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【771】繰り返さない過ちの約束期限 [ビジネス]

 今年も終戦記念日を迎えた。広島の交通網が台風で止まってしまったのが気の毒である。
 う~ん、今日の広島に限らず、あんまりにも早々に計画運休を決めて、そのまんま融通きかな過ぎに見えてしまうのは、無知で無責任な外野の放言でしょうかね。

 NHK地上波放送でもやっていたが、アニメ映画『この世界の片隅に』が連続上映1000日に達したという。その舞台は戦時中の広島だ。
 私の母方の家系が広島だったので【311】【458】、祖父母の話していた、どこかノドカな響きを感じさせる広島弁のイントネーションは、私にとっては馴染み深い。『この世界の片隅に』の主人公、すずのイメージ=究極の人畜無害、不思議ちゃん級の善良な無邪気によく似合っている。

 降りかかる意地悪や不運を、とぼけるように憎まず嫌わず平和にやり過ごしてきたすずが、日本の敗戦を伝える玉音放送を聞いた直後の台詞が印象深い。
  『…なんで?』
  『広島と長崎へ原爆も落とされたし、ソ連も参戦したし、かなわんわ』
  『そんなん覚悟の上じゃあないんかね?最後の一人まで戦うんじゃあなかったんかね?』
 この時点ですずは不発弾の暴発事故により右手を負傷しているが、
  『今ここにまだ5人もおるのに!左手も両足も残っとるのに!こんなん納得できん!』

 私の母はこんなにまで力強くはなかったようだが、やはり日本が敗戦したとは信じられなかったらしい。
 確かに当時『1億総玉砕』のようなスローガンが絶えず流され、日本軍が米軍に押されに押されて遂に本土決戦と相成っても、物資の枯渇し切った当時の日本社会は『上陸してきた米兵相手に、竹槍でなお戦う』とする機運を、うわっツラのカタチだけでも残していた。
 もちろん現代に生きる日本人には、こんなもの到底あり得ない非現実的な想定であると、いともたやすく直感できるだろう。誰も取り合うに取り合えない。
 真珠湾攻撃の象徴的戦果で一気に勝利を演じる作戦に失敗した日本国は【164】、その時点でもう普通にやる限り、物資調達に困窮していずれ行き詰まる運命にあったのだ。中国や南洋などに資源を求める試みには当然死にもの狂いで取り組んだが、大東亜共栄圏は生命線である輸送船団を徹底的に叩かれ沈められ、勝算を失い、必然の結果としてその機能を止めた。
 その先は『そもそもモノも無いのに勝つ道理が無い、不毛な負け戦』とならざるを得ない。

 さて今日に話題を移す。
 日本経済が長期にわたって基礎体力を失くしており、まずこれを十分な強さで安定させないと、既に世界に他例を見ないほどガッタガタに壊れた日本国財務は、完膚なきまでの再起不能に陥ってしまう。
 だからまず景気を好転させ、景気の復調を確信してから、消費税率を上げる検討をする。
 元々こんなハナシではなかったか。
 いつの間に『消費税率はもう上げることに決まっていて、経済の打撃をどうするかが問題だ』という、やる前から失敗が決まっている、気の狂った不毛な負け戦にすり替わったのだろう?

 改めて今回も明言しておく。現実解はただひとつ、『税制は据え置き』しかない。
 9月30日にでも『税制は据え置きます』と発表すれば、日本社会は『ああ良かった、そうしましょう』と収まるはずである。

 あららスペース使い過ぎちゃった、昆虫くんの触角による接触通信の話題を続けないと。
 例えば携帯電話のバイブレーターみたいなデバイスにして、狙った通信相手と手元のデバイス同士をかち合せると、超高周波の震動を送受信し合って通信が完了するというのはどうだろう。街中では電柱や手すりや街角モニュメントみたいな公共発震機があって、自分のデバイスを自由に接触受信させることができるとか。
 個人同士の通信で、情報の傍受や侵入に対して意外と強かったりしないかな。通信容量としては現代の相場比で何ケタか落ちてしまうから、割とシンプルなフォーマットに極く軽いデータが乗っかる通信形態に向いていると思う。他人に読まれないようセン公だけ判る学童の名札にするとか、あと万博チケットの本人確認なんかに使えたりしないかな。

 ところで昆虫に脳みそが見当たらないということは、眠って記憶情報にデフラグをかけ、その内容にハプニングを発生させ【629】、一匹が自己完結型で情報的に進化することはできないということだ。その代わり仲間があちこち動き回って遭遇した情報で、ひっきりなしに格納データのアップデートを繰り返している。
 ハチやアリの群れは、むしろその総観的な全体像を生物一匹として観察する方が、種族別の特徴や習性を整理・分類しやすいと聞いたことがある。USB単品だけを比べても違いが判りづらい反面、その格納データを交換しながら作動する情報由来の組織生命体として見る方が、生命作動の実体を把握しやすいという訳だ。
 ただ昆虫の全てがハチやアリのように社会性を感じさせるコロニーを作って生きている訳でもないから、この接触通信を昆虫族の一般解と考える訳には行くまい。カマキリやオニヤンマが仲良く触角を突き合って会話するとは思えない。
 なお昆虫よりも原始的とされる鋏角類=サソリ、クモ、カブトガニ等に触角は無い。コイツらは群れて通信し合って暮らす進化の可能性に、まだ到達する手前の段階なのだという考え方はできそうな気もするぞ。

 最後に話題を前半に戻そう。
 肝心なところで種の生き残り・勝ち残りの道理よりも、自暴自棄の自滅プログラムを優先させる日本国のふたつの事例、ここにガチのDNAレベルで本気の分析をかけないと、将来日本の建設的な展開は手に入らないと思っている。

 2025大阪・関西万博が謳う『いのち輝く未来社会のデザイン』のテーマにおいては、こんな領域の課題を掲げて各国の民族たちの真剣な意見を一度聞いてみたいものだ。
 大阪の成長を止めるな。
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