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【1073】投票率アップの週末前おまじない社会科復習 [ビジネス]

 さて、今度の週末は選挙の投票日だ。皆さん選挙に行きましょう。
 どうしても投票先を決心できない人は確実に白紙投票しておこう【1001】【1002】

 要は『選択肢の全てが嫌だ』という意思表示となり、誰が当選したにしても、当選者にとってはアンチ票がカウントされ正式記録として残ることになる。
 つまり当選したからといって『勝てば官軍』で一方的に主張を押し通して許されるものではなく、アンチとはいえ社会を構成し負荷を分担するひとつの社会勢力なのだから、当選者が主導することになる政策は、根拠を持って有権者全域に解説を尽くし合意を確認して、現実的な落としどころを決めて実行していかねばならない。その慎重な行政を要求する『政権への縛り』の一票として効くのである。

 日常生活の消費現場では煩雑なばかりの二重税率=軽減税率制が半ば勝手に導入されたり、そんなものの強行手段として電子支払システムの強制普及のため奇妙なデジタルマネー優遇制度に税金がばら撒かれたり、しかも何となく制度の導入を押し切ったら後は荒れ放題、このアンフェア横行っぷりにはもう1億2千万人全員が辟易し切っている。
 高い物価に積み上げで徴収して賄っている税金財源も、国会議員どもは今も毎月100万円を使途不明のまま使い捨ててオシマイ、この未管理のマズさをズバリ特定されて指摘を受けてなお改めようともしない。それが『日本の国政』だよ。

 こんな日本社会を作ったのは、一部の自分勝手がまかり通らないよう工夫された民主主義コンセプトと、それを反映した選挙制度まで十分完成されているのに、毎回その選挙にも行かず投票権を無駄に捨て不真面目に怠けていた、他ならぬ我々日本国民が真犯人だということに気付いておこう。
 不真面目に怠けて選挙に行かなかったから、自業自得で国民生活がこんなに荒れた。ならば改心して、これからは真面目に最善の手を尽くして選挙制度に従うのが、確実な改善チャレンジ実効策の第一歩ということになる。
 これとて積年のだらしないダメ無関心が重なっての根深い現状なのだから、一発で改心の報いが得られるなどと甘ったれた期待で臨んで良いはずがなく、しかし直すと決めて目指すのなら踏み出さないと次に進めない大切な第一歩なので、そのつもりでまずは余計に期待しないで質素に取り組むことが重要だ。

 積極的に推奨できる手段ではないが、社会人として組織運営の視点で最適解を決心もせずに・できずに、『ただ何となく』『こないだ見かけたから』みたいな姿勢で過ちの投票をするぐらいなら、白紙にして現状を否定しておく方がよほど世のため人のためだ、というハナシである。
 決めきれないなら、白紙投票。これで棄権する理由は無い。よろしいでしょうか。

 ところで、この程度の問題意識で済んでいるのは、やはり日本国がまだ幸福に運営されている一線を保っているからであり、世界を見回せば、こんな選挙をやりたくてもできない国はまだまだ多数あると心得ておきたい。
 世界情勢により、数多くの国で民主主義コンセプトの選挙制度が法律で制定されているが、いざ選挙をやってみると、当該地域の住民数より特定の立候補者の得票数の方が多いだとか、もうそんな滅茶苦茶な社会であるが故に、わざわざ大枚はたいて選挙のやり直しもできないしやるだけムダだとか、選挙および選挙管理業務が住民の信用に耐えて正常に機能していない事例は、意外と珍しくない。

 こういうケースをつぶさに見ると『法治国家なのだから、作文の表現次第で社会組織が制御できる』なんて甘々のナメた理屈は、まさに青瓢箪がヒトとの対面衝突を避けながら統率者を決め込みたいだけの空論だとすぐ直感できるだろう【1026】【1034】
 ママゴト生徒会の申し合わせ規則がどこに仰々しく書き落とされていようが、その時その場の生活を生きていくためには、人間やれることなら何でもやってしまう。
 だからこそ、こんなデタラメな投開票の不正が起こるような未熟な社会組織では、何度ルールを呼びかけてやり直しても、まさに『偶然に』同じ得票傾向の同じ展開にその特質が反映され、同じ集約結果が出るばかりになるものなのである。
 社会組織の自我がフェアな民主主義にその気を起こすまで、つまりフェアな民主主義の支持層がスタッフから庶民まで全域の過半数に達するまで、その組織文化の体質が改まることはない。

 我々がいま暮らす現代日本も、こういった前時代的・非文明的な『我欲支配のトップ覇権争い』みたいな社会モデルに対して、決して相容れない理知的・文明的な防護壁の保証を持てている訳ではないのだ。
 『規律正しい法治社会』と『野蛮な損得の横行空間』の境目は思いの外あやふやなもので、例えば『国民の税負担が過大になったら中止する』と正式決定していたはずのガソリン課税も、いま違法状態で無視しっぱなしのままもう半年以上も放置されている。
 独裁政治も階級支配もありません、平等な選挙権の行使による民主主義議会制が当たり前、法治国家による合理的な社会運営が当たり前、この美しい常識がまかり通る日本国内でさえ、ちびっこ作文のゴリッパな実効力など所詮この程度のものだという実例である。
 『根拠を持って決めたんだから、きちんと守らないと社会が破綻する』という意識を1億2千万人で共有できなければ、いともあっさりこんなことになるのですよ。

 だいぶ実感が深まってきている今日この頃なので、響くタイミングかも知れないと思って話題にするのだけれど、平成初期の頃だったか北方領土の日本返還があながち絵空事でもないかのように色めき立った時期があった。
 ちょっと復習しておくと、北方領土とは大東亜戦争の末期、原爆も落ちて敗色濃厚になった日本国に対して、ソビエト連邦が一方的に宣戦布告して踏み込んできて、そのまま占領したことにして領土権を主張している土地のことだ。
 元々は樺太(からふと)、これも昨今はやたら『サハリン』とばかり表記される島だが、これの南半分まで日本国の領土だったのであり、日本国がいよいよ北米に敗戦が確実となった瞬間を狙って、同盟関係を一方的に破棄してカタチだけ宣戦布告し、野蛮な暴力モードの兵力で南樺太から択捉・国後・歯舞・色丹の島嶼つまり北海道のギリまでの日本領土を侵略した。
 そして『ここはもうソビエト連邦の領土です』と主張するがためにソ連国民を駐留させ、長きの間には、もうその地で生まれたソ連国民まで暮らし始めるに到っていた。
 そこまでコトが進んでいたのだが『本国の統治に国家としてこの地を維持する誠意が感じられないので、もう日本の傘下で暮らす方が幸福かも知れない』とまで、当該地域の住民たちがこっちを向きかけていたのである。

 昭和の時代、世界最大の国土面積を持つソビエト連邦が東欧からベーリング海峡まで横たわっていた訳だが、何しろ極東方面は極寒の大森林地帯=タイガが果てしなく広がるばかりで、領土権を主張するにしても、その維持管理の負担は決して楽なものではなかったようだ。都市機能や交易拠点としての機能はどうしても首都モスクワを擁する欧州寄りが中心になるし、シベリア凍土や内陸の砂漠を世界地図スケールで挟んだその向こう側の極東地域は、どうしても国家活動メンテが手薄になりがちだったのだろう。
 平成3(1991)年にはソビエト連邦の国家体制が崩壊、特に離島となる樺太や北方四島嶼などは、早い話が重要でないとして大いに優先度が下げられてしまい、国土整備のための財政支援も手が回らず疎かになりがちで、結構真剣に現地住民たちは不満を抱いていたらしい。
 実際当時の日本国内のテレビ報道で、さっぱり整備されない住居や道路・港湾などの社会インフラ事情が映し出され『こんな扱いで放置されるくらいなら、他国の経済圏のもとで生活する方が豊かになれそうだ』とする現地住民の声もある…と流されていたのを、確かに見た記憶がある。

 結局その機運をうまくチャンスに結び付けることができず、北方四島は日本に返還されないまま現在に到るのだが、今やその日本では我々日本国民が、よりにもよって自国のど真ん中に暮らしながら、自国の国政を見限っているという有様だ。情けない。

 では質問。いま日本国に暮らしていて、政府の国家統治のチカラ不足に愛想が尽きていたとして、どの国の経済傘下に入りましょうか?
 現時点でどこの国も思いつけないなら『少なくとも今以外の日本国内のナニか』ってことで、その選択肢が投票の対象になっているワケだ。
 さあさ、棄権しちゃいけないのが判ったっしょ?
 今夜は七夕、週末の投票で良いコトあるようお願いの短冊吊るして、御幸運を!
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