SSブログ

【807】老人会スルーの御多忙次元トラベラー [ビジネス]

 このところ『忘年会スルー』なるコトバが飛び交っていて、なかなか面白い。
 『職場』なる共有スペースで一堂に会して執務する業態がある限りは、その職場組織の自我が肩の力を抜いて遊ぶレクリエーション企画はあった方が良いんだろうな、今の時代でも。
 『業務活動をもって成果を上げる』という一律の目標事象めがけて組織の自我が集中して取り組むためには、時に組織の都合=仲間の都合を、自分個人の都合よりも優先する必要がある。お互いを大切に思う仲間として腹が割れていないと、これが実現しないからだ。

 職場ではいろんな人間がいろんなところから集まってきて出遭うため、決してただ自分勝手な主張同士がぶつかり合う訳でもないのに、たまたま一時的に噛み合い損ねて以降の経緯がうまく折り合わず、それが人間関係の軋轢になっていたりする。
 こんなケースにおいては、砕けた空気感と酒の勢いを借りて、不運な行きがかりで組み上げてしまった相手の悪いイメージを遠慮なく指摘し合い、また酔払ったゴキゲンでそれらを寛大に受け止めて、お互い悪気のない真意を認め合って協力体制が構築し直される…みたいな、職場風土の整備効果が確かにあった【56】
 ただ昨今は、良くも悪くも職場への関わり方すべてがドライかつ一面的な割り切りでなされるものとなってきており、かつてなら人生観を左右する重大事象として腹を割ってまで確かめた、その共同体意識の本丸が、昔ほど人生のかけ甲斐を感じられる至高の対象でもなくなっている。

 時代は流れ、現代の若者たちが人生の時間を泳ぎわたる海原の情報の波は、質も量も大きな変貌を遂げているのだ。
 私なんか完全なる置いてきぼりロートルで、今風の生活スタイルなんか真似しようにもできないのだが、簡単に言えば今の若い人たちは『他のコミュニケーションで忙しい』、これに尽きるように感じる。

 別に交わさなくてもいい死ぬ程どうでもいい会話をだらだら無限に続けるばかりで、実用的な情報収集もしなければ発想や思考展開など情報生産もしていない。頭が痛くなるような哲学書の読破に挑んだり、宇宙の成り立ちに届くような数式の解明に取り組めとまでは言わんけどさあ、それにしても何か他にやることないのかよ?…ってのは、昭和世代なら誰も大体が思っていることだろう。
 『情報的に意味薄すぎの生き方』、実は私もその印象を否定するつもりはない。

 では若者たちの他愛もない通信内容の、ナニがどうイケナイのか掘り下げて考えよう。
 リアル忘年会という古株たちの大事なコミュニケーション空間を放り出して、スマホでお気軽に繋がれるバーチャル空間のコミュニケーションを優先してしまうワケだ。そりゃスマホ通信のコミュニケーション空間の何が便利かって、イヤな相手をそもそもからその世界に存在させないで済むじゃんと。
 だから彼等は、職場通信用と親密通信用ではアカウント=自分IDを違えて、つまり用途に応じたコミュニケーション空間を、別人の自分が振舞うもうひとつの時空として、別途に構築する。多種多様な通信アプリが林立する多次元ネットワーク市場で、目的別の通信世界とそこ専用の自分自身を置き、各々でごく自然な日常を暮らしているのである。
 そこには自分理想のコミュニケーション枠のみならず、義理や強制で参加せざるを得ないものも幾つかあるはずで、そうなったらそこ専用の自分をまた一人立ち上げるんでしょうな。
 おっさん視点で、確かにどうでもいい無意味な会話なのだとしても、並走する多次元世界を同時進行で生きる若者たちにとっては、日常的な交信をごく普通にやっている状態なのではないだろうか。結果的にそれがおっさん基準の世界観の果てを超え、『長すぎる』占有時間に映っているだけなのだ、きっと。

 さてハナシをリアル忘年会に戻すが、前半に述べたように本来は『若い人たちが腹を割りたくなるような組織に、実際に腹を割ってもらうための情報マッチング空間』として開催すべきなのだろう。

 だがどうだ、お宅んちの昭和世代には、若い子の親密通信用アカウントの有無を知りたがったり、そこでの会話を隙あらば覗き見たがったりしそうな人種はいないだろうか?
 自分に向けての送信が止む無し付き合いジャンク通信用のアカウントからなのが判った途端に、執拗な嫌がらせに転じたり、当人周辺の人間関係を血眼で漁ったりしそうな人種はいないだろうか?
 このへん余計な問い詰めをしてはぐらかされ、そしたら今度は相手かまわず返事が悪くなり、不機嫌モードで陰鬱の毒素を職場じゅうに放散する、そんな人種はいないだろうか?
 ここで目線が泳ぐようなら、まずそのキモくてゲスい異常老人を削除してから、『若年層の忘年会スルーは困った傾向なので、手を打ちたい』と問題提起すべきである。あ、こういうのってその性向を隠して隠せるものではないので念のため。この情報的な濃さは有意義なのか?

 子供たちが就きたい職業としての『公務員』の人気は根強いらしいが【476】、官僚になりたがる人材がいなくなっているのだという。
 総じて現代の若者たち子供たちは、良くも悪くも昭和時代の粗野な逸脱部分がなく、洗練された権利保障をよく理解している。つまり昭和世代が『自分勝手を押し通して許されるモノ』『仕方なく皆が調子を合わせてくれるべきモノ』と当て込むその感覚、そんな箱庭ママゴトのお付き合いを愚痴りながら楽しめる感覚は、わざわざの険悪な抵抗もしないままスルーされてオシマイだ。いい気で押し切った横車は、永久に誰にも振り向いてもらえない末路を辿る。

 今般の『忘年会スルー』を見るに、世界標準に照らして不可解なまでに従順でおとなしいとされる日本人も徐々に国際化が進んでおり、だがさすがの我が国は香港のような事態に達する前に、『もう新しい世代は、従えない圧力にはきっぱり従わない』と意思表示しているのだったりすると面白いんだがね。

 野党たち、あげつらって決して充実感も無く見映えもしない役回りになるが、この自爆テロ犯罪者政権のやらかした狼藉を徹底的に突き上げてやって欲しい。
 若い子たちは必要な情報だと納得すれば、不快でもきっちりこなして把握する。無自覚や邪心で『いい加減にしろ、他にやるべきことがあるだろう』などと抜かすズルくて馬鹿な大人より、訴えて刈り取るものは大きいぞ。

 以上が理解できるなら、変化点の節目事実は来年の大阪都構想の住民投票になることも察しがつくだろう。
 古く薄汚いシガラミを捨て去ったシンプルな合理性の時代だ。大阪の成長を止めるな。
nice!(6)  コメント(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。