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【1080】猛暑日とエアコンの記憶で辿るSDGs未来像 [ビジネス]

 7月最終日、いよいよ夏真っ盛りの季節となった。あっつい暑い。
 子供の頃から暑いのは嫌いじゃないが、やっぱり暑いと何をするにも効率が落ちる。だからってエアコンの環境に入り浸っていると、自分の適応力が落ちてしまって、早々にバテてしまいこの先もっと動きが鈍りそうな気がするので、短時間でも一日一回は直射日光を浴びて大汗をかく時間を作っている。だが日光は浴び過ぎると、夕方以降にがくんと体力を持って行かれるので要注意だ。

 しかしまあ、どうせ帰ったら服は全部洗濯機に投げ込んで自分はアタマっからシャワーひっかぶるんだし、無駄な抵抗はせず大汗かきまくって日本の夏に我が身を晒しておく、それでよかろう。一番自然で、結局は最も低コスト高効率の快適生活ではないかと思っている。
 恐らくは、どこもかしこもエアコンがフル回転しているので室外機からの排熱が街じゅうに溢れていて、単純計算で付近一帯の気温は昔より高くなっているはずだが、そう言えば子供の頃も暑い日の熱感は結構なものだったんだよな。
 最近やたらと暑さの危険が叫ばれるが、人間の側が弱っていて手を打たなければならないぶんというのは無いのだろうか。

 私が小学生の時代、デパートは宣伝効果・集客効果も狙って冷房をガンガンに効かせていたため、たまに電車で大都市中心街に出掛けた時には、買い物もしないのにわざとデパートの売り場を通過して涼んで行くという習慣が普通であった。
 その異次元の心地良さは感動的だったけれど、反面『長時間そこにいると身体が夏の気候に適応できなくなる、実世界で生きていけなくなる』とされ、『冷房病』という病名までチマタで盛んに語られていたためか、意図的に長時間居座ろうとする者は見当たらず、よってデパートとしてもそんな客を追い払う必要も無かったようだ。
 『わあいデパートだ、涼んで行こう』と店内に入ってその涼感に生き返った気分になり、立ち止まりもせずそのまま売り場を突切って、出口側のドアとその向こうの炎天下の景色が迫るにつれ『うわあ~、あそこに戻るのか、ちきしょー出たくねえ~』などと覚悟を決めつつ、輝く灼熱の世界に再突入していったものである。途端に汗が滝のように噴き出すあの感覚は、いま感じる猛暑日のそれに決して劣るものではない。

 もうひとつ印象深いのが、電車に冷房が導入され始めた同時期の想い出である。そう、昔の真夏の電車は窓全開で冷房なんか無かったのだ。そりゃもう暑いわ走行騒音がけたたましいわ、今の時代からすれば殆ど工事現場のような車内環境であった。
 暑いからと、よっこらしょと席を立って振り返り、半袖だがネクタイのサラリーマンが窓をどばっと開けると一気に風が吹き込んで、お姉さんの髪を乱してお婆ちゃんのハンカチを飛ばして大騒ぎ、サラリーマン氏は慌てて窓を戻して周囲にぺこぺこ…というのもあるある情景とされていた。

 うろ覚えなのだが、兵庫県の甲子園浜のあたりを路面電車が走っていて、その電車の車体壁面がパンチドメタルのような打ち抜きの多孔構造になっており、窓以外の部分でも外が透けて見えていたんじゃなかったっけ。あんまり派手にスケスケにすると雨に降られた時に大変なことになるので、限られた一部ではあったはずだが、具体的にどこがどうなっていたのかどうしても思い出せないでいる。調べてもそのあたりの情報が見つからなくて悔しい。
 まあともかく、日本の夏とはそんな気候の中を生きる時代であった。

 そこへ冷房車が導入されたワケだが、室外機が車輌のルーフに大きな箱型ユニットとして乗っかっているのが見えるのは昔も今も同じなので、ホームに入って来る電車の屋根を確認して『ああダメだわ、冷房車が来るまでもう一本見送ろう』なんていう会話もよく交わされたものだ。
 それを待っているホームのベンチもロクなもんじゃなかったはずなんだがなあ。まあ大都会ゆえ何本かやり過ごしても次々と電車が来てくれるからこそのエピソードでもあるのだが、いや確かにそのくらい暑かったのだよ、昔の電車は。
 そこまでして乗りたかった冷房車の威力はやはり絶大で、他に建屋冷房の普及率も低かった時代だし、まさに汗びっしょりで濡れた着衣が身体に貼り付いた状態から、ひや~っとそれが冷たくなって夢心地になり、程なくそれが乾いてさらさらになる…と、切実に有難い先進テクノロジー設備だったのだ。

 冷房設備が貴重品だった当時、そのメリットがフルに強調されて私以上の世代の印象に刻まれているはずではあるけれど、それにしても年齢層が高くなるにつれ冷房をまだまだ『特別な人工環境』のイメージで捉える傾向はあると思うし、今の時代にしてあながちそれがいけないとも思えない。
 言ってしまえば『冷房を使わなくて済むなら、使わずに済ます』の心掛けがあった方が、最終的には個人も社会も健康に暮らせるのではないかと私は考えている。
 熱中症へのギリ詰めを争うチキンレースになっては仕方ないのだが、社会を成す人々がお互いの体調を確認し合いながら、少しずつ冷房ナシの生活への馴染みを拡げていく手段は無いものか。
 『電力需給が逼迫しています』と言っておきながら『躊躇せずエアコンを使いましょう』なんてのは、結局のところ二律背反の行動規範であり、その折衷点の判断基準も明確にせずだらだら放言するだけでは無責任もいいところで、誰にとっても何の行動決心にもならない。
 日本国・日本社会の現実問題として、不可抗力で生活指針をアピールしながらエネルギー資源の調達に苦心している旨を訴えなきゃいけないような状況ならば、まず電力消費を国民の協力で、抑えられる下限まで抑えるのが初動判断というものだろう。

 昭和の小中学生たちは少なくとも7月20日まで及び9月初日から、炎天下の校庭で朝礼の列に並ぶのが日常であった。500人、800人いて、誰か一人でも倒れたら『その日の事件』になったものだ。『人が意識を失う』なんぞ漫画やドラマで儚い演出として起こる現象であり、そこらへんの頑丈な雑種の学友どもが送る日常生活とは完全に別世界の出来事だったのだ。
 それが平成に入ってバッタバッタ倒れるので夏は朝礼ができなくなったと聞くようになり、更には夏以外の季節も朝礼やると保健室が一杯になるとかで、コレもちろん今どき朝から栄養満点の朝飯かっこんで元気に登校してくる子供ばかりでもないという事情は認めるにせよ、何か社会全体で平均的な体力増強の方針付けを考える時期に来ているということではないかと思う。日本の自然の中にただ立てないでどうする?
 電力需要に対する電力供給の限界がどこまで深刻に逼迫しているのか定かではないが、今の子供たちが自らの虚弱体質の可能性をバカなオトナどもの言いなりにそっちのけにして、ガチ自分らが生きる時代の課題として、納得の上で原発の再稼働論議みたいなものをただ無関心に見過ごしながら受け容れるはずがなかろう。若年層を喰おうとする死神老人どもによる原発の再稼働、全て即刻中止にすべきである。

 『心頭滅却すれば火もまた涼し』とか、やせ我慢系の昭和の夏文化は、エアコンなる文明の利器が欲しくても無かった結果の現実決着点であったのは認める。
 だが、時代はその『やせ我慢の実効成果』について改めて正確に評価してみるべき局面に来ていると思う。国民の健康管理と、エネルギー資源消費の節約という観点だけでも、将来性確実なSDGsアイテムだと思うがね。

 いやいやしっかし暑いっす。今日もそろそろ一杯行きますか。
 あんまり気の利いた言葉も出て来ないや、では今日もここらでグッドラック!
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