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【739】思考のひとときヤミ鍋具材集 [ビジネス]

 衆院補選はバッチリ狙って予想した通りの結果ってことで、選挙の話題は一休み…と思いきや、大阪府堺市の市長選が6月早々に決まりそうだ。前・堺市長がいきなり辞任してしまったからである。
 ヤク離脱の話がしたいが、連休前にちょびっとだけ政治のトピックを駆け込んでおこう。

 ざっくり解説を入れておくと、前・堺市長は橋下政権時代に大阪維新に取り入って、その勢いを借りる形で当選した。ところが当選後に態度を翻し、大阪府の中でも大阪市の真南に隣接する堺市から、声高に大阪都構想反対を叫ぶようになったのである。これには大阪維新以外の政党どもが軒並み擁護に喰い付いて、反・維新勢力の牙城を築くに到った。
 いっぽう大阪都構想の直近ステップは当面のところ、『大阪市の枠で囲まれる面積』を特別区よっつに割り振る工程に限られているため、近々には堺市長の反目が直接の妨害工作として立ちはだかることはなかったのだが、もちろん中長期的な見通しが平穏であるはずがない。

 こんな背景において、前・堺市長の政治資金の収支管理がどうにもさっぱり不透明であることが発覚し、億単位のカネがどこからどう渡って消えたのかも今のところ不明である。
 一応は本人から辞任を申し出た流れなのだが、新たに堺市長を選び直さねばならないのは当然だとして、問題は大阪維新以外の政党が、ウヤムヤな前・市長の政治資金が実はどうなっていたのか解明せず、積極的にナイナイのパーで不問に終わらせようとしていることだ。
  『大阪府堺市で大事な税金が億単位で行方不明。維新以外は未解明で決着させたい』
 こんな現実を放置して良いのか、何故こんなことになったのか、堺市民のみならず我々日本国民として各々の立場でどんな行動を選ぶべきなのか、この連休で生活ペースがゆったりする間に改めて考えてみていただきたい。

 …と政治のトピックはここまでにしておいて、長らくお預けにしていたヤク離脱の件を。
 平成の終わりをもってちょうど満6年半を迎えるのだが、残念ながら改元と共に離脱完了には到らなそうだ。まともな完遂の記録が見当たらないだけあって手強いね、さすがに。
 もっとも『頭の中の回線を全て引きちぎられ、基板を叩き壊されたかのような』自分の情報処理機能の瓦解に困り果てた昨年の冬=満5年目に比べれば、随分と進展はしている。

 やはりというか、まず心臓は身体の中心なんだろうな。今なお心電図の『完全右脚ブロック』状態は続いており、つまり私の右心房は圧送機能を取り戻していない【640】
 心臓付近が減圧される感覚もちょくちょく襲い、胸と背中のちょうど心臓の位置が正直にかぶれては消えていく。なるほど。
 だが実はここで本当に気を付けるべきは、心臓の血液循環機能の低下による筋力の瞬断であった。

 高架駅のすぐ手前で電車がホームに入って来るのを見つけ、急いで改札をくぐって階段を駆け上がった時のこと。実に半分まで登ったところで突然に電池切れになってしまい、スパートしたい意図に反して足が全く上がらなくなる現象を自覚した。おっと、これは情けない…という話ではない。
 こんな状態で転倒したらタダでは済まないから、意識して大袈裟に注意する必要がある。今の私は停車中の電車を早々に諦めて見送り、悠々泰然を決め込んで次を待つ品行方正な乗客となっている。

 まだ耳の奥が何かやられているだけあって断続的に鈍痛もあり【633】、これが位置的に目の奥ということにも、場合によっては脳の一部ということにもなる訳で、どの要素がどんな繋がりで効いているのか詳細は不明なのだが、このあたりが何となく視覚情報の処理に関わっているようなのだ。

 具体的には、視点の移動が通常のスムーズさをもってやれなくなる。電子新聞の記事の見出しをクリックして、普段なら左上からパ・パ・パ・パ・パッ…と直線的かつ鋭角的に文面上を飛び移っていく視点が、まるで水飴に突込んだ割り箸を横に引くように『うにゅう~…うにゅう~…』と数文字よれよれと進むばかり、数回もがいた時点で画面から目が離れてしまう。少し繰り返してその記事を諦めたは良いが、直後にまた同じ見出しをクリックしてしまい、それが二度や三度で済まずに何回開くやら。
 もう受信トレイを俯瞰して、タイトルを確認したつもりの判断手順を踏んで、でもその後にナニがどう見えていようが、ダブルクリックするのも機械的に廃棄するのも、ただの偶然任せだ。こうなったら問答無用でメール処理を自制する他ない。さすがに『後悔先に立たず』の諺ぐらいは知っている。
 因みに、カーソル位置の一点凝視で進む作文作業の方は、驚くほど悪化しない。

 1年前は激しい炎症熱と顔から吹き出す滝汗でそれどころじゃなかったのだが、もしかすると眼球の動きが機械的に阻害されると、定番パターンの映像情報を次々自在に網膜に投影できなくなるため、意識機能が標準パターンの情報処理待ちでスタンバイしている入力プロセス・演算プロセス・記録プロセスに乗っかって来ないとか、そんな通信障害モードになっていたりしないだろうか。
 水晶体があって網膜がある限り、焦点を結んだ映像はとにかく網膜上に映るは映る。だがその映像が情報処理の第一段ステップに乗るかどうかは、記録ライブラリーに既存する『認知すべき被写体』の定義に整合するかどうかで、取捨選択されているのではないか。
 こうすることにより、生物が視覚を駆使して生きていくにあたり、そこで発生する情報処理量を格段に軽くすることができると思うのだ。何しろ動画のデータは重くて処理も記録もタイヘンな負荷がかかる。
 聴覚・触覚は全生物共通で備わっているが、モグラくんにコウモリくんや深海魚たちなど視覚不要の生活を送る生物たちは、さっさと目なんか退化させているんだもんな。生物にとって、そりゃ可視光空間での生存競争を戦い抜くにあたって圧倒的に有利にはなるけれど、わざわざに視覚を備えるというのは、決してラクな機能進化ではなかったのだ。

 ん?AI画像認識のディープラーニングって、現状の設計思想で当たってるんだっけ?

 うわ~前々回の失敗から全然学習してないじゃん、またしても超・散逸的な断片トピックのヤミ鍋回になっちまったい。分割して1回毎の仕立てに書き直すのも今更ナンだし、今週末には違う新ネタを幾つも抱えているのは間違いないから、このままGOします。
 まあいいや、こんな回もあるさ。悪しからず♪
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