ乱れ撃ち状態になり、現金主義世代との不公平はどうするんだってことで精神異常CMのプレミアム偽造紙幣までばら撒いて、あれからこれからグチャグチャにしちまったんだろ?
 …で、ホントは今期に始まったこっちゃないんだが、税収は落ちるといよいよ事前に公言してみたと。救いようがないな。
 今さら『消費が冷え込んで困ったなあ』を起点にするハナシなんぞどこにもねえんだよ。
 次は年明けて確定申告の季節に、税務署の窓口職員さんたちがぶっ壊れるんだろうな。

 先にシーズン中のうちに『忘年会スルー』について、もう少し走り切っておこう。
 次回が年内最後の更新になるので、一応でも今年1年の総観的なレビューになるようなカタチも取り繕いたい。うまく行くかなあ。

 社会の高度情報化により、『みんなが共通に捉える大広間としての社会空間』がなくなったのではないかと思うのだ。ここで強調したいのは、マス・コミュニケーションなる概念の消滅である。

 我々昭和世代は、まず万人共通の大広間たる社会に暮らしているという認識を持っている。その大広間で、みんなに知らせたいコト、みんなが知ってるべきコトが、『広告』『公共言論』などと呼ばれマス・メディアに乗っかって飛び交っているワケだ。これをマス・コミュニケーションという…んだよな。
 いっぽう家族同士や親しい友人を始め、特定の少人数の間でのみ交わされる通信は、『個人的』『プライベート』とされ対面会話や電話や電子メールなどによるもので、オオヤケ発信によるマス・コミュニケーションとは明確に区別されていると思う。
 まあ『社会の出来事』としてテレビやラジオや、あとインターネットのブラウザーも入るか、そこに顕れるマスコミ情報コンテンツを受信して自分なりに解釈しては、昔なら友達に電話をかけてそれにまつわる見解を述べて討論したり、あるいは自宅に知人を招待して我流トライアルの思考成果を披露して閲覧してもらったり、まあその場で到達する限りのプライベート通信を楽しむのですね。

 端的に、スマホ世代の若い人たちにこの区別はなくなっているのではないかと思う。
 電話にしても自宅招待にしても相手の時間と居場所を拘束するし、交通費や外出の手間もかかったりもする。だが特定のクラウド空間に自分の話したいコトをぽんぽんアップしていけば、普段からウマの合う仲間たちが各自の都合次第に受信してくれて、どんどん反応して会話をぶら下げてくれる時代になった。グループ設定を変えれば、適宜に相手となる客層=コミュニケーション空間を切り換えることができる。
 これって、電話や訪問会話の面倒を省けると共に、ジブン目的別の視聴者が待つコミュニケーション空間に『ジブン特集』を放送して暮らしているのではないかと思うのである。
 今を去ること数年前『オマエの機種、古すぎてもう修理できねえからな』の最後通告が届いたガラケー【20】の私にはさっぱりワカランのだが。

 この仮説が当たっているとするとスマホ世代は、自分とお互い気心を把握できている客層相手に気ままなミニ番組・ミニ新聞・ミニ雑誌を投入して、視聴者のカジュアルな生の声をリアルタイムで受け取りながら日常を暮らしていることになる。昭和世代にとって、別々の娯楽性をもって受け止められていたマスコミ受信とプライベート通信が、自由自在のお手軽なコンテンツ制作段階の楽しさまで一体化して、若い人たちの関心を埋めているのだ。
 次々と発信情報をアップして思い思いのチャット会話の展開に花が咲いたその後は、放っておけばせいぜい1日で自動削除されるから、後始末の面倒も気にせず一切が残らない。

 対して、取り合うのも馬鹿馬鹿しいような禅問答を繰り返してコンプライアンスとやらで自らを縛り、政権や役人の監視と嫌がらせに怯えて泥の地面にひざまずき、忖度だか何だか知らんが大のオトナが真顔でウソしか流さないのが今のマスコミだろ?
 例えばテレビなんか、若い人たちが自ら撮影し集音し、それを編集して発信し、お得意様たちからの受信閲覧まで全てをこなすそのスマホを、テレビ受信モードに切り換えてもらえないと視聴されない。何の理屈でどんな自己弁護を吠えようが、これで勝負になるとは到底思えないのだ。
 『マスメディアで見かける級の有名人』と聞いて、多少でも人並み以上のプラス評価を見出す昭和世代の感覚などもうとっくに消え失せているはずである。今の子たちには、おバカ作法や嘘っぱち演劇に甘んじて暮らす意味が解らないだろうし、そもそもがそんな無駄なモノ視界に入らない生活になっているのだから。
 だから世のギョーカイ人どもは制作費が枯渇して税金の餌付けで食い繋ぐのが精いっぱいとなり、ときに役所からときに反社会的勢力から、異常な高額の報酬で目も当てられない違法ビジネスみたいなおもらいにありついていたりもするのだろう。これだけ日本経済の基礎体力を疲弊し尽させた以上、業界正常化を自社イメージに重ねて引張る正義のスポンサー企業も現れるまい。これでは『権力の監視役』もナニもあったものではない。

 以上のようなマルチプライベート・コミュニケーション社会が日本国の次世代領域に拡がっているとして、御社の忘年会はそこに鮮烈な一矢を報いる良質エンタメ企画になっているだろうか?
 若年層スルー派の最大多数が『できれば忘年会に参加したくない』で占められているのに対し、その割合はトシを喰うにつれ減少していく傾向なのが興味深い。代わって、最若年層ではほとんどゼロに等しかった『絶対に参加したくない』が、加齢とともに右肩上がりに増加してくるのである。
 なんだよ、若い人たちが『ホントに価値あるんなら参加したい』と忘年会を量っているのに対して、トシ喰うにつれ『こんなもの価値が無いから絶対ヤダ』と確信する古株が増えてってんじゃねえかよ。だーめだ、こりゃ。

 当たり前だが、相手の情報が信頼できないコミュニケーションに意味は無く、そこを判りやすく保証できない発信者は関わる価値を見限られ捨てられる。『情報』で日本社会を定義した時、現行のマスコミは今すでに影も形も無くなっているのではないかと思うのだ。
 おのれの生命の危機に気付いて起死回生、の動向の有無に注目である。

 次回は『情報』で考える新しい社会モデルについて述べてみるか。うまくまとまるかなあ。
 そういうのを夢洲人工島ラボで実験確認したいんだよな。大阪の成長を止めるな。
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