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【758】だあれもいないと思っていても、どこかでどこかで民衆は♪ [ビジネス]

 G20は無事に終わったのかな。まあこの手の国際会議はセレモニー的な要素が強いので、わざわざ会期中に険悪な衝突で不穏な空気を巻き起こすようなこともないもんだけど。

 世界各国首脳の顔ぶれを思い出しつつ、少し考えていただきたい。
 何とな~くこの日本国に生れ落ちてみたら、日本社会はそこそこ平和で、みんなでカド立てずに話し合いながら、誰かが誰かに個人的な力関係を強いたりすることなく暮らすのが当然のように見えていた。学校では基本的人権だの主権在民だの民主主義だの教えてくれる訳だが、特にその年齢時点では、その意味するところを意識しないで済む程度には無難に暮らして来れた。
 社会人になる頃には、絶対君主が私欲のために社会を好き放題に振り回している様子もないし、まあ現代文明で動く社会の中、立場がイマイチ悪くても自由に歩き回ってどうにか生きて行けるし、『社会運営ってよくワカランが誰かが何とかやってくれてるんだろうから、まいっか』ってことにもなっていた。

 主に大東亜戦争の経験をもって特定の個人に権限が集中する天皇制を不適切として廃止し、ぶっちゃけ欧米で既に完成されていた民主主義政治コンセプトをパッケージ流用したのが、現代日本社会における民主主義の成り立ちである。
 そこから高度経済成長期を迎えてこの小さな島国が栄え、治安や医療などをみんなで持ち合う社会システムが一旦充実の域に到達したため、ここにさえいれば安心して生きていられるという、とても恵まれた空間が出来上がった【502】

 ここでのポイントは、我が日本国は民主主義システムの実現困難度=有難味を身に染みて体得していないということだ。

 民主主義は血の歴史を経て現在に到る【717】
 人間は言語など事実を抽象化・象徴化し描写した情報に変換した後、情報のみを独り歩きで展開させ交信を繰り返す。よって、元々は物事の道理として生物学的な生存競争での実力を原点とする力関係が始まったとしても、それはいつの間にか情報だけで構築された、真の実力と乖離した架空の力関係に変質してしまう。早いハナシが、無能なのになんだかしら偉くて他人に指図できることになっちゃうヤツが出て来るってことだ。

 社会に流れで決めてもらっただけの不適格者が権力を握り、フェアネス保証の安心な空気を普及させて社会全体の生産性を上げる組織マネジメントもせず、生まれたまんまの社会に揉まれない私利私欲に呆けていたりすると、そのうち稼働力も数も圧倒的に勝る大衆が反感を募らせて結束し、組織的に実力を発動する。昔のことだから社会生活の悪政アンフェアが庶民の人生に課した損害意識は深刻なもので、よって不適格な権力者は鬱憤晴らしの目的で惨殺される場合が少なくない。世界史で『ナンタラ革命』というと大なり小なりこのパターンであり、『自由とは、人間がついやってしまう利己主義の過ちの解決策として、実力と実力がぶつかり合うなか望んで獲得する』という経緯の構図が見て取れる。

 再び、ここでのポイントは『いったん社会組織の自我がその気で実力を発動したら、時の決まりがどうであろうが、誰にもなすすべは無く勝てない』ということだ。

 民主主義議会の選挙制が一応でも正常に運用されたとして、その結果として選出された議員が有権者たる大衆を裏切り民意を代表しなくなった場合、法治国家とやらでどこに何の決め事が書き落とされていようが、『民衆が法に従わない』という事実で反応する事態は普通にあり得る。
 所詮は決め事、ただの情報に過ぎないのだ。民意にあらずとして従えないモノは従えない。
 それでおしまいであり、例えば納税がこの原理により放置されたなら、国の組織生命体としての機能のひとつである徴税・納税が突然死して、ただ税収ストップするのみである。その先ナニも起こらない。

 いざその段になり青くなって『納税しないと社会インフラが持ちませんよ』などと呼びかけたところで、お隣さんもお向かいさんも馬鹿馬鹿しい税制になんぞ従っていないのだ。
 知らんよ、そんなもん。集団シカトは粛々と続く。
 組織の自我が誰の意にも従わない恐ろしさは、このあたりで空を覆う黒雲のような膨大な脅威としての姿を見せ始める。ここまで組織の自我の御機嫌を損ねてしまうと、もうちょっとやそっとの手直しぐらいでは納税意識を元通りに回復できない。社会全体が荒んで暮らしにくくなってもお構いなしだ。

 確認しておこう。
 『民主主義』とは、その字の通り『民(たみ)』が『主(あるじ)』として意思決定するルールのことを指す。みんなが良いと思う方向に社会を動かすコンセプトのことであり、特定の手続きで選出された議員や公務員試験を通った役人の決めた通りにする行きがかりなど微塵も無い。

 この『みんなが良いと思う方向』というところに、統計学に根差した『最大多数の意志』が反映されているべきであり、実は統計学的に考えて必ず一定数がこの『最大多数の意志』と異なる考え方を持っていて、その社会層は渋々納得して不満に甘んじなければならない立場となる。
 だからこそ組織の運営方針に対して挙がってくる反対意見には、まず耳を傾けてその内容を正確に汲み取り、組織の自我の逆鱗に触れていないかどうかを注意深く判定する必要があるのだ。
 個人あるいは少数の邪心が『みんなが良いと思う方向』と違うことを仕込もうとしたところで、いずれ組織の自我は感知するし、その都度、対応の判断を下していく。これには誰ひとり勝てない。

 ますますとち狂ったような頻度で流される軽減税率あほレジ機のテレビCM、まともにみんなが良いと思って導入が進んでいれば今こんなことにはなっていないはずで、現時点にて日本社会にすっかり見離されているのが判ると思う。これ以上やっても無駄、違う展開を考えなければ次は無い。
 ただ、これだけCM放送枠が買い漁られている事実があり、そこにはCM放送枠を売る馬鹿がいて、その支払は間違いなく税金資本になっているという現実を、我々国民は認識しておくべきだと思う。

 再び選挙モードに戻ろう。日本国組織の自我は、現状やり散らかしの愚政にどう反応するか、もう決心を固めている。こんな無駄な国力内部損失をやって動けないような与党二党は、置いておくだけ国民の迷惑にしかならないと思うのだが、まあ自由にお察しいただきたい。
 私も特定の時間帯以外はくだらなくてテレビなんか見ないけれど、視聴率ビジネスの成立も危ういその程度のモノに、こんな形で税金がばら撒かれて、どこの誰の、何の収支が成立しているのだろう?

 平和ニッポンの民主主義も日本円経済も、何となく思うより遥かにマトモでない。
 大阪の成長を止めるな。
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