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【1352】呪いを解くお仕置きは社会知性の祟り除け [ビジネス]
もう一回、地学ネタで行っちゃいましょうか。
呪いや祟りに巻かれて黒目が赤色に光っちゃってる人々を正気に目覚めさせる特効薬は、本人たちの自律機能を再始動させるための、従来と異質なIQショック入力である。
『地球の中身ってそんなにドロドロなの?』
私も土方スコップで自ら掘り下げて真ん中まで行ったことがないんだけど、地質活動や磁性の特徴などを観察するに、その認識でまずまず間違いない。
もうちょっと補足しておくと、例えば自転軸は移動し続けており、太古の北極・南極は今と全然違う、とんでもない場所にあった。
…どこだっけ?好きな人は調べてみてくだされ。軸対象の個体球ならあり得ない。
いっぽうお天道さまと並んで我々に馴染み深いお月さまだけれど、こっちはどうやら、かなり中身が固まっているっぽいのである。
まあナニか嬉しいことでもあったとしてだね、大人と小学生が両手を取り合って、くるくる踊り回ったとしよう。二人の体重差により、その回転中心は二人の両腕の左右中央、随分と大人寄りになる。
この組合せなら普通は、小学生の方がアドリブでフィギュアのスピン風に回ったりしていいはずだが、実は地球が自転スピンしているのに対して、月はいつも地球にほぼほぼ一定の面しか晒していない。
地球から見て、お月さまにはウラオモテがあるのだ。気を許せぬ要警戒人物である。
ま、だからこそ、いつ見てもウサギさんペアが元気に餅つきしてるんだけどね。
何故こんなことになっているのかというと、月の重心がまん真ん中ではなくて偏っているからである。地球から見て、月の重心が地球引力に引張られてこっち面寄りになっているのか、それとも地球廻りの公転運動の遠心力で背面側に寄っているのか?申し訳ないが詳しくない。
実際その両方の効果が顕れているとみえて、今ちょっと調べてみたら、月の形状には『西洋梨』のケがあるそうだ。わたしゃ鶏卵っぽいと思っていたのだけれど。
地球からは、これを真上か真下かどちらかから見ている…ということになる。
SF漫画の金字塔『銀河鉄道999』には、銀河系とアンドロメダの中間地点とされる宙域にて『停時空間のかじられ星』というエピソードが語られている。
列車は空間の歪みに迷い込み、そこで異常接近して密集する星々の光景を眺めながら、鉄郎少年が『この星と星の距離はおかしいよ、ロシュの限界を超えてるよ!よく砕けないなあ』と驚くのだ。
例えば月に手を添えて、地球にぐぐぐいっ!と寄せたとしよう。
もうごっつんこしそうな距離まで寄せたとき、月面を構成している岩や土砂などが、小さく軽い月の引力よりも大きく重たい地球の引力に引かれてしまい、月から地球に向けて『落下』して地球に降り注ぐ景色が想像できるだろうか。
まあ実際、こんな解りやすい破壊モードにはならないんだろうが、ふたつの天体があまりに接近し過ぎると、星ひとつひとつが自前の質量を中心にして頑張っている『自己凝縮量としての重力』を、相手の星による外力が上回ってしまい、小さい方もしくは双方がバラバラに砕け散る結末を辿ると考えられている。
因みに横道を走り切っておくと、この『かじられ星』は後先を考えない地下資源の乱採掘の憂き目に遭っており、まるで齧りさしのリンゴのようになるまで、星としての実体構造を持ち去られていく。
常識的に考えるなら、星の質量が失われたぶん地表での重力が弱まっているはずで、生態系も文明生活もタダゴトで済んでいるはずがない。でも、まんまそれでは『銀河鉄道999』としてのストーリーが成り立たないので、プロローグで空間の歪みによる重力の異常という舞台設定が整えられたのかも知れない。
…うむう、私はまさにこのシーンで『ロシュの限界』という天文学用語を知り、鉄郎少年は10歳にして博学だなあと感心もし、もともと理科は好きだし得意だったが、のちに出遭う物理学や地学まで楽しく勉強する行きがかりとなったのだよ。松本零士先生、本当に有難うございました。
地球と月は、もちろん『ロシュの限界』は超えてないワケなんだけど、それにしても月探査船のサイドビュー視点からの画像をしげしげ見ても、いちいち考えないと上記のような思考の掘り下げが出てこないくらい、当たり前っぽく真球に近いまん丸だ。
確か宇宙広しといえど、公転中心=地球が、これほどの大きさの衛星=月をこの近距離で従えているような、類似の事例ってなっかなか見当たらないとか、そんなハナシじゃなかったっけ。
しかもそんな月が地球に一定面しか向けないということは、月の重心が結構極端に偏芯していると思われ、だとするとあんなにどっちから見ても真球に近い形状とは矛盾しないのか…とまあ、お月さまって結構なぞの天体だったりもする。
さて御存知の通りコイツがあっちからこっちから引張るせいで、身近なところでは主に海洋で誰の目にも顕著な『潮汐』つまり『潮の満ち退き』現象が起こるんだよな。水H2Oは重たい割に粘度が低いため、重力場の変動に応じて、さらりさらりどうにでも流動するからこその現象である。
実は、のもちろんで、微小だが地面も盛り上がったり伏せ落ちたりしているし、空気も1気圧の地表付近では1立方メートルで1.2キログラム程もあるため、重力場変動の影響からは到底逃れられない。
そういえば、月の公転軌道は地球を中心に置く真円ではなく、月と地球の距離は平均38万キロなんだけれど、実際には36万キロから40万キロぐらいの間を行ったり来たりの楕円で、近づいて大きく見える日に満月が重なる『スーパームーン』の解説は、今やちょくちょくニュースでも耳にするようになった。
つまり海水も大気もそれなりの強大なパワーをもって『質量あるがゆえの運命の底ざらえ』で始終攪拌されているのである。おまけに水H2Oは、地表の常温でも大気に対してかなりの蒸発圧を持っているため、受熱して空気中の気体の水蒸気となって、大気中を大移動もする。
今年今般いついつの、どこんちの気候がちょっと例年から外れて目立ったからって、その要因系をあれだこれだと特定するのは、現時点の人類文明ではまだまだ不可能なんじゃないかねえ。
高校理科の選択肢4教科『物理』『化学』『生物』『地学』のうち、履修者が圧倒的に少なくマイナー扱いされがちなのが『地学』だ。
でもさあ、今どき世の中のゴリッパ御高名な『気象の専門家』さんたちが、何かにつけ『地球温暖化』しかも『人為的起源による地球温暖化』を示唆する方向にばかりグズグズ結論を向けたがる、この不自然きわまる学歴もやしっ子風潮なんだから、こんな時こそぼっち・オタク系マイナー学術域・地学から『社会の意思決定規律』を骨太IQサイエンスでバシッと叩き直す学説砲をぶっぱなし、激震で環境偽善者の衣をまとった虚弱児どもの目を覚まさせてやって欲しいね。
NHK朝ドラ『おむすび』は、この期に及んで新型コロナの社会背景期を迎えそうだ。
当時、公的機関もオールドメディアも喧伝した情報の真偽はどの程度のものだった?
大衆が自律的に正解を算出できるよう、知識と思考のIQ社会整備が必要だと思う。
今日はお月さん見えてるんだっけ?夜空に拡がる無限の思考世界に、グッドラック!
呪いや祟りに巻かれて黒目が赤色に光っちゃってる人々を正気に目覚めさせる特効薬は、本人たちの自律機能を再始動させるための、従来と異質なIQショック入力である。
『地球の中身ってそんなにドロドロなの?』
私も土方スコップで自ら掘り下げて真ん中まで行ったことがないんだけど、地質活動や磁性の特徴などを観察するに、その認識でまずまず間違いない。
もうちょっと補足しておくと、例えば自転軸は移動し続けており、太古の北極・南極は今と全然違う、とんでもない場所にあった。
…どこだっけ?好きな人は調べてみてくだされ。軸対象の個体球ならあり得ない。
いっぽうお天道さまと並んで我々に馴染み深いお月さまだけれど、こっちはどうやら、かなり中身が固まっているっぽいのである。
まあナニか嬉しいことでもあったとしてだね、大人と小学生が両手を取り合って、くるくる踊り回ったとしよう。二人の体重差により、その回転中心は二人の両腕の左右中央、随分と大人寄りになる。
この組合せなら普通は、小学生の方がアドリブでフィギュアのスピン風に回ったりしていいはずだが、実は地球が自転スピンしているのに対して、月はいつも地球にほぼほぼ一定の面しか晒していない。
地球から見て、お月さまにはウラオモテがあるのだ。気を許せぬ要警戒人物である。
ま、だからこそ、いつ見てもウサギさんペアが元気に餅つきしてるんだけどね。
何故こんなことになっているのかというと、月の重心がまん真ん中ではなくて偏っているからである。地球から見て、月の重心が地球引力に引張られてこっち面寄りになっているのか、それとも地球廻りの公転運動の遠心力で背面側に寄っているのか?申し訳ないが詳しくない。
実際その両方の効果が顕れているとみえて、今ちょっと調べてみたら、月の形状には『西洋梨』のケがあるそうだ。わたしゃ鶏卵っぽいと思っていたのだけれど。
地球からは、これを真上か真下かどちらかから見ている…ということになる。
SF漫画の金字塔『銀河鉄道999』には、銀河系とアンドロメダの中間地点とされる宙域にて『停時空間のかじられ星』というエピソードが語られている。
列車は空間の歪みに迷い込み、そこで異常接近して密集する星々の光景を眺めながら、鉄郎少年が『この星と星の距離はおかしいよ、ロシュの限界を超えてるよ!よく砕けないなあ』と驚くのだ。
例えば月に手を添えて、地球にぐぐぐいっ!と寄せたとしよう。
もうごっつんこしそうな距離まで寄せたとき、月面を構成している岩や土砂などが、小さく軽い月の引力よりも大きく重たい地球の引力に引かれてしまい、月から地球に向けて『落下』して地球に降り注ぐ景色が想像できるだろうか。
まあ実際、こんな解りやすい破壊モードにはならないんだろうが、ふたつの天体があまりに接近し過ぎると、星ひとつひとつが自前の質量を中心にして頑張っている『自己凝縮量としての重力』を、相手の星による外力が上回ってしまい、小さい方もしくは双方がバラバラに砕け散る結末を辿ると考えられている。
因みに横道を走り切っておくと、この『かじられ星』は後先を考えない地下資源の乱採掘の憂き目に遭っており、まるで齧りさしのリンゴのようになるまで、星としての実体構造を持ち去られていく。
常識的に考えるなら、星の質量が失われたぶん地表での重力が弱まっているはずで、生態系も文明生活もタダゴトで済んでいるはずがない。でも、まんまそれでは『銀河鉄道999』としてのストーリーが成り立たないので、プロローグで空間の歪みによる重力の異常という舞台設定が整えられたのかも知れない。
…うむう、私はまさにこのシーンで『ロシュの限界』という天文学用語を知り、鉄郎少年は10歳にして博学だなあと感心もし、もともと理科は好きだし得意だったが、のちに出遭う物理学や地学まで楽しく勉強する行きがかりとなったのだよ。松本零士先生、本当に有難うございました。
地球と月は、もちろん『ロシュの限界』は超えてないワケなんだけど、それにしても月探査船のサイドビュー視点からの画像をしげしげ見ても、いちいち考えないと上記のような思考の掘り下げが出てこないくらい、当たり前っぽく真球に近いまん丸だ。
確か宇宙広しといえど、公転中心=地球が、これほどの大きさの衛星=月をこの近距離で従えているような、類似の事例ってなっかなか見当たらないとか、そんなハナシじゃなかったっけ。
しかもそんな月が地球に一定面しか向けないということは、月の重心が結構極端に偏芯していると思われ、だとするとあんなにどっちから見ても真球に近い形状とは矛盾しないのか…とまあ、お月さまって結構なぞの天体だったりもする。
さて御存知の通りコイツがあっちからこっちから引張るせいで、身近なところでは主に海洋で誰の目にも顕著な『潮汐』つまり『潮の満ち退き』現象が起こるんだよな。水H2Oは重たい割に粘度が低いため、重力場の変動に応じて、さらりさらりどうにでも流動するからこその現象である。
実は、のもちろんで、微小だが地面も盛り上がったり伏せ落ちたりしているし、空気も1気圧の地表付近では1立方メートルで1.2キログラム程もあるため、重力場変動の影響からは到底逃れられない。
そういえば、月の公転軌道は地球を中心に置く真円ではなく、月と地球の距離は平均38万キロなんだけれど、実際には36万キロから40万キロぐらいの間を行ったり来たりの楕円で、近づいて大きく見える日に満月が重なる『スーパームーン』の解説は、今やちょくちょくニュースでも耳にするようになった。
つまり海水も大気もそれなりの強大なパワーをもって『質量あるがゆえの運命の底ざらえ』で始終攪拌されているのである。おまけに水H2Oは、地表の常温でも大気に対してかなりの蒸発圧を持っているため、受熱して空気中の気体の水蒸気となって、大気中を大移動もする。
今年今般いついつの、どこんちの気候がちょっと例年から外れて目立ったからって、その要因系をあれだこれだと特定するのは、現時点の人類文明ではまだまだ不可能なんじゃないかねえ。
高校理科の選択肢4教科『物理』『化学』『生物』『地学』のうち、履修者が圧倒的に少なくマイナー扱いされがちなのが『地学』だ。
でもさあ、今どき世の中のゴリッパ御高名な『気象の専門家』さんたちが、何かにつけ『地球温暖化』しかも『人為的起源による地球温暖化』を示唆する方向にばかりグズグズ結論を向けたがる、この不自然きわまる学歴もやしっ子風潮なんだから、こんな時こそぼっち・オタク系マイナー学術域・地学から『社会の意思決定規律』を骨太IQサイエンスでバシッと叩き直す学説砲をぶっぱなし、激震で環境偽善者の衣をまとった虚弱児どもの目を覚まさせてやって欲しいね。
NHK朝ドラ『おむすび』は、この期に及んで新型コロナの社会背景期を迎えそうだ。
当時、公的機関もオールドメディアも喧伝した情報の真偽はどの程度のものだった?
大衆が自律的に正解を算出できるよう、知識と思考のIQ社会整備が必要だと思う。
今日はお月さん見えてるんだっけ?夜空に拡がる無限の思考世界に、グッドラック!
【1351】冷めゆく鉄球メッセージの熱量 [ビジネス]
返すがえす、今年はきっちり寒い印象の強い冬だことよ。鍋が美味いわい。
かねてから述べてきた通り、地球大気が人類文明起源の熱を含んでしまい温暖化している可能性は、私としては結構高いと考えている。何しろ地下から燃えるもん掘り出して燃やしたし、今もさんざん燃やしてるからねえ。
でも地球大気の熱分布マップとして見る限り、あっちこっち高熱の偏在領域は動き回るはずだから、やれいついつどこぞの顕著な高温の検出がありましたからって、それを人類起源の熱増分として『危機性のある地球温暖化の事実証左だ!』と短絡で喧伝するのは絶対におかしい。
わざと先にハナシをややこしくしてやれ。
ここを覗きに来てくださっている皆さまなら、これまで一度くらいは『地球の内部』の想像図を御覧になっていることと思う。小中学生向けの科学雑誌なんかでよく見かける絵だが、何故か大人向きの書物になってくると遭遇頻度が急減するんだよな。
今もポピュラーなのかどうかは知らないが、書物もテレビも昭和のサイエンス系コンテンツにおいては、地球の構造はタマゴによく例えられていたものだ。
まず中心にあって黄身に相当するのが、主にはどろどろに融けた鉄が主成分とされる『コア』だ。詳しく凝った解説では更に『内部コア』『外部コア』の二層構造に分けられていたりする。
ハイ、次。
その周囲はもちろん白身で『マントル』と呼ばれ、地表の活火山に見られる溶岩つまり流動性のある『マグマ』にかなり近いやつの層だとされる。活火山で見るような、あんな滑らかな流動性が全体的にあるかどうかはよく知らん。
とりあえずマントルも流動性を持っているため、黄身のコアを包む白身層の厚み領域において、マントルは味噌汁のように、熱対流であちこち湧き上がっては沈み込むような流れ状態にあるのだという。
御存知の通り地球は太陽系のイチ惑星であり、太陽なる『恒星』のように星そのものの構造として、発熱の物理的現象を起こす機能を持っていない。
つまり『地球』ってのは、昔は高温だったんだろうけど今は表面から熱放射で冷えていく過程にある、かなり『鉄っぽい』物性の半熟未達のカタマリだってことだよ。
この電導体・磁性体の流体塊が自転するもんだから、それに対応した規則的な流れパターンも発現して、だから地球はこの強力な地磁気をまとった天体として存在しているワケなんだよな。キホン方位磁石をどこへ持っていっても、N極が北、S極が南を指す。
では最後、そのほんの表層でいちばん冷えちゃった薄皮一枚が『地殻』である。
真下で自分を支える、もん~の凄いマントル対流の大潮流パターンに翻弄され、例えばバキバキ引き裂かれては、下の方のアツアツ素材が次々表出してくるのがアイスランドやハワイなどの火山列島、逆にすっかり冷まされて再び深みに沈み込んでいくのが海溝ということになる。
まあジオグラフィック系のお話は、好きな方々で存分に拡げてくださいましな。
さてマントルが味噌汁の対流みたいなもんだとすると、中心コア近辺のアッチッチのマントルが地表めがけて湧き上がり、表面近くに達したら放熱して、冷まされたマントルが沈んで落ち込んで、他で湧き上がったぶんコア近辺に戻っていく…という循環の流れになっているはずだよな。
融けて液体になった鉄が内部で流動して莫大な磁性を発生させるほどの高温だったとして、こんなに地球の『余熱』がまずあって、それが地球の中心核付近から継続的に地表面側に送り出されては、周辺に向けてそれが放熱されている構図を確かめておきたい。ひときわ熱い部分が地表近くに湧き出しては冷めているはずなのだ。
タマゴの殻に相当する『地殻』が表面を覆っているとはいえ、その地殻にはマントル熱をどんどん吸収して、まるで熱なんかどこにも無かったかのように消化していくような作用は無い。ただの地面素材である。
あったかいお茶のペットボトルを毛布でくるんで段ボール箱の中に置いておくと、お茶は初期の熱量を維持して、割といつまでもあったかいはずだが、やがてその熱は毛布を伝導してきて、くるんだ毛布の表面の温度が少しずつ上がってくる。そしてその毛布の表面の温度上昇は、段ボール箱の中の空気を温めることになるはずだ。
『段ボール箱の中』というひとつの閉じた『系』の中に『あったかいお茶』というひとつの熱源しか存在しないのだから、まあ段ボール箱が鉄壁の断熱性を持っていたとして、お茶の熱が周囲に伝導し段ボール箱の中の空気を温めていく。そこまでである。
では地球の構造にハナシを戻して、アツアツで湧き上がったマントルの熱が、表面の地殻を通して放熱する先の相手、それは大気と海水しかあり得ない。地球大気にこの影響って、果たしてどのくらいあるのだろうか?
接地境界層の研究をやっていた一人として、地表面から大気や海水への熱伝導・熱伝達はどのくらいあって、どう効いているんだろう?絶対マトモな精度で測定できないはずだが…と前々から引掛かっていた。
こんな地学視点での熱流れを考えるに、よく判らないからって到底無視して済ませられる規模だとも思えない。地面なんて、下が透けて見える訳でもなければ、公共の地下工事でもないのに普通に掘れる深さなんぞ一桁メートルがせいぜいだろう。
この測定困難な地球規模の地熱が、大気や海洋などの地表大気圏に及ぼす熱影響について、皆さんどうお考えなのだろうか?
以上を理解して、なんで世界中が旗色の悪さに辟易してトーンダウンしている太陽光発電や風力発電に、このサル山ニッポンだけ今さらの不毛な焚き付けが繰り返されるのか、ちょっと気にしてみてはいかがだろうか。紛れもなく今般不況の一因である。
首都のあたりでは、今もってただの屋根で済むはずの新築住宅に、経時劣化もすれば業者メンテも必要だし、もちろん激甚災害で損傷もするような、面倒くさい機械構造のパネルをムリヤリ背負わしてんのか?住宅本体の耐用年数も無駄に落ちるだけだぞ。
『専門的知見をほのめかされると、大衆がここぞとばかりに思考放棄する』
というのが『サル山ニッポンの呪い』『サル山ニッポンの祟り』の特徴的な所見のひとつだと私は思っていて、こないだせっかく流体力学のトピックを詳しくやったので、その知見をもってチラとでも構わないので、自力で考えてみていただきたい。
専門家は、大衆の知識や思考の届かないところで、それを良いことに大衆の意思=組織の自我と無関係に振舞う特権を許されているのではない。
大衆に正確な現状認識を解りやすく普及させ、専門知識を持たない人たちのチカラまで納得の拠出で組織力に組み入れて、社会組織を総合的に最適稼働させ幸福につなげるために存在するのだ。だからこそ思考放棄せず、みんな自力で幸福を追求して欲しい。
NHK朝ドラ『おむすび』の御近所幼馴染み嬢が気付いていると素敵なんだがなあ。
なかなか終盤まで仕込んで来るね。高齢者向け食育の問題提起にグッドラック!
かねてから述べてきた通り、地球大気が人類文明起源の熱を含んでしまい温暖化している可能性は、私としては結構高いと考えている。何しろ地下から燃えるもん掘り出して燃やしたし、今もさんざん燃やしてるからねえ。
でも地球大気の熱分布マップとして見る限り、あっちこっち高熱の偏在領域は動き回るはずだから、やれいついつどこぞの顕著な高温の検出がありましたからって、それを人類起源の熱増分として『危機性のある地球温暖化の事実証左だ!』と短絡で喧伝するのは絶対におかしい。
わざと先にハナシをややこしくしてやれ。
ここを覗きに来てくださっている皆さまなら、これまで一度くらいは『地球の内部』の想像図を御覧になっていることと思う。小中学生向けの科学雑誌なんかでよく見かける絵だが、何故か大人向きの書物になってくると遭遇頻度が急減するんだよな。
今もポピュラーなのかどうかは知らないが、書物もテレビも昭和のサイエンス系コンテンツにおいては、地球の構造はタマゴによく例えられていたものだ。
まず中心にあって黄身に相当するのが、主にはどろどろに融けた鉄が主成分とされる『コア』だ。詳しく凝った解説では更に『内部コア』『外部コア』の二層構造に分けられていたりする。
ハイ、次。
その周囲はもちろん白身で『マントル』と呼ばれ、地表の活火山に見られる溶岩つまり流動性のある『マグマ』にかなり近いやつの層だとされる。活火山で見るような、あんな滑らかな流動性が全体的にあるかどうかはよく知らん。
とりあえずマントルも流動性を持っているため、黄身のコアを包む白身層の厚み領域において、マントルは味噌汁のように、熱対流であちこち湧き上がっては沈み込むような流れ状態にあるのだという。
御存知の通り地球は太陽系のイチ惑星であり、太陽なる『恒星』のように星そのものの構造として、発熱の物理的現象を起こす機能を持っていない。
つまり『地球』ってのは、昔は高温だったんだろうけど今は表面から熱放射で冷えていく過程にある、かなり『鉄っぽい』物性の半熟未達のカタマリだってことだよ。
この電導体・磁性体の流体塊が自転するもんだから、それに対応した規則的な流れパターンも発現して、だから地球はこの強力な地磁気をまとった天体として存在しているワケなんだよな。キホン方位磁石をどこへ持っていっても、N極が北、S極が南を指す。
では最後、そのほんの表層でいちばん冷えちゃった薄皮一枚が『地殻』である。
真下で自分を支える、もん~の凄いマントル対流の大潮流パターンに翻弄され、例えばバキバキ引き裂かれては、下の方のアツアツ素材が次々表出してくるのがアイスランドやハワイなどの火山列島、逆にすっかり冷まされて再び深みに沈み込んでいくのが海溝ということになる。
まあジオグラフィック系のお話は、好きな方々で存分に拡げてくださいましな。
さてマントルが味噌汁の対流みたいなもんだとすると、中心コア近辺のアッチッチのマントルが地表めがけて湧き上がり、表面近くに達したら放熱して、冷まされたマントルが沈んで落ち込んで、他で湧き上がったぶんコア近辺に戻っていく…という循環の流れになっているはずだよな。
融けて液体になった鉄が内部で流動して莫大な磁性を発生させるほどの高温だったとして、こんなに地球の『余熱』がまずあって、それが地球の中心核付近から継続的に地表面側に送り出されては、周辺に向けてそれが放熱されている構図を確かめておきたい。ひときわ熱い部分が地表近くに湧き出しては冷めているはずなのだ。
タマゴの殻に相当する『地殻』が表面を覆っているとはいえ、その地殻にはマントル熱をどんどん吸収して、まるで熱なんかどこにも無かったかのように消化していくような作用は無い。ただの地面素材である。
あったかいお茶のペットボトルを毛布でくるんで段ボール箱の中に置いておくと、お茶は初期の熱量を維持して、割といつまでもあったかいはずだが、やがてその熱は毛布を伝導してきて、くるんだ毛布の表面の温度が少しずつ上がってくる。そしてその毛布の表面の温度上昇は、段ボール箱の中の空気を温めることになるはずだ。
『段ボール箱の中』というひとつの閉じた『系』の中に『あったかいお茶』というひとつの熱源しか存在しないのだから、まあ段ボール箱が鉄壁の断熱性を持っていたとして、お茶の熱が周囲に伝導し段ボール箱の中の空気を温めていく。そこまでである。
では地球の構造にハナシを戻して、アツアツで湧き上がったマントルの熱が、表面の地殻を通して放熱する先の相手、それは大気と海水しかあり得ない。地球大気にこの影響って、果たしてどのくらいあるのだろうか?
接地境界層の研究をやっていた一人として、地表面から大気や海水への熱伝導・熱伝達はどのくらいあって、どう効いているんだろう?絶対マトモな精度で測定できないはずだが…と前々から引掛かっていた。
こんな地学視点での熱流れを考えるに、よく判らないからって到底無視して済ませられる規模だとも思えない。地面なんて、下が透けて見える訳でもなければ、公共の地下工事でもないのに普通に掘れる深さなんぞ一桁メートルがせいぜいだろう。
この測定困難な地球規模の地熱が、大気や海洋などの地表大気圏に及ぼす熱影響について、皆さんどうお考えなのだろうか?
以上を理解して、なんで世界中が旗色の悪さに辟易してトーンダウンしている太陽光発電や風力発電に、このサル山ニッポンだけ今さらの不毛な焚き付けが繰り返されるのか、ちょっと気にしてみてはいかがだろうか。紛れもなく今般不況の一因である。
首都のあたりでは、今もってただの屋根で済むはずの新築住宅に、経時劣化もすれば業者メンテも必要だし、もちろん激甚災害で損傷もするような、面倒くさい機械構造のパネルをムリヤリ背負わしてんのか?住宅本体の耐用年数も無駄に落ちるだけだぞ。
『専門的知見をほのめかされると、大衆がここぞとばかりに思考放棄する』
というのが『サル山ニッポンの呪い』『サル山ニッポンの祟り』の特徴的な所見のひとつだと私は思っていて、こないだせっかく流体力学のトピックを詳しくやったので、その知見をもってチラとでも構わないので、自力で考えてみていただきたい。
専門家は、大衆の知識や思考の届かないところで、それを良いことに大衆の意思=組織の自我と無関係に振舞う特権を許されているのではない。
大衆に正確な現状認識を解りやすく普及させ、専門知識を持たない人たちのチカラまで納得の拠出で組織力に組み入れて、社会組織を総合的に最適稼働させ幸福につなげるために存在するのだ。だからこそ思考放棄せず、みんな自力で幸福を追求して欲しい。
NHK朝ドラ『おむすび』の御近所幼馴染み嬢が気付いていると素敵なんだがなあ。
なかなか終盤まで仕込んで来るね。高齢者向け食育の問題提起にグッドラック!
【1350】大モメで拡がる新大陸と陰鬱に閉じ込められた結界と [ビジネス]
厳密には日本に限ったことでもないと思うんだけれど、それにしても絶望的に、周回遅れどころか次元遅れ・時空遅れになっている、高度情報処理を語るニッポン一般世論の状況認識について。
まず『コンピューターが、今や人間の情報処理能力を遥かに超えている』という事実については、誰も心底納得しており反論はすまい。ただ『何の能力が人間を超えているか』のところが、どうにもあやふやなんだよ。
お陰で、下心や出来心を腹含んだ世論操作に簡単に乗せられてしまっている。
もちろん下心や出来心は非難され正されるべきだとして、一方そんな少数派の世論操作にみすみす煽られてしまう過半数がいてこそ、社会組織全体が下心や出来心に引きずられて失調するのだ。
特に『サル山ニッポンの呪い』いや『サル山ニッポンの祟り』においては、下心や出来心の存在を知りながらずるずる同調したり、自分がその専門性に不適格であるアピールをわざわざに持ち出してまで『知らぬ存ぜぬ』の態度を決め込んだり、ただの残念な能力不足で組織の過半数がよろめく訳でもない。
判ってて失調の道を選ぶんだから、大なり小なり過半数=みんなが悪いんだよ。
長年かけて今こんなことに行き着いている以上、この『サル山ニッポンの祟り』は凄まじく根深く、一体どこからどんな是正措置を仕掛ける作戦にメがありそうかは知る由も無い。
今般、サイト移転に伴い一時的に調べ事や記録整理の作業が発生したため、まず私にとってアタマを使わず昔話でつらつら作文し、時間が稼げるよう負荷軽減したかった。
どこまで功を奏するか全くの未知数だが、流体力学にまつわる計算ごとの基礎イメージが皆さまに論理性をもって伝われば、日本社会の高IQ層サイエンス・パワーの底上げになり、呪いや祟りなどというオカルト・パワーの駆逐にもなり、何か新しいことが起こるかなと思ったのである。
判っていたことだが、トランプ君とイーロン・マスク氏の組合せは相性が良く、そりゃ大胆ゆえにアンチの拒絶反応も顕著だし、実際抵抗され失敗に終わるものも少なくないんだろうが、空前の新規性の北米国政トライアルがどんどん連発されることだろう。
それで正しい。今後4年間で『アメリカ合衆国の繁栄と、国民の幸福』が実現し、その国力に一定の将来性が揃えば目的達成である。
自己管理もできない極東島国のエテ公の都合なんぞ、ものの数ではなかろうよ。
このままでは、私が目を輝かせ存分に学んで鍛えられて、仕事して山ほど実地経験も積んで人生を楽しんできた日本社会が、ヒトの知恵を失くしたサル山に退化したまま、人工知能AIの開発と進化で新時代バトルフィールドを戦う先進諸国のお邪魔虫・食い物になってオシマイである。
四季の巡りと千変万化の自然現象、裏返せばまとまった自然力の年中定在化が期待できないこの日本列島で、いつまであほみたいな太陽光発電や風力発電のムリ押しを続けるつもりなのか。
機械屋として、流体屋として、技術職として、気象予報士の資格者として、この機会に理系バナシがどこまで響くか試してやろうじゃないか。それがこの一連のシリーズ企画というワケです。
まあいいや、そんなところを御理解いただいたとして、続きを再開しよう。
コンピューターの高度情報処理に抱く能力イメージのハナシであった。
演算速度と記憶容量において、今どきパソコンでもスマホでも画面を開いて、昨日作文した内容が乱れていないかアタマから丹念に見直す人や、いま算出した合計や平均の数字が違っていないかソロバンで逐一検算する人はいないはずだ。
万が一『あれ、おかしいぞ?』と感じたにしても、疑いの初動は百発百中『自分がナニか間違えたんじゃないか?』だとか『誰か自分の知らない間に書き換えたのでは?』に限られる。
そんな素朴で日常的な動作信頼性が進化発達を重ね、メチャ複雑な演算式を莫大な回数で瞬時にこなして、もう人間の能力では正誤を確かめようのない計算結果まで手に入るようになったんだよな。
ただこれを『計算能力としては、凄い』『記憶機能としては、凄い』という表現でくくって、ジブンら人間に起こる情報処理体系と質的に区別しているのが圧倒的多数派ではないだろうか。
ここできっちり整理をつけておくべきなのは『人間にはコンピューターに無い、何か情報処理の特質がある』とする認識は、現時点でただ間違ってもいないと思うのだが、その特質とは何なのか、それはコンピューターに対して優位性として扱うべきものなのか、そこにジブンなりの答を出しておくべきだ。
何だか都合のいい時だけ『コンピューターは、コンピューターだから人間以上にエラい、信用できる』とする論法を持ち出しておいて、そんなにエラいんなら何事もメカニカルな結論導出に従順になるべきなのに、どお~も不規則に『コンピューターは道具だ』とか『人工知能を使いこなす』とか言いたがる、呪われ祟られた誤作動野郎が多いんだよ。
今後もどんどん人工知能AIが進化してきて、なるほど人間の過ちや邪心を排除して、合理的に物事を進める上で確かに有効だと認める社会意識も高まってきたとして、この『人間ならではの特質』との相対的立場の決心をあやふやにしたままだと、結局それが人工知能AIの実用メリットを肝心なところで活かさせない悪霊結界の縛りとなる。
例えば1000個のデータから即刻でコンピューターが平均値を算出しても、呪いのお告げが『いや違う、平均値はこっちだ、人は皆そう信じているのだ』と異なる数値を主張し、その周囲を取り巻く連中の一定数が怯えて同調してしまえば、その社会組織は計算間違いの方を根拠に動いてしまうだろう。
ありとあらゆる結果提示の場面で、何度も何度もコンピューターが真値を表示しているのに、呪われた群衆がそれを結託してスルーし、得体の知れない死神パターンで頷き合ってコトを押し進めてしまう。
でも実際1000個ぐらいなら、確かに手間はかかるが、逆にその手間をかければソロバンで検算はできるのであり、面倒がらずに検算の手法とその結果を明らかにしてオオヤケの場で解説すれば、呪いは解けるはず。
本気で直したいなら、諦めず呪いを解く試みを続けるのが人智というものだ。
こうして『サル山ニッポンの呪い』『サル山ニッポンの祟り』に巻かれた日本国の集団催眠を解きたいワケだけれど、以前から人工知能トピックの論評でよく聞く『人間の尊厳』なんていう日本語は、まさにこの領域のオカルト・ワードだと私は思っている。
呪われ、祟られ、自由な思考と行動選択ができなくなった知能退化のサル山は、人類文明の記録情報の助けを得て、かつての知的にも体力的にも元気いっぱいだった人間社会に戻れるのだろうか。私は何としてでも戻したい。
NHK朝ドラ『おむすび』のEXPO’70万博ネタはマツケン爺ちゃん逝去で一段落か。
2025大阪万博へのフリをどうするのかが興味津々になってきちゃったよ。
いよいよ3月に突入、引き続き毎朝が楽しみだ。では週明け朝8時もグッドラック!
まず『コンピューターが、今や人間の情報処理能力を遥かに超えている』という事実については、誰も心底納得しており反論はすまい。ただ『何の能力が人間を超えているか』のところが、どうにもあやふやなんだよ。
お陰で、下心や出来心を腹含んだ世論操作に簡単に乗せられてしまっている。
もちろん下心や出来心は非難され正されるべきだとして、一方そんな少数派の世論操作にみすみす煽られてしまう過半数がいてこそ、社会組織全体が下心や出来心に引きずられて失調するのだ。
特に『サル山ニッポンの呪い』いや『サル山ニッポンの祟り』においては、下心や出来心の存在を知りながらずるずる同調したり、自分がその専門性に不適格であるアピールをわざわざに持ち出してまで『知らぬ存ぜぬ』の態度を決め込んだり、ただの残念な能力不足で組織の過半数がよろめく訳でもない。
判ってて失調の道を選ぶんだから、大なり小なり過半数=みんなが悪いんだよ。
長年かけて今こんなことに行き着いている以上、この『サル山ニッポンの祟り』は凄まじく根深く、一体どこからどんな是正措置を仕掛ける作戦にメがありそうかは知る由も無い。
今般、サイト移転に伴い一時的に調べ事や記録整理の作業が発生したため、まず私にとってアタマを使わず昔話でつらつら作文し、時間が稼げるよう負荷軽減したかった。
どこまで功を奏するか全くの未知数だが、流体力学にまつわる計算ごとの基礎イメージが皆さまに論理性をもって伝われば、日本社会の高IQ層サイエンス・パワーの底上げになり、呪いや祟りなどというオカルト・パワーの駆逐にもなり、何か新しいことが起こるかなと思ったのである。
判っていたことだが、トランプ君とイーロン・マスク氏の組合せは相性が良く、そりゃ大胆ゆえにアンチの拒絶反応も顕著だし、実際抵抗され失敗に終わるものも少なくないんだろうが、空前の新規性の北米国政トライアルがどんどん連発されることだろう。
それで正しい。今後4年間で『アメリカ合衆国の繁栄と、国民の幸福』が実現し、その国力に一定の将来性が揃えば目的達成である。
自己管理もできない極東島国のエテ公の都合なんぞ、ものの数ではなかろうよ。
このままでは、私が目を輝かせ存分に学んで鍛えられて、仕事して山ほど実地経験も積んで人生を楽しんできた日本社会が、ヒトの知恵を失くしたサル山に退化したまま、人工知能AIの開発と進化で新時代バトルフィールドを戦う先進諸国のお邪魔虫・食い物になってオシマイである。
四季の巡りと千変万化の自然現象、裏返せばまとまった自然力の年中定在化が期待できないこの日本列島で、いつまであほみたいな太陽光発電や風力発電のムリ押しを続けるつもりなのか。
機械屋として、流体屋として、技術職として、気象予報士の資格者として、この機会に理系バナシがどこまで響くか試してやろうじゃないか。それがこの一連のシリーズ企画というワケです。
まあいいや、そんなところを御理解いただいたとして、続きを再開しよう。
コンピューターの高度情報処理に抱く能力イメージのハナシであった。
演算速度と記憶容量において、今どきパソコンでもスマホでも画面を開いて、昨日作文した内容が乱れていないかアタマから丹念に見直す人や、いま算出した合計や平均の数字が違っていないかソロバンで逐一検算する人はいないはずだ。
万が一『あれ、おかしいぞ?』と感じたにしても、疑いの初動は百発百中『自分がナニか間違えたんじゃないか?』だとか『誰か自分の知らない間に書き換えたのでは?』に限られる。
そんな素朴で日常的な動作信頼性が進化発達を重ね、メチャ複雑な演算式を莫大な回数で瞬時にこなして、もう人間の能力では正誤を確かめようのない計算結果まで手に入るようになったんだよな。
ただこれを『計算能力としては、凄い』『記憶機能としては、凄い』という表現でくくって、ジブンら人間に起こる情報処理体系と質的に区別しているのが圧倒的多数派ではないだろうか。
ここできっちり整理をつけておくべきなのは『人間にはコンピューターに無い、何か情報処理の特質がある』とする認識は、現時点でただ間違ってもいないと思うのだが、その特質とは何なのか、それはコンピューターに対して優位性として扱うべきものなのか、そこにジブンなりの答を出しておくべきだ。
何だか都合のいい時だけ『コンピューターは、コンピューターだから人間以上にエラい、信用できる』とする論法を持ち出しておいて、そんなにエラいんなら何事もメカニカルな結論導出に従順になるべきなのに、どお~も不規則に『コンピューターは道具だ』とか『人工知能を使いこなす』とか言いたがる、呪われ祟られた誤作動野郎が多いんだよ。
今後もどんどん人工知能AIが進化してきて、なるほど人間の過ちや邪心を排除して、合理的に物事を進める上で確かに有効だと認める社会意識も高まってきたとして、この『人間ならではの特質』との相対的立場の決心をあやふやにしたままだと、結局それが人工知能AIの実用メリットを肝心なところで活かさせない悪霊結界の縛りとなる。
例えば1000個のデータから即刻でコンピューターが平均値を算出しても、呪いのお告げが『いや違う、平均値はこっちだ、人は皆そう信じているのだ』と異なる数値を主張し、その周囲を取り巻く連中の一定数が怯えて同調してしまえば、その社会組織は計算間違いの方を根拠に動いてしまうだろう。
ありとあらゆる結果提示の場面で、何度も何度もコンピューターが真値を表示しているのに、呪われた群衆がそれを結託してスルーし、得体の知れない死神パターンで頷き合ってコトを押し進めてしまう。
でも実際1000個ぐらいなら、確かに手間はかかるが、逆にその手間をかければソロバンで検算はできるのであり、面倒がらずに検算の手法とその結果を明らかにしてオオヤケの場で解説すれば、呪いは解けるはず。
本気で直したいなら、諦めず呪いを解く試みを続けるのが人智というものだ。
こうして『サル山ニッポンの呪い』『サル山ニッポンの祟り』に巻かれた日本国の集団催眠を解きたいワケだけれど、以前から人工知能トピックの論評でよく聞く『人間の尊厳』なんていう日本語は、まさにこの領域のオカルト・ワードだと私は思っている。
呪われ、祟られ、自由な思考と行動選択ができなくなった知能退化のサル山は、人類文明の記録情報の助けを得て、かつての知的にも体力的にも元気いっぱいだった人間社会に戻れるのだろうか。私は何としてでも戻したい。
NHK朝ドラ『おむすび』のEXPO’70万博ネタはマツケン爺ちゃん逝去で一段落か。
2025大阪万博へのフリをどうするのかが興味津々になってきちゃったよ。
いよいよ3月に突入、引き続き毎朝が楽しみだ。では週明け朝8時もグッドラック!
【1349】頼るべき知性のお付き合い鑑定眼 [ビジネス]
おっとやっちまったい。ただのポカ間違いでもないんだが、補足を入れておく。
直径10センチのロールケーキを敷き詰めた上を、秒速1メートルでところてんの一般流が進んでいく時、床面から高さ10センチのところで風速を測定するとどうなるか。
ところてんの底面は10センチ間隔でロールケーキの背面と接触しているから、その接触面の直上で、接触の影響を受けて起こる風速変動は、確かに1秒間10周期ぶん捕捉される。まんま、これは正解。
いっぽう接触面の直下では、ロールケーキの背中が次々と通過する風速変動を拾うことになる訳だが、ロールケーキの回転軸の進行速度は、背面を撫でる風速の半分だから、1秒間に5周期ぶん捕捉されるはずなんだな。高さ10センチ面の上下で風速変動周期が倍半分違っていて、今の場合これが『境界層の厚み』である。
理系トピックなので、ちゃんと詰めておきましょう。いやいや失礼いたしました。
…っちゅうか、そこにハナシの焦点を当てたかった。
煙を流してぐちゃぐちゃにつぶれるだとか、棒の先につけた気流糸が綺麗になびかず暴れるだとか、直感的で素朴な『乱流』の検出だけではなく、このように風速データにおいても、床面からある高さで『ここまでは端面に引きずられて乱流!こっから先は綺麗な一般流!』という線引きはできる。
もちろん冒頭のところてんとロールケーキみたいに竹で割ったような境目がつくはずがなく、主には1センチ、2センチ、3センチ…みたいに床面からの高さ別に風速データを並べ、音声分析や地震波形のシーンで見かけるような激しい上下動の波形グラフから、各々個別の特徴あるいは相互関連性を見ていく。
高さ別の平均風速は言わずもがなでまず算出するし、波形データはFFT処理で周波数分析にかけ【1174】、流れ方向やその上下振れ角や変動周期にどんな傾向があるのか精査する。
計算処理してつぶれた値だけでは判断できない場合、風速計の連装間隔2センチの距離で、どんな風速と風向の組合せが刻一刻起こっているのか、時系列の生データを追いかけたりもする。ああ、あの当時に、今くらいお手軽にパラパラ漫画風のアニメにできる便利ソフトがあったなら…
それにしても『層流vs乱流』の現実の境目は、やたら不均一で非定常でつかみどころの無い荒れたグラデーションになっていて、どこまで層流を前提とした流体力学モデルが通用して、どこから統計値を睨みながら揉みくちゃ渦潮と戦わねばならないのか判断が難しい。
だから『うう~ん、この供試体の流れならこんなもん!』と先に決めて噛みつきにかかる、それが『代表長さ』なのである。あとは出たとこ勝負で様子を見ながら試行錯誤を繰り返すのだ。
なるほど先生に質問しても『ああ、この場合ならここかな~』とか、そのあと『まあ場合によっては、こっちとか、あるいはこことか…』みたいな、理系人種らしくない日本語になっちまうワケだね【1343】
森羅万象この世の道理として、乱流にもナニガシかの流線はぐちゃぐちゃのこんがらがりまくりで存在するのは間違いない。『層流』は単純であるがゆえ、一本の流線が走る途中経過に何の計算をどう効かせるかの勝負ができるのだが、それが『乱流』ではお手上げとなる。
乱流の流線群は、それを人類文明の理系知識で把握するにあたり、ヒト認知能力に対して情報量が多すぎて、一本いっぽん解って加味できない。ゆえに現実的な計算能力と人間のイメージ検討が及ぶ範疇で、どんぶり勘定式にでも何らかの意味を見出せる『統計値』でしか語れない。
さて、ここのテキスティング文章を駆使して、まあまあ『ムズカシイ、ややこしい、解らない』の第一印象で食わず嫌いに敬遠される、流体力学の基礎の一部を紹介できる限度ってのは、ひとまずこんなもんかいな。
『kイプシロン・モデル』(アルファベットのkにハイフン引張ってギリシャ文字のイプシロン、文字化けを避けて表記しました)という輪をかけてムツカシそうな方程式で『散逸率』なる概念もあるので、面白い・もっと知りたいと思った方は検索してみてください。
さてそろそろ専門的すぎる流体力学講義から、話題の核心を移して行こう。
まるで別世界のちんぶんかんぷん理系バナシを茫然と見送った方でも、空気に巻き起こる現象を計算で表現するのがタイヘンに難しいのは御理解いただけたと思う。
数式による表現がどこまで尽くせていて、要は現実の現象に数学的な法則性がどこまで追従し合致しているのか確証を取るのが困難だし、とりあえず計算だけコンピューターにやらせるにも、もの凄く高負荷のタスクだということに共感いただければ十分だ。
ここまでやって、熱の授受による温度や圧力や体積の変化、原寸地形で顕れる地表と高空の温度差や気圧差など全く考慮していない、超・単純化モデルでの初歩的なお話だったことに気付いておこう。
ともあれ具体的な計算式が手元にあって、それを演算するプログラムが組めて、超速コンピューターも実現しているのなら、計算結果だけは間違いなく手に入る。
この計算結果は『物理的に根拠ある数式化に基づいたサイエンス成果』であり、ただのデタラメではもちろんない。
また『莫大な計算量を、過去にない超高速で処理して得られた最新鋭サイエンス情報』であり、現時点の人類文明の英知の成果でもある。
ではあなたが誰かに、この計算結果を一方的に『これは世の真実だよ、世に起こっていることと同じだよ』と言われて、ハイそうですかとすんなり盲信できるだろうか。
私から勝手に決める訳にはいかないのだが、キホン無理だと拒否るのが自然な反応ではないだろうか。
『凄いこと、カネや手が掛かっていること』と『真実性の精度』は、それぞれ別次元の評価軸上の概念であり、つまりは『凄いから真実だ』とつなげる理屈など立たない。
当該事象の専門知識などなくとも、拒否の判断は可能だしそれで正しい。
自信をもって『詳しくないがそれはおかしい、拒否する』と言えばよい。
ますます加速するコンピューターの高速大容量化=スペック向上に加えて、直近の数年で新たに、いわゆる『精神の神秘』『人間の尊厳』みたいなスピリチュアル表現で語られる『自我』や『意識』の機能をコンピューターが持ち始めているのではないか…とする世論とその研究が国際的に高まりつつある。
昔から機械とココロ通わせ続けている私自身は『ナニを今さら』という感じで眺めているのだが【97】、こんな時代にもなって、ヒト理知性で情報処理や意思決定ができないでいると、世界最先端の技術進化論議に置いていかれて、下手すると国家主権さえ『格下民族』として無様に失いかねない。
NHK朝ドラの『米田家の呪い』ならぬ『サル山ニッポンの呪い』を解きたいのだが。
サイトお引越しの準備がだいぶ整ってきた。その折にはお知らせ致しますので。
朝ドラ『おむすび』も大詰め間近、明朝『米田家の呪い』週シメにもグッドラック!
直径10センチのロールケーキを敷き詰めた上を、秒速1メートルでところてんの一般流が進んでいく時、床面から高さ10センチのところで風速を測定するとどうなるか。
ところてんの底面は10センチ間隔でロールケーキの背面と接触しているから、その接触面の直上で、接触の影響を受けて起こる風速変動は、確かに1秒間10周期ぶん捕捉される。まんま、これは正解。
いっぽう接触面の直下では、ロールケーキの背中が次々と通過する風速変動を拾うことになる訳だが、ロールケーキの回転軸の進行速度は、背面を撫でる風速の半分だから、1秒間に5周期ぶん捕捉されるはずなんだな。高さ10センチ面の上下で風速変動周期が倍半分違っていて、今の場合これが『境界層の厚み』である。
理系トピックなので、ちゃんと詰めておきましょう。いやいや失礼いたしました。
…っちゅうか、そこにハナシの焦点を当てたかった。
煙を流してぐちゃぐちゃにつぶれるだとか、棒の先につけた気流糸が綺麗になびかず暴れるだとか、直感的で素朴な『乱流』の検出だけではなく、このように風速データにおいても、床面からある高さで『ここまでは端面に引きずられて乱流!こっから先は綺麗な一般流!』という線引きはできる。
もちろん冒頭のところてんとロールケーキみたいに竹で割ったような境目がつくはずがなく、主には1センチ、2センチ、3センチ…みたいに床面からの高さ別に風速データを並べ、音声分析や地震波形のシーンで見かけるような激しい上下動の波形グラフから、各々個別の特徴あるいは相互関連性を見ていく。
高さ別の平均風速は言わずもがなでまず算出するし、波形データはFFT処理で周波数分析にかけ【1174】、流れ方向やその上下振れ角や変動周期にどんな傾向があるのか精査する。
計算処理してつぶれた値だけでは判断できない場合、風速計の連装間隔2センチの距離で、どんな風速と風向の組合せが刻一刻起こっているのか、時系列の生データを追いかけたりもする。ああ、あの当時に、今くらいお手軽にパラパラ漫画風のアニメにできる便利ソフトがあったなら…
それにしても『層流vs乱流』の現実の境目は、やたら不均一で非定常でつかみどころの無い荒れたグラデーションになっていて、どこまで層流を前提とした流体力学モデルが通用して、どこから統計値を睨みながら揉みくちゃ渦潮と戦わねばならないのか判断が難しい。
だから『うう~ん、この供試体の流れならこんなもん!』と先に決めて噛みつきにかかる、それが『代表長さ』なのである。あとは出たとこ勝負で様子を見ながら試行錯誤を繰り返すのだ。
なるほど先生に質問しても『ああ、この場合ならここかな~』とか、そのあと『まあ場合によっては、こっちとか、あるいはこことか…』みたいな、理系人種らしくない日本語になっちまうワケだね【1343】
森羅万象この世の道理として、乱流にもナニガシかの流線はぐちゃぐちゃのこんがらがりまくりで存在するのは間違いない。『層流』は単純であるがゆえ、一本の流線が走る途中経過に何の計算をどう効かせるかの勝負ができるのだが、それが『乱流』ではお手上げとなる。
乱流の流線群は、それを人類文明の理系知識で把握するにあたり、ヒト認知能力に対して情報量が多すぎて、一本いっぽん解って加味できない。ゆえに現実的な計算能力と人間のイメージ検討が及ぶ範疇で、どんぶり勘定式にでも何らかの意味を見出せる『統計値』でしか語れない。
さて、ここのテキスティング文章を駆使して、まあまあ『ムズカシイ、ややこしい、解らない』の第一印象で食わず嫌いに敬遠される、流体力学の基礎の一部を紹介できる限度ってのは、ひとまずこんなもんかいな。
『kイプシロン・モデル』(アルファベットのkにハイフン引張ってギリシャ文字のイプシロン、文字化けを避けて表記しました)という輪をかけてムツカシそうな方程式で『散逸率』なる概念もあるので、面白い・もっと知りたいと思った方は検索してみてください。
さてそろそろ専門的すぎる流体力学講義から、話題の核心を移して行こう。
まるで別世界のちんぶんかんぷん理系バナシを茫然と見送った方でも、空気に巻き起こる現象を計算で表現するのがタイヘンに難しいのは御理解いただけたと思う。
数式による表現がどこまで尽くせていて、要は現実の現象に数学的な法則性がどこまで追従し合致しているのか確証を取るのが困難だし、とりあえず計算だけコンピューターにやらせるにも、もの凄く高負荷のタスクだということに共感いただければ十分だ。
ここまでやって、熱の授受による温度や圧力や体積の変化、原寸地形で顕れる地表と高空の温度差や気圧差など全く考慮していない、超・単純化モデルでの初歩的なお話だったことに気付いておこう。
ともあれ具体的な計算式が手元にあって、それを演算するプログラムが組めて、超速コンピューターも実現しているのなら、計算結果だけは間違いなく手に入る。
この計算結果は『物理的に根拠ある数式化に基づいたサイエンス成果』であり、ただのデタラメではもちろんない。
また『莫大な計算量を、過去にない超高速で処理して得られた最新鋭サイエンス情報』であり、現時点の人類文明の英知の成果でもある。
ではあなたが誰かに、この計算結果を一方的に『これは世の真実だよ、世に起こっていることと同じだよ』と言われて、ハイそうですかとすんなり盲信できるだろうか。
私から勝手に決める訳にはいかないのだが、キホン無理だと拒否るのが自然な反応ではないだろうか。
『凄いこと、カネや手が掛かっていること』と『真実性の精度』は、それぞれ別次元の評価軸上の概念であり、つまりは『凄いから真実だ』とつなげる理屈など立たない。
当該事象の専門知識などなくとも、拒否の判断は可能だしそれで正しい。
自信をもって『詳しくないがそれはおかしい、拒否する』と言えばよい。
ますます加速するコンピューターの高速大容量化=スペック向上に加えて、直近の数年で新たに、いわゆる『精神の神秘』『人間の尊厳』みたいなスピリチュアル表現で語られる『自我』や『意識』の機能をコンピューターが持ち始めているのではないか…とする世論とその研究が国際的に高まりつつある。
昔から機械とココロ通わせ続けている私自身は『ナニを今さら』という感じで眺めているのだが【97】、こんな時代にもなって、ヒト理知性で情報処理や意思決定ができないでいると、世界最先端の技術進化論議に置いていかれて、下手すると国家主権さえ『格下民族』として無様に失いかねない。
NHK朝ドラの『米田家の呪い』ならぬ『サル山ニッポンの呪い』を解きたいのだが。
サイトお引越しの準備がだいぶ整ってきた。その折にはお知らせ致しますので。
朝ドラ『おむすび』も大詰め間近、明朝『米田家の呪い』週シメにもグッドラック!
【1348】むかし懐かし思考探検隊の仲間たちの記憶 [ビジネス]
この三連休は今季MAX級の寒波かあ。行楽のお出かけにはお気をつけて。
旭川で、数十メートルにわたって軽自動車がバスに追突で押されながら多重衝突事故の末尾に突込んでいき、さらにもう一台がその後ろから単独で追突する映像も報じられていた。
あれだけ凍った下り坂で一旦滑っちゃうと、もうどこまで我を取り戻して操作できるかも難しいのだが、逆にあれだけの距離を滑るんなら意外に時間もあるもんだなあ…と覚えておいていただきたい。実はまだ試せる抵抗手段があるっちゃあるのだ。
敢えてブレーキを解放し、とにかく『タイヤを転がす』のである。
ロックしたタイヤは机のゴム足と同じでデタラメに滑るだけだけれど、車輪として転がってくれればある程度でも舵が効く。そのまま路肩の積雪に浅い角度で斜めに突入するのだ。
積雪の質や量にもよるが、他の車輌に衝突するより断然ダメージを抑えられる。うまくすれば前バンパーの押し込みや側面のキズ・凹み程度で済み、引張り出してもらったあと自走できるかも知れない。何はともあれ、御安全に。
さて富士山のハナシに戻そう。
単純な幾何学寸法のスケールダウンでは模型によるラボ実験での再現性が保証されないため、流体の力学的特性に基づく条件設定、例えば『レイノルズ数合わせ』のような考え方があるというところまでが前回であった。
レイノルズ数の分子側は『一般流速×代表長さ』だから、代表長さを標高にして、現物3,776メートルを1万分の1の模型で37.76センチにまず縮小転写し、おんなじ空気で風洞実験…と考えるなら、一般流速の方を1万倍すれば『レイノルズ数合わせ』になるという計算が成り立つ。
富士山頂で風速1メートル毎秒=時速3.6キロ、歩いて顔にあたるくらいのそよ風が吹く日の風流れを再現するにあたり、風洞では風速1万メートル毎秒=36,000キロ毎時=マッハ30という凄い数字になるのだが、もちろんこんな実験に意味は無い。レイノルズ数は『ひとつの目安』なのだ。
あの現物の富士山の『つるし雲』の画像なんかをネット検索して眺めていただき、山体から何キロも離れたところに、山体の後流に起因すると思われる特徴的な雲が現れている光景を御確認いただこう。まあ気流の流線ズバリが空に見えているのではなく、空気中の水蒸気が冷却され凝結して雲になっている、その姿が見えているんだけどさ。
たかが37.76センチの模型に、数メートル離れた位置で似たような流れ場を作ろうとすると、1万倍はないにしても、なるほど結構な風速を当ててやらないとダメっぽい…という感じニアリングには響いていただけますでしょうか。
ここまでややこしい解説をしておいてナンなのだが、頂上付近ではあからさまに気圧が低い=密度が低くつまりは薄く、高山病になるヤツはいるわ、ポテチの袋はパンパンになるわ、ふもととそんな大差がついている現物の富士山の空気流れを、模型ミニチュアっぽっちで完全再現するのは到底不可能である。
『缶ビールの挙動がたいしたことない』実験確認はいつか役に立つかな【1124】
『あー縮小スケール比でレイノルズ数がドン下がりの方向だし、とりあえず風洞装置の限界まで風速上げていって、流れ状態がどうなるか見届けてから考えようか』ぐらいのユル~い発想が生まれるワケです。
本シリーズ講義の起点に立ち戻って、山頂付近の積雪に影響するような風流れを狙うなら、火口を囲む山肌の起伏、例えば幾つも走る沢底の深さから尾根の稜線の高さまでなんかを『代表長さ』に取って思考した方がメがありそうだ。
このへんで富士山にこだわるのもオワリにして、私が大学時代にウツツを抜かしていた『接地境界層における乱流構造の計測と再現手法』の話題に移行しよう。
私は、手持ちの風洞で自由自在に接地境界層を創り出し、世の実験で必要とされる乱流構造を、誰でもお手軽に手に入れられる方法論を確立したかったのだ。
さっきの富士山の例では現物の縮小バージョンだったが、逆の拡大バージョンにもニーズがある。例えば、今どき人工知能AIのコンピューター排熱を処理する技術競争が花盛りだ。
我々が日常使うパソコンだと、ファンが回って背面から熱風が噴き出すとか、側面のグリルからビミョーに熱気が立ちのぼるとかその程度のはずだけれど、とにかく情報処理のタスク実行にはエネルギーが要るし、冷却が必要だ【556】
普通の家庭用パソコンでは空冷で済んでいるが、そうでない大型スパコンは水冷などの液冷式、つまり熱伝導率の高い液体で冷やしてそれを循環させ、その液体を外の冷却塔に連れ出し、高効率の放熱システムで排熱させる方式が珍しくない。
こんなケースにおいては、むしろ機械の内部通路の境界層の構造や特性を拡大して調べたくなる。しかも扱う流体には、空気だけでなくクーラント液なども加わってくる。
まあいいや、そんなこんなで、狙って調べて流れ構造が判っているならそれでよし、調べず調べられずで知りたいが判ってないにしても、それならば推測した流れ構造に応じて、それを風洞実験で自在のスケールに拡大・縮小して再現したいではないですか。
よって、大学生の私は接地境界層の流れ構造を観測し測定するとともに『乱流発生装置』という、おろしがねやヘアブラシのバケモノのもっと凄いヤツみたいな気流攪拌デバイスを、あれやこれや設計しては試作し実験確認し、模索していた。
ひとつに、接地境界層といっても、床面素材の凹凸の粗度や、屋外の地面だと岩場だったり砂地だったり植生があったり、あと海面だとか氷面だとか、無限のバリエーションがあるのだが、大まかにでも『こういう条件なら、接地境界層の流れ状態のキモはこうだ』と言える象徴的な構造特性を特定できるのか。
もうひとつに、乱流発生装置の設計要件に対応して『こう作れば、こんな特徴の模式境界層が必ず得られる』というマニュアル化の可能性はありそうか。
先に白状しておくと、どっちも大喜びであちこちに見せびらかして自慢するような成果には、全然届きませんでした。やれやれ、だらしねえなあ。
私の実験では『熱線風速計』というボールペンの芯ぐらいの太さで長さ5センチ程度の、超・高感度の風速計を使っていた。流速だけでなく入射方向の上下振れ角も測定できるもので、数十ヘルツ=1秒間に数十回レベルの風速変動にも追従できるよう工夫を凝らした、我が研究室の内製である。
風洞の一般流が毎秒1メートルのところてん状で、床面上を直径10センチのロールケーキがびっしり連続して転がっていく流れ状態ならば、例えば床から高さ10センチのところでは、ロールケーキの背中が1秒に10回通り過ぎていくから、水平方向の風速変動の山谷10周期ぶんがデータに現れるはず…という見方をする。
この熱線風速計を2センチ間隔の8連装にして、計測スペース内を縦横無尽の絨毯爆撃式に測りまくるのだ。当時最新鋭だった『キュッパチ』が大活躍した。
各部の風速データを見比べていくと、ある程度どのサイズの、どっち回転のロールケーキがどう組み合わさって、転がったり滑ったりしながら流れているのか、構造が読めるのである。
煙で可視化すれば、直接見えているのは煙の粒子だが、それでもロールケーキの直径や形は空気流を結構かたどっているはずで、こういうビジュアル情報もいろいろ交えつつ、境界層の構造を読解し試行錯誤したものだ。楽しかったなあ~
前回以上に理系バナシの深みにハマってしまったが、いずれ種明かししますので御容赦ください。そろそろサイト引越準備が整いつつあるのだが、私はこういうデジタルツールのユーザー対応手続きに滅法弱いため、今頃あれこれと付け焼刃で勉強中だ。
お得意さまの中には既にここをお手元に記録し、内容を整理整頓している方もおられるようだが、私が引越の移行操作を間違えてモタついた時に備えて、今一度お手元コピーを御確認くださいますよう。
NHK朝ドラ『おむすび』の視聴率も、新規性が高いと既存市場にアンチが増えるのは必然の道理だから、ただ絶対値のたかひくをあげつらって総論めいた評価を語るのはどうかと思うぞ。
展開のダレも無いし、普通に面白いと思う。では週明けの家族騒動にグッドラック!
旭川で、数十メートルにわたって軽自動車がバスに追突で押されながら多重衝突事故の末尾に突込んでいき、さらにもう一台がその後ろから単独で追突する映像も報じられていた。
あれだけ凍った下り坂で一旦滑っちゃうと、もうどこまで我を取り戻して操作できるかも難しいのだが、逆にあれだけの距離を滑るんなら意外に時間もあるもんだなあ…と覚えておいていただきたい。実はまだ試せる抵抗手段があるっちゃあるのだ。
敢えてブレーキを解放し、とにかく『タイヤを転がす』のである。
ロックしたタイヤは机のゴム足と同じでデタラメに滑るだけだけれど、車輪として転がってくれればある程度でも舵が効く。そのまま路肩の積雪に浅い角度で斜めに突入するのだ。
積雪の質や量にもよるが、他の車輌に衝突するより断然ダメージを抑えられる。うまくすれば前バンパーの押し込みや側面のキズ・凹み程度で済み、引張り出してもらったあと自走できるかも知れない。何はともあれ、御安全に。
さて富士山のハナシに戻そう。
単純な幾何学寸法のスケールダウンでは模型によるラボ実験での再現性が保証されないため、流体の力学的特性に基づく条件設定、例えば『レイノルズ数合わせ』のような考え方があるというところまでが前回であった。
レイノルズ数の分子側は『一般流速×代表長さ』だから、代表長さを標高にして、現物3,776メートルを1万分の1の模型で37.76センチにまず縮小転写し、おんなじ空気で風洞実験…と考えるなら、一般流速の方を1万倍すれば『レイノルズ数合わせ』になるという計算が成り立つ。
富士山頂で風速1メートル毎秒=時速3.6キロ、歩いて顔にあたるくらいのそよ風が吹く日の風流れを再現するにあたり、風洞では風速1万メートル毎秒=36,000キロ毎時=マッハ30という凄い数字になるのだが、もちろんこんな実験に意味は無い。レイノルズ数は『ひとつの目安』なのだ。
あの現物の富士山の『つるし雲』の画像なんかをネット検索して眺めていただき、山体から何キロも離れたところに、山体の後流に起因すると思われる特徴的な雲が現れている光景を御確認いただこう。まあ気流の流線ズバリが空に見えているのではなく、空気中の水蒸気が冷却され凝結して雲になっている、その姿が見えているんだけどさ。
たかが37.76センチの模型に、数メートル離れた位置で似たような流れ場を作ろうとすると、1万倍はないにしても、なるほど結構な風速を当ててやらないとダメっぽい…という感じニアリングには響いていただけますでしょうか。
ここまでややこしい解説をしておいてナンなのだが、頂上付近ではあからさまに気圧が低い=密度が低くつまりは薄く、高山病になるヤツはいるわ、ポテチの袋はパンパンになるわ、ふもととそんな大差がついている現物の富士山の空気流れを、模型ミニチュアっぽっちで完全再現するのは到底不可能である。
『缶ビールの挙動がたいしたことない』実験確認はいつか役に立つかな【1124】
『あー縮小スケール比でレイノルズ数がドン下がりの方向だし、とりあえず風洞装置の限界まで風速上げていって、流れ状態がどうなるか見届けてから考えようか』ぐらいのユル~い発想が生まれるワケです。
本シリーズ講義の起点に立ち戻って、山頂付近の積雪に影響するような風流れを狙うなら、火口を囲む山肌の起伏、例えば幾つも走る沢底の深さから尾根の稜線の高さまでなんかを『代表長さ』に取って思考した方がメがありそうだ。
このへんで富士山にこだわるのもオワリにして、私が大学時代にウツツを抜かしていた『接地境界層における乱流構造の計測と再現手法』の話題に移行しよう。
私は、手持ちの風洞で自由自在に接地境界層を創り出し、世の実験で必要とされる乱流構造を、誰でもお手軽に手に入れられる方法論を確立したかったのだ。
さっきの富士山の例では現物の縮小バージョンだったが、逆の拡大バージョンにもニーズがある。例えば、今どき人工知能AIのコンピューター排熱を処理する技術競争が花盛りだ。
我々が日常使うパソコンだと、ファンが回って背面から熱風が噴き出すとか、側面のグリルからビミョーに熱気が立ちのぼるとかその程度のはずだけれど、とにかく情報処理のタスク実行にはエネルギーが要るし、冷却が必要だ【556】
普通の家庭用パソコンでは空冷で済んでいるが、そうでない大型スパコンは水冷などの液冷式、つまり熱伝導率の高い液体で冷やしてそれを循環させ、その液体を外の冷却塔に連れ出し、高効率の放熱システムで排熱させる方式が珍しくない。
こんなケースにおいては、むしろ機械の内部通路の境界層の構造や特性を拡大して調べたくなる。しかも扱う流体には、空気だけでなくクーラント液なども加わってくる。
まあいいや、そんなこんなで、狙って調べて流れ構造が判っているならそれでよし、調べず調べられずで知りたいが判ってないにしても、それならば推測した流れ構造に応じて、それを風洞実験で自在のスケールに拡大・縮小して再現したいではないですか。
よって、大学生の私は接地境界層の流れ構造を観測し測定するとともに『乱流発生装置』という、おろしがねやヘアブラシのバケモノのもっと凄いヤツみたいな気流攪拌デバイスを、あれやこれや設計しては試作し実験確認し、模索していた。
ひとつに、接地境界層といっても、床面素材の凹凸の粗度や、屋外の地面だと岩場だったり砂地だったり植生があったり、あと海面だとか氷面だとか、無限のバリエーションがあるのだが、大まかにでも『こういう条件なら、接地境界層の流れ状態のキモはこうだ』と言える象徴的な構造特性を特定できるのか。
もうひとつに、乱流発生装置の設計要件に対応して『こう作れば、こんな特徴の模式境界層が必ず得られる』というマニュアル化の可能性はありそうか。
先に白状しておくと、どっちも大喜びであちこちに見せびらかして自慢するような成果には、全然届きませんでした。やれやれ、だらしねえなあ。
私の実験では『熱線風速計』というボールペンの芯ぐらいの太さで長さ5センチ程度の、超・高感度の風速計を使っていた。流速だけでなく入射方向の上下振れ角も測定できるもので、数十ヘルツ=1秒間に数十回レベルの風速変動にも追従できるよう工夫を凝らした、我が研究室の内製である。
風洞の一般流が毎秒1メートルのところてん状で、床面上を直径10センチのロールケーキがびっしり連続して転がっていく流れ状態ならば、例えば床から高さ10センチのところでは、ロールケーキの背中が1秒に10回通り過ぎていくから、水平方向の風速変動の山谷10周期ぶんがデータに現れるはず…という見方をする。
この熱線風速計を2センチ間隔の8連装にして、計測スペース内を縦横無尽の絨毯爆撃式に測りまくるのだ。当時最新鋭だった『キュッパチ』が大活躍した。
各部の風速データを見比べていくと、ある程度どのサイズの、どっち回転のロールケーキがどう組み合わさって、転がったり滑ったりしながら流れているのか、構造が読めるのである。
煙で可視化すれば、直接見えているのは煙の粒子だが、それでもロールケーキの直径や形は空気流を結構かたどっているはずで、こういうビジュアル情報もいろいろ交えつつ、境界層の構造を読解し試行錯誤したものだ。楽しかったなあ~
前回以上に理系バナシの深みにハマってしまったが、いずれ種明かししますので御容赦ください。そろそろサイト引越準備が整いつつあるのだが、私はこういうデジタルツールのユーザー対応手続きに滅法弱いため、今頃あれこれと付け焼刃で勉強中だ。
お得意さまの中には既にここをお手元に記録し、内容を整理整頓している方もおられるようだが、私が引越の移行操作を間違えてモタついた時に備えて、今一度お手元コピーを御確認くださいますよう。
NHK朝ドラ『おむすび』の視聴率も、新規性が高いと既存市場にアンチが増えるのは必然の道理だから、ただ絶対値のたかひくをあげつらって総論めいた評価を語るのはどうかと思うぞ。
展開のダレも無いし、普通に面白いと思う。では週明けの家族騒動にグッドラック!
【1347】縮小コピーする現実にかざすIQ定規 [ビジネス]
今年は質・量ともにしっかりした寒さが続くなあ。
先週ちらっと新幹線から富士山を眺める機会に恵まれたのだが、意外にも頂上がいつもお馴染みの真っ白ではなく、むしろあちこち山肌が目立っていた。山頂で強風が続いて、積雪が定在できなかったのか。
富士山の頂上付近がどんな風流れになっているのか知りたくなって、1万分の1スケールで37.76センチメートルの模型を3Dプリンターで造ったとして、それを1立方メートルの観測スペースに入れて、例えば秒速30メートルなんだとしたら1万分の1で秒速0.003メートル=秒速3ミリの風を吹かせて、ドライアイスの煙でも流してみるか…という試みは、実はあんまり現実を反映してくれる保証が無い。
空気の密度つまり重みや、前回解説したような粘性などの流体特性まで1万分の1になってくれる訳ではないためだ。そこに見えるのは富士山を包む風の1万分の1ミニチュアの光景ではない。
御存知、空気は主に窒素N2が8割、酸素O2が2割、あとは今の思考には取るに足りない二酸化炭素だの何だのが小数点以下パーセンテージ…といった成分構成だ。結局はこれらの分子たちの振舞いが『流体力学』の思考対象としてさまざまな現象を巻き起こす。
空気の場合は『圧縮性流体』と呼ばれ、加圧すれば小さな容積にも大量に詰め込むことができる。いっぽう水や油は『非圧縮性流体』と呼ばれ、こちらは加圧してもほぼ体積変化はせず、正直に詰めたぶんの容積で決まる。『空気ばね』と『油圧ジャッキ』の機械要素が各々成立する所以である。
だが、もちろん分子間距離1万分の1がタテ・ヨコ・高さの3乗で、空気を1兆気圧に圧縮したからって、秒速3ミリの風速と併せて、37.76センチの富士山に、現実の風流れの縮小版を起こすことはできない。
想像を超えた極端な条件設定なので直感も働かないが、そもそも1兆気圧を閉じ込めて耐える実験スペースも富士山の模型も造れないし、そこまで圧縮すると今度は空気を気体にしておくのにも困難を極める。
ハナシに出しちゃった以上、ひとつだけの基本だけでも言及しておこうと思ったのが専門用語『レイノルズ数』なる特性値である。愛想よく手招きしてたやつね【1343】
数式としては単純な分数の姿をしており、分母が『動粘性係数』だけどまあ『粘性、粘り気』でいいや、分子が『流れの一般流速×代表長さ』となっている。
ややこしいところをすっ飛ばして結論から行くと『粘性力に対する慣性力の比』という文章で表現されるもので『とろ~り』や『ぬた~』の質感に対して、重さのあるモノが速度をもって『ずばーっ!』と行きたがる勢いの比率だと思ってください。なんか日本語がヤバくなってきたなあ。
そこそこの流速を持つ層流の水の流れに丸断面の杭を一本立てると、杭の直下の流れは何だか波が立ってビミョーに逆巻く=乱流になる様子が想像できると思う。これが水流でなく、水飴だったらどうなるだろうか?
杭に割り込まれ押しのけられた水飴の流れは『ぬた~』と背面側に回り込み、杭の丸断面を綺麗に囲むような流線で、暴れずに層流を維持する様子が想像できるだろうか。
先にレイノルズ数のざっくり用法の解説を済ませてしまおう。
レイノルズ数が小さければ層流、大きければ乱流の傾向があるとされる。
さっきの水流も、流速を落とせば波が収まり杭の表面に沿うようになる。
あるいは杭を細くし=代表長さを小さくすれば、杭の表面に沿うようになる。
どっちもレイノルズ数の分子側『一般流速×代表長さ』を小さくする操作である。
そしてこれらは、とろ~りとして波立たない水飴の流れ状態と同じだ。
粘性力=レイノルズ数の分母だから、水飴ではレイノルズ数が小さ目となる。
ちゃらちゃらぴしゃぴしゃ暴れにくく『層流』を成す傾向があるってことだね。
いっぽうレイノルズ数の分子=一般流速×代表長さだから、遅い流れに割り込んだ小物も、レイノルズ数が小さ目となる。逆に速い流れにデカブツを突込むとレイノルズ数は跳ね上がる。乱流になるのだ。
ふんふんなるほど…と思っていただけると有難いのだが、だからって『層流』vs『乱流』の境目が竹を割ったように決まるとも思えないその感覚は正しい。
私の大学時代に流体力学の教科書になっていた本では『基礎実験により、レイノルズ数が2,300までは層流、それ以上は乱流が観測された』という目安の記載があったが、世の論文には『数万まで層流だった』だとか『ヒステリシス特性が確認された』だとか、そりゃもう調べたら調べた数だけ答が出てきてしまう。
因みに『ヒステリシス』という用語だが、早い話が『往と復で差がある』という意味で、例えば層流で実験を始めて一般流速を上げていき、あるレイノルズ数に達したところで乱流になったとしよう。
今度はその乱流から一般流速を下げていくと、さっき上げていく途中ではまだまだ層流が維持されていた流速なのに、なかなか層流に戻ってくれず、それよりも随分と落としたところでようやく層流に戻った…と、そういう現象形態を指す言葉である。
どんな研究結果にしても、そもそもナニをもって『層流』と『乱流』を判断しているのかが大問題で、風速計にしてもタフト(気流糸=風なびきを目視する細く軽い糸)にしても、ナニか計測装置を割り込ませた瞬間それが乱れを発生するから、レイノルズ数に対応する流れ状態の精緻観測は困難を極める。
まあそんなこんなのレイノルズ数だが、物理思考にあたって『粘性力に対する慣性力の比』というのは、現象の等価性を判定するひとつの基準であることには間違いなく、流体屋の条件設定パラメーターとしては非常にポピュラーなものとなっている。
『標高37.76センチの富士山模型に毎秒3ミリ風速』の幾何学スケールダウンではなく、流体力学根拠の『レイノルズ数合わせ』で風洞の送風速度を設定し、富士山模型を取り巻く流れ状態を観測するという研究コンセプトが成り立つワケだ。
もっとも、ひとつの目安特性値を手掛かりに条件を合わせただけだから、こんなもんで採れた風洞実験データごときに、いきなり何か現象解析の意味があるなどと思ってはならない。
富士山現物に登って、周辺地域とセットで風速の同時計測を繰り返すとか、風洞の模型観測にしても風速を段階的に変えながら流れ状態の変化の傾向を把握するとか、自分の興味のターゲット事象めがけてありとあらゆる補完作業を尽くすのである。
きっちり組み上がって現実を再現作動する脳内現象モデルを完成させるのだ。
あー今回も思いっきり理系トピックになってしまったが、まだお付き合いください。
何だこりゃ、全然ワカランぞー!と面喰らっちゃった方は、二度三度と機械的に繰り返し読んでいただければ、不思議と理解できたりもすることを体感していただきたい。
飽きたら放り出して結構、何年後にでも、いつでも再チャレンジすればよい。
しっかし日本じゅう雪が凄いことになってるなあ。雪深い地域に暮らしておられる方々、どうかお大事になさってください。御安全を。
NHK朝ドラのギャル服飾ブランド品質問題は、どんな現確手段で巻き返すのか?
なかなかに高度な実用エピソードの展開を楽しみにしつつ、明朝もグッドラック!
先週ちらっと新幹線から富士山を眺める機会に恵まれたのだが、意外にも頂上がいつもお馴染みの真っ白ではなく、むしろあちこち山肌が目立っていた。山頂で強風が続いて、積雪が定在できなかったのか。
富士山の頂上付近がどんな風流れになっているのか知りたくなって、1万分の1スケールで37.76センチメートルの模型を3Dプリンターで造ったとして、それを1立方メートルの観測スペースに入れて、例えば秒速30メートルなんだとしたら1万分の1で秒速0.003メートル=秒速3ミリの風を吹かせて、ドライアイスの煙でも流してみるか…という試みは、実はあんまり現実を反映してくれる保証が無い。
空気の密度つまり重みや、前回解説したような粘性などの流体特性まで1万分の1になってくれる訳ではないためだ。そこに見えるのは富士山を包む風の1万分の1ミニチュアの光景ではない。
御存知、空気は主に窒素N2が8割、酸素O2が2割、あとは今の思考には取るに足りない二酸化炭素だの何だのが小数点以下パーセンテージ…といった成分構成だ。結局はこれらの分子たちの振舞いが『流体力学』の思考対象としてさまざまな現象を巻き起こす。
空気の場合は『圧縮性流体』と呼ばれ、加圧すれば小さな容積にも大量に詰め込むことができる。いっぽう水や油は『非圧縮性流体』と呼ばれ、こちらは加圧してもほぼ体積変化はせず、正直に詰めたぶんの容積で決まる。『空気ばね』と『油圧ジャッキ』の機械要素が各々成立する所以である。
だが、もちろん分子間距離1万分の1がタテ・ヨコ・高さの3乗で、空気を1兆気圧に圧縮したからって、秒速3ミリの風速と併せて、37.76センチの富士山に、現実の風流れの縮小版を起こすことはできない。
想像を超えた極端な条件設定なので直感も働かないが、そもそも1兆気圧を閉じ込めて耐える実験スペースも富士山の模型も造れないし、そこまで圧縮すると今度は空気を気体にしておくのにも困難を極める。
ハナシに出しちゃった以上、ひとつだけの基本だけでも言及しておこうと思ったのが専門用語『レイノルズ数』なる特性値である。愛想よく手招きしてたやつね【1343】
数式としては単純な分数の姿をしており、分母が『動粘性係数』だけどまあ『粘性、粘り気』でいいや、分子が『流れの一般流速×代表長さ』となっている。
ややこしいところをすっ飛ばして結論から行くと『粘性力に対する慣性力の比』という文章で表現されるもので『とろ~り』や『ぬた~』の質感に対して、重さのあるモノが速度をもって『ずばーっ!』と行きたがる勢いの比率だと思ってください。なんか日本語がヤバくなってきたなあ。
そこそこの流速を持つ層流の水の流れに丸断面の杭を一本立てると、杭の直下の流れは何だか波が立ってビミョーに逆巻く=乱流になる様子が想像できると思う。これが水流でなく、水飴だったらどうなるだろうか?
杭に割り込まれ押しのけられた水飴の流れは『ぬた~』と背面側に回り込み、杭の丸断面を綺麗に囲むような流線で、暴れずに層流を維持する様子が想像できるだろうか。
先にレイノルズ数のざっくり用法の解説を済ませてしまおう。
レイノルズ数が小さければ層流、大きければ乱流の傾向があるとされる。
さっきの水流も、流速を落とせば波が収まり杭の表面に沿うようになる。
あるいは杭を細くし=代表長さを小さくすれば、杭の表面に沿うようになる。
どっちもレイノルズ数の分子側『一般流速×代表長さ』を小さくする操作である。
そしてこれらは、とろ~りとして波立たない水飴の流れ状態と同じだ。
粘性力=レイノルズ数の分母だから、水飴ではレイノルズ数が小さ目となる。
ちゃらちゃらぴしゃぴしゃ暴れにくく『層流』を成す傾向があるってことだね。
いっぽうレイノルズ数の分子=一般流速×代表長さだから、遅い流れに割り込んだ小物も、レイノルズ数が小さ目となる。逆に速い流れにデカブツを突込むとレイノルズ数は跳ね上がる。乱流になるのだ。
ふんふんなるほど…と思っていただけると有難いのだが、だからって『層流』vs『乱流』の境目が竹を割ったように決まるとも思えないその感覚は正しい。
私の大学時代に流体力学の教科書になっていた本では『基礎実験により、レイノルズ数が2,300までは層流、それ以上は乱流が観測された』という目安の記載があったが、世の論文には『数万まで層流だった』だとか『ヒステリシス特性が確認された』だとか、そりゃもう調べたら調べた数だけ答が出てきてしまう。
因みに『ヒステリシス』という用語だが、早い話が『往と復で差がある』という意味で、例えば層流で実験を始めて一般流速を上げていき、あるレイノルズ数に達したところで乱流になったとしよう。
今度はその乱流から一般流速を下げていくと、さっき上げていく途中ではまだまだ層流が維持されていた流速なのに、なかなか層流に戻ってくれず、それよりも随分と落としたところでようやく層流に戻った…と、そういう現象形態を指す言葉である。
どんな研究結果にしても、そもそもナニをもって『層流』と『乱流』を判断しているのかが大問題で、風速計にしてもタフト(気流糸=風なびきを目視する細く軽い糸)にしても、ナニか計測装置を割り込ませた瞬間それが乱れを発生するから、レイノルズ数に対応する流れ状態の精緻観測は困難を極める。
まあそんなこんなのレイノルズ数だが、物理思考にあたって『粘性力に対する慣性力の比』というのは、現象の等価性を判定するひとつの基準であることには間違いなく、流体屋の条件設定パラメーターとしては非常にポピュラーなものとなっている。
『標高37.76センチの富士山模型に毎秒3ミリ風速』の幾何学スケールダウンではなく、流体力学根拠の『レイノルズ数合わせ』で風洞の送風速度を設定し、富士山模型を取り巻く流れ状態を観測するという研究コンセプトが成り立つワケだ。
もっとも、ひとつの目安特性値を手掛かりに条件を合わせただけだから、こんなもんで採れた風洞実験データごときに、いきなり何か現象解析の意味があるなどと思ってはならない。
富士山現物に登って、周辺地域とセットで風速の同時計測を繰り返すとか、風洞の模型観測にしても風速を段階的に変えながら流れ状態の変化の傾向を把握するとか、自分の興味のターゲット事象めがけてありとあらゆる補完作業を尽くすのである。
きっちり組み上がって現実を再現作動する脳内現象モデルを完成させるのだ。
あー今回も思いっきり理系トピックになってしまったが、まだお付き合いください。
何だこりゃ、全然ワカランぞー!と面喰らっちゃった方は、二度三度と機械的に繰り返し読んでいただければ、不思議と理解できたりもすることを体感していただきたい。
飽きたら放り出して結構、何年後にでも、いつでも再チャレンジすればよい。
しっかし日本じゅう雪が凄いことになってるなあ。雪深い地域に暮らしておられる方々、どうかお大事になさってください。御安全を。
NHK朝ドラのギャル服飾ブランド品質問題は、どんな現確手段で巻き返すのか?
なかなかに高度な実用エピソードの展開を楽しみにしつつ、明朝もグッドラック!
【1346】お行儀と乱痴気の線引き倍率ルール [ビジネス]
流体力学のシリーズものをやっていることを承知で、脱ステの備忘から。
実は最近5年ほどこの時期、私には重量級の荷物を肩掛けにして、平地も坂道も階段も歩き回る一日がある。脱ステの離脱症状が酷かった頃は、今思い出してもよくやり切ったなと感心するレベルであった。
まあ今年は随分と普通に歩き回れるようになり、エスカレーターが混んでたら階段昇降を選んでいたりもしたのだけれど。
こういうことをした翌日およびその翌日ぐらいまで、結構な筋肉痛にやられるのが常だった。まあよくあるハナシである。
この年齢ならやむなしと受けとめて当然なのだろう。むしろ無駄に頑張って腰を傷めたりすると、後悔先に立たずで一生モノになっちまうから気を付けないと…
ともあれ今年も筋肉痛を覚悟しながらも無事に帰宅して、もうすっかり習慣として他を差し置いて、まずはぐっすりと眠ることにしたのである。その翌朝のことだ。
…あ?あれー?どこも、ちっとも痛くないぞ?
重量物も持たない普段日常の朝と変わらんじゃないか。
でもそうだ、そうだよ、これがオレの身体だ。長らく忘れてしまっていた。
高負荷がかかると筋肉繊維の組織が一部損傷し、それこそが筋肉痛の痛みの元凶であり、時にその修復に複数日を要するため『重労働の翌日より、翌々日の方が痛い』みたいな感覚にもなるのだ…とする通説がある。
身体構造を修復する専用の、ナニか特別な自己メンテナンス作用が備わっていてそれが働いているのではなく、高負荷で損傷したり弱ったりした体組織を、例によって免疫力が『オマエらもう使い物にならん』と次々摘発して処刑し、そこに新しい体組織が置き変わって回復しているのだとすると…だ。
完全断薬で脱ステしてきて満12年・足掛け13年目に突入した私の身体は、正直に相応の効果を上げ、今やかつての免疫力パワーを随分と取り戻してこの回復力、そういうことなのではないだろうか。
こっここ、これはモチベーションがアゲアゲでゴールが楽しみになるぞ。
以上あまりに嬉しかったので書き留めて、きちんと本題の方を進めにかかる。
ところてんのような一般流が通過していて、床面には転がるロールケーキが敷き詰められている…という流れのモデルを考えてみよう。
一般流の流線については、いま自分が視野ウィンドウをかけて見ている観察範囲の、上流から始まって、一本線で下流に消えていく。上流から飛び込んできたぶん、正直に下流に流れ去って行かないと収支が合わなくなるからだ。流線が途中で終わって視野ウィンドウ内に流体が蓄積していくと、いずれ限界に達してフン詰まるし、逆に途中から始まって櫂い出されていくと、流れるも何もその始点が真空になってしまう。
この概念は『連続の式』と呼ばれる等式に表現されており、例えば流れの中の一箇所に小さな仮想立方体を考えると、必ず流入ぶんと流出ぶんを全6面の合計で釣り合わせる計算により管理されている。
いっぽう床面を転がるロールケーキの丸い側面図は、必ずぐるりと一周輪を描いて、流入もなければ流出もしないはずなのだ。これを流体力学用語で『循環』と呼ぶ。
流体の流れを流線で描くと、ひとつに『上流から入って下流に去る一本線』があり、もうひとつに『視野の中で輪を描く』局所完結があり、これ以外のパターンは絶対に存在しない。流線は二股に分岐することもなければ、二本が合流して一本になることもないのだ。お解りでしょうか。
さて、そう考えると。
『循環』っていうぐらいなんだから、そこにいるやつがぐるぐる回ってるんだよな。
この『循環』の場では、あらゆる物質や物理量が保存されるという法則がある。だって同じのが回ってるだけなんだから、直感的にも理解しやすいと思う。
真夏の熱い地面で加熱される地表ロールケーキは、接地面で受熱してロール蹴り上げ面を駆け上がるのだが、キホンそのままぐるりと回って、前転で突っ込んできて地表面に帰ってくる。途中ロールケーキの上面で一般流と接触し、そこで熱伝導もするし幾分は混じり合いもするのだけれど『循環』している以上、主流はそのまま地表に戻ってくる訳だ。地表から放出される花粉なんかも同じである。
ロールケーキは『接地面の拡散物質や物理量を床面から引き剥がして、ロール径の高さまで持ち上げる』という輸送効果を持つと同時に、転がるのだから『一般流の一部を連れ込みながら、さっき持ち上げた拡散物質や物理量の多くを床面付近に戻す』という効果も持っているワケだ。
粘性の高い流体は、床面にひきずられて転がり駆動力が大きくなるのだが、ロールケーキ前後面では隣のロールケーキ面とお互い逆行することになり、これは転がり運動を強く妨げるとともに、双方を粘りつかせ攪拌し混合する効果も大きい。
そんなこんなで床面に並ぶロールケーキ構造で単純化したこの流れ状態は、実際には大小無数の渦が隙間を埋め合った超ややこしい乱流域になっているということだね。
この乱流域のことを『境界層』といい、床面=地面として考えるにあたっては『接地境界層』と呼ばれる。
先に現実を明かしておくと、私のいた研究室の風洞装置で秒速数メートル級の風を吹かせた時、1平方メートルの観測スペース床面の、床面摩擦による攪拌が最も進んだ最下流側でも、この境界層の厚みはミリ単位であった。
つまり、ここに空き缶やバケツを置いて風当たりの影響を調べるなら、ざっくり風洞内の流れを『層流』として計測し計算し、うまく仮説に合わない事態にぶつかったら、床面付近の接地境界層までミクロ視して、その影響を加味してみるのも一手かなあ…と、そういう思考検討の順番になるということだ。
ここで『代表長さ』が登場する。
『ま、だ~いたい空缶がどのくらい押されて、こかされるの?』というスケール感で思考するなら、代表長さLは、空缶の直径や高さとするのが適当だろう。
『つるつるのテーブルと、紙やすりの表面にそれぞれ水をこぼして、風でどのくらい拡がるもんなの?』というスケール感で思考するなら、代表長さLは、紙やすり表面のザラメ粒子の平均直径ぐらいが適当となる。
そうする緻密な理屈は聞かないまま、まずはふんふんと御理解いただけるだろうか。
今回はこのぐらいにしておきましょうか。
この『代表長さ』が、『層流』で扱うのか『乱流』で扱うのか決心する判定フローに効いてくるのだ【1343】
ぜひ想像力を働かせて、物理現象としてナニが起こっているのか、御自身の脳内イメージでわだかまりなく納得を進めながら、お付き合いいただきたい。
やっと控えファイルの更新日時併記メンテナンスが1100回を超えたぞー!もう少し。
NHK朝ドラ『おむすび』も終盤に向け展開しそうだ。では週明けもグッドラック!
実は最近5年ほどこの時期、私には重量級の荷物を肩掛けにして、平地も坂道も階段も歩き回る一日がある。脱ステの離脱症状が酷かった頃は、今思い出してもよくやり切ったなと感心するレベルであった。
まあ今年は随分と普通に歩き回れるようになり、エスカレーターが混んでたら階段昇降を選んでいたりもしたのだけれど。
こういうことをした翌日およびその翌日ぐらいまで、結構な筋肉痛にやられるのが常だった。まあよくあるハナシである。
この年齢ならやむなしと受けとめて当然なのだろう。むしろ無駄に頑張って腰を傷めたりすると、後悔先に立たずで一生モノになっちまうから気を付けないと…
ともあれ今年も筋肉痛を覚悟しながらも無事に帰宅して、もうすっかり習慣として他を差し置いて、まずはぐっすりと眠ることにしたのである。その翌朝のことだ。
…あ?あれー?どこも、ちっとも痛くないぞ?
重量物も持たない普段日常の朝と変わらんじゃないか。
でもそうだ、そうだよ、これがオレの身体だ。長らく忘れてしまっていた。
高負荷がかかると筋肉繊維の組織が一部損傷し、それこそが筋肉痛の痛みの元凶であり、時にその修復に複数日を要するため『重労働の翌日より、翌々日の方が痛い』みたいな感覚にもなるのだ…とする通説がある。
身体構造を修復する専用の、ナニか特別な自己メンテナンス作用が備わっていてそれが働いているのではなく、高負荷で損傷したり弱ったりした体組織を、例によって免疫力が『オマエらもう使い物にならん』と次々摘発して処刑し、そこに新しい体組織が置き変わって回復しているのだとすると…だ。
完全断薬で脱ステしてきて満12年・足掛け13年目に突入した私の身体は、正直に相応の効果を上げ、今やかつての免疫力パワーを随分と取り戻してこの回復力、そういうことなのではないだろうか。
こっここ、これはモチベーションがアゲアゲでゴールが楽しみになるぞ。
以上あまりに嬉しかったので書き留めて、きちんと本題の方を進めにかかる。
ところてんのような一般流が通過していて、床面には転がるロールケーキが敷き詰められている…という流れのモデルを考えてみよう。
一般流の流線については、いま自分が視野ウィンドウをかけて見ている観察範囲の、上流から始まって、一本線で下流に消えていく。上流から飛び込んできたぶん、正直に下流に流れ去って行かないと収支が合わなくなるからだ。流線が途中で終わって視野ウィンドウ内に流体が蓄積していくと、いずれ限界に達してフン詰まるし、逆に途中から始まって櫂い出されていくと、流れるも何もその始点が真空になってしまう。
この概念は『連続の式』と呼ばれる等式に表現されており、例えば流れの中の一箇所に小さな仮想立方体を考えると、必ず流入ぶんと流出ぶんを全6面の合計で釣り合わせる計算により管理されている。
いっぽう床面を転がるロールケーキの丸い側面図は、必ずぐるりと一周輪を描いて、流入もなければ流出もしないはずなのだ。これを流体力学用語で『循環』と呼ぶ。
流体の流れを流線で描くと、ひとつに『上流から入って下流に去る一本線』があり、もうひとつに『視野の中で輪を描く』局所完結があり、これ以外のパターンは絶対に存在しない。流線は二股に分岐することもなければ、二本が合流して一本になることもないのだ。お解りでしょうか。
さて、そう考えると。
『循環』っていうぐらいなんだから、そこにいるやつがぐるぐる回ってるんだよな。
この『循環』の場では、あらゆる物質や物理量が保存されるという法則がある。だって同じのが回ってるだけなんだから、直感的にも理解しやすいと思う。
真夏の熱い地面で加熱される地表ロールケーキは、接地面で受熱してロール蹴り上げ面を駆け上がるのだが、キホンそのままぐるりと回って、前転で突っ込んできて地表面に帰ってくる。途中ロールケーキの上面で一般流と接触し、そこで熱伝導もするし幾分は混じり合いもするのだけれど『循環』している以上、主流はそのまま地表に戻ってくる訳だ。地表から放出される花粉なんかも同じである。
ロールケーキは『接地面の拡散物質や物理量を床面から引き剥がして、ロール径の高さまで持ち上げる』という輸送効果を持つと同時に、転がるのだから『一般流の一部を連れ込みながら、さっき持ち上げた拡散物質や物理量の多くを床面付近に戻す』という効果も持っているワケだ。
粘性の高い流体は、床面にひきずられて転がり駆動力が大きくなるのだが、ロールケーキ前後面では隣のロールケーキ面とお互い逆行することになり、これは転がり運動を強く妨げるとともに、双方を粘りつかせ攪拌し混合する効果も大きい。
そんなこんなで床面に並ぶロールケーキ構造で単純化したこの流れ状態は、実際には大小無数の渦が隙間を埋め合った超ややこしい乱流域になっているということだね。
この乱流域のことを『境界層』といい、床面=地面として考えるにあたっては『接地境界層』と呼ばれる。
先に現実を明かしておくと、私のいた研究室の風洞装置で秒速数メートル級の風を吹かせた時、1平方メートルの観測スペース床面の、床面摩擦による攪拌が最も進んだ最下流側でも、この境界層の厚みはミリ単位であった。
つまり、ここに空き缶やバケツを置いて風当たりの影響を調べるなら、ざっくり風洞内の流れを『層流』として計測し計算し、うまく仮説に合わない事態にぶつかったら、床面付近の接地境界層までミクロ視して、その影響を加味してみるのも一手かなあ…と、そういう思考検討の順番になるということだ。
ここで『代表長さ』が登場する。
『ま、だ~いたい空缶がどのくらい押されて、こかされるの?』というスケール感で思考するなら、代表長さLは、空缶の直径や高さとするのが適当だろう。
『つるつるのテーブルと、紙やすりの表面にそれぞれ水をこぼして、風でどのくらい拡がるもんなの?』というスケール感で思考するなら、代表長さLは、紙やすり表面のザラメ粒子の平均直径ぐらいが適当となる。
そうする緻密な理屈は聞かないまま、まずはふんふんと御理解いただけるだろうか。
今回はこのぐらいにしておきましょうか。
この『代表長さ』が、『層流』で扱うのか『乱流』で扱うのか決心する判定フローに効いてくるのだ【1343】
ぜひ想像力を働かせて、物理現象としてナニが起こっているのか、御自身の脳内イメージでわだかまりなく納得を進めながら、お付き合いいただきたい。
やっと控えファイルの更新日時併記メンテナンスが1100回を超えたぞー!もう少し。
NHK朝ドラ『おむすび』も終盤に向け展開しそうだ。では週明けもグッドラック!
【1345】チリツモ蓄積とお引越し騒乱の腐れ因果 [ビジネス]
NHK朝ドラ『おむすび』愛子ママのブログが書籍化を見送って、連載を終了した。
気の利いたイラストもつかないし、アップ当時の社会情勢に場当たりで身を任せて書き殴っているし、つくづくロクでもない内容のこのサイトは書籍化なんぞあり得ないワケだが、今回をもって1345回目。
私は毎回サイトアップした最終仕様をがあーっと拾ってコピーして、文書ファイルに控えを取っている。ざっくり45文字×45行ぐらいのページ設定なのだが、現時点で実に2368ページをストックしている。うわーすげー、広辞苑かよ。
控えを取るにあたり私は大失敗をやらかしており、更新日時をきちんとセットで記録していなかった。だから引越し作業を具体的に検討するにあたり、今後の万一のことまで考えて、手元の文書ファイルに抜け洩れなく更新日時も揃えておこうと思ったのだ。
1300回を超えている時点で、正確な更新日時の確認と記録メンテは気の遠くなる作業量だが、今やらないと今後ますますきつくなる。やるなら今しかない。
意を決して早々に手を付けたのだが、いやはやジブン、恐るべし。
やってもやっても全然消化が進まないのである。わたしゃこんなに自分で思い巡らし、自分の手でキーを叩いて作文してきたのか。のんびりと一件ずつ読み返して日付を確定していく時間なんか全然ないのに、どうするんだ?
我ながら凄すぎて呆れた。継続はチカラなり、そのチカラの実態ってこれかよ。
とにかく作業進捗次第に引越しますので、今月来月はどうか御留意くださいませ。
なお、お引越しを優先して内容が薄くなります。悪しからず。
さて、その朝ドラだけれど、ダイエット拒食症の女の子が気になってしまった。
『可愛くなりたいと思っちゃいけないの?』として目指すその『可愛い』の具体的イメージが、現実の限界を超えて誇張され創作され、現実に先んじてもてはやされている世風は確かにあると思う。
若年層文化の新たな価値観だし、否定したくはないんだが、だがだからって、コトこれに関しては決して応援したくもならない。そもそも実現性をソリッドに考える知識と現認力をまず習得すべきではないだろうか。
私の突込みやすいところから行かせていただくと、近頃よく見かける『目がでかくなるデフォルメ画像処理』ってのは『眼球が顔にフツーに収まった姿なのかどうか』をすっかり無視していて、素直に白状するなら、昭和世代の私には正直のところ違和感の心象が強い。可愛いどころか不自然でキモチ悪い。
くりくりっと大きな丸い目玉が、到底収まりようもないサイズに拡大されて顔面に並んでも、出来の悪い福笑いみたいなもので、悪いがど~おしても美的感覚で『可愛い』とは思えないのである。
むかし『アタックNo.1』というバレーボール選手が主人公のスポ根アニメがあって、眼球がちょうどこの時代のテレビのブラウン管と同じ構造ででもなければ成立し得ない、二次元アニメ専用の眼をした登場人物たちが大活躍していた。その直後ぐらいだっけか『エースをねらえ!』という高校テニス部を舞台にしたアニメも大概のもんだったなあ。でも昭和の女の子たちは夢中になって入れ込んでいたものだ。
まあ小顔に大きな目がぱちくり…ってオードリー・ヘップバーンみたいな顔つきとはDNAレベルでまるっきり無縁な東洋民族の、果てしない憧れともいうべき理想像が記号化・象徴化されて、大衆アニメとなって定番の画風の流儀を形成し、そんな時空でニッポン社会の昭和日常あるあるストーリーが展開されていたワケです。
当時みんな、絶対に生身で実現し得ないルックスの登場人物たちを見ながら『アニメ=二次元作画で展開する世界は、現実と縁の切れた別のものだ』と割り切る一線は引いていたと思う。
ところがこの一線が時とともに曖昧になってきて、早くは90年代のうちに、サブカル文化の拡散・浸透とともに『二次元世界を我がコトとして現実にしてしまいたい』と言い切るブレイクスルーが起こり始めていた。
所詮は架空の設定に趣味や口先だけ憧れてオシマイのことと思っていたら、子供たち若者たちがみるみる8頭身どころか9頭身あるいはそれ以上の体格となり、そんな子たちと同年代以降の社会層が、架空をただの憧れでなく、具体的な目標設定に据えて頑張り始めてしまった。空想世界の範疇なのが残念だけれど。
朝ドラ『おむすび』の劇中、高校生の拒食症の女の子が『可愛くなりたいと思っちゃダメなの?』と訊いてくる、その若い心の動機は自然だ。
だがその価値基準と高評価について、もう幼児でもない自分が、徹底して実現に取り組むべき事象かどうかは、社会人になりつつある自我自分単独の判断として、自力で考えさせ、判断させ、命懸けででも回答を出させるべきである。こんなところで、周囲のいいオトナがおろおろするから子供たちが迷うのだ。
あいててマズいよ、またやり過ぎた。流体力学のハナシをしていたのに。
前回からの続きで、とにかく床面近くでは、流線が床面目掛けて突き刺さるように曲がるのだとすると、実はホントに流線が床面に突き刺さる訳には行かないから、巻き寿司かロールケーキのように『気塊が一定間隔で前転する運動成分』が発生する…ということが想像できると思う。
いっぽう床面摩擦のひきずり効果が薄れる十分な高さにおいて、流体は慣性の法則により直進しようとするから、一般流の領域においては、一定の一般風速で安定した流れが維持される。
ところてんのように一般流が定在し、床面付近にはロールケーキのような気塊前転を敷き詰めるとして、その隙間が真空になる訳にはいかないから、そこはまたロールケーキの軸を取り巻く『ころ』のような縮小版ロールケーキが埋めることになり、こいつらも全部がお互いに粘性でひきずり合っていて…
結局、一般流が『層流』であっても、床面付近は大小の旋回流が渦巻く『乱流』になる。この乱流域のことを『接地境界層』と呼ぶのだ。それを気にするのか?
まずはそこまで御理解いただければ、現段階で御の字である。
『ミクロに見たければいくらでもOK。で、アンタはどこまで見るの?見たいの?』
さあ、あなたが考えようとする現象は『層流』だろうか『乱流』だろうか。
これをまず、自分で決めないと何も始まらないのが流体力学なのである。
以上、本題の流体力学がまるで申し訳の付け足しみたいになっちゃったけど、ともかく先に『ナニを見るか、ナニを気にして考え始めるか』を自分の思考動機で決めて、そこに初めて理論が付いてくる…という順番があるということを、実感をもって御理解いただきたいのですよ。
えー再度、継続はチカラなり。
たまにはこんな『やっつけ回』もあるってことで、引越を急ぐとさせてください。
これだけやってきて、こないだ還暦=60歳になって、書き残しておくべきことの1%も実現できた気がしないことに焦りを感じずにはおれない。
あと何年かけたら、どこまでやれた納得が行くもんなんだろう?
まあいいや、デジタルテキスティングの本領って、まさにこういう情報伝達の場面で発揮されるものなんじゃないかと私は考えている。
とにかく無事に引越さないとね、とりあえず明朝の朝ドラにグッドラック!
気の利いたイラストもつかないし、アップ当時の社会情勢に場当たりで身を任せて書き殴っているし、つくづくロクでもない内容のこのサイトは書籍化なんぞあり得ないワケだが、今回をもって1345回目。
私は毎回サイトアップした最終仕様をがあーっと拾ってコピーして、文書ファイルに控えを取っている。ざっくり45文字×45行ぐらいのページ設定なのだが、現時点で実に2368ページをストックしている。うわーすげー、広辞苑かよ。
控えを取るにあたり私は大失敗をやらかしており、更新日時をきちんとセットで記録していなかった。だから引越し作業を具体的に検討するにあたり、今後の万一のことまで考えて、手元の文書ファイルに抜け洩れなく更新日時も揃えておこうと思ったのだ。
1300回を超えている時点で、正確な更新日時の確認と記録メンテは気の遠くなる作業量だが、今やらないと今後ますますきつくなる。やるなら今しかない。
意を決して早々に手を付けたのだが、いやはやジブン、恐るべし。
やってもやっても全然消化が進まないのである。わたしゃこんなに自分で思い巡らし、自分の手でキーを叩いて作文してきたのか。のんびりと一件ずつ読み返して日付を確定していく時間なんか全然ないのに、どうするんだ?
我ながら凄すぎて呆れた。継続はチカラなり、そのチカラの実態ってこれかよ。
とにかく作業進捗次第に引越しますので、今月来月はどうか御留意くださいませ。
なお、お引越しを優先して内容が薄くなります。悪しからず。
さて、その朝ドラだけれど、ダイエット拒食症の女の子が気になってしまった。
『可愛くなりたいと思っちゃいけないの?』として目指すその『可愛い』の具体的イメージが、現実の限界を超えて誇張され創作され、現実に先んじてもてはやされている世風は確かにあると思う。
若年層文化の新たな価値観だし、否定したくはないんだが、だがだからって、コトこれに関しては決して応援したくもならない。そもそも実現性をソリッドに考える知識と現認力をまず習得すべきではないだろうか。
私の突込みやすいところから行かせていただくと、近頃よく見かける『目がでかくなるデフォルメ画像処理』ってのは『眼球が顔にフツーに収まった姿なのかどうか』をすっかり無視していて、素直に白状するなら、昭和世代の私には正直のところ違和感の心象が強い。可愛いどころか不自然でキモチ悪い。
くりくりっと大きな丸い目玉が、到底収まりようもないサイズに拡大されて顔面に並んでも、出来の悪い福笑いみたいなもので、悪いがど~おしても美的感覚で『可愛い』とは思えないのである。
むかし『アタックNo.1』というバレーボール選手が主人公のスポ根アニメがあって、眼球がちょうどこの時代のテレビのブラウン管と同じ構造ででもなければ成立し得ない、二次元アニメ専用の眼をした登場人物たちが大活躍していた。その直後ぐらいだっけか『エースをねらえ!』という高校テニス部を舞台にしたアニメも大概のもんだったなあ。でも昭和の女の子たちは夢中になって入れ込んでいたものだ。
まあ小顔に大きな目がぱちくり…ってオードリー・ヘップバーンみたいな顔つきとはDNAレベルでまるっきり無縁な東洋民族の、果てしない憧れともいうべき理想像が記号化・象徴化されて、大衆アニメとなって定番の画風の流儀を形成し、そんな時空でニッポン社会の昭和日常あるあるストーリーが展開されていたワケです。
当時みんな、絶対に生身で実現し得ないルックスの登場人物たちを見ながら『アニメ=二次元作画で展開する世界は、現実と縁の切れた別のものだ』と割り切る一線は引いていたと思う。
ところがこの一線が時とともに曖昧になってきて、早くは90年代のうちに、サブカル文化の拡散・浸透とともに『二次元世界を我がコトとして現実にしてしまいたい』と言い切るブレイクスルーが起こり始めていた。
所詮は架空の設定に趣味や口先だけ憧れてオシマイのことと思っていたら、子供たち若者たちがみるみる8頭身どころか9頭身あるいはそれ以上の体格となり、そんな子たちと同年代以降の社会層が、架空をただの憧れでなく、具体的な目標設定に据えて頑張り始めてしまった。空想世界の範疇なのが残念だけれど。
朝ドラ『おむすび』の劇中、高校生の拒食症の女の子が『可愛くなりたいと思っちゃダメなの?』と訊いてくる、その若い心の動機は自然だ。
だがその価値基準と高評価について、もう幼児でもない自分が、徹底して実現に取り組むべき事象かどうかは、社会人になりつつある自我自分単独の判断として、自力で考えさせ、判断させ、命懸けででも回答を出させるべきである。こんなところで、周囲のいいオトナがおろおろするから子供たちが迷うのだ。
あいててマズいよ、またやり過ぎた。流体力学のハナシをしていたのに。
前回からの続きで、とにかく床面近くでは、流線が床面目掛けて突き刺さるように曲がるのだとすると、実はホントに流線が床面に突き刺さる訳には行かないから、巻き寿司かロールケーキのように『気塊が一定間隔で前転する運動成分』が発生する…ということが想像できると思う。
いっぽう床面摩擦のひきずり効果が薄れる十分な高さにおいて、流体は慣性の法則により直進しようとするから、一般流の領域においては、一定の一般風速で安定した流れが維持される。
ところてんのように一般流が定在し、床面付近にはロールケーキのような気塊前転を敷き詰めるとして、その隙間が真空になる訳にはいかないから、そこはまたロールケーキの軸を取り巻く『ころ』のような縮小版ロールケーキが埋めることになり、こいつらも全部がお互いに粘性でひきずり合っていて…
結局、一般流が『層流』であっても、床面付近は大小の旋回流が渦巻く『乱流』になる。この乱流域のことを『接地境界層』と呼ぶのだ。それを気にするのか?
まずはそこまで御理解いただければ、現段階で御の字である。
『ミクロに見たければいくらでもOK。で、アンタはどこまで見るの?見たいの?』
さあ、あなたが考えようとする現象は『層流』だろうか『乱流』だろうか。
これをまず、自分で決めないと何も始まらないのが流体力学なのである。
以上、本題の流体力学がまるで申し訳の付け足しみたいになっちゃったけど、ともかく先に『ナニを見るか、ナニを気にして考え始めるか』を自分の思考動機で決めて、そこに初めて理論が付いてくる…という順番があるということを、実感をもって御理解いただきたいのですよ。
えー再度、継続はチカラなり。
たまにはこんな『やっつけ回』もあるってことで、引越を急ぐとさせてください。
これだけやってきて、こないだ還暦=60歳になって、書き残しておくべきことの1%も実現できた気がしないことに焦りを感じずにはおれない。
あと何年かけたら、どこまでやれた納得が行くもんなんだろう?
まあいいや、デジタルテキスティングの本領って、まさにこういう情報伝達の場面で発揮されるものなんじゃないかと私は考えている。
とにかく無事に引越さないとね、とりあえず明朝の朝ドラにグッドラック!
【1344】理系IQで考える、お通じと乱れの良し悪し [ビジネス]
あらまあNHK朝ドラ『おむすび』のダメ男連、老いも若きも、医者も患者も改心が素直なこと。今季の残り放送回数を考えると、このまま平和に落着するんだろうな。
皆さんの職場の現実が、この朝ドラの再現となってくっついてきますように。
週明けにはダイエット拒食症の入院患者も登場するようだし、なるほどそうだとすると、タイプ別に患者の食事情の事例をひとつでも多く観たいな。
大腸炎はともかく、ネフローゼの疾患名は久し振りに聞いた。昭和の小学校でも、年に一回だったと思うが検尿があって、40人余に1~2人ぐらいかなあ、尿蛋白を指摘される級友がいたと記憶している。今季の朝ドラもいろいろ想い出深く勉強になってるよ。
ところで今朝たまたまテレビをつけたら、健康テーマの番組で、前回話題にした下部内視鏡についてやっているところに出くわした。
検査前日の準備食が進化しているのは良いとして、私の頃は当日待合室で下剤入りのスポーツドリンクみたいなやつを飲んでは、うんこの色が消えるまで腸内洗浄する準備プロセスがあったのだ。
もちろん被験者自己流の判断では検査OKの確証が取れないため、待合室に隣接した和式トイレで出しては、看護婦さんを呼んでうんこを披露し判断してもらうのである。自分のうんこを看護婦さんと二人で見て良否判定してもらうという、もう至高の…いやバツの悪い作業を、OKが出るまで繰り返す。
ところが今どき便利なことになってしまっており、自分のうんこを撮影するとOK/NG判定の表示を返すスマホアプリが開発されているのだそうだ。
軟弱者め、こんなヌルい検査ツールなんぞ『人に優しい医療』でも何でもない。いま出したうんこを否定される屈辱感・劣等感を通り抜けて冷静で頑丈な人格は形成されるのであり、NHK朝ドラのひ弱なくせに傲慢なダメ男どもの性根なんぞも少しは改まるというものだ。日本社会の管理職向け健康診断の必修項目に提案したいくらいである。
おっといかん、流体力学講義を急ごう。『層流』と『乱流』の話であった。
『層流』では、着目したある一点が、次の瞬間どっちへどう移動するのか、流速はどう加減速するのかが思考の対象となる。
例えば、1立方メートルの空間に、縦・横・高さ各々を1センチ刻みで座標を置いたとすると、100の3乗で百万ポイントの格子点が設定できる訳だが…あ、ちょっと植木算は端数が出るので言いっこナシね、その百万ポイントのひとつひとつについて、力学的・幾何学的に計算を繰り返して方程式を解いていけば、百万本の流線が算出できる。演算タスクが非常に重く、計算機に高スペックが要求されるのが想像できると思う。
それだと流線の髪の毛をぎっしり詰め込んだ1立方メートルの箱みたいになっちゃうから、上流側の端面から始まる100×100=1万本だけに着色するとすれば、ちょうど上流側から伸びた流線たちが下流側に去っていくまでの見やすい絵が描けるという訳だ。CFD計算出力の三次元画像だね【8】
いっぽうの『乱流』では、変動が幾何学的にも経時変化的にも複雑すぎて、そりゃ1センチ刻みじゃ粗すぎるから1ミリ刻みにしようとか頑張って、もん~の凄い数の演算タスクをやり切れば、うじゃうじゃもじゃもじゃの流線お化けは算出できる。だが果たしてどこまで現実を反映しているのかが全く判らない。
この流体が、無数の直径1ミリのベアリング玉の集合だったなら、まだそこそこの精度なんだろうが、普通『流体』と呼ばれるからには、分子単位で相対位置がどうにでもなる不定形の素材である。都合で1ミリ格子を想定して計算をまわしても、どこまで目的通りの思考検討に当たっているのか判定できないのだ。
だから『乱流』は、少々乱暴に言うと『流線』の概念を諦めて、自分が思考対象にするこのへんの空間や、あのへんの空間でどうなっているのか『統計値』で勝負する。
私は大学4年生の一年間を、乱流計測を専門とする研究室で過ごした。
専門用語が少々ウザいが『接地境界層における乱流構造の計測と再現手法』をやっていて、まずここで『接地境界層』というワードから話を進めにかかろう。
敢えて一般的でないところから踏み込むのだけれど、とりあえず『風洞』という実験装置があるというのは、何かの書物なりテレビ番組なりで御覧になっている方が多いと思う。
基礎実験をやるため理想的に整えた層流を作り出す装置のことだ。ウチの研究室にあったのは、風の通路内に置かれた実験スペースが1立方メートルの風洞装置であった。
もちろん実験スペースの壁面はキホン余計な凹凸の無い平面になっている訳だが、そこに風を吹かせるとどうなるか考えてみよう。
…え?全面つるつるなんだから、スペース内のどこもくまなく、毎秒1メートルの風速に設定すれば、すみずみまで毎秒1メートルの風速が出るんじゃね…?
立てた空缶や裏返したポリバケツが、どの程度の風速を受けてどんなチカラに押されて、風に流されるかを調べるなら、その感覚で大きなハズレはないかも知れない。
だが、平らな床面にこぼれて拡がった水やペンキがどう拡がるかとなると話が違ってくる。高さのあるところで出ている風速よりも、床面に接して舐めていく風速は遅くなるのが想像できると思う。
これは空気に『粘性』の性質があって、床面直近の空気は床面に『粘着して、ひきずられる』ためだ。逆を解説するなら、粘性が全くゼロの、しゃばっしゃば、さらっさら、つーつーの、例えば平面に一滴落とすとさらあああっと理屈上は分子ひとつの厚みにまで散ってばらけるような流体であってのみ、ギリ床面直近でも高さのあるところと同じ風速が出る。
何を基準に語るかにもよるんだけれど、エイヤと私見で言ってしまえば、流体屋からすれば空気はかなり粘性の高い、つまり粘っこい特性を持っている。つまり結構な厚みで床面に粘りついてひきずられ、ブレーキを掛けられる特徴を持っている。
だとすると、床ぴたは風速ゼロあるいは高さのあるところの何分のイチ、ということになるから、上流から流れてきた流線は、きれいに床面と平行に下流目指して走れないのだ。流線は高い位置から床面めがけて前転して、つまずいて地面に頭突きを入れるかのような、転がり成分を持つことになるのがお解りだろうか。
因みに、こんな流れ状態を考えるにあたり『十分な高さのあるところ』つまり、そこに風速計をかざして『ちゃんと毎秒1メートル出てるよな、うん』という場所では、きれいに並走する流線が成立していて、それを『一般流』『一般風速』などと表現する。
想像力を駆使する思考実験なので、今回はこのくらいにしときますか。皆さんにうまく伝わって、ふんふんなるほどと読んで御理解いただけていると良いのだが。
最後に冒頭の話題でアタマの整理体操。とりあえず健康管理で食の制限をかまされると、人生の楽しみ云々はもちろんのこと、外食・会食でやたら不便な思いをすることになるから、皆さま健康診断には抜かりなきよう。
ピンポイントの一回だけでは、いわゆる万人向け一般論に照らして問題ありそうなさそう…ぐらいしか判らないので、せめて1年毎ぐらいのピッチで『ジブンって大体こんな生活をすると、こんなコトになるもんだ』という勘どころをつかんでおくのが検診受診のコツだと思う。解り始めると面白いんだがねえ。
いよいよヨンさまダンナは散髪屋にチャレンジか。週明け新展開にグッドラック!
皆さんの職場の現実が、この朝ドラの再現となってくっついてきますように。
週明けにはダイエット拒食症の入院患者も登場するようだし、なるほどそうだとすると、タイプ別に患者の食事情の事例をひとつでも多く観たいな。
大腸炎はともかく、ネフローゼの疾患名は久し振りに聞いた。昭和の小学校でも、年に一回だったと思うが検尿があって、40人余に1~2人ぐらいかなあ、尿蛋白を指摘される級友がいたと記憶している。今季の朝ドラもいろいろ想い出深く勉強になってるよ。
ところで今朝たまたまテレビをつけたら、健康テーマの番組で、前回話題にした下部内視鏡についてやっているところに出くわした。
検査前日の準備食が進化しているのは良いとして、私の頃は当日待合室で下剤入りのスポーツドリンクみたいなやつを飲んでは、うんこの色が消えるまで腸内洗浄する準備プロセスがあったのだ。
もちろん被験者自己流の判断では検査OKの確証が取れないため、待合室に隣接した和式トイレで出しては、看護婦さんを呼んでうんこを披露し判断してもらうのである。自分のうんこを看護婦さんと二人で見て良否判定してもらうという、もう至高の…いやバツの悪い作業を、OKが出るまで繰り返す。
ところが今どき便利なことになってしまっており、自分のうんこを撮影するとOK/NG判定の表示を返すスマホアプリが開発されているのだそうだ。
軟弱者め、こんなヌルい検査ツールなんぞ『人に優しい医療』でも何でもない。いま出したうんこを否定される屈辱感・劣等感を通り抜けて冷静で頑丈な人格は形成されるのであり、NHK朝ドラのひ弱なくせに傲慢なダメ男どもの性根なんぞも少しは改まるというものだ。日本社会の管理職向け健康診断の必修項目に提案したいくらいである。
おっといかん、流体力学講義を急ごう。『層流』と『乱流』の話であった。
『層流』では、着目したある一点が、次の瞬間どっちへどう移動するのか、流速はどう加減速するのかが思考の対象となる。
例えば、1立方メートルの空間に、縦・横・高さ各々を1センチ刻みで座標を置いたとすると、100の3乗で百万ポイントの格子点が設定できる訳だが…あ、ちょっと植木算は端数が出るので言いっこナシね、その百万ポイントのひとつひとつについて、力学的・幾何学的に計算を繰り返して方程式を解いていけば、百万本の流線が算出できる。演算タスクが非常に重く、計算機に高スペックが要求されるのが想像できると思う。
それだと流線の髪の毛をぎっしり詰め込んだ1立方メートルの箱みたいになっちゃうから、上流側の端面から始まる100×100=1万本だけに着色するとすれば、ちょうど上流側から伸びた流線たちが下流側に去っていくまでの見やすい絵が描けるという訳だ。CFD計算出力の三次元画像だね【8】
いっぽうの『乱流』では、変動が幾何学的にも経時変化的にも複雑すぎて、そりゃ1センチ刻みじゃ粗すぎるから1ミリ刻みにしようとか頑張って、もん~の凄い数の演算タスクをやり切れば、うじゃうじゃもじゃもじゃの流線お化けは算出できる。だが果たしてどこまで現実を反映しているのかが全く判らない。
この流体が、無数の直径1ミリのベアリング玉の集合だったなら、まだそこそこの精度なんだろうが、普通『流体』と呼ばれるからには、分子単位で相対位置がどうにでもなる不定形の素材である。都合で1ミリ格子を想定して計算をまわしても、どこまで目的通りの思考検討に当たっているのか判定できないのだ。
だから『乱流』は、少々乱暴に言うと『流線』の概念を諦めて、自分が思考対象にするこのへんの空間や、あのへんの空間でどうなっているのか『統計値』で勝負する。
私は大学4年生の一年間を、乱流計測を専門とする研究室で過ごした。
専門用語が少々ウザいが『接地境界層における乱流構造の計測と再現手法』をやっていて、まずここで『接地境界層』というワードから話を進めにかかろう。
敢えて一般的でないところから踏み込むのだけれど、とりあえず『風洞』という実験装置があるというのは、何かの書物なりテレビ番組なりで御覧になっている方が多いと思う。
基礎実験をやるため理想的に整えた層流を作り出す装置のことだ。ウチの研究室にあったのは、風の通路内に置かれた実験スペースが1立方メートルの風洞装置であった。
もちろん実験スペースの壁面はキホン余計な凹凸の無い平面になっている訳だが、そこに風を吹かせるとどうなるか考えてみよう。
…え?全面つるつるなんだから、スペース内のどこもくまなく、毎秒1メートルの風速に設定すれば、すみずみまで毎秒1メートルの風速が出るんじゃね…?
立てた空缶や裏返したポリバケツが、どの程度の風速を受けてどんなチカラに押されて、風に流されるかを調べるなら、その感覚で大きなハズレはないかも知れない。
だが、平らな床面にこぼれて拡がった水やペンキがどう拡がるかとなると話が違ってくる。高さのあるところで出ている風速よりも、床面に接して舐めていく風速は遅くなるのが想像できると思う。
これは空気に『粘性』の性質があって、床面直近の空気は床面に『粘着して、ひきずられる』ためだ。逆を解説するなら、粘性が全くゼロの、しゃばっしゃば、さらっさら、つーつーの、例えば平面に一滴落とすとさらあああっと理屈上は分子ひとつの厚みにまで散ってばらけるような流体であってのみ、ギリ床面直近でも高さのあるところと同じ風速が出る。
何を基準に語るかにもよるんだけれど、エイヤと私見で言ってしまえば、流体屋からすれば空気はかなり粘性の高い、つまり粘っこい特性を持っている。つまり結構な厚みで床面に粘りついてひきずられ、ブレーキを掛けられる特徴を持っている。
だとすると、床ぴたは風速ゼロあるいは高さのあるところの何分のイチ、ということになるから、上流から流れてきた流線は、きれいに床面と平行に下流目指して走れないのだ。流線は高い位置から床面めがけて前転して、つまずいて地面に頭突きを入れるかのような、転がり成分を持つことになるのがお解りだろうか。
因みに、こんな流れ状態を考えるにあたり『十分な高さのあるところ』つまり、そこに風速計をかざして『ちゃんと毎秒1メートル出てるよな、うん』という場所では、きれいに並走する流線が成立していて、それを『一般流』『一般風速』などと表現する。
想像力を駆使する思考実験なので、今回はこのくらいにしときますか。皆さんにうまく伝わって、ふんふんなるほどと読んで御理解いただけていると良いのだが。
最後に冒頭の話題でアタマの整理体操。とりあえず健康管理で食の制限をかまされると、人生の楽しみ云々はもちろんのこと、外食・会食でやたら不便な思いをすることになるから、皆さま健康診断には抜かりなきよう。
ピンポイントの一回だけでは、いわゆる万人向け一般論に照らして問題ありそうなさそう…ぐらいしか判らないので、せめて1年毎ぐらいのピッチで『ジブンって大体こんな生活をすると、こんなコトになるもんだ』という勘どころをつかんでおくのが検診受診のコツだと思う。解り始めると面白いんだがねえ。
いよいよヨンさまダンナは散髪屋にチャレンジか。週明け新展開にグッドラック!
【1343】久し振り理系講義の開講チャイム [ビジネス]
NHK朝ドラ『おむすび』で、病院の階段を子供が独りで降りるシーンがあった。
えーっと、別にケチをつけるつもりはないのだけれど、最近では施設エリアから隔離された形式の階段通路は廃止あるいはあっても使用禁止として施錠されているところが結構多いと思う。
事故防止のためだ。何より事故発生時に人目につかない危険がある。
職員にしても来訪者にしても、健常者が階段で転倒・転落事故に遭うケースはまだどうにかもなるんだろうが、入院患者が無理をして移動したり、単独でリハビリに励んでいて事故に遭うケースでは、重大な事態に直結する危険が一気に跳ね上がる。
むしろ一般施設より緊急を要求されることが多いだろうし、病院のエレベーターは、是非とも効率的で迅速な運行が可能なシステムにしておいて欲しいものだ。エレベーター一本化にしといて、停電時の閉じ込めは困るんだけどね【199】
ところで私自身は幼少期以降、入院中の近親者のケアで病院通いというシチュエーションは多々あるものの、自分が入院して病院食で過ごすという経験をしたことがない。
朝ドラでは複数の入院患者が病院食を拒否って担当職員たちを困らせているが、そもそも腹が減ってどうしようもなくなり、とりあえず仕方なくでも食う、そして食っちまったらわざわざ後でケチつけるのが面倒になる、という流れではいかないものなのかなあ。そんなに簡単だったら病院も苦労しないか。
視覚的な彩りまで工夫して、煮物の小鉢に万能ねぎを散らす配慮がされるってのも、魅力品質を目的にした意外にも細かな気遣いである。だいたい私はそういう繊細さの対局に位置する『身もフタもない』タイプであり、どうせすぐに食っちまうんだから、たかがいっときの見かけなんぞどうでもいい…で、じかに鍋から食って全然平気だ。機械屋の感性は、飲食関連業に向かないのかも知れない。
だがそれだけに、せっかく人さまが手を掛けて作った料理を、喜んで有難くいただく以外の結末にする意識の乱れは、心底許せないのだ。
そうだ、こんな偉そうな講釈をたれた先から、ひとつ聞いて欲しい要望がある。
下部内視鏡検査、つまり『お尻からCCDで大腸内壁を目視』の前々日・前日用の食事、あの不味さはどうにかならないものか。ちゃんと食い物にする技術は頑張れていると思うんだが、何の料理でもない、あのどうにも不透明な『食うにしんどさ』は一体ナンなのだろう…?
私が最後に下部内視鏡検査をやったのは何年も前だから、今はかなり改善されているとは思うのだが、それにしてもあの検査食の重苦しい記憶はしっかり残っている。
世代により許容度が変わってくるかも知れないが、いっそエナジードリンクならぬエナジーゼリーみたいなやつ、あの方式にしてしまったほうが諦めもついて食いやすいかも知れない。御検討ください。
さて、ちょいと思うところあって、久し振りに複数回跨ぎの技術系トピックを試したくなった。うまく行くかなあ、失敗したらギブアップを白状しますので悪しからず。
『流体力学』の話題である。大学で工学部にでも進まないと出遭わない学域だろう。
主に2年生3年生あたりで、工学の基礎知識として流体を扱う物理的概念について学び、少なくとも昭和の時代はどこの大学にも、機械加工学や材料工学、内燃機関や機構学と並んで『流体力学研究室』がラインアップされていた。4年生になるとこれらの研究室のどこかに所属して卒論を書く訳だ。
工学域の中でも更に深みにハマる学術1ジャンルです、ぐらいの認識で結構である。
この深みにハマる手前、工学の基礎知識の初期段階で、実は多くの学生ちゃんたちが戸惑う。『流体力学』の専門書を開くと、最初まあそんなに複雑な方程式でもないんだけれど、何を意味するのか理解できない『代表長さ』という変数が混じっているのだ。
一定幅の流路を通過する流れや、円に流れがぶち当たって上下に割れたのち下流側で合流するやつとか、いくつか挿絵が載っていて、その『代表長さ』ってのはこれだよと両頭矢印で『L』とか書いてあるんだが、そこが『代表』になる根拠が解るように解説されていない。
先生にどう『代表』を選出するのか尋ねるのだが『ああ、この場合ならここかな~』とか、そのあと『まあ場合によっては、こっちとか、あるいはこことか…』などと、聞いてる方にはさっぱり回答として決まらないような日本語が返ってきて、学生ちゃんは『???』のまま道を見失う。私も最初そうだった。
こういう場所の先生ってのは、流体力学研究室の教授や助教授なんかが出てきて教壇に立っているだけだから、本人はムチャクチャ賢くてその概念を自由に思考できているんだが、それを他人に解説するのは得意でもなければ上手くもなかったりする。
冒頭につかみどころのない苦手意識のジャブを喰らったあと、基本的には常時カタチを変え時と共に流れ去っていく流体のことだから、x-y-zの三次元のみならず時間tまで含めた四次元の偏微分方程式が登場してきたりもして、学生ちゃんの大半は早々に『嫌い』『避けて通りたい』のイメージを固めることになるのだ。
探せばまだ自宅のどこかから出てくるが、恐らくはそんな実情を反映して、とある『流体力学』の専門書では、著者の先生が前書きで『流体力学』の学域イメージを柔らか系に楽しくしようと一生懸命である。
『ほおら流体力学って楽しいよ、こっちではレイノルズ数が手招きしていて、あっちではストローハル数が躍っている…』みたいな文章が工夫されていたんだが…皆さま、パラダイスの印象はいかがなものですかな?
御苦労されたんだろうなあ、この先生も。この理系専門家の良心ベクトルは、みごと学生ちゃんたちの向学心を射抜けたのだろうか。
さて流体を物理的概念でとらえ、方程式で表現し、数値計算で現象の再現・予測などを行うにあたり、まずはざっくり『層流』か『乱流』かの区別が必要だ。
よく飛行機や自動車の風洞実験の写真で見かけるように、並走する煙の一筋ひと筋がきれいに見えるような流れの状態を『層流』と呼ぶ。
流体力学的には『流線が成立する流れ』という日本語を使うのだが、つまり流体の分子ひとつに色をつけることができたとして、そいつが観測者の視界に飛び込んできて、一筆書きの線を描いて視界の外に消えていく、そんな流れのことだ。
例えば横並び隣り合わせの分子に、それぞれ赤と青の色を付けたとすると、風洞実験の煙の筋のように、赤の軌跡と青の軌跡は最初から最後まで並走する。こうしてお行儀よく『層を成す』から『層流』ってことだね。
これに対して、いわゆる『濁流』のイメージで、ぐるんぐるん逆巻きながら、揉みくちゃに流れていくやつを『乱流』と呼ぶ。
分子ひとつに色をつけることができたとして、上下左右に不規則に振り回され、あっちへこっちへ持っていかれる。隣の分子とも全く無関係にデタラメな軌跡で、もつれて絡んで、ぶつかって泣き別れて、目も追い付かないぐっちゃぐちゃのデタラメ挙動である。これがその名の通りの『乱流』だ。
…ってことで、まずはこのへんにしときますか。
確かに多くの理系学生ちゃんたちに敬遠されるだけあって、簡単だとはゆめゆめ言わないんだけど、とりあえず文系の方々も我慢してお付き合いいただけると幸いである。
しっかし今冬はフルシーズンきっちり寒いよなあ、熱燗が美味くていいんだけど。
皆さま風邪など召されませんよう、明朝は今週シメのNHK朝ドラにグッドラック!
えーっと、別にケチをつけるつもりはないのだけれど、最近では施設エリアから隔離された形式の階段通路は廃止あるいはあっても使用禁止として施錠されているところが結構多いと思う。
事故防止のためだ。何より事故発生時に人目につかない危険がある。
職員にしても来訪者にしても、健常者が階段で転倒・転落事故に遭うケースはまだどうにかもなるんだろうが、入院患者が無理をして移動したり、単独でリハビリに励んでいて事故に遭うケースでは、重大な事態に直結する危険が一気に跳ね上がる。
むしろ一般施設より緊急を要求されることが多いだろうし、病院のエレベーターは、是非とも効率的で迅速な運行が可能なシステムにしておいて欲しいものだ。エレベーター一本化にしといて、停電時の閉じ込めは困るんだけどね【199】
ところで私自身は幼少期以降、入院中の近親者のケアで病院通いというシチュエーションは多々あるものの、自分が入院して病院食で過ごすという経験をしたことがない。
朝ドラでは複数の入院患者が病院食を拒否って担当職員たちを困らせているが、そもそも腹が減ってどうしようもなくなり、とりあえず仕方なくでも食う、そして食っちまったらわざわざ後でケチつけるのが面倒になる、という流れではいかないものなのかなあ。そんなに簡単だったら病院も苦労しないか。
視覚的な彩りまで工夫して、煮物の小鉢に万能ねぎを散らす配慮がされるってのも、魅力品質を目的にした意外にも細かな気遣いである。だいたい私はそういう繊細さの対局に位置する『身もフタもない』タイプであり、どうせすぐに食っちまうんだから、たかがいっときの見かけなんぞどうでもいい…で、じかに鍋から食って全然平気だ。機械屋の感性は、飲食関連業に向かないのかも知れない。
だがそれだけに、せっかく人さまが手を掛けて作った料理を、喜んで有難くいただく以外の結末にする意識の乱れは、心底許せないのだ。
そうだ、こんな偉そうな講釈をたれた先から、ひとつ聞いて欲しい要望がある。
下部内視鏡検査、つまり『お尻からCCDで大腸内壁を目視』の前々日・前日用の食事、あの不味さはどうにかならないものか。ちゃんと食い物にする技術は頑張れていると思うんだが、何の料理でもない、あのどうにも不透明な『食うにしんどさ』は一体ナンなのだろう…?
私が最後に下部内視鏡検査をやったのは何年も前だから、今はかなり改善されているとは思うのだが、それにしてもあの検査食の重苦しい記憶はしっかり残っている。
世代により許容度が変わってくるかも知れないが、いっそエナジードリンクならぬエナジーゼリーみたいなやつ、あの方式にしてしまったほうが諦めもついて食いやすいかも知れない。御検討ください。
さて、ちょいと思うところあって、久し振りに複数回跨ぎの技術系トピックを試したくなった。うまく行くかなあ、失敗したらギブアップを白状しますので悪しからず。
『流体力学』の話題である。大学で工学部にでも進まないと出遭わない学域だろう。
主に2年生3年生あたりで、工学の基礎知識として流体を扱う物理的概念について学び、少なくとも昭和の時代はどこの大学にも、機械加工学や材料工学、内燃機関や機構学と並んで『流体力学研究室』がラインアップされていた。4年生になるとこれらの研究室のどこかに所属して卒論を書く訳だ。
工学域の中でも更に深みにハマる学術1ジャンルです、ぐらいの認識で結構である。
この深みにハマる手前、工学の基礎知識の初期段階で、実は多くの学生ちゃんたちが戸惑う。『流体力学』の専門書を開くと、最初まあそんなに複雑な方程式でもないんだけれど、何を意味するのか理解できない『代表長さ』という変数が混じっているのだ。
一定幅の流路を通過する流れや、円に流れがぶち当たって上下に割れたのち下流側で合流するやつとか、いくつか挿絵が載っていて、その『代表長さ』ってのはこれだよと両頭矢印で『L』とか書いてあるんだが、そこが『代表』になる根拠が解るように解説されていない。
先生にどう『代表』を選出するのか尋ねるのだが『ああ、この場合ならここかな~』とか、そのあと『まあ場合によっては、こっちとか、あるいはこことか…』などと、聞いてる方にはさっぱり回答として決まらないような日本語が返ってきて、学生ちゃんは『???』のまま道を見失う。私も最初そうだった。
こういう場所の先生ってのは、流体力学研究室の教授や助教授なんかが出てきて教壇に立っているだけだから、本人はムチャクチャ賢くてその概念を自由に思考できているんだが、それを他人に解説するのは得意でもなければ上手くもなかったりする。
冒頭につかみどころのない苦手意識のジャブを喰らったあと、基本的には常時カタチを変え時と共に流れ去っていく流体のことだから、x-y-zの三次元のみならず時間tまで含めた四次元の偏微分方程式が登場してきたりもして、学生ちゃんの大半は早々に『嫌い』『避けて通りたい』のイメージを固めることになるのだ。
探せばまだ自宅のどこかから出てくるが、恐らくはそんな実情を反映して、とある『流体力学』の専門書では、著者の先生が前書きで『流体力学』の学域イメージを柔らか系に楽しくしようと一生懸命である。
『ほおら流体力学って楽しいよ、こっちではレイノルズ数が手招きしていて、あっちではストローハル数が躍っている…』みたいな文章が工夫されていたんだが…皆さま、パラダイスの印象はいかがなものですかな?
御苦労されたんだろうなあ、この先生も。この理系専門家の良心ベクトルは、みごと学生ちゃんたちの向学心を射抜けたのだろうか。
さて流体を物理的概念でとらえ、方程式で表現し、数値計算で現象の再現・予測などを行うにあたり、まずはざっくり『層流』か『乱流』かの区別が必要だ。
よく飛行機や自動車の風洞実験の写真で見かけるように、並走する煙の一筋ひと筋がきれいに見えるような流れの状態を『層流』と呼ぶ。
流体力学的には『流線が成立する流れ』という日本語を使うのだが、つまり流体の分子ひとつに色をつけることができたとして、そいつが観測者の視界に飛び込んできて、一筆書きの線を描いて視界の外に消えていく、そんな流れのことだ。
例えば横並び隣り合わせの分子に、それぞれ赤と青の色を付けたとすると、風洞実験の煙の筋のように、赤の軌跡と青の軌跡は最初から最後まで並走する。こうしてお行儀よく『層を成す』から『層流』ってことだね。
これに対して、いわゆる『濁流』のイメージで、ぐるんぐるん逆巻きながら、揉みくちゃに流れていくやつを『乱流』と呼ぶ。
分子ひとつに色をつけることができたとして、上下左右に不規則に振り回され、あっちへこっちへ持っていかれる。隣の分子とも全く無関係にデタラメな軌跡で、もつれて絡んで、ぶつかって泣き別れて、目も追い付かないぐっちゃぐちゃのデタラメ挙動である。これがその名の通りの『乱流』だ。
…ってことで、まずはこのへんにしときますか。
確かに多くの理系学生ちゃんたちに敬遠されるだけあって、簡単だとはゆめゆめ言わないんだけど、とりあえず文系の方々も我慢してお付き合いいただけると幸いである。
しっかし今冬はフルシーズンきっちり寒いよなあ、熱燗が美味くていいんだけど。
皆さま風邪など召されませんよう、明朝は今週シメのNHK朝ドラにグッドラック!
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