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【802】7年越し苦学カリキュラムの履修率 [ビジネス]

 本日をもってステロイド断薬から満7年、残念ながらまだ完全には復調し切れていない。
 概ね離脱完了OKと確信できたら、同じ道のりを行く方々のため利用しやすいシリーズ形式に整理して連載する構想があるのだが、まだそれをやるには時期尚早と甘んじざるを得ない。詳細はいずれ来たる時に見送るとして、一応の節目記録を残しておこう。

 遂に今夏8月、寝ても起きても意識のある間の絶え間なく苛まれ続けていた、頸椎のしつこくしぶとくいやらしい痛みから解放された。私にとって脱ステ苦難の最悪アイテムのひとつであった。
 硬質ゴムを融かして痛み成分をふんだんに混ぜ、道路工事用カラーコーンの型に流し込んで固めたとしよう。この『痛みゴムコーン』が心臓で生成され直上めがけて次々とせり上がってきては、下から首を貫通して後頭部の深くに突き上げ刺さり続けるのだ。一体いつまで続くのか、真剣にツラかった。
 鈍痛と呼ぶには輪郭がはっきりし過ぎている。激痛と呼ぶには果てしが無さ過ぎる。いま生きている時間の背景となって、この世の全てに覆い被さり続けた人生年表級の災厄である。コレがどいてくれただけで、大袈裟ではなく世界に垂れ込めていた厚い暗雲がようやく晴れたかのような一大成果だ。
 断薬後1年半あたりに首が真っ黒に腫れて以降、ずーっと残っていた首周り一帯のクスリ焼けが消滅しつつある。時間はかかるが、逆に辛抱強く時間をかければ、物事は自然なバランス点で釣り合うものなのだ。あと内面側で、舌の奥と喉の荒れが抜ければもう少し人生明るくなるかなあ。

 今年は『クッシング症候群』に相当する症状の解決過程をやり過ごしてきた1年であった。
 クッシング症候群とは『副腎皮質機能亢進症状』とも呼ばれ、ややこしいハナシをかっ飛ばすと、ひと声『内分泌やりすぎの暴走で起こる一連の諸症状』のことである。
 現状の私が医学的にそのものズバリで該当するかどうかは判らないが、ステロイド依存により免疫力が長く抑制され、その弱体化した免疫力に釣り合ってしまった全身の体組織がまずあって、ここから断薬により免疫力が元の強さに回復するにつれ、体組織の更新がそれに追い着いて釣り合うまでは、ずっと『免疫力やり過ぎアンバランス』の常態化を継続しながらここまで過ごしてきていることになる。
 本来のクッシング症候群は脳下垂体の腫瘍などのため内分泌制御が狂ってしまい、内分泌系の作動が暴走することによって起こるものだとされているが、私の脱ステも『内分泌やり過ぎアンバランス状態の継続』という点ではこれと共通して不思議ではない。

 その具体的な症状はというと、顔面が腫れて肥大するムーンフェイス、肩周りの脂肪沈着によるバッファローハンプ=野牛肩、いわゆるメタボ体型化の中心型肥満に、多毛症だ傷が治りにくいだ、ゲンナリするような症状アイテムがずらりと並ぶが、程度はともかく私のケースでは軒並み該当していた。
 もう全身どこにも深く大きい傷はできないにしても、むしろ身体の核心部にヤク離脱の中心が移ってくるので厄介は厄介である。断続的に心臓がガクンとパワーダウンするのと、脳神経および脊椎の通信メイントラフィックが導通不良になって、人間ひとりとしての情報処理機能が寸断されるのが困る。

 緩慢になったとは言っても、核心部で体組織が更新・置換されたのち、身体の厚みを貫通して内外の体表面から廃棄されていくため、途中経路が腫れて荒れては避けられない。
 どうもこれが『認知機能テンプレートにシンクロした受信動作』を妨げているようだ。つまり人間は偶然に飛び込んできた景色や物音を全て検知しているのではなく、『見ようとする画像、聞こうとする音声』など受信情報のファイル形式テンプレートをあらかじめ持っていて、それに合わせて『見に行く・聞きに行く』という積極的な感覚器の稼動による整合過程を経て、そこまで叶って初めて情報処理の材料として視覚・聴覚の認知領域に乗ってくるのではないかと推察したハナシのことである【740】

 随分マシになったとは言え、不調の時には電子メールの受信トレイや表計算ソフトの数値データを全くいじれない。まだ左目の動きが鈍いのはわかっている、だから数字を見ている認識はあるがそれを情報処理の対象として意識のまな板に乗せられない。『ちゃんと見に行けていない』のだ【742】
 特にパソコン操作においては一発の『ポチる』で決裁プロセスが進んでしまうワケだが、ざーっと眺めながら『ハイこれはこう、ハイこっちはこうして…』とポチポチ進めていると、明らかに先に手が間違えてポチってしまい、アタマが確実に『ハイこれ』と判断したのを流し見て、一瞬どころか数秒ときに十数秒遅れて人格意識が一連の顛末に気付き、失敗した事実に慌てる…という順番の展開を今夏以降で最低3回は経験している。
 大丈夫な好調期からダメな不調期に変わるきっかけが自覚できないので苦労するのだ。

 同様に、十分な音量でも流れてくるコトバをちょくちょく捉え損ねるため、どうしても内容を逃したくないテレビ番組は録画しながら観て、適宜に再生で『構えて聞き直したり』もしている。
 もう長らく楽器にまとまった時間触れられていないのだけれど、耳で確かめる出音と手元の感覚が揃って意識に乗って来ないため、それらを受けて繋がってくる演奏行為も音楽構成の組立イメージも成立せず、むしろ断薬後3年目まであたりの方が、苦痛と戦いながらも一応やれていたのが懐かしい。
 スポーツや絵画制作などにも同様の情報処理停滞モードが起こると思われ、まあ脱ステ中は人生の楽しみを諦める覚悟が必要だと思う。裏返せば、どんどん物事が楽しめなくなってくるのには『廃棄体組織の通過による認知機能障害』というメカニカルな理由があり、何か得体の知れない鬱的精神疾患にやられたと思い込んで気が滅入ってしまわないよう、自己の心理状態の管理が大切だ。
 何しろ時間限定で自覚アリの好調期が訪れると、突然かつての『何でもできる、何でもやりたい、何でもやろう』のイケイケ意識状態…というか全身の稼動積極性パワーが勝手に戻って来るのだから。『できる』と『やりたい』は日本語として区別できてしまうのだが、人間の自然な稼動スタンバイ状態としては同一事象を指しているのではないかと思っている。

 このあたりはいずれ『アレクサンダー・テクニーク』なんかと比較考察できるかも知れない。なかなかに難解な心身制御方法論なのだが、私がぼんやり抱いていた経験則とよく合致するので驚いたものである【363】
 いま脱ステを頑張っている方は、難解なままの断片知識としてでも仕入れておいて損はない。ただの健康体で解説の真意が解らず四苦八苦するよりも、離脱過程の内的感覚を通して自分の心身を客観視しながら、ある意味ロジカルに取り組みやすいのではないだろうか。

 今がダメなら直すしかない。一旦でも問答無用の一斉停止が必要ならそうするしかない。
 近道が見つかっていないなら、正しい方角を確かめてそっちへ歩くしかない。歩き通すのに時間がかかるなら、その時間をかけるしかない。
 逆に、そこに十分な勝算をもって取り組むなら、確実に目標までの距離を詰めて行ける。

 ナニがおいくらでどう処置するかを認識できない決められない。五輪のスポーツ祭典をまともに面白がって準備できない。遂にはただ桜を見て普通に楽しむことさえできなくなってしまった。莫大な数の要素で構成する組織生命体は、古びた廃棄物のお陰でなかなかおいそれと方向転換できないものだ。
 だが確実な実効力が足場を固めて伸びているなら、目指して目標に到達する日が来る。
 大阪の成長を止めるな。
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