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【1015】気を揉む伝統行事の仕分けアイディアコンペ [ビジネス]

 さて、師走も後半になって、年賀状の投函受付が始まった。
 悩ましいのが、年賀状廃止派と継続派の判別と実対応である。

 昨今でこそ12月も、しかも後半からになっているが、その昔は11月の終わりにはもう受付が開始され『元旦に届くのは12月のいついつ日まで』などと早々の日程が流されていたりしたものだ。
 いつもと変わらぬ多忙の日々を過ごしつつ『あーもうそんな時期かー!』ってんで、11月のうちにはそこらの郵便局で年賀葉書を買って来てその年の絵柄を決め、アナログ印刷式プリントゴッコの手作業でもって、丸一晩で一気にやり切ってしまうのが通例であった【58】

 この簡易印刷機のプリントゴッコは味のある刷れ方をしてくれて大好きだったのだが、もう十何年か前に生産終了してしまい消耗品の供給も絶たれてしまったため、止む無くプリンターのインクジェット方式に移行して現在に到る。
 ボール紙の四角枠の真ん中に葉書絵柄の広さで目の細かい網を張り、この網目を熱で焼け飛ぶ半透明の樹脂で塗って埋めてしまう。これの裏側から白黒コピーの原稿を当てて、表側からフラッシュ光で焼くと、透けて見えていた絵柄の黒い部分が吸熱するため高温となり樹脂が焼け飛んで、そこだけ表裏がインク通々の網になるという原理だ。これを利用して紙面にインクの絵柄を乗せる。
 これだけの機構を一般家庭で使える単三2本電源のトイ機器として商品化したのは偉かったしファンも多かったようだが、もしかして目張り樹脂やインクなどが、年々厳しくなる環境基準に対応し切れなくなったのかも知れない。

 プリントゴッコ時代もインクジェットに移行した現在も、絵柄と一緒に自分ちの住所氏名を刷ってしまえるのは手が省けて便利なのだが、宛先の住所氏名はずっと手書きを守っている。相手への礼儀ももちろんあるが、プリンターだとしゃあこ!しゃあこ!…とやたら時間がかかる上に、何よりインクの消耗がもったいなくてしょうがない。二桁枚数を出すんなら、手書きの方が断然早くて経済的だ。
 また、この作業標準により、年賀状作成の季節には必ず宛先の住所氏名を見直し書き直すことになるため、意外と『いま誰々がどこで暮らしている』という情報の直感アップデートができるという利点もあるのだ。
 滅多に会わない人の暮らし向きなんか普段気にもならないし気にすることも無い。だが記憶を呼び出して情報処理にかけていないだけの話であり、決してどうでも良くなった訳ではないのである。

 社会人になって早々の頃に、職場の先輩たちと雑談していた時のこと。
 年賀状って毎年めんどくさいが、年賀状の交換ぐらいしかしない人とも連絡がつけられる貴重な機会なんだよな…という話になったのを思い出す。確かにその通り。
 学生時代は就学年次が進むまま形式的・規則的に人間関係も移り変わっていくため、誰かと知り合うことも、そこでどう関わり合うかも基本的には一律で、脳内記憶ファイルに段階表示の重要度フラグをつけるような感覚とは無縁だ。だが社会人になると、人生を通じて出会う人々とイチ対イチで固有特有の関係性が発生するし、案外と思いもよらぬ事態の展開によりお久しぶりの再会・合流も起こってくる。
 そんな時、年一回、大量生産の流れで通り一遍の一行を書いただけの葉書一枚、まさに社交辞令であっても、ずっとお付き合いを繋いでいた更新履歴の効力は大きい。

 そういった実利(?)の意味合いだけでもなく、見事な水彩画に達筆あざやかな年賀状なんかいただいたりすると、激しく恐縮しつつ『自分には全くムリ!』と舌を巻いてしまうのだ。
 こちとら何しろ『今晩で終わらすぞ』と思い立ったら、終わらすことを至上目的にした秒刻みの一気通貫プロジェクトである。悩んで立ち止まる時間なんかもったいないし、悩んだ途端に進捗プランが崩壊して追加工数が膨らみ、余計に時間がもったいない。文字通り機械的に、瞬間芸でざざっと絵柄を組んだら、わざと思考せず単純作業として葉書を量産し、表計算ソフトの年賀状予実績管理データに沿って、ペン一本を片手に片っ端から書き殴っていく。
 存じ上げる限り画家・芸術家としての肩書をお持ちでないはずの方ながら、この機会を御自身の才能発揮の定例会場として決め打っておられるのだろうか。御指名いただいた客としては、ゆっくり確実に鑑賞しているワケだが。
 毎年圧倒され、毎年懺悔して、翌年も改めずにテキトーやっつけ仕事で返す。御馳走の御礼をインスタントの袋ラーメンひとつで返すようなものである。だがそんなロクでもない年一度の軽作業が無礼にもならずに釣り合って受容される。
 これほど費用対効果の高いコミュニケーションは、他になかなか思い当たらない。

 連絡事項を受け渡すだけの送受信とは別の機能をもった通信回路なのだ。
 これを連日大挙押し寄せる電子メールに混ぜ込んでしまうと、恐らくそれなりに新住所や、むしろ近況報告なんかは長文で伝えられるぶん情報量は多かったりするはずなのだが、結局『あれ?いつどこで連絡もらってたんだっけ…?』みたいな事態に陥ってしまう危険を感じる。
 年賀状は、昨年の交換先を一覧するため割と誰でもひとまとめにしているものであり、とりあえず表計算ソフトで一覧リストを作っている私でもやはり一度は現物を見直しつつ、いちいちパソコン画面で探して開いて読みに行く電子メールなるものの効率の悪さを再認識するばかりである。
 年賀状が毎年数百枚届くような人でも、葉書サイズの底面積にせいぜい高さ数センチの掛け算にしかならないから、受け取って五十音順に整理する作業だけ終えたら、あとは手間も工数も占有スペースも、ストレージ負荷は最軽量レベルだと言えよう。書面情報の機能性を実感するひとときだ。

 そんなこんなで個人的には年賀状の文化は無くさない方が良い…というか、お手軽な出費で済む国民的経済活性化手段でもあるし、日本国じゅうが大変便利している郵便システムの固定収入にもなるし、もっともっと国をあげて積極的に取り組んでもいいと思っている。だが。
 『年賀状習慣の廃止』がいよいよ少数派でもない勢いになってきており、特にこちらから送ったが故に、受け取った相手が気を遣ってわざわざに返さざるを得ないと思われるケースも散見されるようになってきた。便利していた習慣も、迷惑や軋轢に転じてしまうようでは変えざるを得ない。

 以上、お互い便利を感じている者同士の限定で、うまく続ける手段を考えねばならんなあ…とここ最近思うのでざっと書き落としたら、トゲの無い世間話として一回ぶんいっちゃいました。大したハナシじゃなさそうな割には悩ましいんだよな、この問題。
 何だか年賀状としては場違いな気もするが『続けたい人は続けましょう』とか断りの一文を書き添えるのが一番早いのかねえ…

 とにかく今年も学習せず、さっさとやっつけてしまおう。
 こんな時代だからこそ、情報メディア各々の特性をよく考え直して、気負わず楽しい幸福な人間関係の構築を。それでは一気に、グッドラック!
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