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【593】冬休み家族団欒リビング経済 [ビジネス]

 あれまあ、例の相撲取りやめちゃったか。相撲は詳しくないんで今ひとつ響かないけど。
 詳細のいきさつは業界内部事情のハナシなんだろうし私には知りたい理由も無いが、『もうアンタらの時代じゃない、オレたちの時代だ』という後輩たちの発言が気に障ってのコトというのが本当なら、そりゃオマエ個人が全然だらしないだけじゃん。

 誰が何の道具で何回叩いたとか、誰があれ言ったカレがこれ言った、そのどれどれがホントだウソだ、これって相撲取りの悶着というより保護者不在の場でやった小学生のケンカの後始末そのものじゃないの。やってて恥ずかしくならないか?
 連日いい大人がよくこの幼稚な話題で公開雑談の場を持たせられるよなと呆れ返るばかりだが、こんな時『黙れハエども!相撲界には相撲界の文化ってもんがあるんだよ。我々の問題だ、失せろ!』と一喝して瞬時にコトを収められるヤツって、一人もいないワケ?
 そういうヤツこそ、日本社会の中で成立してきた相撲業界を守り続ける偉大な先達だろう。
 『業界内の上下関係として、上からモノを言って』誰もが認めるはずだ。みんなで暮らすその世界が内外に辻褄を合わせて回るよう、ここ一番の局面でおのれ個人がひと肌脱いでこそ上位者の資格がある。

 相撲界に限らず、昨今は自分らを育ててくれ自分らが御世話になっている世界もロクに守れない、荒廃や陳腐化を許しながらぶら下がるばかりの『器でない』フヌケのカスが、根拠のない権利意識で礼儀作法の施しを要求する空回りが目立ち過ぎるのだ。
 我々世代、部活なんかが身近になり始める年齢の時代によく話したのは、『居住まいを正し敬語で接する気持ちは自然に発生する。それを実際の行動や態度で伝えるのが礼儀』という考え方であった。ウン、その通りだよ。

 キモチの方は先達が立派な行いを示して、組織空間の空気として整備するのが世の道理。
 この空気がきちんと保たれている状態を、みんなで組織の生活習慣の姿として具現化し、維持管理する。これが礼儀作法だ。
 そもそも礼儀というのはどっちが上も下もなく、各自が自分の立場から相手を尊重するココロの表現として交換し合う行動様式であり、ママゴトのお父さん役に優越感を与える遊びごとの型式マニュアルではない。
 私は、伝統芸能や格闘技などの文化活動の存在意義のひとつに、社会でこういったメンタリティを象徴的に維持するためという目的があると思っている。

 こんな社会規範の原則をちゃんと理解もしてないクセに、たかが会話の行きがかりで逆上するトラブルの発端も不可解なら、ゆとり小学校のような価値観を振りかざしてたかってくる野次馬の群れを追い払いもせず、むしろその顔色を窺いながら二転三転のしどろもどろで応えるのも不可解だ。
 スポーツ新聞の言葉を借りて、日本社会の馬鹿馬鹿しさに『もう精神的に限界』というなら話は解るが、これで屈して今日までのキャリアを投げ出せるくらいなら、さっぱりやめて構わないと思う。

 ところで、やめて済むなら簡単なんだが、我々は日本国民をやめる訳には行かない。
 だからこそ今日を生きる社会人には、自分より若年層に対して自分自身の立派な行いを保証し、努めて暮らし易い日本社会で彼等を迎える道がノーチョイスとなる。逃げ道は無い。

 久し振りに、ピーター・M・センゲ著”The fifth discipline”(邦題『最強組織の法則』、徳間書店)を話題にしてみよう。この本には『ビール・ゲーム』という模擬実験が紹介されている。

 小売業者、卸売業者、ビール工場の市場開発部長の3人一組で、流通ルートを作る。
 わかりやすく種明かしからいくと、ゲームの意図としては、『市場の製品ニーズの変動が時間遅れをもって流通上の発注数に波及し、流通経路上の全員がてんてこまいさせられる現象』の再現である。
 3人相互の会話および書き落とす数字の目視は一切禁止として、ゲーム開始。
 まず、小売業者役は例えば『10ケース』と初期発注数を決めてメモ用紙に書き、二つ折りにして卸売業者役に渡す。これを受け取って見た卸売業者役は、自己判断でビール工場部長役への発注数を決めて別のメモ用紙に書き、二つ折りにして工場部長役に渡す。
 次はその逆順で、工場部長は自己判断でビール出荷数を決めてメモ用紙に書き、卸売業者に渡す。例えば『10ケース』の発注に対して、余剰在庫が怖いので『9ケース』とか、逆に品数ショートが怖いので『12ケース』とか。こうして小売業者に納品数が届いたら、それを取り置いて1クール終了。2クール目は、また小売業者役が新しいメモで第二次発注をかける。

 この一連の流れを何度か繰り返すとしよう。小売りが毎回10ケース発注なら5回も続けば工場生産も10ケースに一致して安定するのは解るだろう。
 だがここで小売発注10ケース、15ケース、25、50、70…とやると、あっという間に数量計画の勘どころは完全崩壊する。さらに70、65、50、60、30、10、10、10…と変動を織り交ぜながら元に戻してみよう。途中、発注数vs納品数の差はどうなるだろうか?店頭の様子って…
 何クールで元の安定に戻るかはゲーム経験者の私にもわからない。面白いので一度ためしてみて御覧なさい。
 人の憶測というものが、いかに発散方向の基本特性を持っているか痛感できる。

 ”The fifth discipline”では、CMによりあるブランドのビールがブレイク、当初は小売店が品薄に悲鳴を上げるが、これが後に信じられない在庫を抱えることになる仮想事態を紹介している。そう、物流も経済も部位別に大きなイナーシャを持っているため、なかなか動きにくく急に止まれない。
 誰もがわかった風を装うが、それを念頭に置いた自律思考が、実際いかに難しいかということだ。客先発注数に対してショートを承知で不動を決め込み謝り倒して切り抜けるとか、余剰在庫を抱えるリスクを呑んで倍掛け仕入れするとか。
 簡単なゲームだし、これ一回読めば手順は完璧だろうから、年末年始に御家族でどうぞ。

 では、小売業者の発注数を10ケースから任意のペースでクール毎に増やして行き、工場部長は『好きに増やして構わない』ルールに変えよう。
 20クール回した後、小売業者の手元に戻ってきた納品数の合計はいくつになっているだろうか?発注数の合計と比べてみるとよろしい。
 かなり本質レベルで乱暴な簡略化になっていることを断っておくが、それにしても、毎回の発注数=プライマリーバランスを緊縮管理しないこと、供給数=通貨流通量の制限を異次元緩和することが何を意味するかイメージできるだろうか?
 ハイ♪ 結果を眺めて全員唱和、『ワタシのせいじゃありません』っと。皆さん、御立派!

 その無責任の積算値が1千兆円を超えたってことさ。それでもまだ懲りずに、『政策をひたすら実行』するのが国民の意志だとよ。
 いいか若い人たち、人生も残り少なくなって、テレビに映りながら顔も上げられないまま、隠し事や嘘ゴマカシしかやれなくなったバカな大人どもをよく見ておけ。あんな顔になりたいか?

 後味を直すため、冒頭に話を戻す。
 まだまだ羽根をつけてやるから、顎上げずについて来いよ! あなたがたの時代だ。
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【592】夢遊病の勢力基盤 [ビジネス]

 巷はあちこちでクリスマスの装飾やBGMが目立ち始めた。まだ、ひと月あるんだが。
 とりあえず華やかさとは無縁の、ハードめな政治経済の話を続ける。ややこしい時期に、無駄で余計な解散なんぞやるからだ。迷惑千万もいいところである。

 例のゲタ数政党【580】が某所でちょいと話題に挙がっていたので触れておこう。
 政界にあっては軽減税率なる法案推進の中枢的存在、『公』務員の『明』日を優先するための政党である。
 この政党が、ナントカいう宗教団体と密接な関係にありそうってのは有名な話ですな。
 それが本当かどうかはともかくとして、宗教団体はカネにまつわる社会的特性において、特殊な点がいろいろとある。

 宗教とは『ある世界観を共有する人々の活動単位』ということができる。
 『ある世界観』だから、それを受け入れられる者もいれば、受け入れられない者もいて、つまりは社会で一律の価値概念が成立しない。ベタに表現するなら、お布施おいくらに始まり、お経や祈祷もそうだが、一回おいくらという値段がつけられないのだ。
 随分と前だが、ずっと先祖の命日のお経をあげに来てもらっているお婆さんがいて、何十年も前から変わらない額をお寺さんに丁寧に包んでいるという笑い話?を聞いたことがある。いや失礼、笑っちゃいけません。
 お寺さんの方から『現代の相場に合わせて、このくらいの額にしてくださいよ』とはとても言えなかったそうで、まだ無縁墓なんか問題にならなかった時代には、こういう苦労もあったということだ。

 いっぽう、納得して多額のカネを払う者もたくさんいる。
 この場合、カネを払うことが本人にとって直接の目的事象となっているため、その額は景気の影響を、特にマイナス方向に受けにくい。景気低迷で自身の生活が苦しくなろうとも、本人が良心の行いとして身を削り、宗教団体に活動資金を提供してくれるのだ。
 万一大災害など不運に見舞われた時でさえ、理不尽感や無力感に寄り切られることなく、教えに導かれて善良な人間として暮らし続けたい。元々はそんな好ましい精神力の動機を信者たちに保証するのが宗教だから、こういう献身そのものはあって自然だし間違ってもいない。
 原則、製品を販売するのではなく、サービスと呼ぶにも処置作業ではないし、『思い』『心』あたりをカネと引き換える形になるので、経済機能体として非常にあやふやなのだ。

 ここで人間の集団意識の作用に注意する必要がある。
 本来の『世界観を共有する』ところがいつの間にか薄れるケースが出てくるのだ。というか、信者が大勢になってくると、確実に何割のレベルにまで達するようになる。
 具体的な現象としては、定例の集合活動への参加やお布施の支払などが無意識の機械的動作となり、替わりにそこでの人付き合いが主目的になってしまう形で現れる。
 お付き合いなので、まず何となく仲間に調子を合わせるのが普通だし、殊にマジメに自力で取り組むのが面倒な重い検討ゴトなんかは、お付き合いを理由に、周囲に丸投げの同調だけして流されるラクを取ってしまう。人間ってそういうモノだからだ。

 こうなると、見る人間によっては宗教団体が、宗教を軸にした集団ではなくなってくる。
 そう、活動資本と画一行動力の原資として、こんなに向いている人間の集団は他にそうそう見当たらないのだ。
 おっと、だからってもちろん妙なヨレ方をせず、本来的作動で普通に宗教しているところは沢山あるので誤解なきよう。但し努力して、組織の精神整備・風土整備を維持してそれが叶っているはずだ。
 組織を考える人間としての私の理解では、この組織特性を政治利用するような日本国であってはならないため、日本国憲法に『政教分離の原則』が定められている。

 話を冒頭に戻すが、あのナントカ学会がゲタ政党とどんな具体的接点で絡んでいるのかは知らない。ただ、少なくとも今この瞬間ナントカ学会が、日本社会に暮らす人々の心を荒廃させる軽減税率みたいな災厄法案に肩入れする構図になっている。
 集団意識に流される相当数の会員がいたとして、それがいざ不便で陰鬱な不公平感に苦しみ始めたとして、『ゲタ政党のことをよく知らなかった』『ちゃんと説明してくれなかった』『あの時は騙されたんだ』と後悔までしたとして、その結末は、破滅的税制の片棒担いだ愚か者の群れという世間体しか残らない。
 そもそも政教分離の原則があるのだし、正しい心の在り方を説く宗教団体の自負があるなら、政界との関係を疑われるだけで、会の存在意義にとって深刻な危機なのではないだろうか。
 おのれにまつわる巷の公共言論をいったん模造紙に書き出し、信条に照らしてひとつひとつマルバツでもつけて、今の自分たちの姿がどのくらい正しいか率直かつ冷静に考え直す時期だと思う。

 三権分立も政教分離も、まさに今のこんなことにならないために定められた基本ルールだ。
 役人組織偏重、というか社会全体が壊れるので偏重にもならず集団自殺になる軽減税率だが、その動機の在り処が『自殺で結構、自分はあとは死ぬだけ』の高齢域に限るとなると、かなり数が絞られるはずである。
 裏返せば、最も弱っている人種の極く少数が、これだけの横車を押せている勘定になる。

 不思議がっているだけでは、ひ弱でバカな大人どもの二の舞だぞ。解説を続けていくから、ついて来いよ!
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【591】新旧オセロ戦局、5年先の予想 [ビジネス]

 気付けば間もなく師走である。
 あれやこれや、どうにかさばかないといかん用事がいっぱいで、他に取り上げたい話題も山積みなのだが、ちょいと事情もありここはぐっと堪えてまだ少し税制について。何しろビジネス土壌としての日本社会の荒れ方が、従来と段違いの次元に悪化しそうで看過できない。
 日本中でせいぜい3名様ぐらいしかここを御覧になっていないとはいえ【537】、一応でも不特定多数が閲覧可能な情報形態として、政府与党の破滅的な税制論議について考察がなされる意義はあると思う。

 軽減税率も酷いが、いま『賃上げに消極的な企業から法人優遇税制を剥ぎ取る』というメチャクチャな案まで出ているらしい。
 あまりに幼稚すぎて俄かに信じがたいが、本気なのだろうか。

 ここでも何度か解説しているが、まず日本市場の内需ループが成立していたとして、そこに好景気が訪れた場合の経済状態の一面として賃上げが顕れるのだ。
 いま内需ループも無ければ景気も良くなっていない。自然な作動点として、企業は賃上げしたくてもできないでいる。日本国の運営があまりに未熟で不安定で頼りないため、そこで従業員の暮らしを預かる企業としては、自前事業の継続性を保証するため資本金をできるだけ留保せざるを得ないのである。

 まさか、この閉塞状態にベタで卑劣な脅しをかけ賃上げさせる魂胆で来るとは。
 あからさまなイジメもいいところだ。この想定外の幼さ、恥ずかしくならないか?

 立法・行政・司法の三権分立について話をしたが【580】特に最近、行政つまり役人が横暴になり過ぎてしまい、これに能力不足の政治家どもが手を付けられないでいる…というか、役人の家来にしかなれていないところに問題がある。
 見えやすかった事例として、ガッコ設立の汚職が2件続いたのを思い出そう。

 一応は『ソーリ大臣、偉い人』の印籠を掲げれば、巷でちょっと悪い気を起こした奴等がここぞとばかり取り巻いてくれて、まあ札束の袖の下を交換しながらイイ気になれていた。自由競争の公平性を取り決めた行政ルールなどあって無いようなモノで、忖度式の自動運転システムだったのは御存知の通り。

 ひょんなところから、この力関係で楽しむカネトク取引が明るみに出ちゃったのである【523】
 こういうのは損得勘定を目当てに人間関係が組み上がっており、また悪知恵と口先のよくまわる古ダヌキが混じっていたのも災いして、世襲の坊ちゃんは正直ヤバい状況に追い込まれたと。
 歪んだ取引に絡めて解りやすい額で札束なんかアッチコッチやっちゃってたらしいもんで、そのまま調査が進み事実関係の確証が取れてしまったりすると、これはさすがにソーリ大臣でいられなくなってしまう。
 どうやら相当に追い詰められた心境に陥り縮み上がったと見え、取引への関与を全否定する流れに続けて『ソーリ職を賭ける』とまで、もう完全にその場の勢いだけで言い放ってしまったから、さあタイヘン。
 誰の目にも辻褄が合わないことだらけのその弁明こそ、今なおすっとぼけて遂行される様子のない『シンシでテーネーな御説明』ってやつだ。もちろん実現したら本人直々の断言が記録に残ってるゆえ、えらいことになる。

 恐らくはここで役人組織が見限ったのだろう。『この坊主、使えねえな』
 ちょっと追い詰められた程度でブルって浮足立って、その後の処置に困るようなカラッポ啖呵を感情的に口走るヘマをやったのが査定に効いちまったのだ。
 甘い野郎だな。腹据えて居座って、やることやってくんなきゃ困るんだよ、このグズが。

 そもそも経済の初歩の初歩も理解できない頭の悪さゆえ罪悪感も薄いだろうし、ダメノミクスのお祭り仕立てでこの坊主そそのかして笛吹いて躍らせて、日銀にカネばら撒かせながら物価上昇の数値証拠さえ取れれば、それでオッケーのはずだった。
 さっさと消費税率を10%に引き上げて軽減税率導入の言い訳が立ち、悠々ラクラク還暦公務員の特権が手に入ってめでたしめでたし、のシナリオだったのに。この当初の段階から、消費税率を計画通り10%に引き上げられず8%で足踏みさせてしまったのだ。
 役人組織にしてみれば、坊主も坊主だが最初から程度は知れていただろうから、もう少し大きく『このデキの悪い政治家どもめ、物価上昇のでっち上げが手ぬるくて失敗しやがったな』のくくりで、早々にマイナスカウントが付いていたと思われる。

 こんな経緯で、役人組織の御隠居お気楽商売も提供できず、それどころか余計な内情まで始末に悪いバラし方にして失態続きの無能政治家どもに業を煮やして、もうお付き合いを見直す判断を下した感じだ。ここまでバレちゃったし、いっそ隠さずに我田引水の不公平税制を押し通すことに決定!こんなボロい役人本意の目的意識のままに、与党再選が期待できるうち衆議院が解散した【572】
 本来行政システムは国民からの信頼を得て正直かつ良心的に遵守され初めて機能するものだが、こんな裏切り方をしてしまっては国民意識が手酷く荒れて、政情不安定な発展途上国ばりの無法社会に文明退化するしかない。
 数年前に事実上マイナンバー制度を国民にシカトされている過去もあるし、我欲と復讐心に粘着し続けるダメオヤジ役人が執念・怨念の勢いでフヌケ政治家のケツを炙りにかかっていると見た。
 だからこそ我々日本国民も緊張と警戒を絶やしてはならず、暮らしの安心は自分で守る責任がある。人を信じない社会で鬱々と非合理感に苦しみながら経済生活を送るシケた人生なんぞ、まっぴら御免である。

 間違いなく気のせいだが、多分ほんの一瞬ここを御覧になったかも知れないくらいの雰囲気の二十歳そこそこのお嬢さんが、遊就館でじっと遺書の展示を読む姿を見かけたことがある。
 ここを覗いてくれている中学生たちも僅か5年後には選挙権を手にする。

 その時、大人たちはいくつの年齢に達し、どんな立場で彼等と向き合うつもりなのだろう?
 彼等にきちんと受容される説明がつく行いを、いま心掛けておいた方が良いと思うが。
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【590】虚数の預金通帳 [ビジネス]

 歴代二番目の短さらしいね、こないだの所信表明演説。いきなりだが許すなよ。
 いよいよフヌケ、嘘つき、日本国民の敵、サイテー最悪の世襲のガキがケツまくりにかかってるように見えるんだが。

 『安定的な政治基盤のもとで政策をひたすら実行せよ、これが総選挙で示された国民の意志であります』
 お得意のシンシ、ケンキョ、テーネーのふざけた美辞麗句は見事に一掃された。

 誰かそんなこと言いましたっけ? ガッコ事件のセツメーセキニンって何でしたっけ?
 え? もっと前にも何かあったろって? テロの準備がどうかしたの?
 ここはどこ? ワタシは誰? あ、ちょっと古かった?
 あれもこれも知~らない、でも『政策』だけ何がナンでも押し通すんだもんね♪

 要はこういうことだよ。ちょっと前まで
 『ポクちゃん責任者、ポクちゃんリーダー、ポクちゃんが全部決めるんだもんね、何もかも引張るんだもんね~』と調子良かったのが、
 『もう役人さんの言いなりのまま与党みんなで決めた政策に全責任があるんだもん、ポクちゃん言われたまんまやるちかないんだも~ん♪』に寝返る宣言を宙に放って、それで止む無しとして許されるつもりでいるワケだ。

 あほかコイツ?

 ま、今はとりあえずカネの話を続けましょうか。
 もう社会にとって、社会を暮らす人間にとって、カネという存在がほんの何年か前と異なる概念のモノになってきているというところまでだった。

 もちろん社会の情報化など時代進行に伴って意図せず変遷していく事情の影響を受け、カネの持つ意味が変わる場合はある。
 例えば『あらゆる情報は無償で流通することになろう』という将来展望がその好例だ。

 絵画や動画、音楽など視聴覚系データで作られた成果物、つまり通信回線に乗り記録メディアに書き込めてしまう情報形態の成果物が、インターネット空間上で無償流通への一途を辿りつつあるのは御存知の通り。
 一瞬かつ容易に複製され高速大容量で縦横無尽に配信されてしまうため、どんな管理を試みようとも、程なく誰もがどこからでも自由にアクセスできる結末に行きついてしまう。悪意なんか無くとも自然とそうなってしまう流れがどうしても止められず、故に『管理して守る権利』の概念が意味を失ったのだ。
 もう従来型の著作権管理を諦めて放棄を前提にしているアーティストも多いし、若い人の場合はそもそもがオープン志向で、著作権の主張という感覚が異次元式にカラッポなことも珍しくない【518】

 これは『情報がカネと引き換えてもらえなくなった』ということなのだが、逆に『カネなんか無くても欲しい情報が手に入る時代になった』と言い換えることもできる。
 この一点だけに着目すれば、かつてと同じに流れる社会生活の中、世間に流通するカネは単純計算で減るはずなのだ。

 いま物納も無い訳ではないが、日本国内の経済活動に対して原則は日本円で納税することになっている。
 だが日本社会全体で我慢できないくらい馬鹿馬鹿しいアンフェア税制だったとすると、みんな一気に納税しないことそれ自体が直接目的となって、仮想通貨を介した経済活動に乗り換え始めるだろう。
 ついこないだテレビで見たままが事実だとすれば、現在のビットコインの6割以上が日本円と交換され流通しているものであり、米ドルが確か2割台で次点。見ようによっては、ビットコインユーザーには『日本円が信用できずに参画しているヤツがダントツで一番多い』という推測が成立する。
 既に今日あからさまにそう謳わないだけで、仲間うちのお手軽な仮想通貨アプリなんか数え切れないくらい出回っているから、これらが規模や利便性を充実・拡張させ『日本円不要の生活』を宣伝文句に普及を狙って来るはずだ。

 サラリーマンの生涯賃金ってどのくらいか御存知だろうか?
 サラリーマン人生を送った人が給与明細を積算すれば済む話なので、それを根拠にちゃんと具体額が出ており2億~2億5千万円といわれている。実は、これは私が平成ひと桁の時代に聞いた数字から変わっていない。
 まあサラリーマンだから寮や社宅で暮らす期間もあれば、通勤交通費や出張費も会社持ちだろうし、給与額面に顕れない福利厚生がそれなりにあるのだが、それにしてもこんな程度である。このくらいあれば、どうにか暮らせる。
 どお~も必要以上にカネを抱え込むことばかりに夢中になり、本当にその額面相当の通貨価値を維持するための国民的責任意識とその努力分担が、致命的に疎かになっている日本人が多過ぎるような気がするのは私だけだろうか。
 社会の納税意識が救いようのない険悪な荒れ方をすることまで確信しつつ、軽減税率にまだ口を閉ざす日本社会に明日の経済繁栄など無い。これだけ犠牲を出して、まだ堕ちないとわからないのか。

 『社会はそもそも常識という不文律で個人都合間の調整をしながら運営され、個々人の見解の違いで収拾がつかない場合の判定根拠として法律が存在する』と述べた【108】
 似たような論法で、
 『生産消費はそもそも個人・せいぜい家族内のやりくりで完結され、それで足りない場合の渉外手段としてカネ取引が存在する』
 こんな原始的な暮らしの単位と経済活動の関係を見直す時期に、我々は来ているのではなかろうか。

 十分以上にカネを持つのが悪いとは言わない。
 だがカネ欲しさに正常な経済作動の共同メンテナンスを忘れてしまっては、本末転倒もいいところだ【277】
 大人って、自分勝手で、弱虫で、卑怯で、バカだろ? 呆れながら、ついて来いよ!
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【589】シンギュラリティ大航海時代 [ビジネス]

 ふむ、小池ねえさん希望の党の代表を降りちゃったか。
 ま、橋下さんも組織のスクラッチ&ビルドに代表ポスト職の渡り歩きはバンバンやってたし、良いんじゃないかな。長いことボロボロにうまく行ってない日本社会から次の新しい制御系を起こすんだから、いろいろあるさ。
 とりあえず都知事専念は正解なんだろうな。『短気は損気』でシャカリキにならず、いいこと考えながら着々と課題をさばいてりゃまた面白マターが盛り上がってくるだろう。後出しじゃんけんで勝手な理屈をつけて騒ぐ雑魚は放置プレイで結構、所詮ホワイトノイズに過ぎない。
 来年大阪も行政改革の節目を迎えようとしているし、経済中心部に隣接する大型人工島を武器に持つ新興勢力としては、次世代社会構造の模索を想定した作戦の立案なんかを優先すべきだと思う【579】

 さて当面のところ日本国では、表向き日本円で経済がまわっていることになっている。その日本円1千兆円の無効化がいずれ必然となる話はした【578】
 例えばこれを『万札の番号の末尾いくつを今日から紙切れにします』式に実行すると、モメまくって収拾つかなくなるのはすぐ判る。ではどうする?
 話を簡単にするためにもここは少々乱暴になるとして、一番やり易いお手付けのお題は相続税100%だろう。どうせ身寄りのない高齢者なんぞゴマンと発生させちゃっているのだし、ならば結構な確率で手間をかけずに個人の財産を没収し国家債務の返済に充てられる。

 …とは思わないでいただきたいのだ。
 10億円の豪邸に住む高齢の地元有力者がいたとして、そのお方にある日お迎えが来たとする。
 ハイ一丁あがり、10億円相当の豪邸は国に納めていただきます…とここまではいい。

 だが誰かがこれを本当に10億円で買ってくれて、その代金10億円が耳を揃えて税務署に持ち込まれ、その札束をシュレッダーに突込んで裁断屑にするまで目標は達成されない。ちょっと考えれば当たり前のハナシである。
 誰も欲しいと思わないバカでかいばかりの大御殿、放っておくと傷んで荒れて価値が落ちるので、公務として売価維持のためのメンテナンスが発生する。10億円で売れるまで、ずっと。
 そう、想定額で即売できない限り、ただのやり散らかしで負担しか残らない。

 こうなる前段階の問題フェーズとして、都心部の空家問題が顕在化して随分と経つ。子供世代にこれらをさばく経済力がなくなっている訳だが、その子供世代において経済力だけの問題ではなくなりつつあるような気がしている。『カネ離れ』とでもいうのか…

 かなり普及が進んでいるAI株取引について考えてみよう。まず株式の勉強からだ。

 かつて大英帝国が世界中に植民地を展開していたのは世界史で習ったろう。大航海時代が到来し、あの欧州北西部の小さな島から大西洋を南下し、アフリカ南端の喜望峰をまわってインド洋を北上、そこまでやってようやく綿や紅茶の植民地生産物にありつける。機械動力もない帆船がその物流を支えていた。
 当然、商品の仕入れに旅立って出先で遭難し、地元では『いつまで経っても帰って来ない』という事実しか残せなかったヤツが大勢いたのだ。

 この時代、船の大きさが物流事業の成功率に直結していた。大きなマストを何本も立て無数の帆を張り、あらゆる風向き場の中めざす針路に進む能力は、大型船ならではの特権だったのである。
 飛行機は主翼で受ける気流を利用して、前進しながら直交上向きの揚力を得る。帆船も、向かい風に直交成分を大きく取れば、風上に向かってジグザグ帆走できるのだ。
 転覆しない安定性を確保しながら効率よく進むには多種多様の帆を駆使することが必要で、それを可能にするためには大きな船体が必要だった。もちろん外洋の途方もない大波を渡るにおいて、波頭付近の強烈な海面傾斜に呑み倒されない点からも長大な吃水線長が断然有利である。
 あなたは気まぐれな風を相手に、大海原で六分儀を覗き、羅針盤が語る方向に船の進路を取って、地球の上から下まで目指せるだろうか?
 古今東西で語られる北極星の有難味は想像に難くない。天文航法の現場業態だ【426】

 大型船を建造して多数の水夫を集め、大量の食糧を積み込んで長期の船旅に出るにはまとまった資金が必要だ。このあたりで、教科書で習った『東インド会社』なんかが登場する。

 会社が株券なる書面を発行し、株主に買ってもらうことで資金を集めるのである。大金で輸送船を仕立てて植民地の産物を大量輸入、それで儲けたら配当金の分配で株主に応える。より成功率が高く収益性に優れた航海を実現すれば、更なる株券の発行で資本金は強化され更なる収益が上がる。
 いっぽう運悪く遭難して帰って来ない場合もあるけれど、まあそれは株主さんが『あーあ、株券が紙切れになっちゃった~』で諦めてしまえばオシマイで後腐れナシ。そう、これが株式会社の原理である。
 うまくやりそうな会社を見込んで株式投資し、首尾よくその配当を受け取ったり、好評を得て後に値段が吊りあがった株券を売却して収益を得たりと、本来はこれが株式市場の自然作動であった。

 だが上記の事情を経て、さまざまな銘柄の株券は刻一刻と値段が変動する。ここで単純にタイミングだけ量って『安い時に買い、高い時に売る』を繰り返せば、株主個人のカネ資産は増えることになる。
 以前から当然コンピューターが株式売買に大挙して導入されており、今はこの作業を機械の処理速度でやってしまっている時代だ。もちろん売買決心の判定ロジックや、売買実操作までの時間遅れにもよるのだが、基本的には人間を凌駕し差額収益を上げるシステムであることが解るだろう。
 今や『有望株を見込んで、今は落ち目だが敢えて買って応援する』みたいな人間の投機意図が反映されづらい経済になっているのだ。一般社会人の個人が一生かかってもお目にかからないような巨額のカネが、日夜これでバンバン飛び交っている。

 だが考えていただきたい。ロジック作動しているだけでAI株取引には『欲』が無い。
 人間が株売買による差額収益を狙ったロジックを個別に組んではいるが、作動遅れやバグなどの機械特性を交えて競争を繰り返す『株式市場全体という生き物』の自我は、人間の欲とは違ったところに行くはずだ。

 いや、株取引が震源で社会全体が引きずられているとは言うつもりはなく、現代社会風潮の一端だとは思うんだが、それにしてもカネが『人の欲の対象から乖離していく空気』が強まっている気がするもので。
 特に今の若い人たちの感覚には、何となく日常生活で日本円が使えるから止む無くその扱いにはしているが、決して昔ほど生きるにあたっての直感的な興味の対象になっているとは見受けない。
 どうだろう?こればっかりは若い人たちに乗り移れないので、推定し合うしかないんだけど。

 教科書の勉強も絡んできて少しは面白かったかね? まだまだ、遅れずについて来いよ!
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【588】身から出た最後尾 [ビジネス]

 カネとしての機能が破綻する現象について、もうちょっと考えてみよう。
 原因のひとつとして『情報化社会』が挙げられる。

 高度経済成長期、目前で動く現金が個々人の経済活動の全てだった時代、まさに現場の現物がカネと釣り合いながら交換されていた。
 これに対し、例えば保険なんかは『万一の事態に備えて安心を買う』ものだし、先物取引は『売れ筋のブツが入荷したら売買契約する権利を買う』という、無形かつ生産力作業とも全く釣り合わないものだったりする。恵まれた人間がつい価値を感じてしまうモノって、価値への執着や羨望が入口なんですかね。
 記憶があやふやなのだがもう軽く10年以上前、どう計算したのか世界中での経済取引が300京円だとか何とかで、そのうちこの手の仮想価値が現場リアル実経済の5倍とかそれ以上とか、そんなオーダーで占めている…と頭がクラクラするような話を聞いたことがある。
 これはまた、社会の価値意識を抜け目なくウォッチングしながら、実験的な財務政策まで含めてかなり意図的にカネの流通量を加減しないと、日本経済はひとたまりもなく破綻するぞと思ったものだ。いま思えば、既に日本国財務の不採算体質はもう改善の責任を放棄しつつあった。

 身近なところでは、生活保護支給金を就労最低賃金の方が下回ってしまう問題を耳にしたことがあるだろう。失職した生活困窮者をいきなり切り捨てず最低限の文化生活を保障して助ける仕組みのはずなのに、経済現場の平衡点が求める簡易作業・軽作業領域の就労賃金は、いつの間にかこれを割り込んでしまっていた訳だ。言ってしまえば、
  『社会保障に甘んじた方が、就労するよりも高収入』
 当然この作業領域に従事する人間はいなくなり、そこでまわっていた生産活動・経済活動はストップする。

 だが、もしこれがカネなんか社会に存在しなくて、額の上下がどうとか一切なくて、作業したぶん納得感のある物々交換レベルの報酬で応えられたならどうだろうか?
 普通に誰かが来て『自分にやらせてくれ』と申し出るに違いない。このケースにおいて、カネは社会の価値流通媒体として機能を失っていることになる。
 そう、カネは社会の全員で、経済現場のよろず常識一般について、『アレっておいくらぐらいだよね』の共通感覚が揃っているから相手との交換が成立し、カネとして機能するのだ。

 冒頭に話を戻して、世界中のどことでも瞬時に通信できる『情報化社会』においては、この共通感覚が非常にあやふやで流動的になっている。遠い世界の見知らぬ感覚が通信回線に乗ってやって来て、一瞬にしてこの共通感覚を狂わせてしまうためである。
 つまり昔に比べて、随分と『カネがカネでなくなっている』事実を認めなければならないのだ。かつてと次元の違うレベルで、カネに何かしらの価値を固定的に釣り合わせる感覚が希薄な時代なのである。
 さらに大物流時代が追い討ちをかけ、これまでの交換レートを育んできた経済世界の外側から、リアルの物品や生産力までもがどっと流れ込んでくるようになった。かつて各国でもっと『閉じた経済世界』だった国内市場で、ゆっくりとした時間の流れの中で成立していた価値交換レートは壊滅する。
 こうなると従来の常識に対して、より安価でお値打ち感のあるネタをグローバル市場のどこかで見つけ出しては、国内市場にゲリラ投入するビジネスが次々と乱発される状況になるのは自然のなりゆきだろう。
 先進国において、総じて物価は継続的に低下する方向となる。

 いっぽう従来のやり方で成立していた経済活動は桁違いの黒船相手の価格競争でガッタガタの腰砕けになり、どこの企業も『とりあえず生き残るために』あやふやを承知で自前のカネをできるだけ潤沢に保管しようとする。内部留保の気運が高まり、いくら抱え込んでも十分とする基準がまた失われているので、内部留保の到達額がどこまでであろうと常に不安に抑圧された経営とならざるを得ない。

 日本国内にカネを巡らせたいなら、内需ループの流路にある駆動ポンプ機能をひとつずつパワーアップしてやらねばならないと述べたが【424】、国内市場・内需ループが成立しなくなっているこの時代に、内需ループ前提の経済操作なんぞやっている場合ではないとも述べた【337】【351】
 その作動原理と推定効果については回を改めることにして話を少し飛ばすのだが、これだけドラスティックに原理的レベルで作動概念が変化しつつあるカネだから、遂に『社会的価値との相互交換』という発生起源からさえも離れた思考で『ベーシック・インカム』を手段のひとつに持たないと、もう機能喪失の底無し泥沼から救えないと思う。そこまで来て久しい。

 こんな時代背景で、今さら『煩雑な事務処理を新規発生させ、それを仕事扱いにして、高い日本円賃金レートで転がしてあやかるのがラクでトク』などと考えるアタマが絶望的に古すぎるのだが、まあいい、とりあえず還暦公務員が軽減税率というラクチン高給の仕事にまんまとありついたとしよう。

 一般国民の生活負担は工数的にも経済的にも大幅に上乗せされる【574】ので、何割が不満に耐えながら健気に目論見通りの奴隷的稼働をするかはともかく、社会全体で生活困窮者は間違いなく増加の方向となる。
 そのまま放置すると社会の生産構造がどんどん崩れていくため、せめて行政管理下の収入で社会の一員として暮らす人間でいてもらわねばならない。故にベーシック・インカム導入の検討が早まることになろう。
 さてベーシック・インカムは、基本的に『全員に一律のカネを配る制度』なのであるが、この日本国の超々粗悪な財務でそれをそのまま実行できる道理など無い。当然、所得その他に受給条件がつくことになる。

 おわかりだろうか。
 就労と所得が保証されている公務員、殊に従来の常識では所得が発生し得なかったはずの還暦公務員は、真先にベーシック・インカム受給の対象外となるのだ。
 ムリにでっち上げた厚かましい閑職でもってあぶくのカネをつかむ以上は、他の一般国民のためのタダ働きを強いられる宿命も併せて負う役回りになる。当たり前だろうが。
 いま脳足りんの政府与党が、国民に隠蔽しながら軽減税率を強行導入したがっているワケだが、この因果に考えが及んでいるとは到底思えない。つまらない浅知恵の悪巧みにしても、経済には天文学的にドシロートで呆れ果てるばかりである。

 これをまず止めないと将来何をやるにも安心して明日が迎えられない。お解りだろう。
 こんなもの考え出すヤツも大バカなら、ブルって大人しく口封じされるヤツも激バカだろ?
 解ったら引き続き、頑張ってついて来いよ!
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【587】リアル敗北、仮想に軍配の明日 [ビジネス]

 トランプ君、日本で無駄に時間つぶしたくなかった感がひしひしだったなあ。面倒臭いばっかりで、さっさと次に行きたかったんだと思う。
 もともと暴言承知で歯にキヌ着せず言い放つタイプの男だし、下心スケスケの大根芝居に付き合わされイタい親密関係の映像証拠とられるのは、心底バカバカしくてやってられなかったろうな。世襲のガキがぐずぐず寝言たれてる間、社交辞令モードの緊張感が切れちゃって横で完全に飽きてたじゃん。

 確かに昔は、公の場で語られるムズカシイ話は辞書ひいても意味が解らんような日本語で、だらだらぶつぶつお経のように発音だけするのが正式な流儀であった。これが一般社会ひろくのオーディオ・ビジュアル充実化とともに、話法・話術からジェスチャーまで工夫を凝らし、エンタメ領域の訴求力まで総合した演劇仕立てのプレゼンテーションに進化し、今やそこの先進性・独自性がイマイチだと見劣りするほどになったのは御存知の通り。

 だが現政権で世襲のガキは完全なる勘違いに陥り、アッチの世界に行ってしまっている。
 現実とかけ離れた呆れるばかりの荒唐無稽な事実解釈や、心にもない歯の浮くようなエセ美談イリュージョン政策を、板に着いた見世物芝居スキルでもって得意気にひけらかすことこそが自分の仕事だと言わんばかりだ。
 冷たい視線なんかそれと知りつつあっけらかんと跳ね返し、決めポーズを確かめては独り悦に入る壊れた表情を見るに、画用紙のハリセンで顔面正中を一刀両断してやりたくなるのは私だけではあるまい。

 不思議だと思わないか?
 大統領選および当選直後に比べれば随分とトーンダウンしたが、未だに日本じゃトランプ政策については歪んだ過小評価が目立つ。なのに、来日した途端このみっともないまでに媚び媚びの『おもてなし』と、キモチ悪いまでのドナルド・シンゾー蜜月報道ってのは、いったい何なのだろうか。

 要は、『仲良しってことで北米軍事力に守って欲しければ、もっとカネ出せよ』と言われただけだったような気がするのだが。
 う~ん、もっとカネ出せと言われてもねえ…北米に支払ったかどうかはともかくとして、日本国はカネつまり日本円を出し過ぎて、もうカネとしての機能が破綻しちまってるんですけど。

 カネとしての機能が破綻するとは、どういうことなのだろうか。

 カネとは『社会に流通する有形無形の価値と自由に交換できる、一義的な定量尺度の流通媒体』を指す。
 ということは原則、社会に出回っているカネの総額は、社会に現存する有形無形の価値の総量と釣り合っていなければならない。これが素朴で自然な姿であることは直感的に理解できるだろう。
 端的に、これが釣り合わなくなるとカネとしての機能は破綻する。
 だってトントンで交換し切れなくなるでしょうが。

 いま具体的には、社会に現存する価値の総量の真値に対して、途方もない倍数の掛け算相当の額のカネが、日本経済空間に流れ出ているのだ。
 還暦公務員が軽減税率でトクをする目的については【474】【475】で解説済なので復習してもらうとして、今回はその先のハナシ。

 こうなると、もう『カネ』の社会的意義が変質してくるしかない。
 『生産力や物品と交換して、社会生活を成り立たせるためのモノ』でなくなり、社会の大多数にとって『あくせく働いて、還暦公務員にラクしてトクさせるためのモノ』という、そのものズバリの意味で効いてくるようになる。
 今までキンユーカンワでコクサイがどうたらという異次元の世界で、勝手に日銀からカネが社会にばら撒かれた『らしい』という噂話だけだったので、目前の生活でカネの交換レートには大した影響が出なかった。
 だが今度は、苦しくなる一方の家計に直面しながらレシートを取り分けて申請に持って行くと、その苦労が馬鹿らしくなるようなラクをする還暦公務員の姿を目の当たりにし、確かめて涙にもならない程度の還付金を手に、怒りとやるせなさに大勢が苦しまねばならない。

 日本経済の現場が日本円の流通を諦め、見捨て始める。
 一番てっとり早いのは自給自足に物々交換。そして、それで間に合わないぶんは…

 ビットコインなどの仮想通貨については、聞いたことぐらいあると思う。
 実は、仮想通貨は上記の問題に根本的に手が打てているのだ。あほの日銀がパッパラパッパラ日本円を刷り足すのに対して、仮想通貨はおいそれと流通空間に新規投入することができない。それで正しいが、どうやっているのか?

 『ブロックチェーン』という仕組みである。仮想通貨の流通参画者仲間が共有するネット空間で、あらゆる取引が後戻り不可のシステムで記録され、その台帳が公開されていくようなものだという。私も詳細の理屈まではまだ理解できていないのだが、なるほどこんな管理が可能なら、日銀異次元緩和のような破壊工作は阻止できるはずだ。みんなの仮想通貨の機能を守るために、みんなで相互監視し合うワケですね。
 因みに、つい先日ビットコインが2系統に分裂したというニュースが流れたが、あれは取引が増え過ぎて、記録台帳の相互閲覧管理をやるのに非現実的なボリュームになってしまい、その処置方策について流通参画者の全員一致で折り合いをつけられなかったらしい。

 ともあれ、日本円以外に勝手なカネをリアルに作って流通させると違法だが、ネット空間上の仮想通貨ならば当面はひっかからない。役人どもが少々規制を強めようが、他の事象と同じく無限の拡がりを持つネット世界は、必ず次の進化版を生み出してくる。
 つまり日本円での経済活動は『選択肢のひとつでしかない』のである。

 軽減税率の導入は、この認識をかつてない広さと勢いで普及させることになるだろう。
 生産力にしても物品にしても、みんな大切な自分の財産を納得してカネと引換えながら人生の時間を過ごしているのだ。
 人がバカのトクを担ぐ苦労に甘んじる発想は、バカが自分のラク都合でだけ能天気に描く絵空事でしかない。だがバカはバカだけに、その事実に考えが及ばない。

 おっと、切れが悪くなるので今回はここまで。
 頑張ってしっかり理解して、ついて来いよ!
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【586】13歳のハロータックス [ビジネス]

 う~ん、予想していたとはいえ、野党の統廃合は進まないかあ。

 高度経済成長期の時代、日本の大人たちの大半は『ノンポリ=政治に興味ないヒト』を自称して、ただ与えられた条件下での日常生活をされるがままにやり過ごし、選挙には毎度行かずの知らん顔を決め込むヤツが普通という風潮を、薄らぼんやり眺めていた。

 成長期ゆえ政治家も役人も、私腹を肥やす悪気を起こすにしても、そこには『日本の輝かしい発展のため』という背景がまずあって、それに要領よく乗っかるというのが前提であった。よって、とりあえず国民の誰もが個人的レベルで損害を体感するようなコトにはならなかったのである。
 また成長期ゆえ、何をするにしても莫大な損害で空けてしまった大穴を前に、憮然と立ち尽くす結末が無かった。これは官僚や政治家にとって、国家事業を動かすにあたり失敗を恐れずチャレンジングに攻める気運につながっていたと思われ、だとすると実際ボロい私欲を卑しく貪る必要がそもそも無くて、そこそこ本当にちゃんとした本筋の仕事を走らせておいた方が、より楽しい展開が得られたのではなかろうか。今日と悪政の質が違ったのだ。

 いろんな意味で平和といえば平和だったが、『自国経済を正常に作動させる』という国家生命力の大切な自己管理に対して、国民総じて問題意識がお留守になってしまった損失の大きさは測り知れない。結果、いま日本国の自我は正常作動のモデルを想像すらできなくなったまま、おのれ自身にかつてない次元の悪質デタラメな破壊工作を強いては、自殺行為の上意下達がままならないと不貞腐れ続けている。

 私世代の子供時代、もっと大人の世界はちゃんとして見えたものだという話はした【26】
 子供視点からは、その別世界に生きる大人たちが口にする『オトナの事情』、確かにそれは、ちゃんとした大人世界をカタチだけでもルール違反せずに渡るため、自分個人の精神的負担は覚悟と納得の上で呑むタイヘンな役回りのことだと理解できるものであった。
 今の時代の『大人の事情』は、果たして当時と同じく子供の目にちゃんとして映るものなのだろうか?

 片親の家庭は当時から比較にならないくらい増えた。子供たちが家庭生活の一環として日常の買い出しを引き受けるケースも多々あるだろう。昔なら専業主婦たるお母さんに家族ぶん丸々任せっぱなしで済んでいたお買い物だが、今あちこちの困窮した小規模家庭で、随分と小さい子が、随分と量も額も大きな規模でこなさねばならなくなっているはずだ。

 おい古電球、誰と何を約束したって?
 おい世襲のガキ、子供たちのために何だって?

 与党内で、自民のイケメンホープ君がつい軽減税率に口を滑らせたら放送事故扱いで中継カット…なんて記事を見つけたので嬉々として調べてみたら、なんだ軽減税率の悪辣性については全然つっこんでないんじゃん。
 その瞬間の放送を見てなかったのだけれど、『新聞も軽減税率の対象品目となっていてトクする側にいて、その新聞と利害が無関係でないテレビ局も、だんまりを決め込んでる』とか、そんなどうでもいい損得勘定のハナシらしい。あほか。
 なまじ顔立ちが整っていると、ふぬけた態度は余計に目立つものである。まだ若いんだし、軽減税率の被害を喰らうなら自分も家族も直撃被災地帯にいるはずだが、やっぱり小池ねえさんに無駄吠えを注意される程度の仔犬のチロくんって解釈でいいのか?

 各地で行われている軽減税率の説明会【574】、どこも税務署がやる記帳説明会に続きでぶら下げてやっているのだろうが、全国の平均的な様子はどんなことになっているのだろう?
 ちょっと解説を挟んでおくと、記帳説明会とは、事業者が年度毎に税務署に収支報告を上げ税金を納めるにあたっての、帳簿の付け方を授業にして説明する催しのことだ。話術のないボンクラにパンフレットを読ませてオシマイのケースが珍しくないと見え、『時間の無駄』『本やネットでフツーに済む』と実に悪評高い、文字通りお役所仕事の無益スカ企画なのだが、それでも一応日本社会の財務ルールだし真面目に聞きに来る人々がそれなりにいる。

 そんな人々でさえ、記帳説明会が終了した時点で9割がたが席を立って退場し、後に続く軽減税率の説明会には殆どが残っていなかった事実を私は知っている。複数の会場でだ。
 そう、これが日本経済末端の財務現場の実態であり、一般国民の率直な声である。

 ま、このたび
  国民から得た信頼を重く受け止め、謙虚で、真摯で、丁寧な対応を約束
してくれている政府与党だから、改めて謙虚に十分な軽減税率現行案の周知を繰り返した上で、国民投票レベルの採決まで丁寧にやって、その結果を真摯に受け止め、根拠にするまでは動けないと思うがね。

 だよな、ガキ?

 そうそう若い人たち、数年後の準備という考え方もあるし、近くの税務署に行ってパンフレットを貰って来るとよろしい。
 『消費税の軽減税率制度が実施されます!よくわかる消費税 軽減税率制度』ってやつだ。
まず本当にその通り読んでわかるか、試してみれ。
 ここは中学生さんもおいでのようだから、もう少し案内しておくと、どうぞ中学生のあなた方も遠慮なく税務署に出向いて『よくわかる軽減税率のパンフレットください!』とお願いすれば、親切な職員さんがすぐ出してくれる。何部か貰って学校に持ってって、みんなで読んでごらん。
 そうだ、セン公も付き合わすんだぜ。冒頭述べた通り、だらしない大人どもの仕業だよ。
 嫌がらすな、誤魔化さすな、逃がすんじゃねえぞ。もっともここでセン公は直接の敵じゃない。
  『ナニ書いてあるんだかさっぱり解らない』
  『解る範囲だけにしても、こんなもの止めろ、冗談じゃない』
  『一体いつ誰がこんなコト決めたの?』
 このあたりは、よくわかると謳ったパンフレットをくれた税務署に回答の責任がある。

 最寄りの税務署がどこだか調べてみよう、近所にすぐ見つかるはずだ。
 来月14日には与党が税制の大枠を決めるというハナシになってるようだし、急ごうぜ。
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【585】理文共通講話、古今製鉄奇談 [ビジネス]

 あああ~、どうしよっかなー???と迷った末に、完全なる趣味の動機で横道に脱線。
 神戸製鋼のスペック落ち製品のハナシである。

 機械屋としては、材がスペック落ちってのは勘弁して欲しいところだ。
 これまでの発表によれば、アルミや銅も含めた複数素材にコトが及んでいたらしいが、特にスチールつまり鉄鋼材に関しては、疲労破壊対策の一般的な設計思想にあたってGO/NO GO判定が覆る可能性まで出てくるので少々キツい。
 ホントのホントは機械屋がこんなこと口が裂けても言っちゃいけないんだけど、『せいぜい』新幹線の車軸受ハウジング『ごとき』までなら、部品単品検査もやっているだろうし一発入力で完全破断するようなバイタルな破壊モードも考えにくいし、最終的には交換してしまえば済むっちゃ済む。
 だが建築鋼材の場合、殊に昨今のキテレツ系の大型建築の場合はどうなるのだろう?安全率は思いっきりかけてあるはずだが、従来型コンサバ建造物とは違う強度設計思想であることは容易に想像できる。
 余計な心配事を喚起させる想定は控えるが、納入先からは随分と手厳しい追及を受けることになるなあ。永年の点検費と不具合発生時の無償対応なんかで折り合い付けるのかなあ。

 鉄は現代機械文明において最もポピュラーな金属材料と言えるが、実はかなり特殊な物性を持っている。細かい解説を始めると、炭素などを始めとする混ぜ物も割り込んできて複雑すぎるゾーンに話がぶっ飛んでしまうので端折るとして、ここでは、要は『鉄は金属結晶が組成される熱環境により結晶構造が変わる、つまり材料特性が変わる』のだ。身近な例として『焼き入れ』『焼き戻し』あたりのコトバは、どなたも聞いたことぐらいはあるだろう。
 所定の材料特性を得るためには、それに応じた加熱・冷却その他の工程で条件コントロールする必要があり、くだんのスペック落ち鋼材はそこにかかる光熱費・設備管理費を浮かせてしまったのだと思われる。

 私と似通った世代なら、子供時代に一度はフェライト磁石を手にした憶えがあるだろう。
 鉄っちんには『オーステナイト』『マルテンサイト』『フェライト』など結晶構造別に名前があり、溶湯から固化する過程あるいはその後の熱処理により相互に変態する。化学で習う結晶構造の、面心立方格子・体心立方格子のレベルでの違いであり、従って荷重に降伏する際の結晶内滑り面から違ってくるのだ。火加減をちょいと変えると違う材になる所以である。
 ここで電子の存在確率密度雲だの応力テンソルだの持ち出すと、それはそれで楽しいのだが永久に政治経済に戻れなくなる。興味ある人は、図書館で『材料力学』『金属工学』『金属結晶学』あたりの本から調べてみていただきたい。だって生活の中で『鉄製品』って、考え直してびっくりするくらい、本当にいろいろあるでしょうよ。

 あんまり専門的に掘り過ぎるのもナンなので、娯楽読み物としてのウンチクに振ろう。
 鉄だけに重量が嵩むのが難点なのだが、フェライト結晶含有の塗装は軍用ステルス技術として広く適用されている。乱暴なこじつけ連想かも知れないが、最新ステルス兵器の表面を見ながらフェライト磁石を思い出せば、何とな~くその雰囲気があるような気がするではないですか。しません?

 まあいいや、もひとつこちらは文系向きのネタ。
 古今東西の昔話に頻出する『山奥に潜む、ひとつ目、片足、全身ボロボロあるいは包帯巻きの大柄な怪物』という定番イメージは、製鉄職人の成れの果てだとする説がある。
 鉄を融かすための強力な火力を絶やさぬよう足踏み式の『ふいご』で風を送り続けるのだが、この高負荷一定の単純な全身運動を延々続けるため、足腰とくに利き足の関節の故障が職業病となる。また燃焼状態つまり炎の勢いを確認するには、かまどなり炉なりに細い筒状の覗き孔を設けて直視するしかなく、もちろん耐熱ガラスなんか入ってる訳ないので、その度に熱気と輻射で目を焼かれて利き目が潰れる。さらに鉄の製材となると、硫黄やリン系の化合物や、その他の金属類まで含めてどうしても雰囲気環境を汚染するため、それらに全身を蝕まれて体がボロボロになるというのだ。
 誰もが本能的に逃げ出したくなるようなケミカルハザード下の苛酷な重労働環境であり、また燃料調達の利便性からしても人里から距離を置く山奥に籠りがちな仕事だったのだろう。スタジオジブリ『もののけ姫』に出てくる『たたら場』は、随分とイメージを和らげてあるが、やはり金属文化の恩恵と表裏抱合せで負担する運命となる公害犠牲者の姿が描かれている。

 こういった製鉄業態がリアルタイムだった当時、創作当初から童話・寓話として怪物を登場させ解りやすいストーリーを組んだはずはなく、恐らくは世間の『都市伝説』あるいは『民間療法』レベルの信憑性をもって、当時の社会で常識概念の一部として怪物のイメージが流通していたのではないだろうか。鉄器は貴重だが、何だかしら生活空間の意外に遠くない裏側で、不可解な怖いコトにつながっている雰囲気だけが感じられる、と。
 近代文明国・先進国とされる国々に伝わる逸話には、こういった重大な文明フェーズが背景になっているものが少なくないと言われる。青銅器や鉄器などの伝来ルートに沿って、共通項のある言い伝えが残っていたりするという。

 では現代日本に戻って来よう。
 鉄じゃなくて銅になっちゃうんだが、ちょうど季節もいいし、車を使える人は足尾銅山まで一度ドライブしておくと良い。観光地になっていない地区は廃墟だらけで、貴重な産業文化遺産であることは間違いないにしても、歳月を経てなお生命の温もりを根絶やし拒絶し続けるケミカル毒の怖さを実感できると思う。
 ネット上には立ち入り禁止区域に踏み込んで写真撮影をやっている事例も枚挙に暇がないが、正直プラントの知識がある人間としては全くお勧めできない。車で走って、走りながら車内から見て、ちょっと停まれる所で停まって、その程度で十分である。
 車を降りて独りで立つと、付近一帯のこの命の無い世界で、自分がふと倒れてそれっきりになりそうで、漠然とした底知れぬ空恐ろしさにかられるのだ。
 『ここにいたら、ヤバい』と。

 おっと、政治・経済の厳しい論調ばかり続けていた反動か、ニッポン製造業のピンチを技術の視点から斬り込もうとしたら、なりゆきで何だかスチール漫談みたいになっちゃいました。
 いや、ちょっと前の別の大型不具合まで絡めてつい専門的な領域に言及しそうになり、心ならずの万が一にも当事者さん達に余計な負担をかけるような事態を招くといけないと気付き、ムリヤリ柔らかネタに振ったワケです。

 結果的に、いい息抜きになってお楽しみいただけたなら良いのだが。
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